「ああ、やっぱりバージルって可愛かったんだぁ」
「もう充分見ただろう?仕舞うぞ」
「待って、あとちょっとだけ!」
……先程から長い間、家族の想い出の写真を手にぴったりと寄り添って、いちゃいちゃいちゃいちゃ会話を交わしている兄夫婦。
眺める独り身、こちらダンテは相当いらいらしていた。
(そりゃ、うまい事いって良かったけどさ)
こんにちは、悪魔の片割れさん。さっきににっこり出迎えてもらったときは、思わず苦笑してしまった。
バージルは本当にうまいこと乗り切ったらしい。
と離れていたという一週間、その間にバージルには会っていないが、だいたい想像はつく。どうせじめじめと、足元から苔でも生えそうなくらい落ち込んでいたに違いない。
それが今はあんな……にやにやと!
(あれがオレと同じ顔だってのが余計むかつくんだよな)
そっと嘆息してみる。
そういえば実に細かいことではあるのだが、が日本のおみやげを何も買って来なかったというのにもちょっとがっかりしたのだ。
(ヌードルスナック!)
小袋に分けられたお菓子を思い浮かべて、ダンテは更にむすっと唇を突き出した。
細めの中華麺を揚げて様々に味付けした、あのジャンキーなスナック。
以前に貰って美味いと絶賛したら、それからは日本に帰る度にいろいろな味をおみやげに買って来てくれていたのに。
『ごめんね。それどころじゃなかったの』
『子供か、お前は』
二人にそう言われて──とにかく、そんな些細な何もかもが、今の彼にとっては不機嫌の要因なのだ。
「なあ、
むかむかしたままダンテはをキッと強く見つめ、よく考えないまま言った。
「オレに友達紹介してくれよ」





Wild Card






、早く来てー!)
はひとり、到着したばかりの空港ロビーで立ち往生していた。
ゴールデンウィークを利用してアメリカに遊びに来ないかと誘われたのが、つい先日。
何時間かバイトが入っている他には特に予定もなかったから、は何とかシフトを前後で交換してもらって一週間をたっぷり空けた。
そして単身、乗り込んで来たわけなのだが。
「どうしたんだろ……」
時間を過ぎてもは現れない。
電話してみようか。
海外用にレンタルした携帯に目を落としたとき、ぽんと肩を叩かれた。
「Hey」
びくりとそちらを見上げれば、銀の髪が真っ先にさらりと視界を射抜いた。それから、さっき飛んで来たばかりの空の色を集めた瞳。均整のとれた長身の体躯。
「あ、あ」
現れたのはモデルみたいな容姿の人物で、自分とは住む世界が違うように思えるが……これでも一応、知らない人ではない。
「ばーじるさん!」
の配偶者だ。
どうして迎えに来たのがではないのか疑問に思いながらも、は愛想笑いを浮かべてみる。
けれどせっかくの作り笑いに、相手はむすっと唇をへの字に曲げてふるふると首を振った。
「It's not me. I'm Dante」
ぺらぺら降り注ぐ英語。あわあわしながら何とかは、
「だんてさん?」
それだけは聞き取れた。
ダンテは、そういえばバージルの双子の弟の名だった。
(やっぱり似てる!)
ぴこーんと理解したに、ダンテも満足そうに頷いて自分を指差した。
「そ。『ダンテサン』」





「疲れただろ?」
「はい」
「すぐ帰るか」
「はい」
「待てよ……何か必要なもんとか、買いたいもんとかないか?」
「……?はい」
滑り出しはまあまあ順調だったのに──と会話のようなものを交わすに従い、ダンテの表情は徐々に曇っていった。
(こいつ、適当に返事してねぇか?)
ちらりとを見てみる。目が合うと、彼女ははにかみながら視線をよそへずらした。そんな仕草は新鮮で、可愛らしいとすら思う。
(悪気はないんだよな、絶対)
事前にから聞いていた話によると、はもっと元気で明るい性格のはずなのだが。
意志疎通がこんなに難しいとは……
も最初はこんな風に英語だめだったのか?)
確かにバージルによる細かい発音矯正は未だにしょっちゅう行われているし、それを知っていてダンテもわざと「選挙、って言ってみな」などとからかったこともある。(そのときバージルによって投げられた分厚い本が、凄まじい速さで後頭部を直撃した。出来たたんこぶはかなりの期間、ダンテの頭に居座っていた)
が、会話そのものが交通渋滞を起こすほど酷くはなかった気がする。
「ダンテさん?」
どうかしましたかとたどたどしい英語で聞かれ、ダンテは曖昧に笑ってみせた。
(こっちに着いたばっかだし、仕方ねぇよな)
言葉は出来るだけシンプルに、発音ははっきりゆっくりと。まずはそれから。
ダンテはジーンズのポケットを探って、ちゃりっと鍵をつまみ上げた。
、バイクに乗ったことは?」
「えーと、いいえ……」
「じゃ、ここから楽しくなるぜ」
「え……」
首を捻ったに、手早くヘルメット(バージルとが絶対に持って行くよう指示した物)をすぽんと被せる。
タンデムは、楽しくなるはずだった。





っ!!」
ばたーん!と最大ボリュームで扉が叫んだ。続いて、複数の足音がどたどた響く。
「いらっしゃい、おかえりなさいダンテさん」
元気だなぁと出迎えただったが、その顔がみるみる強張る。
ダンテもも、むすぅっと互いにそっぽを向いている。
「……どうかしたの?」
おそるおそる訊ねると、二人がいちどきにに向き直った。
『何でが迎えに来てくれないの?ダンテさんの英語、早口すぎて分からないよ!』
は英語喋れるって言ったよな?ほとんど通じてねぇぞ」
「あ、あの」
『しかもここまで何で来たと思う?わたしを後ろに乗せて、バイクだよ!荷物は勝手に宅配便だかに預けちゃうし!』
「バイク乗ったことねぇっていうから楽しませてやろうとしてんのに」
『ものっすごいスピードで飛ばすし、途中で「あれは何々」って観光案内してくれるのは嬉しいけど、その間片手運転なんだよ?』
「危ないからしっかり掴まれって言ったって、病人みてぇな力でしか掴まらねぇし!」
『急に腕回させるんだよ、こ、腰に!初対面なのにぴったりくっつくなんてできる?アメリカ人てみんなこうなの!?』
「腹減ったかとか疲れてねぇかとか話振っても曖昧に笑ってるし、日本人てみんなこうなのか!?」
「「!!」」
「え、ええっと」
じりじり詰め寄る二人に気圧されて、はドアに後ずさる。背中が触れたとき、寄りかかろうとしたそのドアも急にふうっと開かれた。
「わ!」
後ろに倒れそうになったを、入室して来たバージルが支えた。
?どうかしたのか?」
の表情は実に分かりやすく、『私は今とても困っています』とバージルに訴えかけている。
に日本語で、ダンテさんに英語で責められていました……」
一瞬だけ顔を顰めると、バージルは前方でむすっと膨れている二人を見た。
(……だからそう上手くいかないと言ったのに)
いきなり二人を会わせるのはどうかと進言したのに、大丈夫大丈夫と押し切ったのはの方だ。
自業自得と思ったのだが、バージルはいつもの皮肉を引っ込めた。
目元だけで慰めてやってから、遥々日本からやって来たの親友に向き直る。
バージルに、もはっと佇まいを整えた。
「は、初めまして、バージルさん。です」
「ああ。長距離の移動で疲れただろう、ゆっくりしていってくれ」
「はい。ありがとうございます」
当たり障りのない挨拶から始まりスムーズな会話を交わすとバージルに、ダンテはすっとに近づいた。
「……あれ、ちゃんと英語で会話してるよな?」
「うん。日本人はね、『定型文』なら慣れてるの」
向こうには聞こえないよう、は声を落としてダンテに耳打ちした。
ダンテは余計に分からない、といった風に首を傾げる。
「定型文?」
「予想できる文章だったら簡単に通じるってこと」
「……オレのは予想できないって?」
「『かぼちゃちゃん』とかね」
「ああ……」
に指摘され、ダンテはちょっとだけ肩を竦めた。
当分、何気ないhoneyもdarlingも禁じ手のようだ。
それでも。
片言とはいえ、あのバージルと会話のキャッチボールをしているを見て──ダンテは『定型文』を考え始めた。





その日の夕食は、親友との再会で緊張も解れたを中心に、まずまず平穏に和やかに進んだ。
バージルと、ダンテとが並んで向かい合う席。
『明日は私は学校だから、はダンテさんに観光案内してもらってね』
がにこりとに笑いかける。
マカロニチーズを口に運んでいた、それからの日本語の中に自分の名前が含まれていたことに気付いたダンテが、同時に顔を上げた。
『学校?何時に終わるの?一緒に遊べないの?』
「オレが、何?」
切り返されて、はまずに答える。
『4時くらいかな。バージルに迎えに来てもらって、それからなら合流できるけど』
『そう』
こっちはゴールデンウィークじゃないし仕方ないかと眉を落としたの次、はダンテに目を向ける。
「明日のことを話してたの。お願いしてた通りにと街を回ってね」
「あー……」
ダンテはのそりと頷いた。
気が乗らない雰囲気の彼に、バージルがとんとんとテーブルを叩いて注意を引く。
「言葉の問題なら、ゆっくり明瞭に発音すれば通じる」
「わかってる」
と会話するのが嫌なわけではない。むしろ、おざなりな『Yes』以外の答えを引き出したいと思うくらいだ。
問題は、その方法。
(また明日、か)
ひらりとダンテは右手を上げた。
「それじゃ、お願い」
はもう一度ダンテに微笑んだ。
それから、やり取りをちらちら見ているの、すっかり空になったお皿を覗き込む。
『おかわり、どう?まだまだあるよ』
『もらおうかな』
が皿を持ち上げると、
「ん?おかわりの話?」
ダンテも皿をずいっと差し出した。
受け取りながら、は首を捻る。との会話はもちろん日本語。
「通じてるの?」
「その調子だな」
笑いを堪えるとバージルに、とダンテはよく分からないまま顔を見合わせた。