Kissing Day with Dante




土曜午後のショッピングモールは、あえて説明する必要がない程たくさんの人でごった返していた。
イベントやフェアのアナウンスが飛び交い、それに負けじと迷子の呼び出しが重なる。優雅なBGMも掻き消される、大変な賑わいようだ。
「すげぇ混んでるな」
ダンテは繋いだ左手の先のを気遣わしげに見た。このモールに来たいと言い出したのは、他でもない彼自身なのだ。雑誌で見かけて心を奪われたストロベリーサンデー、それを提供するカフェがここに入っている。
もちろんも甘いものには目がないので、誘った時は間髪入れずに話に乗ってきたのだが。
「この分だと店に入るどころじゃなさそうだな……」
「待とうよ」
はにっこりとダンテの手を前後に振った。
「せっかく来たんだし。日本人だから、待つの慣れてる」
「んー……」
ダンテもとなら何時間だろうが待つこと自体は苦にならない。とりとめない話をしていてもいいし、ただ肩を抱いて時々じゃれているだけでもあっという間に何時間も過ぎていく。しかし、やはり気が引ける。
どうするかなとプランBを探すうち、にぶらぶら揺らされていた手が強く引っ張られた。
「ねえ、あれ見て。綺麗!」
示された方には、手に風船を持った女の子と母親がいた。何ということはない、微笑ましい休日のワンシーンである。が、の意図した光景は、更にその後ろ──ひろびろと開けた吹き抜けだった。ガラス張りの天井からは燦々と陽が降り注ぎ、中央には噴水とイベントステージが設置されている。
今ふたりがいる二階からは、素晴らしい眺望となっていた。
「ステージに人が異様に集まってるけど、何かしてるのかな」
は手すりから下を見下ろした。
「休みだし、子供向けの怪獣ショーとかかもな」
つられてダンテも彼女の背後から階下を眺める。の言う通り、ステージはホリデーセールのワゴン前のように人が群れていた。
「見に行きたい?怪獣」
「ヒーロー役で乱入していいならな。……お」
きょろきょろ探す彼女よりも早く、彼の目は群衆の目的を見つけた。見つけて、うれしくなった。
「“ Kissing Competition ”だってさ」
「何それ……」
「ホントだって。ほら、あれ」
疑いの目を向けてくるに満面の笑みで、ダンテは半ば人ごみに埋もれ隠れてしまっているバナーを指差した。
「“キスの日”……?ほんとにそんなのあるの?」
「ある」
「……絶対、今それ知ったでしょ」
「さあ?」
の肩を抱き寄せ、こめかみに口づける。
同じように、ステージの上ではカップルが顔を寄せ合っていた。一瞬の静寂のすぐ後、どっと会場が湧き、観客から数字の書かれたプラカードが一斉に上がる。9.0、7.0──まるでサイダー会社がスポンサーのスラムダンクコンテストのようだが、コンペティションということで、カップル達のキスはまさしく審査されているのだろう。どういう基準なのか、ここからは見て取れない。
「こっちじゃ、こんなイベントもあるんだね」
の目はステージに釘づけになっている。
「日本にはねぇの?」
「まず、ないと思う」
「呆れたか?」
「え、そんなことないよ。みんな楽しそうだし」
ステージでは、早くも次のカップルが登場したようだ。彼氏が張り切って彼女をお姫様抱っこしている。会場の好意に満ちた冷やかしに合わせるように、もぱちぱち手を叩いた。自身も楽しそうだ。
(それなら)
ダンテはの頭にぽんと手を置いた。
「せっかくだし、ぼーっと眺めてるんじゃなくて、出ようぜ」
「えええ!?」
はぎょっとダンテを見返した。
「無理だよ!」
「誰でも参加自由だってさ」
「そういうことじゃなくって……だいたい、何でダンテがそんなこと知ってるの?」
「あの垂れ幕に書いてある」
「うそ!そんなのどこにも……見えないよ」
「オレの視力は2.0。は?」
「……0.8」
「しかもコンタクトで。ってことでオレの勝ち。とりあえず下行こうぜ」
有無を言わさない勢いで、ダンテはの背中を押した。
「もー、強引なんだから……」
むすっと怒ろうとしたものの、ダンテが楽しそうに口笛を吹き出し──それがいかに彼がご機嫌なのかを物語っていて、のもやもやはあっさり霧散してしまった。
「とりあえず下に行くけど、参加するかは分からないよ」
乗り気なダンテを止めるのは無理だと思うが、一応念を押しておこうと後ろを振り返り、
「あ!」
はぱっと立ち止まった。
「ん?」
同じように止まったダンテの横を素早くすり抜け、は手すりの段に足を乗せると、左手を支えに空中へ大きく身を乗り出した。
「おい!あぶな──」
何やってんだと問う前に、ダンテも状況を理解した。
が必死に伸ばした右手は、赤い風船を掴む。傍にいた子供が、わあっと声を上げた。
その子の手を離れ、後は空に飛んでいってしまうばかりだった風船を取り戻すと、は大きく息をついた。
「間に合ったね!」
「ったく、ハラハラさせんなよ」
段から降りるのを手伝い、ダンテはむくれた。
「言ってくれりゃオレが取ってやったのに」
手すりから手を離し、はえへへと照れ笑いを浮かべた。
「そうだよね。とっさに動いちゃって」
「おねえちゃん、ありがとう」
とことこと子供が駆け寄ってくる。
「はい、どうぞ」
しゃがんで風船を手渡そうとして、の動きが止まった。
「やだ、ヒールが」
手すりと床の微妙な隙間に、左のヒールがすっぽりと嵌まってしまっている。降りた時に、変な溝を踏んづけてしまったらしい。
「もう」
身動き取れなくなったに、ダンテもぷっと吹き出した。
「ここの設計者も、そんなとこ踏む客がいるなんて思ってなかったんだろうな。待ってろ、取ってやるよ」
「大丈夫、これくらい」
笑われ、はむぅっと唇を突き出した。
右足で踏ん張れば自力で脱出できる。実際、何の疑いもなくそう思ったのだが──元気よく踏み出した右足のヒールは、磨き抜かれてすべすべのフロアの上をつるりと滑った。見事にバランスを失う。
「ひぁっ!」
の頭がしたたかに手すりに打ち付けられる寸前、
っ!」
目にも止まらぬ速さでダンテが動いた。左手で彼女を庇う。ごん、と鈍い音が辺りに響いた。
アクロバティックに背中を反らせた体勢のと、救助に間に合ったダンテは、しばらく無言で見つめ合った。今になってじわじわと、恐怖が背筋を這って脳に伝わってくる。
「……ごめん……ね?」
息を整え、は何とか謝った。今回はかなり危険だった。五回ほど深呼吸しても、まだ心臓がばくばくしている。
それはダンテにしても同じらしい。ほんの一瞬の出来事だったのに、肩で荒く息をしている。
「……だから待ってろっつったのに」
凄い目で睨まれた。
「ごめんってば……」
ダンテはの肩にことんと頭を預けた。
「……謝るなら、オレの左手にどうぞ」
「ん?……!」
の背中と硬い手すりの間で、ダンテの手はまだそのまま板挟みになっている。
「わぁ!ごめん!痛かったでしょ!?さっき物凄い音したよね!?」
早く体勢を変えようと動き──けれど、ダンテの頭が重くてはその場に留まった。
ダンテ?と声を掛けようとすると、ダンテはいたずらっぽい瞳でを覗き込んできた。
「キスしてくれたら、許す」
口元には笑み。
はそっと苦笑した。
「じゃあ、左手に」
ダンテは不服そうに鼻を鳴らした。
「左手の持ち主はオレ」
「……じゃあ、仕方ない」
はそっとダンテに顔を寄せた。すかさず、ダンテの左手が力強くを抱き締めた。かるい音を立てて、唇が重なる。飽きずに何度も啄むようなキスを繰り返す。ときどきどちらかが動く度に鼻先が触れ、それがとてもしあわせで、ひっそり笑い声を立て合う。
ゆっくり唇を離すと、互いに額だけくっつけたまま、ふたりは間近に目を見交わした。
「……機嫌は直った?」
「あともうちょい」
「あ、待って。この体勢、実は苦しい」
さっきからは背を反らせ、ダンテもそれを支えているままだ。ダンテは何ともないが、は重心を預けっぱなしで辛い。不自然に体重を掛けたふくらはぎから爪先が、限界に近い。
おそらくキスのせいだけでなく赤くなってしまっているの頬に、ダンテはたまらなく愛しさを覚えた。
「分かった。ほら、手」
「ん」
をしっかり立たせ(頑固に溝にしがみついていたヒールも引っこ抜いて)、ダンテはの頬に口づけた。と、
わああああっ!!!
近くで歓声が爆発した。
「な」
「何だ!?」
音すら存在しなかったふたりだけの世界から、いきなり現実の騒がしさに引き戻される。
きょろきょろする二人の服を、先程の子供がつんつん引っ張った。
「おにいちゃんたち、おめでとう!」
「なにが?」
ダンテとは同時に首を傾げた。
「あ。ママだ。それじゃ、ばいばい!」
疑問を残すだけ残し、女の子は明後日の方向へあっさり走り出してしまった。
「待って!風船、忘れてるよ!」
未だに手に握り締めたままの赤い風船。が差し出すと、子供は遠くでぶんぶんと手を振った。
「おねえちゃんにあげるー!おめでとうのきもち!」
「“おめでとう”?」
「何に対して言ってんだ……?」
未だに大歓声が響いている。
は所在なげに揺れる風船——『パン屋オープン!』と印刷されている——を読み、その視界の中に、今度はダンテよりも先に騒ぎの理由を見つけた。
「ダンテ……」
「ん?」
「あれ」
は顔を真っ赤にしてステージを指差した。
そちらを見て、さしものダンテも目を見開いた。
「……!」
例えダンテの視力が2.0でなかったとしても、はっきり見て取れただろう。
こちらに向けて一斉に揺れている『10.0』のプラカード。ステージ上のスクリーンに映し出された、アルゼンチンタンゴのフィニッシュのような姿勢でキスするダンテとの姿。
まさかあの大歓声が、自分たちに向けられたものだったとは。
『おめでとうございます!おふたりが本年度の“ Beautiful Kiss ”です!!』
ステージでは、司会がぶんぶん手を振っている。降りてきて下さい!と催促の仕草つきだ。
「何だ、いつの間にか参加しちまってたのか」
ダンテがひらりと手を挙げると、会場が一層盛り上がった。
「勝手に撮影してたってこと!?」
は茹でだこもかくやというくらい真っ赤になっている。
対するダンテは実に余裕である。
「下行こうぜ」
「なっ……恥ずかしいよ!!」
「商品もあるってさ。キッシングチョコ1年分。悪くねぇだろ」
「そんなの、どこに」
「スクリーンにでかでかと。ほら」
もはやは「うー」とか「あー」とか唸って頷くだけで、スクリーンを見ることも出来なかった。励ますように、ダンテがを抱き寄せる。
「チョコ、分けようぜ」
「……。」
「オレの活躍による所が大きいから、七三で」
「……きっちり半分ね」
ダンテのいつもの冗談に、はようやく多少は落ち着いてきた。ここまで目立ってしまっては、引き返す方が恥ずかしいかもしれない。
何とかかんとか面を上げると、先程までの冷やかしとは少々違う、あたたかな拍手が起きた。
「準備はOK?」
ダンテが手を差し出す。どこの国の王子様ですかと聞きたくなるような彼の微笑は、やさしくを後押しした。逆らえる訳もない。
「……OK」
誘いに乗って手を重ね、歩き出す。かくん、とヒールが揺れた。
「あ」
さっき溝に引っ掛けた時に、根元を痛めてしまったようだ。
ダンテもすぐに気付いた。
「……ここまで場を盛り上げたんなら、もう最後まで飛ばしていいよな?」
「え?」
どういうことと問う暇もなく、ダンテはをひょいと抱き上げる。階下では、再び嵐のように喝采が湧き上がった。
「ちょっ、ダンテ!」
「勝者なんだぜ、笑顔で笑顔で」
「もう……!」
どうにでもなれと、はダンテのジャケットに顔を埋めた。歓声が遠くなる。励ますように、ダンテがつむじにキスしてくれた。
の手の風船が、戯けるようにふわりと風に揺れた。

この後、このキス大会のバナーのアイコンは、タンゴのフィニッシュポーズでキスをするカップルを描いたものになったのだが──モデルとなった本人たちが、それを知ることはなかった。







→ afterword

7月6日は、『International Kissing Day』だそうです。
それを某バスボム屋さんのメールで知って、すぐにこれを書きました。
当社比で、ダンテさんのキス回数が多いような気がします。ていうか普段からダンテさんはもっとキス魔でいいと思います

短文ですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
2013.7.5