home, Sweet Home




今日の帰りも遅くなってしまった。
ふーっと肩で息をついて、ダンテは玄関の扉を開く。
たちどころにシチューの匂いの湯気に出迎えられ、彼はそっと笑った。
(先に食べてろって言ったのに)
待たせるのは悪いからと何度そう提案しても、はダンテを待っている。
しかも彼の帰宅時間があらかじめ分かっているかのように、タイミングよく夕食が出来上がるのだ。どうしてなのか訊いてみても、それは彼女にも答えられないことだった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
鍋から離れられないらしい恋人は、笑顔とレードルでダンテを振り返った。
いつもと変わらない光景に、ダンテの疲れたこころもすこしずつ解れていく。
「今日も参ったよ」
彼女に後ろから抱きつき、肩に頭を預ける。
「何かトラブルでもあったの?」
「役員会で部長連中がやりあってさ。意見がまとまるどころか大波乱、迷惑被るのはこっちだってんだ」
ねとねと長い時間に及んだ論議の模様が目蓋に浮かんで、ダンテは苛々と頭を振った。
すりすりと恋人に甘えると、よしよしと髪を撫でてくれる。
「それは大変だったね。……さ、お腹いっぱいになれば元気出ると思うよ」
具だくさんのシチューが出来上がった。
名残惜しそうに頬にキスしてから、ようやくダンテはやわらかく抱き心地のいい恋人から身体を離した。
「オレのは大盛りで」
「何なら鍋ごといく?」
二人向き合って、皿をいくつか並べたらいっぱいに溢れてしまう、こぢんまりとした食卓につく。
テーブルクロスの下、足でちょっかいを出せるこの密着感が、彼らがこのテーブルを購入した決め手だった。
「イタダキマス!」
ダンテは元気よく手を合わせた。発音が上手くなったね、とはもう褒めてもらえなくなった。いただきますというフレーズが口に馴染んで、上手なのが当たり前になったから。
愛情に満ちた、あつあつのシチューを口に運ぶ。
「んまいよ」
せかせかと上下されるスプーンに、恋人もうれしそうに微笑んだ。
料理に自信がないと不安も隠さないまま結婚して──彼女はみるみる腕を上げた。
生焼け・焦げつきも完食してしまうダンテが食べられなかった手料理など、だからこれまで一品もない。
「ほんとに旨いよ。おかげで嫌なこと忘れた」
「それはよかった!」
笑顔に誘われるようにダンテは腕を伸ばして、の左手と指を絡めた。
無意識のうちに薬指に触れ、
「……あれ?」
違和感を覚えた。
「どうかした?」
「ああ……」
恋人の左の薬指に、あるべきはずの物がない。
「指輪、どうした?」
「え?」
分からない、と彼女は不思議そうに小首を傾げた。
「なに?」
「マリッジリングだよ。この……」
自分の左手を見せる。指を広げて──ダンテも目を見開いた。
(そんなバカな)
結婚指輪がない。
「ダンテ、急にどうしたの?」
「そんな……だっておかしいだろ。オレ達、結婚して」
結婚。
(式だって挙げた)
何処で挙げたんだろう。
(籍も入れた)
いつ届け出たんだっけ?
(思い出せねぇ……)
「ダンテ?ねえ、どうかした?ダンテったら」
彼女は心配そうに幾度も自分を呼んでいる。
(何かおかしい……)
自分達はこんなにも当たり前にふたりでいるのに、それを裏付ける出来事の数々を思い出そうとすると、途端に記憶があやふやになってしまう。
「ダンテ?ねえ、どうしたの?」
何も答えられず、ダンテはただ呆然と彼女を見つめた──



『ダンテっ!ダンテってば!』
「ぅわっ!」
スピーカーからの大声に、ダンテはびくりと飛び上がった。
瞬きすると、目の前のモニターの恋人は思い切り画面に寄って、こちらに手を振っていた。
「やべ……寝てた?」
『うん。だから今日は短めにしとこう、って言ったのに。疲れてるんでしょ?』
「んー……」
朝の4時。ダンテは拳骨で目を擦る。こんこんとおでこを叩く。
確かに依頼が続け様に舞い込んで、ちょっと疲れていた。
(依頼……そう、悪魔退治だ)
役員会などではない。
ダンテはうーんと猫のように伸びて、またくたりと背を丸めた。
頬杖をついて、モニターの恋人に向き直る。
「……夢を見たよ」
『夢?』
「おまえが出て来る夢」
『私が?どんな夢?』
は興味津々で乗り出してきた。
ダンテはもうすぐ霞んで消えてしまいそうな場面を手繰り寄せる。
「オレが仕事から帰ったら、シチュー作って待っててくれた」
『あぁ……確かに“夢”だね』
「んー……」
現実ではまだ彼女は料理が苦手だ。
自分達もまだ結婚していない。そもそもプロポーズだってまだだ。
(けど、いい夢だったな)
会社員にはならなくて結構だが、それ以外のシチュエーションは最高だった。
帰ったら彼女が待っていてくれる生活。
ダンテはゆっくり瞳を閉じる。画面の奥で恋人が慌てるのが一瞬だけ見えた。
『ダンテ、寝るならベッドで寝て。風邪ひくよ。また明日、いつもの時間に電話するから。……ね、起きて』
現実でも自分を呼ぶ恋人の声は優しい。
このまま彼女の声を子守唄に眠ったら、さっきの夢の続きが見られるだろうか。
ダンテはゆっくり目を開けた。
「なぁ……」
『ん?』
「夢の続きって、どうしたら見られると思う?」
『ええ?』
は困ったように画面から離れた。腕を組む。
『うーん。どうすればいいんだろうね』
「次見るなら、さっきの続きがいいんだ」
『……そんなにいい夢だった?』
「いい夢だった」
夢のラスト、自分が愕然とした様はリアルでありすぎた。
「どうしても続きが気になるんだ。前売り券買って観られるなら、ダースで買うくらい」
「そっか」
さっき間近で微笑んでくれた恋人は、今はモニターの中で同じ表情をしている。
『おやすみ、ダンテ。今すぐ眠れば、きっと続きを見られるよ』
「だといいな」
本当にそうだといい。
(それか……さっさと正夢にしちまえばいいんだけどな)
“ただいま、愛しいきみが待つ我が家”を。
モニター越しにキスを送って通話を閉じる。
ベッドに潜り込もうか机に突っ伏しようか一瞬だけ迷い、結局ダンテはさっきの夢に近そうな方を選んだ。
眠りに攫われる寸前、ちょっといいことを閃いた。
(次、さっきの続きになったら……)
もう一回、彼女にプロポーズしよう。







→ afterword

ずいぶん長いこと拍手お礼を任せていたショートでした。
ダンテさんが会社員とか、絶対に向いてないですよね!
でも何かの機会でスーツ着てもらいたいなー

短文ですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
2019.4.27