雨に降られ、
彼に振られ。
私の人生、ただいま泥沼。



Mr. Sunshine




弱まりそうもない雨に追いたてられ
逃げるようにひたすら走った
ふと目についた、店の看板
地下にある、あまり目立たないバー
お酒を飲む時間にはまだまだ早いけれど
気付けば、吸い込まれるように階段を下りていた
初めての店
馴染みのバーは想い出が多すぎて辛すぎたから、ちょうどいい
けれど入ってみて、たちまち後悔してしまう
知らない雰囲気
ここでただぼんやり時間を過ごすにしては、私は疲れすぎていて
しかも運悪く、混んだ店内に席はカウンターしか空いていない
内心溜め息をつきながら、スツールに腰掛ける
その何気無い動作すら、だるく感じる
「何か召し上がりますか」
店員が声を掛けてきた
問われ、改めて気付く
今、飲みたいもの、食べたいものなど何もない
それでも一応、バーテンダーの背後のボトルを眺めてみる
様子を察してくれたらしい店員は、一礼して場を辞した
悪い店ではないのだろう
気合いが入りすぎてもいない、程好く力の抜けたインテリアもいい
所々にある西部劇に使われていそうな装飾品が、店長の趣味なのかもしれない
見るからにマニアックそうなレトロな銃
それより何より主張しているのは、BGM
店内に流れる音楽はお腹の底に響くようで、普段の私ならうるさいと感じて逃げ出すような曲なのに、今は その低音が逆に心地好い
甘ったるいジャズを流す店でなくてよかった
周りを見渡す
よく見れば、客層もてんでバラバラ
友人達と談笑しているのに、それぞれみんなどこか行く当てのないような表情だったり
私と同じように独りでぼんやりしていたり
——だからロックを流すのか
勝手に納得していたら、目の前にバーテンが立った
「あちらのお客様からです」
ごとんと置かれたのは特大のサンデー
みずみずしい苺がたっぷり、生クリームとアイスクリームがどっさり
見ているだけで胸焼けがしそうだ
「こういうときって、カクテルか何かが定番じゃないの?」
「私もストロベリーダイキリでは、とお客様に確認しましたが……」
私と、それからバーテンダーも肩を竦める
これは受け取れない、と差し入れてくれたという客を振り返る
一瞬、その人物に目を奪われた

暗い店内の照明を跳ね返す、鮮やかな銀色の髪
周りから完全に浮いている、紅の革のロングコート
派手な人

どう控えめに見ても、地味な私に目をつけそうな人物ではない
きっと、からかわれている
「……あの人?」
嘘でしょ、間違いであって……と店員を見たが、彼もすまなそうに頷いた
仕方ない
ずっしりと重いグラスを手に立ち上がる
近づくと、コートの男はニィッと笑った
すましていれば夢の中の王子様みたいなのに、わざわざその雰囲気を壊すような笑い方だなあ、と思った
「こんにちは」
一応、礼を失さないように丁寧に挨拶をする
それからグラスをテーブルに置いた
「これは頂けません」
もう一度お辞儀をする
「何でだ?」
男は大袈裟に両腕を広げた
「何で、と言われても……」
「あ、やっぱ一人じゃ食えない?」
男は添えられたスプーンでごっそりとクリームを掬う
「これを一人で完食できんの、オレくらいなもんらしいぜ」
「はぁ……」
「どうした?あんたも食えよ」
この人はなんなんだ?
と思いつつも、見た目にも気圧されて、私は向かいに座ってしまう
「ほら。スプーン」
ぽいっと渡された、柄の長いスプーン
「食えよ。うまいから」
くいくいっと指でサンデーを示される
逆らえず、私はあまりクリームを掬わないように、苺を拾う
ぱくり
見た目の鮮やかな赤に反して、それは意外に甘酸っぱい
そういえば、苺のシーズンには少しまだ早いのだ
私の様子に、男が目を細める
「うまいだろ?」
ずいっと肩で乗り出してくる
思わずこくこく、と頷いてしまった
サンデーを返して、はいさようならのつもりだったのに
完璧に振り回されている
私からスプーンを取り上げ、むしゃむしゃぱくぱくとサンデーを頬張り続ける男
本当に……変な人だ
呆れ返りつつも見守っていると、ふわりと顔を上げた
「雨、やんだな」
「え?」
びっくりして私は周りを見渡す
そして、このバーが地下だということを思い出した
窓があるはずもない
これでは天気を確かめようがない
そもそも確かめずとも、今日は一日ひどいどしゃ降りが続いている
私がここに入る直前までそうだったのだから、あれがぱたりとやむわけもない
そんな後味の悪いジョーク
「どうしてそんな嘘を?」
軽く睨む
男は目を丸くした
「嘘?いや、本当にやんでるぜ」
スプーンで入り口の方を示す
「もう雨音もしないだろ?」
このロックの鳴り響く店内にいて、外の雨の音が聞こえるはずもない
私はただぶるぶると首を横に振った
すると、男は少しだけ表情を変えた
「そうか、聞こえるわけねぇか。……悪い」
何に対して謝られているのか分からない
返事できずにいたら
ガタン
いきなり男が席を立った
「外に見に行ってみようぜ。絶対、雨は上がってるからさ」
「はあ?」
「嘘つき呼ばわりのままじゃ気に入らねえからな」
屈託なく笑う
ついていけない私なんてどんどん無視して、勝手に会計を済ませている
「ちょっと……」
まだ半分は残ったサンデーを置き去りに、私も席を立つ
何であの男に振り回されなければいけないんだ?と思いながらもなぜか足が動く
心のどこかでは、雨が止んでいて欲しいなんて願っていたのかもしれない
バー入り口の樫のドア
重いそれを気取った手つきで開けながら男が笑顔で私を振り返った
「ほら、お嬢さん」
その言葉と同時に、目に飛び込んで来るのは

鮮やかに晴れ上がった空
ご丁寧にも虹のおまけつき

「言った通りだろ?」
「……信じられない」
あんな、永遠に降り続くかとすら思えた雨
道路や建物はまだ雨の余韻を宿していて、それがまた晴れの空を引き立てている
綺麗な空と濡れた地面を見比べていたら、何故だか無性に泣きたくなった
落ち着こうと深呼吸すれば雨の匂い
本気でじんわり涙が滲んでしまって、まずいと思っていたら
不意に、落とした視線に赤いコートが映る
「そうやって下ばっか見てたら、いい男も見過ごしちまうぜ?例えばこのオレとか」
親指で自分を差す仕草つき
——ふざけた人だ
でも
足元の水たまりに映った自分のひどい顔
あんな顔をしていれば、誰だって『ああ、こいつは落ち込んでいるんだな』と気付くだろう
普通はそう思うだけで終わり
そこを、この人は話し掛けて来てくれた
「もしかしなくても、慰めてくれたんだね」
私の言葉に、男は軽く腕を広げた
イエスともノーとも彼は言わないけれど
飄々としているのに、どこか人を安心させる穏やかな表情
突飛な行動に目を瞑れば、案外、良い人なのかもしれない
お礼をしようと顔を上げると、私より先に彼が口を開いた
「そういやさ、あのストロベリーサンデー」
「え?」
何のことか、と目を見開く
またもや彼はニィッと笑ってみせた
「まだ残ってたよな。もったいないから、あんた、全部食ってくれよ」
「えぇ?」
「もう半分もなかったから、食えるだろ。オレ、これから急ぎの仕事でさ」
言うなり、もう駆け出して行きそうな素振り
慌てた
「ちょっと待ってよ!」
「いいか、全部食えよ?残したら許さねえ!」
人差し指で念を押す
勝手に注文して、勝手に押し付けて、もうめちゃくちゃだ
「じゃあな!」
手を大きく振りながら、彼はあっさりと背を向けて駆け出してしまった
どこにあっても周囲の色を跳ね返す、目立つ赤のコート
その派手さも人並みにまぎれて、やがて見えなくなる
ぽかーんと取り残されたままの自分
彼が去って行った方角に見えていた虹ももうだいぶ薄くなっている
……もう帰ろうか
妙な人に出逢ったせいか、気分は何だか軽くなっている
このまま帰って、熱いシャワーでも浴びればもう立ち直れそう
水たまりに映った自分も、もうひどい顔をしていない
何だかんだで、彼のおかげか

と、そういえば
ストロベリーサンデー
彼の言う通り、残すのは確かにもったいない
……食べて行こう
もう一度、樫の扉を開いて中に入る
途端に賑やかな音が洩れて来る
やっぱり少しうるさい
でも、ときにはこんな音楽に身を浸して、頭をガンガン振ったりなんかしてみるのも楽しいかもしれない
知らず知らずのうちにヒールでリズムを刻みながら、さっきの席に近付く
ぽつんと置き去りにしたままのサンデー
あと、半分
スプーンを取り上げて苺とクリームを掬って口に運ぶ
お行儀悪く、肘をつきながら食べてみる
普段しないことが何だか楽しい
甘ったるいサンデーも、あっという間になくなってしまった
「もう食べちゃった」
意外にぺろりと食べられるものだなあ、と空のグラスを覗いた
そして驚く
グラスの底を透かして見える文字
「……Dante……」
彼の名前なのだろうか
グラスに敷かれたコースターには、お世辞にも綺麗とは言えない文字が踊っている
「Call me with password……パスワードって何よ?」
やっぱりめちゃくちゃな人だ
こんな、まわりくどいこと
苦笑しながら、私はコースターを手に席を立つ
携帯電話は持っているけれど、ここは圏外
だいたい、こんな轟音の中じゃ話なんてできない
店員にごちそうさまとだけ伝えて、店を出る

思い切り晴れた空
特大のストロベリーサンデー

パスワードになりそうなヒントなんて、それくらいしか思い浮かばないけれど
ついさっきまでの最悪な気分はどこへやら
携帯を開く手はワクワクしている
「番号は…… m r . s u n s h i n e ……」
どこまでふざけた人なのか
我慢できずに吹き出してしまった
『ハロー?』
コール数回で相手が出る
さっき聞いたばかりのその声
「もしもし。あなたがMr.sunshine?」
一瞬、間が空いた
『……パスワードはお持ちで?』
からかうような声音
呼吸ひとつ分の間を置いて、私は応える
「ストロベリーサンデーなら、全部食べたわよ」
これでダメなら、もう手持ちのアイディアは終わり
続くのは沈黙
だめだったかな
と思っていたら、電話の向こうからいきなりの大爆笑が響いた
『OKOK、完璧だ。お嬢さんのお名前は?』
そういえば、私は彼の名前を知っているけれど、向こうは知らないんだった
せっかく近付いた距離がまた離れた感覚
「……
か。いい名前だ』
受話器ごしに、彼の例の笑顔が見えた気がした
遠のいた距離が、またぐっと近付く
『それで、今どこにいる?バイクで迎えに行くから、ゆっくりデートしようぜ!』
「ええ?」
またそんな、急に勝手なことを
今日出逢って、今名前を教えたばかりなのに
私は呆れて、腰に手を当てる
でも、実際に口をついたのは、こんな台詞
「雨が降る前に来なかったら、帰るからね」
『More than enough!』
余裕綽々のその声
どんな会話をしてみても、彼はこんな感じなのだろうか
自然と心拍数が上がってしまう
彼の隣りにいれば、退屈なんてしていられそうにない
電話を切って、私は待ち合わせ場所のバーの入り口へ戻った
雨が降り出す前に、彼はやってくるだろう
そしてきっと、新しい日々が始まって……
その先はまだわからない
けれど
雨も止んだし、
涙も止まって。
私の人生、ただいま快晴。







→ afterword

少しだけ大人なダンテのイメージでした。
だけどやっぱり茶目っ気があったり、無茶したりするのは変わらずで。
最後の『More than enough』はご存知の通り、1エンドでトリッシュの「5分よ」の後のダンテの台詞。
文体もちょっと変えて、気分転換してみました。

ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました!
2008.10.8