『どうせお前は壊すから』と、今にもタイヤがもげそうな車を渡されたのが運の尽き。
ガソリン代にしては色が付き過ぎの前金をくれた仲介屋に、今さら文句も何も言えやしない。
車体をぐるりと見渡して、ダンテはやれやれと腰に手を当てた。
「赤ってか、茶色じゃねえか」
一体何人のドライバーに乗り回されたやら、新車の頃はあざやかな赤だったに違いないボディーカラーも、細かな傷に悲しくくすんでしまっている。
埃をかぶったサンルーフを強引に開き、ドアをひょいと越えて車に乗り込む。
煙草の匂いが革の座席に染み付いてしまっていて、ダンテは鼻に皺を寄せた。
外に負けず、内装も使い込まれてぼろぼろである。
「ラジオくらい入るんだろうな」
へこんだスイッチを押してみる。スピーカーからは、ざあざあと雑音しか流れて来ない。軽くチューニングしてみても、電波をキャッチする気配もない。
「こりゃ退屈なドライブになりそうだな……」
今度の依頼先へは公共の乗り物もなく、またバイクを飛ばせるほど近くもないため、車で行くしかない。それでこれを用意してくれたのだったが、残念ながら車はダンテが期待したようなものではなく……テンションは右肩下がりだ。
「とにかく出発するしかねえか」
冴えない車にあまり気乗りしないまま、キーを回す。何度目かの挑戦でやっと、ふてぶてしい音を立てて渋々エンジンがかかった。
「せめて依頼が終わるまでは持ち堪えてくれよ」
ダンテはサイドブレーキを下ろし、だるい足でアクセルを踏み込んだ。




seven days from hometown




『Route 66』──西はカリフォルニアから、中西部のシカゴまでを貫く旧国道。
国道としての役目は新設された高速道路に取られてしまったものの、古き良きアメリカの雰囲気を残す道路として、今なおドライバーやバイカーに愛されている。
その中ほどの位置、アリゾナ州フラッグスタッフという地名の辺りで、は途方に暮れていた。
「……車ぜんぜん通らない……」
ロサンゼルスからヒッチハイクを始めたときは、まさかこんな道で放り出されることになるとは思ってもみなかった。
出発時点でガソリン代を半分持つからという交渉で相乗りをお願いした女性は、途中で携帯に仕事の連絡が入り、道を引き返すことになってしまったのだ。
遠距離バスのターミナルまで連れて行こうかと言われたのだが、目的地までバスが通っていないからこそ、見知らぬ人とのドライブを選んだわけで。
「はあ」
陽射しは真上から容赦なく照りつける。
汗はかかないが、ひたすら喉が渇く。
ペットボトルの水に口をつけ、この水が終わったらどうしようかとふと思う。
「早く車来てー……」
まさかこのの願いを聞き届けたものかどうか──捨てる神あれば拾う神あり。蜃気楼に揺らぐ道の奥、茶色い車がこちらへ近づいて来るのが見えた。
「やった!」
すかさずは道路の中央へ飛び出した。
運転手が乗せてくれるかどうかは分からないが、ともかくも親指を立てて腕を伸ばす。
砂塵を巻き上げて結構な速さで走って来るその車は、まさしく天の助けに見えた。



丁寧とは言い難い運転で車が停まると、中から男性が顔を覗かせた。身の安全を考えるなら同性の方が良かったが、彼を逃したら次がいつ通りかかってくれるか分からない上、女性の運転手を待つ余裕もない。
「Hi」
出来るだけ自然な笑顔と余所行きの声を用意して、は窓に近づいた。
不躾にならない程度に相手を観察する。染めたのかどうか、見事な銀色の髪が真っ先に目を引いた。
彼の方は、ろくにを見ずに助手席のドアを開く。
「こんな真っ昼間から、まさか幽霊じゃねえよな?」
からかうように見上げてくる。そのあまりに冴えた青い目。は、あなたはどうなのと問い掛ける。
「そちらこそ、ゴーストライドじゃないわよね?」
「オレはちゃんと存在してるから安心していいぜ」
ぱんと座席を叩いて、さばさば笑う。さっきが取り繕った態度が恥ずかしくなるくらい、人好きのする表情と声。
「ほら、干からびちまう前に乗れよ」
「ありがとう」
この人ならきっと大丈夫。は直感を信じることにした。



赤茶けた大地と、まだらに色を添える草花。どこまでも代わり映えのしない乾いた一枚絵の中、セダンは走る。
前を見ても後ろを見ても同じような風景だが、まっすぐ一本道なので迷う心配だけはない。
対向車線にはすれ違う車も来ない。
これでは気まずい静かな道程になるかと思いきや、そうはならなかった。
隣の彼、ダンテとは会話がよく弾む。それだけでなく、
「じゃあ、お互い行き先は同じなのか」
「私以外にラクーンシティに行く人がいるとは思わなかったわ」
何とダンテと双方の目的地が一緒だったのだ。
「あんなとこ、何しに行くんだ?」
人のこと言えねえけど、とダンテは笑ってハンドルを握る。
ラクーンシティは数年前に起きた大規模な事故で壊滅して以来、未だに復興の途にある。未曾有の悲劇ゆえ被害の爪痕も甚だしく、事件から10年を数えた今も再興はあまり上手くいっているとは言えない。
かつてののどかな観光地は一転、何もない廃れた土地へ変貌してしまったのだ。
「私は雑誌の取材で行くの。状況確認ね」
は自身の大きいバッグをぽんと叩いた。中には商売道具のカメラが入っている。
「今はもう政府の警戒も緩んでいるし」
「確かに現場に近付きやすくはなってる。けど、物好きな雑誌だな」
「まあね。……実際、あの事故は謎だらけで放置でしょ、気にしてるジャーナリストは多いのよ」
そこまで話し、は「あなたは?」とダンテを見た。
「オレは……オレも調査ってとこか」
言葉を濁して、ダンテは同乗者から目を逸らす。
まさか道中でヒッチハイカーを拾うことになるとは予想もしていなかった。
ちらとバックミラーを見やる。
(物騒なもんは後ろで良かったな)
依頼に必要と思われる大剣も銃も、トランクに積んでおいた。面倒がって助手席に置いていたら、少し厄介なことになっていたかもしれない。
「“調査”?」
が訝しむ。
「あなたも記者か何か?」
どうもそうは見えないけれど、と暗に彼女は言っている。
ダンテはくしゃりと髪を乱した。
「あー。いや、ちょっと違う。便利屋だ」
「便利屋?」
も記者なら、ラクーンシティに妙な動物が出るって噂は知ってるだろ?」
「ええ」
はこくりと顎を引いた。
編集部にも、狂暴な狼だの猛毒を持つ蛇だの眉唾な情報ならば、それこそ売るほど飛び込んで来ている。どれも信憑性は低い。
「UMAとか、まことしやかに語られてる」
「そいつを調べて来いってね」
(どうもオレの仕事じゃねえ気がするんだがな)
ダンテは窓に肘をついた。
仮にそれらが悪魔ではなかったとしても、引き受けてしまった以上は何とか報告できるような結果は出さなければならない。
「大変ね……」
ダンテの沈鬱な表情を、は勘違いしたらしい。
「ま、そうでもないさ」
ダッシュボードに入れてあったガムをに差し出す。
「退屈な道中に、連れが出来てくれて喜んでるとこだ」



途中何度か道なりのレストランで食事をし、休憩を入れ、ドライブは続いた。
は車中で睡眠をたっぷり取っているが、ダンテは大して休んでいない。たまにがハンドルを握る、その間だけ。
もっと運転を代わろうと提案した彼女に、ダンテは「運転するのは男の役割だろ?」などと笑って首を横に振った。
その発言は冗談混じりだとしても、ダンテの気遣いはにとても甘く響いた。
会話してもしていなくても、ダンテと二人きりの車内は不思議と居心地がいい。
雑音しか鳴らないラジオも、煙草の匂いの染みたシートも、はまるで気にならなかった。