約束通り、車はちゃんと走るようになっていた。
超特急の仕事をこなしてくれて眠たげな修理屋に多めにチップを渡して、二人は再び旧国道を東へと出発した。
そうして、数時間後。
『Welcome to Racoon City』。風にからからと音を立てる看板には、擦れた文字がひっそり並んでいる。
「酷いもんだな」
車に背中を預け、ダンテは吐き出すように呟いた。隣でも痛々しい眼差しで遠く前方を眺める。
「街、だったのよね……?」
薬品会社が前代未聞の汚染事故を起こし、その被害を食い止めるために政府が下した決断──それは街ごと焼き払ってしまうこと。
二人が立つ街外れから中心部に近づくにつれて、建物は原型を留めていない更地となっていく。
かつては観光産業で鳴らした土地だったはずだが、その様子は最早どこにも見当たらない。
「どうする?」
想像以上の景色。目の当たりにしてすっかり言葉を失ってしまったに、ダンテはそっと問い掛けてみる。
街から目を離さないまま、はひとつ頷いた。
「……行く。惨状はある程度予想していたんだもの」
自ら鼓舞するように、肩に流したカメラのストラップを今一度しっかり担ぎ直す。
「ダンテは?」
逆に問われ、ダンテは困ったように笑った。
「もちろん行くさ」
そしてが背を向けた隙に、愛銃のアイボリーを腰のベルトに差し込んだ。



しかし、中心部を目指して歩き始めてから数分。ダンテはを車に置いて来なかったことをすぐに後悔した。
(厄介だな……)
自然界の生き物ではない臭いが鼻を刺す。
はまだ気付いていないようだが、気配は二や三では済まなそうだ。
悪魔だかUMAだか分からないが、どちらにしてもと友達にはなれないだろう。
幸い、まだ気配は遠い。それにこちらの足音に気付いて襲いかかって来る様子がない所を鑑みると、それほど獰猛な連中ではないか、はたまた聴覚が鈍い種類なのかもしれない。
(どっちにしろ、今の内だな)

カメラで辺りを撮影して先を歩いている彼女に声を投げる。
「なに?」
瓦礫の足元によろめきながら、が振り返った。
ふらつく彼女の肘を取って支え、ダンテは間断なく周囲に注意を払う。
「思ってたよりここはヤバそうだ」
「ええ?」
「車に戻ろう」
堅い口調のダンテに、は眉を顰めた。カメラの写真データはまだ空っぽに近い。
「無理よ。何のために長々とドライブを」
ぽき。
の文句を、第三者の物音が遮った。
枯れ木を踏みしだく軽い音。
「気付かれちまったな」
忌々しそうにダンテは舌打ちする。
「いまの、なに」
「黙ってろ」
を背に庇い、ダンテは腰からアイボリーを抜いた。それを見たの目が真ん丸になる。
「ちょっと、何それ!?」
「発砲許可は後から貰う」
「えぇ!?」
怯える彼女の視界を腕で塞ぎ、ゆらと現れた黒い影が身構える前にトリガーを引く。
「……!」
轟音が立て続けにの鼓膜を叩いた。二十回くらい、ダンテは射撃したかもしれない。
音が止んでも頭がぼうっとする。
「耳、大丈夫か?」
気遣うダンテの声が遠い。
とりあえずは何度も頷いてみせた。
「ちょっとここにいてくれ」
近くで気配がしないことを確かめ、ダンテはの傍を離れて自分が今撃ったものに近寄った。
(コレは狼……犬か?)
命を奪っても、砂に還らない骸。今撃ったばかりなのに腐乱しているそれは、普通の狼や犬では有り得ないが、悪魔でもなさそうだ。
「ダンテ、それは」
「来るな。おまえは絶対見ない方がいい」
「え?」
「カメラ貸しな」
くいくいとダンテは手を閃かせた。
予期せぬ出来事の連続に立ち竦むから機材を受け取り、幾枚か正体不明の化け物の写真を撮る。それからカメラを彼女に返した。
「そいつを見せて、上司に言ってやれ。こんな物騒な取材は金輪際お断りしますってな」
の背を押して歩くように促す。
「危険すぎて、これ以上は無理だ」
ダンテに諭され、も薄く頷いた。
「……そう、かもね……」
背後から漂う臭気は確かにおぞましく、遠目に見えた赤黒い塊はホラー映画の数倍グロテスク。
跳ねっ返りだと自負している彼女でも、振り返る勇気は出なかった。





ラクーンシティから離れ、ダンテはをシカゴ郊外まで送って行った。
「ここなら交通の便も悪くない」
「うん……」
ほんの三時間前の景色とは大違い、宿泊先を探すにしても何の苦労もなさそうな街並み。しかし、の心は冴えなかった。
その浮かない表情に苦笑しながら、ダンテはまだトランクに積んだままだった荷物を渡す。
「まだ仕事に未練があんのか?」
「そうじゃないんだけど……」
荷を抱え、は足元に視線を彷徨わせた。
(帰らなくちゃいけないのよね)
取材はまだ続くと何にも疑っていなかったから、まさかこんなに早く別れが──ダンテと別れる時が来るとは思わなかった。
「あなたは……ダンテはこれからどうするの?」
「オレ?オレは」
ダンテは親指で後ろの車を差した。
「またラクーンシティに戻るよ。気は乗らねえが、オレのは写真送って許してくれるような雇用主じゃなくてね」
「そうなの……」
それでは本当にここでお別れだ。
西海岸へ戻ると言ったなら、じゃあ帰りも一緒にとお願いできたのに。
(そううまくはいかないよね)
長い移動も、ダンテのおかげで苦にならなかった。おまけにさっきは危険な生き物から守ってもらえた。
一生分の幸運を使い果たしたような気分。
「それじゃ、ここで……」
ごつごつ苦しい喉から、何とか声を絞り出す。
「いくら拳銃あるからって調子に乗らないで、気を付けてね」
「ああ」
「えっと、長距離バスは……あっちかな」
「多分」
「……それじゃ」
「ああ」
ダンテがそっと車に目を落とした。彼にはまだ仕事がある──これ以上、別れを引き延ばせない。
「じゃあ本当に、ありがとう」
「ああ。おまえも……気をつけろよ」
ダンテが片手を挙げる。
おおきく肩で息をついて、はバス停に足を向けた。
(せめて、連絡先でも聞くべきだったかな)
チャンスはこの四日間でいくらでもあったのに。
足りなかった勇気にとぼとぼ歩いて……何歩目か。
!」
ダンテがぐいと手を引いた。
「帰りの足が必要なら、待っててくれ。三日後にここを通るから」





ダンテと別れて三日間。かつてないほど、72時間が長く感じた。
片付けなければいけないことはあった。サムネイルですら吐き気を催す写真をどうにかこうにか編集部に送って、何本かメールや電話をやり取りして──それが全部済むと、後は暇で暇で。そのくせダンテの安否が心配で心配で。
三日目の朝、どのビジネスマンより先にホテルをチェックアウトして、は約束の道に向かった。
大通りからは外れた、交通量の少ない寂しい道路。
くすんだ赤の車が見えたときの安堵は、だから、言葉にならない。
ヒッチハイクの合図を出すと言うより体ごと、は道路に飛び出した。
聞き慣れた排気音をひと吹かしして車が目前に滑り込む。
「当たり屋みてえなお嬢さん。どこまで乗せればいい?」
ウインドウが下がり、見間違えようのない銀髪の頭が現れた。青い瞳は、今はサングラスに覆われている。
その遮光グラスの奥を確かめるように、は窓枠に手をついてダンテにぐいと顔を寄せた。
「あなたにお任せする」
「へえ……いいのか?」
サングラスをわずかにずらし、ダンテはにやりと笑った。
「ええ。道すがら、今度はあなたを取材したくて」
くるりと助手席に回り込めば、ダンテがドアを開いてくれた。
「ちょっとやそっと掘り下げたくらいじゃオレの底は見えねえぞ」
「長い取材になりそうね」
「いいのか?」
「あの写真送ったら、『もっと取材して来い』って言われたの」
「はあ?そいつ、人の命を何だと思ってんだ?てめえで何とかしやがれって」
「だから、そう言って辞めてきたの」
からから笑ってダンテを見上げれば、思わぬ近さに顔があった。
寄せられた唇を避けて、は彼からサングラスを外す。
「こっちの方が魅力的」
「じゃあ使わない手はねえな」
互いの視線が溶け合った。……程なくして、唇が重なる。
遠慮がちな浅いキス。ダンテの唇はさらりと気持ちよい。
「この先は?」
不敵に微笑むダンテの太ももをぱしんと叩いて、は前を指差した。
──焦らなくても、先はまだまだ長いし、時間はたっぷりあるんだから。
「確かにね」
呟いて、ダンテは車を発進させた。
しずかな風景によく馴染む、くすんだ赤い色の車。
この車に乗り合わせた瞬間から、きっと道は一本しか伸びていなかった。
「家から七日分も走って、ずいぶん遠くまで離れたと思ったけど」
「実際、結構な距離だぜ」
平坦に見えて、実はかなりアップダウンしている道。
路面そのものだって真っ平らなコンクリートというわけでもなく、舗装状況からしたら、これからも突然タイヤに優しくなることはないだろう。
それでも走り続ければ目的地に繋がる一本道。
「あっ」
またしてもタイヤが石に乗り上げた。
派手にホッピングして戻る。
「車、また壊れるわよ」
「修理すりゃいいさ」
ダンテは事もなげに言い放つ。
「もうホテルは一部屋でいいしな?」
「さあ?」
そういえば、タオル姿の半裸をもう見られているのだった。
今更だが恥ずかしくなって、はラジオに手を伸ばす。
「ノイズ聴くのか?」
「物は試しよ」
すり減ったボタンを押せば、
「……マジか」
「ね?」
あのガレージでこっそり修理されたらしいラジオが、のんきなジャズを歌いだす。

“この道を走れば、気分は最高”

ダンテもも、どちらからともなく歌を口ずさんだ。







→ afterword

遅くなってしまいました。20万ヒットお礼のダンテ夢です。

ダンテ、ドライブ、『ルート66』!大好きなものを詰め込めて、凄く楽しかったです。
ただ、ダンテと恋に落ちるのには、7日間どころか7秒で充分だと思いました(笑)

すこしでもドライブ気分を感じていただけたなら嬉しいです。
ここまでお読みくださって、どうもありがとうございました!
2009.12.16