まんまるな月が煌々と照らす夜道。
二人は行儀悪く、ウイスキーを飲みながら歩いた。ダンテはボトルの首を掴んで持って、は持ち出したグラスの中身をたぷたぷ揺らして。
時々ダンテはのグラスに酒を足した。
風がほろ酔いの頬を撫でていく、呑気で心地よい散歩。
「こっち通らないの?」
ダンテはが通って来た、y字の樹の道ではない方へ足を向けていた。
「遠回りしてこうぜ」
「……うん」
は夜空を見上げた。
店に早く辿りつきたいような、それよりもゆっくりこうしてダンテと歩いていたいような。複雑だ。
ダンテも似たような気持ちでいるのか、ブーツの一歩は大股なのに、足を運ぶペースは遅い。
特に何か語ることもなく、時折「どこどこのマーケットが潰れた」「新しい酒場が出来た」といった、聞いてもすぐに忘れてしまうような情報だけ、ダンテは口にした。
そうなんだとか適当に返事をしながら、はいちばん訊ねたいことは訊けないままでいた。
「ダンテ」
クーポンマガジンに載ってた、金髪の美女とはどういう関係?
「……ブルズアイには、よく行くの?」
「入り浸ってる」
「へえ」
「他にもっと美味い飯を食わせてくれる店とか、酒が安い店とか色々あるんだがな。つい足が向いちまう」
「そういうものかもね」
は、残りのウイスキーをごくんと干した。
「私もこっちに帰って来たとき、真っ先に寄ったのがブルズアイだったから」
ダンテが軽く右の眉を跳ね上げた。
「俺の所に挨拶くるより先に、な?」
「それは」
「おー、ダンテ!」
突然、野太い声が割って入った。見れば、赤ら顔に千鳥足の、いかにも酒場帰りの男だ。
夜闇にぼかされて目に付くのが遅くなったが、もうブルズアイのすぐそこまで来ていた。
ダンテとは苦笑して、酔っ払いに足を留めた。
足が縺れてしまって小さい石ころにまで躓く男を、ダンテは手で支えてやった。
「夜明けにはまだ早いのに、もう帰るのか?あんたには珍しいな」
「マスターから、今日はダンテが来るぞって聞いてたから、ひっく、それまで粘りたかっ、たんだけどよぉ」
男はすっかり呂律が回っていない。
「擦れ違いで残念だな。また今度」
絡まれずに済んだダンテは朗らかに笑う。
「マスター、ダンテが来るの予想してたんだ」
ふうんと感心するの言葉に、ダンテは店の方角に目をやった。
「何だかんだと付き合い長いしな」
「そうだね」
「付き合いといやぁさぁ」
酔っ払いが、ぐらりとに向けて身体を捻った。
「この、ブルネットのお嬢さんは誰なんだぃ?前の、あの、ブロンドのねーちゃんは、どうしたよぅ?」
途端、ダンテはムッと表情を堅くした。が、すぐに口元に、からかうような笑みを刻む。
「いい女だろ?きちんと紹介して欲しかったら、酒飲む前に訊いてくれ。何度も紹介してやるのは面倒なんでね」
言うなり、の肩を押して店へと歩き出させる。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
ダンテはこれで会話終了と、もう片方の手をひらひら振った。
「ちぇーッ、もったいぶりやがっ……ひぃっく!」
取り残された男は尚もぶつぶつ文句を言っていたが、恐らくひと眠りして明日になれば、ダンテに会ったことすら記憶に残っているかも怪しいところだ。
「いろんなオトモダチがいるのねえ」
は皮肉を込めて、隣を見上げた。ダンテの手はまだ肩にある。
ダンテは少し言葉に詰まった。
「……あいつのことか?」
背後に親指を指す。
は首を横に振った。
「いいえ。“ブロンドのねーちゃん”のこと」
ダンテを見上げる。
心臓が口から飛び出るかと思うほど緊張したが、やっと疑問を口に出せて、はひとまずホッとした。あの酔っ払いには感謝しなければならない。
今日いちばん彼に訊きたかったことを、こんなにも訊きやすくしてくれたことに。
ダンテは一瞬だけ動きを止めたが、
「あいつは、仕事仲間ってやつだ」
すぐにからりと乾いた声で淀み無く言い切った。
「仕事仲間?」
「ああ。にも居たろ?そういう奴が」
「うん……まあ」
微妙にはぐらかされたような気はしたが、も頷いた。ブラックベリーのアドレスを調べなくても、異性の仲間は何人か思い出せる。……だが。
「あんな見た目がいい人なんていなかったよ」
むすっと告げると、ダンテは大口を開けて笑った。
「ご愁傷様」
「何だか腹が立つ!美人を選んだとかじゃないの?」
「んな面倒なことはしてねえよ。実力がなきゃ無理な仕事だ、知ってるだろ」
「そうだけど……」
自分の周りの便利屋はジャガイモかカボチャみたいな風体の人物しか居なかった。はやはり面白くないまま、腕を組んだ。
「なあ」
ダンテがにやりとを覗き込んだ。
「あんな、って知ってるってことは、ブルズアイで写真見たんだろ。俺とブロンド女ができてると思ったのか?」
「──!」
「おまえ、ずっと何か俺に訊きたそうな顔してたもんな」
「そんな、こと……ダンテに分かる訳ないでしょ!」
「分かるよ」
店についた。
扉を押し、ダンテはを振り返った。
「昔と同じさ。……見てりゃ分かるよ」



夜の店内はが昼間に来たときとは打って変わって、活気と喧騒に満ちていた。
「よぉ」
「来たな」
中で既に酔っ払っている何人かが、ダンテに声を掛けてくる。時を置かず、彼らの視線はダンテの後ろに半ば隠れるように佇んでいるに結ばれた。皆さっきの酔っ払いと同じ、好奇を含んだ目付きをしている。
が、不躾な声が飛んで来るより先に、この店の主が手を挙げた。
「やっぱり来たな」
カウンターに居座っていた客の飲み物を端へ押しやり、無理矢理に二人分の席を作る。
「こんばんは」
は昼間と同じ席に着いた。
「早速たかりに来たんだな」
やれやれと困り顔を作ってみせるマスターの、そのくせ嬉しそうな声音。
「ふふ。期待していいんでしょ?」
「今日は飲み放題でいいんだよな?」
ダンテが横から割って入った。あいにく椅子は分しかなかったので、ダンテは自分の特等席である木樽を壁際からカウンターに引き寄せ、豪快に跨いで腰掛ける。
ダンテを見て、マスターは真面目に首を横に振った。
「誰もンなこたぁ言ってねぇ。にゃ一杯奢るって言っただけだ」
「あんた、昔っからこいつには甘いんだよな」
「いやいや。からだって代金は貰うさ」
「え。そうなの?今日は飲み放題を期待して来たのに」
「だよなぁ。は二十年振りの帰郷だってのにな」
「ね」
感動の再会に水を差す店主だぜ。二十年振りに訪ねて来たお客にお酒一杯しか奢ってくれないんだって。ごちゃごちゃ囀る二人に、ついにマスターが両手を挙げた。
「だぁぁ、煩ェ!分かったよ。今夜だけな!」
「俺も?」
「ダンテもだ!」
マスターをやり込めて、とダンテはしてやったりと目配せしあった。
「“とりあえず、ビール”」



ナッツ類をつまみに、二人のビールと過去の思い出話はどんどん進んだ。
「……でも私達、夜遊びはしなかったよね」
「そういや、そうだな。そもそも俺は仕事が入ること多かったし、おまえは」
「夜中に出歩くなんて考えられない、真面目な女の子だったから」
澄まし顔で嘯くに、ダンテはクッと喉の奥で笑った。
「今は?」
問われ、は瞳をぐるりと回しておどけてみせた。
「不真面目な女……ではないけど、夜遊びはできるようになった」
「そりゃ結構。けど、大人は酔い潰れても自己責任、てヤツだぜ?」
「もちろん」
は鼻をつんと上向けた。
「お酒の強さには定評があるの」
「楽しみだね」
二人同時にジョッキを卓に置く。実に嫌そうに、マスターがおかわりを足してやった。
「向こうで仕事は何してたんだ?」
ダンテがピスタチオの殻を剥いて身を口に放り入れた。
もピーナッツを頬張る。
「重火器売ってた」
あっけらかんとした声とそれにそぐわない内容。ダンテは一瞬、目を見開いた。
「……それだったら、わざわざここ離れなくても良かったんじゃねえか。こっちのが仕事しやすかったろ」
「そうだね」
は店を見渡した。ぽつりぽつりと、知った顔が見える。
「そうだったかもね」
この街を出た理由は、まだダンテに話したことがない。同じように、何故、武器商人などやっていたのかも話せない。話せるわけがなかった。
ダンテから離れたくて、それでいて、ダンテとの繋がりを絶ちたくなかった、などと。
「……ま、長いこと帰って来なかったんだ。まあまあ上手くやってたんだろ?」
「まあね。捌き切れなかった商品、あんたに売りつけたくなったことは何度もあったけどね」
「ダンテから取り立てするのは難しいぞ」
テーブルの反対側で、マスターが苦笑いした。
「そう思って、荷物送り付けなかったのよ」
「そこまで友達甲斐がねえと思われてたんなら心外だ」
ダンテはむっつりと目を細めた。
は、つと顔を横に向けた。
「私だって、ダンテに迷惑かけたくもなかったし」
煙草を取り出し、周りをきょろきょろ見渡す。
「まあまあ。要は二人ともムダに痩せ我慢してたってことだろ。んな気を遣う間柄じゃねぇだろうに」
マスターがに灰皿を投げてやった。
「今夜はともかく、次は酒と煙草抜きで話するんだな」





酒場の賑わいが静けさに取って変わり、暗い店内に窓から朝の光が射し始めるころ。
はテーブルに頬をぺたりとくっつけて、すやすやと眠っていた。
ダンテも目の周りは赤いものの、こちらはまだ起きていた。頬杖をつき、物憂げにを見つめている。
あらかた片付けを終えたマスターが、自分用にビールを開けた。何とも言えない表情で連れを見ている昔からの常連に、そっと苦笑する。
「残念だったな、ダンテ」
「……あ?何が」
ダンテがのそりと顔を上げた。マスターは瓶でを指し示す。
「手ェ出すには酔わせすぎたろう。俺も酒出してやりすぎたな」
「……。」
ダンテは無言でマスターを見据えた。
「じょ、冗談だ。んなおっかねえ目で睨むこたないだろうがよ」
「お節介はもう充分だ」
はあとため息をつき、ダンテはに目を戻した。
どれだけ酒を飲んで煙草を吸っていたのだったか。
が一度うとうとし始めてから本格的に眠りに落ちるまで、一瞬のことだった。
(無理しやがって)
結局、何ひとつ大事なことは話せないまま夜が明けてしまった。
こちらが切り出そうとすれば向こうが煙草を燻らせ、向こうが口を開きかければこちらはビールをあおって。
訊きたいことはたったひとつ。
──俺は昔からおまえが好きだったけど、おまえはどうなんだ?
ただそれだけなのに。
「二十年、か……」
このままでは、あと二十年経ったとしても自分達は同じ所に足止めを食らっているだろう。
「何も変わっちゃいねえな」
綱渡りのまま怖がって、次のブランコに飛び移れないでいる道化のようだ。下にセーフティネットが敷かれているか知りたいのに、けれどそれすら確かめられずにいる。
(考えすぎてるよな……)
自分もも、もともと計算してどうこうするタイプではないのに。
ダンテはの額に口づけた。
「……これがさっき出来てればな」
マスターが何か言いかけるより早く、ダンテは樽を引いて立ち上がった。
「帰る」
は?」
「背負って行く」
「起こさんようにな。相当ムリして飲んでたっぽいぞ」
「分かってる」
ダンテはそうっとの脇に肩を入れた。揺すらないように向きを変え、よいしょと背におぶる。
「また来るよ」
「次もまだこそこそとの寝顔に何かしてるようだったら、お前にゃ二度と酒は出さんぞ」
「お節介は充分だって言ったろ」
「こちとらお前らを心配してやってんだ」
「心配してくれてるヤツが、面白がって“そんなこと”するか?」
「店の為なんだ。お前は常連だし分かってくれるだろう?」
「……にはまだ見せんなよ」
「あいよ」
「ったく。じゃあな」
何やらにやにやと含み笑いしているマスターを後に、ダンテは店のドアを足で閉めた。
外へ出れば、朝の太陽は飲みすぎた目蓋にぎらぎらと優しくない。酒場にすっかり長居してしまった。
「……酒に強いって言ったくせに」
ダンテは苦笑して、背におぶったの方を振り向く。規則正しい寝息を立てたまま、彼女は全く起きる気配がない。
背中のあたたかさは罪なまでに心地よく、ダンテもすっかり眠くなってきた。どんどんペースが落ちてくる瞬きに、をおぶったまま行き倒れてはいけないと、通りで囀る鳥の数を数えたり、わざと眩しい太陽を見上げて必死に眠気に抵抗してみる。
行きよりももっと時間を掛けて、ダンテはのんびりと歩いた。
やがて家への通り道の分岐点に到着した。足を止め、頭を反らして後頭部をにそっとぶつける。
「……どうする、
遠回りか近道か。
ダンテは、ふんとひとつ鼻を鳴らした。
考えずともルートは決まっている。
「悪いが、眠っちまったやつには選択権はないってことで」
よっ、と弾みをつけてをおぶり直し、ダンテは先ほど二人で通って来た道を選んだ。