ホームステイ先は、さすがに学校が推薦してくれただけあって、とても居心地が良い家庭だった。
家族は熟年夫婦と幼い子供が二人という構成で、幼児たちはを片時も離さない勢いで遊びに誘ってくれたし、夫妻はあちこちにドライブに連れて行ってくれたり、買い物を手伝わせてくれたりした。
初日の夕食に出されたグリルドチーズをが喜んで完食したら、その後3日間おなじものが提供されてちょっと困ってしまった以外は、本当になにもかもが理想的だった。
交換留学の受け入れ先、ダルトンアカデミーではショー・クワイアが人気のようで、その見事なステージパフォーマンスにはすっかり夢中になった。
華やかなステージに立つメンバーも魅力的な人物揃いだったが、いかんせん、は初日にハイレベルな出逢いをしてしまっている。
(ダンテくん、かっこよかったなぁ)
日毎、宿題の合間にはそんなことを考えた。
ともすると、すぐに彼の笑顔が頭に浮かぶ。連絡先を聞いておかなかったために今後二度と会うことはないだろう、甘酸っぱさとほろ苦さが入り混じった思い出となったにも関わらず。
(……ごめんトニー!!)
ダンテの顔が頭を占領する度、は凄まじい勢いで顔を振った。
(ここに来たのはトニーに会いたいからなのに!)
ダンテがインパクトありすぎて、昨日など彼とゲームをする夢まで見てしまった。さすが、夢。何でも有りの世界である。
「はあ……」
トニー。もう何日も声を聞いていない。
覚悟はしていたが、この家にはゲーム機がなかった。トニーとの連絡は必然的にメールのみになっている。それでも幸せではあるのだが、やはり彼の声が聞きたい。
(あと少し!)
は机にぺたりと頬をつけた。
明日はThank god it's Friday !もう一日乗り越えれば、いよいよメインイベントだ。





土曜日は、すっきり晴れ渡ったいい天気となった。
、忘れ物はない?」
両手に子供をぶら下げて、パパがひょこりと廊下から顔を出す。ママもエプロンで手を拭きつつやってきた。
昨夜から何度も確かめたバッグをもう一度覗いて、は大きく手を振った。
「はい……大丈夫!」
今日はいよいよTONYと会う日なのだ。
「本当に一人で大丈夫かい?いくらでも送って行くのに」
パパは太い眉をハの字に下げた。
「いつまでも甘えさせてもらってちゃ、進歩がないし。バスにも一人で乗ってみたいの」
それに実は、この気の良い夫婦にはトニーの名前を明かさず、ただ単に友達に会うとだけ言ってある。
彼との約束である目印の赤いベレー帽をかぶり直して、はパパに笑ってみせた。
「夕食までには帰って来ます!」
思いっきりしゃっきり告げてようやく、パパの顔にも笑みが移った。
「気をつけて行っておいで」
「いってらっしゃーい」
「ばいばーい」
それぞれに見送られ、はバッグをしっかり持ち直した。



待ち合わせはカップケーキ屋の窓際の席。
表通りを眺めては、逆に道に背を向け……を、は何度も繰り返していた。
会いたかったのに、会うのが怖い。
そろそろ時間だ。トニーはAvengersの赤いTシャツを着てくるとメールで伝えて来た。赤いTシャツの人物は、今のところまだ一人も見かけていない。
そわそわ所在なげに店内の時計を見上げると、店員がピンク色のクリームの乗ったケーキの皿を持って来てくれた。親指を立て、「初デート頑張れ!」とウインクつきで応援してくれる。もちろん「初デート」部分はの想像で、実際店員が何に対して力づけてくれたのか、彼女は知る由もなかったが。
運ばれたケーキをどうしようかと一人ぽつんと眺めていると、
「観光客ってバレて得することもあるんだな」
頭上から声が降ってきた。
ベレー帽が、ふわりと奪われる。反射的に振り返ると、
「まーた会ったな」
「……ダンテくん!?」
何と、初日に会った、あのダンテが立っていた。いたずらっぽくの帽子をかぶって席に着く。
「よぉ。今日まで『Good luck』足りたか?」
「……あ……」
返事できず、はただダンテを見つめることしか出来なかった。
まさか、また会えるとは。
(これが最大のluckです)
実際に言おうとして、胸の真ん中がそれを咎めるようにちくりと痛んだ。
(トニー!)
そうだ!今日の目的は、トニーなのに!
自分はまたも出会ったばかりのダンテに流されそうになっている。
ダンテは黙ったままのをじっと興味深そうに、かつとても楽しそうに見守っている。周囲からしたら、自分たち二人はいい感じの雰囲気にしか見えないだろう。
(こ、こんなとこをトニーに見られたら……!)
肝が冷えた。
周りに赤いベレーの人物は見当たらない。トニーもさすがには女だと知っているだろうし、「のこのこやって来た俺をからかうために彼氏(それも美形)を連れてきたのかよ」などと勘違いに憤慨し、帰ってしまうかもしれない。
ダンテに再会できたのはとんでもない僥倖だが、それでも。
が会いに来たのはトニーなのだ。
「あ、あの!」
勢い込んで立ち上がる。
「ダンテくんには悪いんだけど、もうすぐ友達が来るの」
ダンテは訝しそうに目を細めた。
「友達?」
「そう。大切な、友達なの」
彼のためにわざわざここまでやって来たのだ。
「それ、友達と会う目印なの……。返して……」
ベレー帽に手を伸ばす。
しかしダンテはつと後ろに身を引いた。返してくれる素振りはない。
「どうして」
はいよいよ意地悪されているかのように涙目になった。
更に手を伸ばすと、ダンテがそっと触れてきた。
「……そいつ、Avengersの赤いTシャツ着てくるんだよな?」
「そうだけど……」
今度はが眉根を寄せた。
トニーが着てくるものは、確かにダンテの言った通りだ。さっきまでメールを何度も確認していたから間違いない。
「何で知ってるんですか?」
「ん」
ダンテは胸元を指差した。
" Avengers Assemble! "と、おなじみのセリフが派手に書かれたTシャツ。色は赤。
はフリーズした。
「俺もまさか、約束の日の前にとばったり偶然に会うなんて思ってなかった」
くるりと帽子を人差し指で回して、それからの頭に乗せる。
「今日だって、その帽子を見るまでは半信半疑だったんだぜ」
ぽんと頭にてのひらを乗せる。はこちんと固まったまま動けない。
「しかも追い返されそうになるなんてな」
ダンテは苦笑した。
「もう一回、店の入り口に戻って最初からやり直すか?」
そこでようやく、は瞬きした。
(" one more ")
何度も何度も、繰り返し聞いたトニーの単語。
間違いない。
聞き慣れた声、ずっと直接聞きたいと思い焦がれていた声、どうして今まで気付かなかったんだろう。
ダンテは、トニーだ。
理解した途端、かーっと血が頭に上っていく。
「だけど……だって……私の中のトニー像は!」
「オタク?」
トニーは爆発するように笑い出した。ははあと項垂れて肩を落とす。恥ずかしい。
手を引かれ、やっとのことでのろのろと椅子に戻った。
「ほんとにトニーのこと、ダンテくんみたいにかっこいいとは思ってなかったんだもん……」
「ふうん」
トニーはにやにやと口元を緩めた。頬杖をついて、ご機嫌な表情だ。
数瞬のラグの後、は失言に気がついた。
「……だって!スーツケース取り返してくれたし!助けてもらうと誰でもかっこよく見えちゃうでしょ、普通!」
「かもなー」
彼の表情はすこしも崩れない。
「俺のために、日本から来てくれたんだもんな?」
その嬉しそうな顔。
何故かくやしくて、は当初の嘘を引っ張り出すことにした。
「で、デトロイトから来たんだもん」
のプロフィールの国旗は日本だったけどな」
あっさり言われ、はああと天を仰いだ。
そうだ。自分が彼のプロフィールを見ることが出来るなら、当然その逆も出来るんだった。
ならば彼は始めからは日本人だと知っていたことになる。
「こんな早く会えるとは思ってなかった」
トニーはもう笑っていなかった。
「無理させたなら悪かったよ」
は赤Tシャツに目を落とした。
そんな真剣に謝られたら、調子が狂う。目の前にいる人物は、トニーかダンテか、どっちなのだろう。
「……そんなのいいよ」
気恥ずかしさにちょっと拗ねて、は話題を変えることにした。
「それより、観光客って何?そんな分かりやすかった?」
訊かれ、トニーもふと口元を緩めた。
「外国人がきょろきょろしてて、一人ぼっちで心細そうでさ。初めてを見たとき俺もそうだったけど、あの店員も同情したんだろうな」
「嘘。私には『初デート頑張れ』って応援してくれてるように見えたよ」
トニーはひたとを見た。
「初デートか。確かにそうだ」
が止める間もなく(トニーの発言にまたもフリーズしていたから、実際そんな余裕は無かったが)、彼はのケーキをひとくち食べた。
うまい!と感動し、フォークをに返す。実にあっさりと。この辺り、『ダンテ』が地なのだろう。
しばらく悩んだ末に、は同じフォークでケーキを切り取って食べた。甘い。
「ね、トニー」
「ん?」
「……ダンテ」
「ん?」
どう呼んでも、彼の返事は変わらない。
思わずは吹き出した。
「ダンテが本名、で合ってる?」
「そう。ダンテの方」
「ふーん。そっちで呼ぶ?それとも今まで通り、オンラインIDがいい?」
何か答えかけ、トニー──ダンテは顔をちいさく振った。
「どっちでもいいよ」
「じゃあ……」
「ダンテ」
本名を呼べるなら、そっちの方が嬉しい。
は……だよな」
トニーの声で確認され、は再びどきりと緊張した。
最高の声の持ち主が、最高の容姿の持ち主だった。最高すぎる展開。
感動しただったが、
「おまえ、もうちょっとセキュリティ意識した方がいいんじゃねえか?」
とのダンテの的確な注意によって、もう出会って何度目になるのか、むぅっとむくれる羽目になった。



照れたりからかったりむくれたり謝ったりを繰り返し、二人は飽きることなくずっと話し続けていた。
当初の『トニー』との予定では、インターネットカフェでゲームをするはずだったのだが、それはすっかりどうでもよくなっていた。がバッグの底に持って来たソフトは一度も外へ出されることのないまま、ひっそり忘れ去られている。
夕方、ホストファミリーとの約束の時間までに、ダンテはホームステイ先まで送り届けてくれた。
もっとも、心配で玄関から外を眺めていたママに鮮やかに発見され、異性と出掛けていたことをパパに怒られ、それを隠していたことから余計に誤解されることとなり、おかげでダンテは「とはビデオゲームで知り合って、今日も一日中その話をしていただけ」と、ある意味大変不名誉な告白をしなければならなかった。
顔を真っ赤にして同意するの様子は誰の目にもいかにも怪しかったのだが、ダンテのスーパーヒーローTシャツが功を奏したのか、パパはそれ以上は問い詰めなかった。
代わりに、呆れ顔を隠しもせず、二人にこう告げた。
「ゲーム機はレンタルしてきてあげるから、うちで遊びなさい」





の部屋の扉は、5インチほど開けられている。『 PLEASE DO NOT DISTURB 』の真逆の状態。外界へ向け、「いつ誰が部屋に入って来ても構いません。二人で健全に遊んでいます」というアピールをしている。
ゲーム機はスイッチが入っているものの、ヴォリュームそのものは絞られている。 点灯している機体の電源を横目で確認しながら、ダンテはにキスをした。
「もうこうなる前には戻れねえな」
「私は戻れるけど?ライバルに」
弾む息に喉元を押さえ、は強がってみる。
コントローラへ手を伸ばすと、その手をダンテが上から捕まえた。
「あんまり長いコンボは勘弁してくれよ」
「ダンテこそ、大技連発して削り勝つのはやめてよね」
「俺はもともと派手好きなんだよ」
ちゅっとリップノイズを立ててキス。は耳まで真っ赤になった。
「……だから、そういう大技はやめてって」
「大技?これはむしろコンボ始動技だぜ」
ダンテは楽しそうにを抱き寄せた。
その貌は、これまでが知り得たトニーではなく、を泥棒から助けてくれた親切なダンテでもない。まるで未知の、第三の人物であるかのようだ。
「……?」
真剣に了解を求めてくる眼差しに、は頷いてしまいそうになり──
ー!あそんでー!」
廊下から、子供たちが駆け込んで来た。
「ぅおっ!」
ダンテが慌てて身体を離す。
「こいつらタイミング良すぎねぇか!?」
「あまりに静かだから、パパが密偵送り込んだのかも」
はテレビのリモコンでヴォリュームを上げた。格闘ゲームの勇ましいBGMに、甘いムードはすっかり掻き消えた。
「はい、どうぞ」
がコントローラを子供たちに渡した。
「わーい!あたしはバジルつかうー!」
「あたしはテップー!」
「それ、まんま俺達が使ってるキャラじゃねえか……」
げっそりしながらも、既にダンテはきゃっきゃと騒ぐ子供を膝に乗せてやっている。
ももう片方を後ろから抱き締めた。
「チーム戦しない?この子たちをサポートしながら」
「いいね。せっかくだし、金も賭けようぜ」
「ええー?」
「負けたら1クォーター。貯まったら、どっかへ飯食いに行く」
淀みなく組まれた予定に、も頷いた。悪くない。
子供の頭をくるりと撫でながら、顎を上げてダンテを見下ろした。
「じゃあ、頑張ってこのお兄さんからお金いっぱい巻き上げようねぇ」
自信満々のに、ダンテはにやりと笑む。
、ゲーム久しぶりだろ?鈍るんだぜ、意外とな」
「さぁ?どうかなー」
結局のところ、ダンテが大量の硬貨を積み上げ──彼は不在の間はゲームをしていなかったと正直に告げた──、その財布が空になったところで、ゲーム機の電源が落とされた。
子供たちは白熱する試合にとっとと飽きてしまい、今はもうお昼寝タイムを過ごしている。
送り込まれたちいさな密偵たちもうまく懐柔し、せっかくのチャンス到来だったが、生憎ダンテもも疲れきってしまっていた。
子供たちと同じようにごろんと横になり、ダンテが言った。
「今度はCo-opしようぜ」
「こあぷ?」
「協力プレイ」
「ああ」
はくすりと笑った。
どういう内容のゲームにしても、協力プレイなら、互いの負けず嫌いの虫が顔を出して必要以上にゲームに熱中するなんてこともないだろう。
それにきっと、ダンテの負けず嫌い以外の、未知の面が見えるはず。
「じゃ、今日貯めたお金も使って、何かゲーム買おうよ」
「そうするか」
甘えるようにの膝に頭を乗せると、ダンテはそのまま寝てしまった。
こわごわと彼の髪に触れ、はそっと溜め息をつく。
(次の外出は、ダンテとゲームショップへデート)
正直に告げたらママとパパはどんな顔をするだろう。
想像して、はとても可笑しくなってしまった。







→ afterword

アルカプにどっぷりだった頃に思いついたお話です。
双子のアイコンや名前をもじったIDを見かける度、「これがダンテさんだったら…!」「さっきのバージルさんでしょ!」と、何度も何度も妄想していました。
ゲームネタということで、ダンテさんも3よりもうちょっと若めなダンテ「くん」のイメージで。高校生同士とか可愛いなあと思ってました。

作中に登場した『ダルトンアカデミー』は、gleeに出て来る名門私立高校(だけど男子校)です。ショー・クワイアのグループとはもちろん『ウォーブラーズ』です。
制服が紺に赤のパイピングで、胸に『D』のワッペンがついていて、いずれお話のどこかに捩じ込めたらと思っていました。ダルトンはオハイオ州という設定なのですが…気にしない!満足です!(笑

ヴァレンタインの要素が欠片もないお話ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
2013.2.13