右に曲がって、もう一度右へ、また右を選んで、そうして最後も右に折れたら、元の場所。
ダンテとわたしはここから先に進めない。




parade




ふと見上げたカレンダーは、まだ先月のままだった。
月に一度めくればいいだけのことなのに何故だか億劫で、溜め息混じりに立ち上がる。
4月。
ブルームフェスタのパレードがある月だ。
昨年の山車に飾られたメインの花は、いったい何だっただろうか。
デイジーだったか、ポピーだったか。覚えていない。
パレード自体、見ていないかもしれない。それすらあやふやだった。
「ダンテ」
後ろに声を掛けてから、わたしは自嘲に笑んだ。
彼に聞いたって分かるはずがない。
「何だ?」
暇だったのか、ダンテは見ていた雑誌からぱっと視線を上げた。『楽しい話題か?』そんな期待が見え隠れする目線。
彼には悪いが大したことではないので、するりと目を逸らす。
「何でもない」
「……何だよ」
片頬に笑みを寄せ、ダンテが立ち上がった。大股に近づいてくる。
「気になるだろ」
お互いの距離が縮まると、やわらかく二の腕を掴んできた。
ダンテのおおきな手のひらがゆっくりと肩に這い上がる。
それが首筋に辿り着き意味深に上下したところで、わたしは顔を横に背けた。
「……そんな気分じゃない」
「じゃあ、どうしたら気分が変わる?」
拒絶に構わず、ダンテは声を引きずってわたしの耳に口を寄せた。
ざらりと触れる無精髭は、ときとして不快だ。
力を込めて彼の胸を押して離れる。
(“どうしたら”?)
ダンテとわたしの関係は、随分ながく続いている。
決して離れず、それでいて重なりすぎず──とても楽で、あとすこし何かが足りないような気がする。
ちょうど、ぼやけて思い出せない去年の山車の花飾りのように。
「……花」
わたしはぽつりと呟いた。
「花?」
ダンテは意外そうに目を開き、それからすうっとピントを絞った。これは彼が相手のこころを探ろうとしているときの目。
わたしは出来るだけ真っ直ぐ、青い目を見て言った。
「花が見たい」
しばらくしてから、ダンテはぽんとわたしの頭を撫でた。
「ちょっとだけ待ってろ」
気に入りのコートも引っ掛けず、足早に部屋を出て行く。
一連の動作があまりに素早くて、わたしは「待って、もういいから」も「じゃあ、お願い」もどちらも言えなかった。
部屋の窓から見えるダンテは、走って大通りへ抜けていく。
(ただのワガママなのに、まだそんなにしてくれるの)
ワンサイズ下の服を着たときのように胸が苦しくなって、わたしは久しぶりに泣きたくなってしまった。





開け放した窓の向こう、わたしのために帰って来たのは──ダンテというより、薔薇だった。
「三軒分、買い占めてきたぜ」
濃厚な赤の香りの奥から顔を覗かせ、ダンテはそれらよりもあざやかに笑った。
「ほらよ、darling」
どさりと手渡された花は、気が遠くなりそうな程うつくしい。
「満足か?」
何も言えなくなったわたしを抱き締め、頭のてっぺんに顎を乗せる。
「花が欲しけりゃ買ってやるし、美味いもん食いたかったらどこにだって連れてってやる」
彼が言葉を発する度に、頭蓋に振動がゆるやかに広がる。わたしをあやすようなリズム。
「けどな」
ダンテの声音がすこし変わった。僅かに困ったようなそれ。
「いくら花の中を探しても、そこにオレの気持ちはねぇぞ」
「そうなの……?」
そうは言われても、目の端に主張してくる赤い花束──しっかり気持ちが感じられるのに。
珍しいことをしてしまって、ダンテはきっと、照れている。
「じゃあ、どこにあるの?」
いたずらっぽく見上げると、上げたばかりの顔は再びぐいっと胸に押し付けられた。
「探してみな」
「うん」
何だか楽しくなってきた。
まずはダンテの鼓動を確かめるように、胸にぴったり耳を寄せてみる。
(何よ、まだ余裕たっぷり?)
いや……ちょっと早いかもしれない。
「ダ」
最後まで口を開く前にダンテはわたしを抱き上げた。
そのまま連れて行かれた先は、ごく自然にベッドの上。
「今度はオレが探す番」
ダンテはわたしを横たえて覆い被さるように腕を突き、にっと唇を不敵に持ち上げた。
「まだ見つけてなかったのに」
「悪いな、時間制限があるんでね」
『もたもたしてると、いつまでたってもオレの番だぜ』囁かれると、彼の髭がちくちくと耳朶を刺激した。
(整えてから、また三日あいてる)
ダンテが何日髭を剃っていないか分かるまでになった、わたしの肌。
「もうそろそろ剃ったらどう?」
「どうするかな」
ざらりと忍び寄るくすぐったさに身を捩る。さっきは不快だったのに、今は──
ダンテはくつくつ笑いながら逃げるわたしを執拗に追いかけて、肌を擦り合わせてくる。
首のラインに沿って彼の顎が鎖骨に滑ったとき、思わず吐息が弾んでしまった。
気付いたダンテはゆるりと顔を持ち上げる。満足そうな、極上の笑み。
「剃るのはやめておくか。おまえ、コレ感じてるみたいだしな」
「意地悪……」
「花を買わせて焦らすのだって意地悪だろ。近辺の花屋、みんな品薄の時期だってのに」
「え」
唐突に飛び出したのは、さっきわたしが飲み込んだ話題。
ダンテは4月になったカレンダーに視線を投げた。
「アレだろ、あの花のパレードがあるんだろ」
「覚えてたの?」
起きようと肘をつくと、ダンテも身を起こした。
「覚えてるさ。去年も見ただろ」
「……何ですって?」
パレードを見た記憶は、わたしにはない。
薄目で彼を睨む。
「どこの誰と、見て来たの?」
「はあ?」
今度はダンテがわたしを凝視した。
「一緒に見たぞ、忘れたのか?赤い花がたくさん飾られてた」
「……。」
見ていないとふるふる顔を横に振ると、ダンテは悲しげな表情を作ってみせ──それから、はっと目を見開いた。
「……そうか」
にやりと笑う。ダンテがこんな笑い方をするときは、何か変なことを思いついたとき。
わたしは自然と身構えた。
「なによ?」
「見えるんだ。パレード」
「え?」
「オレのpositionならな」
間近に覗く、これ以上ないというほど愉しげな瞳。
「……!」
わたしの頭上には、窓がある。つまり──
ダンテがどうやって、そしてどんなときにパレードを見たのか理解した。瞬間、体温が一気に上がる。
何も言えなくなったわたしの腕を引いて抱き起こしておいて、ダンテは更に畳み掛けてくる。
「今すぐ交換しようぜ、位置」
「ばかっ」
前髪を引っ張っても、ダンテの笑いは止まらない。
「本当に可愛いな、
「ふざけないでったら!」
見下ろしてにやにやするダンテは、憎ったらしい。
「そんなことより、ちゃんとパレード見たいのよ」
「我儘なお嬢さんだな」
溜め息で、ダンテはベッドに寝っ転がった。
解ってくれたのかと思いきや、自分の腹を指差しこんな一言。
「パレード見るのにこれ以上ねぇっていう特等席が空いてるのに」
……もうどこまで行ってもダンテのペースだ。
反撃するなら、乗るしかない。



右に曲がって、もう一度右へ、また右を選んで、そうして最後も右に折れたら、元の場所。
ダンテとわたしはここから先に進まない。
今年の山車を確かめるため、わたしはちょっとは頑張るかもしれない。けれど、どうせ無理だろう。
結局ダンテだけが花を見る。花の名前を知らない彼は、赤とか黄色とかそんな風に、実にご丁寧に教えてくれるはず。
きっとこれからもぐるぐる続く繰り返し。
飽きることなく──ずっと、このまま。







→ afterword

ファンテ○リュージョンが大好きでした。
何度観ても、その度に音楽にダンサーにフロートにわくわくして…「パレードって同じことしてるのに、何でこんなに飽きないのかな」とか思ってました。
そして、よん様。
できればちゃんとパレード見せてあげて欲しいですけど、無理っぽいようです。

短いお話ですが、お楽しみいただけたなら嬉しいです。
ありがとうございました!
2009.3.30