milk for babes




ジリリリリ
鼓膜をびりびり震わせるように鳴り響く目覚まし時計。
ヒステリックに叫び続けるそれを止めるため、ベッドから筋肉質な腕がのそりと這い出る。
「……もう朝か」
重たくてろくに開かない目で、なんとかかんとか外を見る。
まだ薄暗い。
(間に合ったな)
だるい身体におおきな欠伸ひとつで騙し騙し覚醒の命令を下し、ダンテはベッドを軋ませて起き上がった。
素肌に手頃なシャツを羽織って、手櫛で適当に髪を整える。
きちんと身支度している時間などない。
もたもたしていたら、彼女が──ミルク配達の彼女が、家への配達を終えてしまう。



真新しい外気が、すっと肌を撫でる。
朝靄に霞む道はまだひっそりとして目覚めていない。
こんな早くから行動している者はこの界隈にはいやしない。
かくいうダンテも、爽やかな朝の光よりは湿った夜の闇の方が似合う存在。
(二週間か……)
彼女と出逢ってから数えた日をぼんやり思い出してみる。
夜を奔るダンテと朝を駆ける彼女が出逢ったきっかけは、本当に些細なこと。
長引いた依頼に朝帰りしたら、たまたま彼女が隣の家に牛乳を配っていたのだ。
薄闇に半ば溶けているが、幽霊よりははきはき動く女の姿。
最初は彼女が何をしているか分からず、ダンテは「泥棒か?」と顔を顰めた。
隣の連中にはそこそこ世話になっている、みすみす泥棒を見逃すわけにいかない。
「おい、お嬢ちゃん」
腹の底から太い声を出せば、
「ひっ!」
ガシャンガシャン
彼女が何かをまとめて下に取り落とした。
砕けたガラスの瓶だったものと、その中身の白い液体。
そこでやっと、ダンテは彼女が泥棒ではなくて牛乳配達人だと分かったのだった。
「うわ。悪い!」
慌てて驚かせたこと、売り物を駄目にしてしまったことを詫び──とりあえずは代金をと財布を探った。
そんなダンテの様子をまじまじ見つめた後、彼女は笑顔でこう言った。
「あなたも毎朝、牛乳いかがですか?」
夜に慣れたダンテの目には眩しすぎるほど、きらきらとした瞳で。



「Morning, sir!」
牛乳よりも先に新聞が来た。
庭に投げ込まれたそれを拾い、自宅のポストに寄り掛かって広げる。
傍からしたら彼の目は真剣に世を憂い紙面を追っているように見えなくもないが、実際にはダンテは政治のニュースだの株価の上下だのに興味はない。
もちろんこれは単なるポーズだ。彼女を待つための。
やがて、からからと車輪のかろやかな擦音が聞こえた。の自転車の音だ。
(やっとおいでか)
何食わぬ顔でばさりと新聞を捲れば、灰色にくすんだ紙の向こうにひょこりと愛らしい頭が覗いた。
「おはようございます」
道筋通りに順番に牛乳を配達するが、ようやくダンテの家に辿り着いたのだ。
「おはよう」
ちょうど読み終わったというようにダンテは新聞を畳んで小脇に抱える。
「おはようございます」
はさわやかな笑顔でもう一度朝の挨拶、そして荷台から取り出した売り物をダンテに向ける。
「朝、早いんですね」
「ここんとこはな」
手渡された牛乳瓶の蓋を、ダンテは待ち切れないとばかりに開けた。ごくごく喉を鳴らして飲む。
「最近、やけに身体が軽いんだ」
「きっと牛乳のおかげですよ」
がふっと微笑んだ。
(配達人のお陰だけどな)
ダンテはそんな風に心の中で返答し、開けた瓶を指先でひょいと弄ぶ。
あっという間に飲み干されてしまった中身に気付くと、はくるんと目をまるくした。
「一本じゃ足りなさそう。二本に増やしませんか?」
「やっぱ商売上手だな」
初日さながらの彼女の言葉に吹き出し、ダンテはポケットをまさぐった。
「もらうよ」
しわくちゃになった紙幣を手渡す。
「そのセールストーク、他にも使ってねぇのか?」
「ダンテさん、鋭いですね」
お代わりの牛乳瓶をタオルで拭いてダンテに渡してから、は目の前の通りの向こうを指差した。
「実は、この先のダイナーで働き出したんです」
今度はダンテが目をまるくする。
それは何とも──牛乳代を補ってなお余るありがたい情報。
「へえ!時間は?」
「お昼時です。今日もこれが終わったら準備して仕事です」
「そりゃいいこと聞いた」
「よかったら来て下さい。まだ仕事入りたてだし、コーヒーくらいしかサービスできませんけど」
のお誘いを飄々とした素振りで聞き、一本目と同じように二本目の牛乳も飲み干して、ダンテは今日の予定を考え直す。
昼は久々にエンツォの顔を見ようと思っていたが、それはもう後回しだ。
「早速行くよ」
「待ってます」
にっこり笑って、は次の配達先に自転車を走らせた。
その背中をしっかり見送り、ダンテは満足気に目を細めた。
朝日を受ける自転車のアルミのフレームもの笑顔も、すっかり見慣れた今でも素直に綺麗だと思う。
そんなことを考えていたら、さっきからずっと我慢していた大欠伸がこぼれた。
「これから毎日、昼はダイナー通いか」
こんな子供騙しのようなアプローチ。
今はまだ低い位置にある太陽が真上に来たら、また彼女に会える。そこから先、太陽が沈んでも一緒にいられるかは──
「牛乳、コーヒーと来たら次は酒か?」
眠気に圧される頭でぼんやりと、ダンテはをブルズアイへ誘う方法を考え始めた。







→ afterword

タイトルから考えた、短いお話でした。
暑い日が続いているのでせめてもと、朝の爽やか路線を目指しました。
ダンテさん家に牛乳を配達するためならば、早起きだって頑張れます(笑)

読んでくださって、どうもありがとうございました!
2009.8.19

追記)10年前の自分は、どこから牛乳配達人を思いついたんだろう…そしてどうしてこれを双子と絡めようとしたんだろう…朝の爽やか路線とはいえ、当時の考えがまるで分かりませn
双子が牛乳をごくごく飲む姿が書きたかった!と言われた方がまだよく分かります。のどぼとけ!