Reserved




適当にコートを投げ出すと、起こった風に春の匂いがふわりと乗った。
興味を引かれて、ダンテはテーブルに目線を落とした。
一輪挿しの中、桜がふくふくと咲いている。
「ああ、もうそんな季節?」
後から事務所に入って来たレディが、うっとりと花を見つめた。
「一年て、あっという間」
「まあな」
いつもなら草臥れた足をどかりと机に預けるところ、ダンテはお行儀よく椅子に収まった。目の前で薄紅の可憐な花をつける枝がそうさせたのだろう。現にダンテがお上品に姿勢を正していても、桜は僅かなそよぎにも花弁を落としてしまう。
また一枚。
指で摘んで、ダンテは物思いに目を細める。
感慨深げな彼に、レディも無駄に動くのはやめて、ソファに音なく落ち着いた。
「……思い出してる?」
「ああ。どうしても、な」
レディが訊ねてきたのは、『彼女』のこと。
もう何万回反芻したか分からない思い出を、ダンテは手繰り寄せた。



を見つけたのは、春のこと。
川沿いの公園、日本の姉妹都市から寄贈されたという桜の樹の下——本当にその真下に、彼女は居た。
あまり大きくはないレジャーシートを広げて、そこに真四角の麗々しいランチボックスをいくつも並べ、そうしてたったひとり座り、川の水面を眺めていた。
黒い髪が風に吹かれて気儘に踊る以外、彼女はじぃっと動かなかった。
(待ちぼうけか?)
ダンテは首を捻った。
一人分にしてはそのランチの量が尋常ではない。
けれど、公園周りを素人ランナーが二周した後も、彼女の隣は空っぽのまま。
ダンテはと言えば仕事帰りの暇な身、声を掛けてみることにした。
「美味そうだな」
きっかけに選んだのは、豪華な弁当箱。外側が黒塗りで中は赤地のその骨董品のような箱の中身が、彼女の様子と同じくらい気になっていたのだった。
彼女はちらと振り返ったものの、すぐに視線を戻した。その頬には、涙の跡。
(これは……)
ダンテは声を掛けたことを一瞬だけ後悔した。やっぱり厄介事か。
それでもここで「いい天気だな、じゃあサヨナラ」と去らなかったのは、お節介と好奇心に強く足止めされたからである。
「横、いいか?」
彼女は答えない。
「座るぜ?」
重ねて訊いて、やっと彼女はこくりと頷いた。
「待ち合わせか?」
答えない。
「一人か?」
こくりと頷く。まるで機械仕掛けの人形のようだ。
「これ、全部作ったのか?」
こくり。
「貰っていいか?」
こくりを待たず、ダンテはエビフライの尻尾に手を伸ばした。
「だ、ダメっ!」
ぴしゃりと甲を叩かれた。
ダンテは手を引っ込めることなく、にやりと唇の端で笑む。
「喋れるんじゃねえか。しかもそんな可愛い声で」
「……」
怒られてもエビフライをぱくりと頬張る。彼女は口元をきゅっと引き結んだ。
「ん、美味い」
尻尾までかりかり食べ尽くし、ダンテは親指をねぶった。
「何で一人なんだ?」
「……一人、だから」
単語を区切るようにぽつんと答え、彼女は再び川へ顔を向ける。
「どうしてこんな豪勢な弁当を広げてる?」
「……時間は、たくさんあるから」
ダンテは四角いランチボックスに目一杯詰め込まれたおかず達を眺めた。確かにこれだけ調理するのは、相当時間がかかるだろう。
一人で……言葉もあまり上手ではなくて……場所は彼女と同じく故郷を離れた樹の下で……
「ホームシックか」
きっ、と彼女がダンテを睨んだ。
「ストライク?」
首を曲げ、にやりと下から覗き込む。
彼女はぷいと横を向いてしまった。これはどう見ても肯定だ。
ダンテは三角の形のご飯を手に取った。
「だったら話は簡単だ」
「簡単、って?」
「なあ。これ、食えるのか?」
巻き付けられた黒いものを剥がしてみる。
彼女は失礼なとばかりにぶんぶん頷いた。
「海苔。食べられます。それで、何が簡単だって言うんですか?」
ダンテはノリとやらを貼り直して一気にご飯をぱくついた。以前コンビニエンスストアで買ったライスボールはコメが硬くて酸っぱくて、空きっ腹だったダンテでさえ食べ切るのに苦労したが、これはやわらかなコメに塩がちょうどよくきいていて、ノリも香ばしく、いくつでもぺろりといけそうだ。
丸々食べ終わってから、ダンテはひたすら次の発言を待っている隣に戯けてお辞儀をしてみせた。
「じゃあ、まずは自己紹介」
「ええ?」
「俺の名前はダンテ。親切でお人好し、見た目通りに好青年、だが金はない」
「な……」
「ああ、別に怪しい奴じゃないぜ。どっちかっつったら、樹の下で一人で飯食ってる方が怪しいな」
ふっと彼女の頬が緩んだ。自嘲の色。
(まあ、変わった女だからこそ目に止まったんだがな)
ダンテは更に弁当箱に手を伸ばした。よく見れば、箱はライスボールとおかずと果物とにきっちり分けてとりどりに詰められている。果物の箱にはいちごがヘタ付きのまま、きちんと並べられていた。嬉々として拾い上げるダンテに彼女はもう諦めたようで、咎める気配はない。
小振りで酸っぱいいちごを三個も味わったところで、ダンテは再び話を始めた。
「で?そちらさんは?」
「あたしは……」
彼女はゆらゆら視線を彷徨わせていたが、肩で息をひとつして、ちゃんと真っ直ぐにダンテを見た。
「あたしは、
か。よろしく」
ダンテはの手を許可なしに掴んだ。
「これでもう、まるきりの他人じゃねえな。ホームシック解消は、まずは知り合い作りからってね」
知り合い。いや、それじゃつまらんな。トモダチ?まあ、友達か。どうもしっくり来ねえけど。
そんなことを呟きつつ強引に握手する。の手はちいさく、本当に中に骨が入っているのか疑いたくなるほどやわらかい。これ以上力を込めたら、壊してしまいそうだ。
もっとも、先に壊れたのはダンテの理性の方で——それはこの後、ふたりが顔見知りから友達になり、更に互いに深く知り合って、桜も葉桜に変わった頃……



「……懐かしいな」
頬杖をつき、ダンテはうっすら目を開けた。
「サクラはいいリマインダーね」
楽しそうにレディが桜の枝に触れる。花弁も頷くようにちいさく揺れた。
「忘れろったって、無理な話だ」
「結構なことじゃない。そういうこと忘れるのって、嫌われるんだから」
「おい、サクラがなくたって俺は」

「ただいま。ダンテ、もう帰って来てたの?」

玄関に響いた声に、ダンテは見事な反射神経を見せて立ち上がった。
!迎えに行くって言っただろ!?」
のお帰りだ。
「そう甘やかさなくていいったら」
苦笑するの大荷物を、ダンテは問答無用で引ったくるように預かる。
「ったく、こんな買い込んで……」
「大丈夫だってば。あ、メアリも来てたの!」
「お邪魔してるわ」
レディもひらりとの隣に立った。
レディはダンテの仕事仲間だが、彼女が名を明かすことは結構珍しい。にも当初はレディだと自己紹介したのだが、「それなら私もレディですが……」ととんちんかんな反応をされ(そのときダンテは腹を抱えて笑った)、ちゃんと「メアリ」と名乗るに至ったのだった。
そんな経緯もあって、二人は最初から仲が良い。海外出張に投げ出されたばかりでたどたどしかったの英語が、ちゃんと正しく女性らしい表現を織り込めるようになったのも、ダンテではなくレディの手助けによる部分が大きい。
「じゃ、仕事も終わったし、私は帰るから。またね、
「え、もう?夕飯食べてけばいいのに」
いいの、とレディは顔を振った。
「私の分の気遣いするなら、あなたがちゃんと食べて」
「メアリまで……」
むうと膨れて、は腰に手を当てた。
「サクラ、楽しんで来てね。それじゃ」
ダンテの方にも手を振って、レディは笑顔で帰って行った。
はきょとんと背後のダンテを振り返る。
「桜?覚えてたの?」
「もちろん。今年も行くんだろ?」
ダンテが紙切れをに渡す。
『Reserved』と適当な筆記体で書かれたメモ。これを半分で山折りにしたものをレジャーシートにぽいと乗せれば、予約席の出来上がり。
「今年も通用するといいけど」
の故郷では考えられないこの場所取りは、昨年まで二回とも成功している。
今年うまくいけば、三回目。
「大丈夫さ。そんな心配より、ジュウバコの中身の心配してくれ」
初めて出逢った日から、ダンテにとってのお花見は、豪華重箱を携えてのピクニックなのだった。
お重を用意するのも、次でもう四回目。
はダンテを見上げた。
「ダンテ。今年で私たち、結婚二周ね」「おっと」
の唇を、ダンテの指が押さえて言葉を遮った。
「そっから先は、予約席でたっぷり祝おうぜ」
「嬉しいことは何度言ったって減らないでしょ?」
「まあな」
豪快に笑って、ダンテはを抱きすくめる。ぎゅっと身を寄せても、二人の間にはかなりの隔たりがある。——の膨らんだお腹。
「盛り上げとくのもいいもんだぜ」
笑った形のままの唇をに近付けた瞬間、
「あっ」
「お」
はっと身体を離した。
「蹴ったね」
は目元を細めてお腹を撫でた。元気に成長中で、何よりだ。
うっとり顔のとは反対に、ダンテはむっとむくれた。
「こいつ……今から俺のライバルになろうってのか?」
「こいつ、って。まだどっちか分からないじゃない」
赤ちゃんの性別は聞いていない。分かった方が楽じゃないのという周囲の意見もないわけではないが、ダンテは「二倍考えたり用意したりすれば済むこと」と受け流している。男女どちらか分かる瞬間の楽しみは、後に取っておきたいらしい。が。
「俺の邪魔するんなら、坊主だろうな……」
ダンテは生真面目な表情でのお腹に手を当てた。
「早く出て来い。直接勝負だ」
とん!と赤ちゃんが暴れた。まるで父親に「望むところだ!」と応戦するかのように。
「もう」
はお腹とダンテの手と、一回ずつポンと諫めた。
元気なのはいいことだが、お腹にいるうちからこれでは先が思いやられる。ダンテの予想通りに男の子ならまだしも、女の子であっても既にダンテに挑むようなおてんばな子なのだ。
「悪い悪い、こっちは仲良く喧嘩しとくから」
の頭を撫でてから、ダンテはしゃがんだ。
だいぶ大きくなったお腹を愛しげに撫でる。
「来年は予約席、三つだな」
そっと口付ける。
今度は赤ちゃんも反抗はしなかった。







→ afterword

今年も桜の季節が!(もう葉桜もありますが…)
浮かれるまま、これを書きました。
時間が流れているお話にしようとしたら、ダンテと結婚・妊娠していました…さすがは4ダンテさんです

短い文ですが、ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました!
2010.4.10