『なあ、エンツォ。あのカウンターの二人の男の方、どっかで見たことあんだけど』
『ん?ああ、ありゃあショーンと兄妹じゃねえか』
『ガンスミスの?へえ。ちゃんがあんなに可愛いとは思わなかったぜ』
『おめーはすぐそれか、まあいいけどよ。だが迂闊に妹に手ェ出すと、兄ちゃんのおっかねえ弾丸が飛んでくるぞぉ』
『はは、そいつは威力も精度も凄そうだ。さてと、声掛けてくる』
『マジか!?おいっ、ダンテ!……ったく……』




4 : fragments




月も星も見えない澱んだ漆黒の夜の中、ダンテは普段の愛車ではない、借り物のバイクを走らせる。
探すべき相手のことは、手に取るように分かっていた。
やりたい放題のスラムの中でも、特に重い罪を犯した者がどう逃げ、どう隠れているか。
お互いに便利屋なんてものをしていれば、自然と手の内が見え、更に行動範囲も似通ってくるものなのだ。
(あいつの性格なら、国外逃亡なんてことはしない)
が追う“ビルドッグ”が、国も戸籍も捨てこの世に存在しない人間となり、右も左も分からない見知らぬ土地へ逃げる程に潔い性格だったなら、便利屋仲間の評価ももっとよかっただろう。
(薄暗い、似たり寄ったりのスラムの中で燻ってるに決まってる)
今夜はそのひとつ、ダンテがいちばん怪しいと睨んでいるスラムへ来た。
多種多様な人種、そして様々な夢や野望に破れてうらぶれた者達がゾンビのように集まる墓場を彷彿とさせる、それはそれはひどい場所。
ここに比べれば、ダンテやが住むスラムなど天国と呼べるだろう。
政府にも半ば見放されたここは、警察の手が伸びることもほぼない、まさに無法地帯。逃げ延びた者にとっては楽園には違いない。ここで生き残れる智慧やコネクションがあって、更に運に見放されなければの話だが。
満足に街灯すらついていない大通りを、ダンテは駆け抜けていく。
下手にバイクから降りれば、数分としないうちに無法者に絡まれてしまう。
もちろんダンテにとってそんなチンピラ達を退けることなど赤子の手を捻るようなものなのだが、今日は暴れに来たのではない。
人探し、それも復讐の相手を探すとあっては、ことさら目立つわけにはいかない。
それでなくてもダンテの外見は周囲から浮いているのだ。
目深にフードを被り、特に人目を引く銀の髪を隠しては来たものの、いつ何時誰に見られるか。
用心するに越したことはない。
大通りから目ぼしい通りを二、三、縦横に十字を切るように移動してだいたいの土地勘をつけると、ダンテはスラムを離れた。
ここに来るまでに通って来た森の中にバイクを隠し、脇の道路標識でその位置を覚えておく。
後は徒歩。
細い路地をするすると猫のように通り抜けるダンテの姿は、どう見てもここに住み慣れた住人だ。
フードの下から辺りを間断なく窺い、様子を確かめる。
ゴミが花のように点在しているかつては花壇だったものに沿って歩き、ダンテはまずはバーを探した。
こんな街だ、情報屋もあちらこちらに巣を張っているのだろうが、そういう扱いにくい人間と信頼関係を築いていくなど、今回ばかりはそんな悠長なことは言っていられない。
ろくに店名も読めない消えかけのネオンがついた酒場を見つけ、ダンテはにやりと笑う。
「酒が飲めて情報も集められて……最高だね」
腐食した木材の取っ手を引き、ダンテは酒場へ足を踏み入れた。





は、久しぶりにそこを訪れた。
煩いスラムを少しだけ外れ、雑多な雰囲気はあれど、不思議と落ち着くバー。
店内に流れる重低音のロックも、兄のお気に入りだった。
古びた扉を押し開ければ、一気に懐かしい音楽がこちらへ溢れて来る。
「こんばんは、マスター」
「あれえ、ちゃん。久々だね!」
カウンターの内側から、見知りのマスターが笑顔を覗かせた。
軽く礼をし、は一歩一歩踏み締めるように、そろそろと店内を歩く。
今日はそれほど混んでいない。
にも関わらずカウンターの端に座るのは、いつもそうしていたから。
兄は自分をいちばん隅っこに座らせた。
『いくら知る人ぞ知るバーでも、こんなスラムじゃ、いつ何時どんな輩が乱入してくるかも分からないだろ?だから、可愛い妹は安全な席にってね』
いつだったか、酔った勢いで兄がマスターにそう説明していた。
大袈裟だなぁ、なんて酔いが回っていい気分の兄に苦笑しながら、は上機嫌だった。
兄の気配りはいつだってさりげなく、押し付けがましくはなかった。
「──ちゃん?注文はどうする?」
「えっ。あっ」
放っておいても勝手に浮かんでくる思い出に浸ってしまっていた。
案ずるように見つめてくるマスターに、は手を振って笑ってみせる。
「じゃあ、いつもので」
「OK。あとこれは、サービス」
マスターがどどん、と巨大なストロベリーサンデーを置いた。
「と言っても、おれからじゃないんだけど」
ごてごてと苺が飾られたそれに、はおっかなびっくり手を伸ばす。
とびきり目を引く、新鮮な苺の赤の色。
「マスターからじゃないって、なーんか怖いなぁ……誰から?」
ちらりと周りに視線を巡らせる。
けれど、を気にしているような客は誰もいない。
「あー、今は来てないよ。実はずいぶん前から、ちゃんが来たら出してくれって頼まれててね。ずっと待ってたんだよ」
「そうなの?」
普通、こういう場所で何かを奢るのは何らかの下心あってのものだろうに、自分がいないときに奢らせるとは……妙な人もいるものだ。
けれど何故か、悪い気はしなくなっていた。
苺を摘まみ上げてパクリと頬張る。
きゅうっと胸に沁みる、甘酸っぱさ。
──この感じ、何かに似ている。
「……これ食べるだけでお腹いっぱいになりそうよ」
苺の瑞々しい赤。
そしてパフェグラスに添えられた銀のスプーン。
「……」
その色を目にして、自然と目蓋の裏にとある人物の姿浮かんで来た。
──『彼』。
「そんなこと言わずに、コイツも空にしてくれよ」
マスターが『いつもの』カクテルを差し出す。
「…………ん?『いつもの』間違えてないよね?」
グラスにマドラーを差し出しても動きを止めたままの彼女を、マスターが覗き込む。
はハッと我に返った。
「もちろん、これだよ。『いつもの』」
これはマスターのサービスなのだろう、フルーツがごてごてと飾られたブルーベリー・エンジェルをにっこり掲げてみせる。
「うん、美味しいです」
そっと口を付けながら、は『彼』のことを考えた。
今夜このバーに来たのは、久々に何も考えずに、ただ、兄の想い出に囲まれていたいからだった。
それなのに、赤と銀の色彩を見て、彼を意識した瞬間から。
(──ダンテに、会いたい)
がつよく思うのは、それだけになってしまっていた。
ダンテと初めて会ったのもここだった。
兄と連れ立っている時のに話しかけて来る人はそうそういなかったが、彼は飄々と声を掛けて来たのだ。
『ショーン。初めて会うよな』
そう言いながら、視線はにぴたりと吸い付いていた。
兄は自然とを背に庇うような仕草を見せたが、話し掛けて来たのがダンテだと認めると、やや緊張を解いたようだった。
『ダンテ。だろ?有名な』
『話が早くて嬉しいよ。そちらのレディは?』
『最初からそっちが目的だろう。仕方のない奴だな、俺が横にいるのに』
話の流れ的に挨拶した方がいいのかとは身を乗り出したが、兄はそれを手で止めた。
『どうしても妹と仲良くなりたいなら、ショップに来い。こんなとこで知り合わせたくない』
『こんなとこで悪かったよ!』
地獄耳のマスターががなって、その場の全員が笑い出した。
──けれど、ダンテがショップに来た時に兄はもうこの世にいなかった。
は物憂くカクテルに口をつける。
思えば、ダンテが店に来てくれたあの日から、彼にはずいぶん邪険に接してしまっていた。
ダンテの顔を見れば、どうしてもあの日の兄の会話を思い出してしまうから。
それに、ダンテが店にやって来る理由が銃の修理だということも、無性に心をざわつかせた。容易く人間の命を奪ってしまえる火器。そんなものを毎回壊して持って来る男。
(だからこそ、復讐だなんてものを頼めると思ったんだけど)
はダンテをよく知らない。
兄は多少知っていたように思うが、に何か話してくれたこともない。
そんな相手に、よくもまあ。結局は自己紹介すらまだしていないのに。
ダンテは簡単に手助けをOKしてくれた。──それで本当に良かったのか。こんなことを頼めそうな伝手がなかったからとは言え、彼を巻き込んでしまった。
(それに)
ビルが憎い。だが、その憎い一心に動かされるまま、自分がその命を狙うことを、兄がどう思うのか。兄は無念だっただろう。けれど、復讐を望んでいるのは自分なのだ。兄ではなく。
復讐。実に甘美な響きだ。
あれほど忌み嫌っていた火器を手にして、ただ一撃。それで終わる。そうして、あのゴールドルガーは更なる悪名を得るだろう。他でもない、誕生からずっとあの銃を見守って来たの手によって。
──そのあとは?
の人生は続いて行く。奪われた命の代わりにはならない、別の命を奪って。
(いつか私も誰かに撃たれる)
復讐劇は終わらない。
けれど、ここで断ち切ることは、その無念を抱えることは、復讐を誓うよりもずっと難しく感じる。
ちゃん。顔色が悪いよ」
マスターの心配そうな声に、は再び物思いから醒めた。
「あ……ごめんなさい。今日はもう帰るね」
「その方が良さそうだね」
早く帰って、寝な。そうすりゃ元気になるさ。マスターがどんと胸を叩いた。
(本当にそうなったらいいのに)
一晩でも三晩でも寝て、目が覚めたら視界がクリアになっていたらいいのに。





Bull's Eyeを後にして、家に帰りたいような帰りたくないような微妙な心持ちで帰宅する。
すると、玄関先に『彼』がいた。
「だ……ダンテ」
驚きでは目を見開いた。
ダンテが気付き、ひらりと手を持ち上げる。
「よう。夜遊びなら誘ってくれよ」
ダンテは片膝を抱くようにして、宅の扉の前に腰掛けていた。
「ごめんなさい、今日来るとは思わなくて」
慌てて家の鍵をバッグの底からまさぐる。
「いや、オレも急に来たんだし」
立ち上がり、ぱんぱんとお尻の土埃を払い落とす。
かちゃかちゃと忙しなく鍵を回すの隣に立つと、ダンテはくんくんと鼻を利かせた。
「……何?」
訝しむに、ダンテはニッと笑った。
「ロックの匂いがするぜ、お嬢さん」
「どういう……」
聞き返そうとして、はたとは口を押さえる。
ダンテの言葉は謎かけのようで、それでいて解答そのもののようでもあり……
(あ!)
突然ぱちん、とピースが組み合わさった。
確信ではないけれど、勘よりは自信がある。
はドアを開けてダンテを招き入れながら、振り返る。
「ダンテ、苺は好き?」
少しだけ不安そうに聞いたに対し──途端にダンテがおおきな笑顔になる。

「大好きだ」





コーヒーを二人分淹れて部屋に戻ると、ダンテが寛いだ……いや、少々寛ぎ過ぎの様子で作業台の上に足を投げ出していた。
「どうぞ」
ことんとマグカップを置けば、ダンテは素早く足を下ろす。
「悪ぃ。ついついリラックスしすぎた」
肩を丸めて謝るダンテに、はそっと目を細めた。
行儀悪いとは思ったが、不思議と不快には感じなかった。
謙虚に足を下ろして謝る姿より、堂々と不敵な態度の方がダンテらしい。
そう思った。
「ここ、居心地いいとは思わないけど?」
「そうでもないぜ?」
ダンテは早速熱々のコーヒーを味わっている。
彼の斜め向かいに腰を下ろし、もコーヒーに口を付ける。
「そういえば、私、報酬の話をしていなかったでしょ」
ダンテがコーヒーを半分飲んだところで、が口を開いた。
あの日──ダンテがいとも容易く依頼を引き受けてくれた日──拍子抜けして、肝心なことを言い忘れていたのだ。
「貴方は腕利きだけど、報酬の金額はいろいろだって聞くし……」
「報酬ねぇ」
興味なさそうにダンテが呟く。
「聞いたことねぇか?オレは報酬の額で動かないって」
はこくりと頷く。
「ええ。大金を積まれても受けない仕事もあるし、子供のお小遣いみたいな提示で動くこともあるって」
「今回はどっちだろうな?」
ニッと悪戯っぽく目を細めるダンテ。
「それは……」
は口を噤んだ。
既にほぼ一週間、依頼を受けてダンテは動いてくれているし、報告のために何度か会ってもいるわけだが、その間に報酬の話題を出したことなど一度もなかった。
それどころか、先程はどうでもいいような表情を見せた。
……が、だからと言ってあっさりと都合のいい方に取れる程、は能天気でもなければダンテのことを知っているわけでもない。
──わからない。
ダンテが、何を考えているのか。

「エボニーのメンテナンス」

俯いて言葉を喪失ったの頭に、ダンテがぽんと手を乗せた。
「え?」
驚きで顔を上げれば、ダンテは黒の大型拳銃をに示した。
「コイツをいじってくれれば、それでいい」
「でも、それじゃ」
抗議しようとしたに、ちちちと舌を鳴らす。
「安い報酬じゃない。コイツは簡単に組める銃じゃない、厄介なヤツだからな。しょっちゅうご機嫌ナナメになってんのは、も知ってんだろ?」
言われ、はエボニーと名付けられた拳銃に目を落とす。
ダンテがこの店に持って来たときから目を奪われていた、見事な銃。
──確かに、そこらの拳銃より遥かに繊細な設計と大胆な発想が必要になりそうだ。
「……いいわ」
は大きく頷いた。
「復讐を果たしたら、私はその銃のカスタマイズに全力を尽くす」
「Perfect!交渉成立。……は、もうしてたけどな」
ダンテはくるりとエボニーを回して背中のホルスターに納めた。
「あ。けど、それで少ないと思うなら、このおかわりも頼む」
空になったマグカップを持ち上げる。
はくすりと微笑んだ。
「少し待ってて。熱いの淹れ直すから」
「サンキュ。……さっきの話、さ」
キッチンへ立ったに、ダンテが声を投げる。
「さっきの?って、どの?」
やかんを火にかけ、顔だけダンテに振り返る。
「ここの居心地うんぬんの話」
「ああ、そのこと」
「選り好みの激しいオレが何度も通ってんだ、自信持てよ」
ダンテは冗談めかしてウインクまで送る。
「自信って」
思わず吹き出してしまい、はパッと口元を隠した。
「それ」
ダンテがの口元を指差す。
「いいな。いつもの憂い顔も嫌いじゃねぇけど、やっぱは笑ってんのが好きだ」
「な……」
一気にの頬が赤く熱を帯びた。
(おかしい)
普段なら軽口だと受け流せるのに──真に受けてしまう。
「どうせ、誰にでもそんなこと言ってるんでしょう?」
慌てて目を逸らして、そう言うのが精一杯。
それでも鼓動は焦るばかり。
「確かめるか?」
ダンテが隣りに立った。
「どう、やってよ?」
つんと言い切ったつもりの言葉も喉に引っ掛かる。
必死で目を逸らしていてもダンテの視線を頬に感じて、は身動きが取れなくなってしまった。

「四六時中、オレの傍にいればいい」

更なる追い打ち。
四六時中、ずっと──ダンテと。
そんなの簡単だ、前みたいにまるきり彼を無視していればいい。
前ならできた。
前なら。
あれからほんの少ししか経っていないのに、今はもう……

「……悪ぃ。おかわりはなしで。ごちそうさま」

不意にダンテが背を向けた。
その途端にの呪縛が解ける。
「……ダンテ?」
何が起こったか分からず、は足早に離れて行く背に呼び掛けた。
扉を開けて出て行く寸前、ダンテが立ち止まる。
「また来るよ」
覇気のない、彼らしからぬ声音。
そして似たような湿気た音を立てて扉が閉ざされる。
「……なに……?」
交わした会話のどれもを消化し切れない。
やかんが喧しい音で鳴り出して我に返るまで、はその場にぼんやり立ち尽くしていた。





扉の外。

「……おかわりしてたら、アウトだったな」

ストロベリーサンデーと共に、自分の想いが僅かにでも伝わっただろうか。
彼女は徐々に打ち解けてくれている。
の微笑は、クールに装った態度も見事にぶち壊してくれる。
武装が間に合わなくなっている。
だからと言って、半端に彼女を傷付けるようなことはしたくない。
せっかくの今の穏やかな状態のまま、もうしばらく──
「ったく」
情けない。
進みたいのに進むのが怖い。
溜め息で見上げた夜空には、ダンテを励ますようにちらちらと星が瞬いていた。