こつん。
普段なら気にも留めないくらいのちいさな違和感が爪先に当たった。
「ん?」
別に無視してもよかったのだが、何となく立ち止まる。
屈んでよくよく見てみれば、そこには銀色の輝き。
しかも、それはちゃんと──
「いいことありそうだな」
にっと笑って、ダンテはそれを拾い上げた。




Lucky Penny




行き着けのバーの扉を開けると、奥から店主が嫌そうな視線をこちらに投げた。
「すいません、まだ準備中で」
「長くは邪魔しないから、いいだろ?」
さっさと店に入ってカウンターに近付いてくる銀の髪の男。
その正体に気付くと、マスターはぱちぱちと瞬きした。
「ダンテじゃないか」
「よう」
結局許可を得ないまま、ダンテはカウンター席にどっかりと座った。
すわ無法者かと警戒していたマスターも、今はすっかり相好を崩している。
「ご無沙汰だったじゃないか」
「忙しくしてたしな」
「ビルドッグの件はお疲れ様、だったな。お陰でこの界隈は前より平和だぜ」
「どうせ別の犬が出て来るまでの平和だけどな」
「まあな。……そういや」
さらりと近況報告を済ませようとする相手に、店主はそうはさせるかとニヤリと唇の端を持ち上げる。
「噂は聞いてるぞ、主にちゃんとのな。店に来てなくても、話題提供には事欠かんな」
聞くなりダンテは照れ笑いのような、困惑のような……数種類の表情を浮かべた。
「あー。……どんな?」
ちゃんはお前さんにはもったいないって」
That's enough.ダンテはわしゃっと髪を乱してむっつり呟く。
「そんなことだろうと思ったよ」
「まあなあ。ちゃんはいい女だし、スラム街のオアシスみたいな存在だから、まだまだ敵は多いぞー」
「望むところさ」
不遜に笑んで見せる。
「オレ以上にあいつにぴったりな男がいたら教えてくれよ。勝負してやる」
椅子の上でそっくり返ってぽきりと指を鳴らすダンテに、マスターは仕方のない奴だと顔を振った。
「じゃあ、お似合いだって所を見せつけに来てくれよ」
「ん?ふたりで、ここへか?」
「ああ。ちゃんの分は奢るからさ」
「オレのは?」
「彼女の前だ、カッコつけて気前よく払いな」
「ちっ」
それ以上は言い返せず、ダンテはちらりと窓の外を見た。
ここに来た時よりもだいぶ日は傾いている。いい時間潰しになった。
今から出発すればちょうどいい頃合いだ。
席を立ち上がり、いつもの勘定の癖でポケットを探る。が、そういえば今日は代金を払う必要がない。
行き場を失った指は、ちょうど別の硬貨に触れた。
「そうだ。今日、こんなの拾ったんだぜ」
マスターに向けて、ダンテは爪でそれを弾いた。
テーブルの上を滑って手元に来たものを摘み上げ、マスターは首を傾げる。
「1セント?」
電話代にもならないコインだ。
ダンテはこくりと大きく頷いた。
「そう。今日いちばんの拾いもん」
マスターはまじまじと硬貨と上機嫌なダンテとを見比べた。
今日いちばんの拾い物。
それでようやく合点する。
「……ああ、そういうことか」
「そう」
「お前さん、迷信とか信じるタイプだったか?」
ダンテの口角がきゅっと上がった。
「たまにはな」
ちゃんに渡してやればどうだ」
「もちろん、そのつもりだよ」
当然だとばかりにコインをポケットに仕舞い込む。
「あの子にとっての『幸運』はお前さんにとっても幸運、か?」
「だな」
本当はマスターはからかうような意味を込めて上らせた発言だったのだが、目の前のダンテはあっさりきっぱり同意する。
──の幸運は、自分の幸福だ。





店の窓上に掛けられた看板。
そして扉に掲げられた『OPEN』サイン。
それが街中どこにでもある、ごくありふれた光景だと知っていても、ダンテは見上げて確かめて満足せずにはいられない。
's Gun Shop
ビルの件の後はしばらく店を整頓していたが、一ヶ月ほどでは仕事を再開した。
開店との看板に「本当か?」と惑いながらも店に入ってみれば、以前と同じ、いやそれよりも元気になったが作業台の前に居て「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。元々この家族の腕に惚れ込んでいた人々は、彼女の復帰を、何よりその笑顔を心から喜んだ。
もちろんダンテはその代表格だ。
が忙しくなった分、ふたりでのんびり過ごせる時間が減ったことだけは閉口するが、それはまた別の話だ。
重い扉を押し開いて中に入る。
「いらっしゃ……ダンテ!」
呼び鈴が鳴り、客を迎えに立ち上がったは、すぐに表情を変える。
かしこまったお上品な作り笑顔から、何も包み隠さない素顔に。
「もう。裏口から入ってって言ってるのに」
「ごめん」
咎めるような目にも、ダンテはあまり動じない。
見知らぬ客を招くよそゆきの顔から、自分だと気付いてホッと緊張をほどく、その瞬間のを見るのが好きなのだ。
もちろん裏口から入れてもらえる喜びも、既に何度も堪能している。
ダンテにとってはどちらも捨て難いのが悩みどころだ。
「ブルズアイから来たんだ」
作業台横、最近据えられたばかりの自分専用の椅子(これがないとダンテは作業台にひょいっと行儀悪く座ってしまうので、それでは仕事が出来ないが彼のために用意したのだ)に腰掛ける。
「まだ夕方なのに、もう飲んで来たの?」
は彼に呆れた視線を投げ、お茶を用意しようとキッチンに立った。
「いや。開店前だったから、酒は一滴も出してくれなかった」
「そう。マスターったらきっちりしてる」
店主の顔を思い浮かべて、はくすりと微笑む。
と、部屋の時計が七時を知らせた。
「お」
ダンテが待ってましたと立ち上がる。
「表に『CLOSED』出すぜ」
掛けられた声に、がひょこりとキッチンから顔を覗かせた。
「忘れてた。お願い」
店を閉めれば、もう誰にも邪魔されることはない。
彼女に頼まれる前に用意していた小さな看板を手に、ダンテは外に向かう。
かたん。ドアに看板を引っ掛ける。
薄い木材の頼りない見た目とは裏腹に、効果絶大な『魔除け』に、彼は腰に手を当て満足そうに頷いた。





中へ戻れば、もうはコーヒーを用意してくれていた。
その馥郁たる香りに誘われるように作業場を通り抜け、奥のリビングへ移動する。
──思えば、ここに躊躇なく入れるようになったのも、つい最近のことだ。
ダンテにしてみたらまだすこしだけ、落ち着かない。
通った期間が長い分、リビングよりも作業場の方が『の所に来ている』感じがする。
それもおかしな話だが、じきに居間にも馴染むだろう。
入口すぐの大きいソファではなくて、窓際の小振りなソファに腰掛ければ、がよく座る椅子が真正面になる。
それに気付いてからは、ダンテは快適さを犠牲にしても小さい方のソファを選んでいる。
「仕事、大変なのか?」
今日のはリビングでまで銃をいじっている。
妥協を許さない真剣な眼差しは、誰かの銃に注がれたまま。
彼女がここにまで仕事を持ち込むのはあまりない。
「うーん。そうでもないんだけど、これだけは早めに片付けておきたくて」
何気なく返事し……銃のバレル越しに、はダンテを見た。
「せっかく来てくれてるのに、ごめんなさい」
すぐに手元に目を戻す。
その頬がほんのりと赤く染まった。
「いや」
照れている彼女が可愛らしくて、ダンテはそっと笑う。
「そうやって銃をいじってる姿も悪くないぜ?」
の手がぴたりと止まった。
「……見ないで」
「何で」
「なんで、って……それは……」
──わかってるくせに。
は溜め息をつくと、銃をテーブルに置いた。
これではもう仕事にならない。半端な作業をして暴発事故でも招いてしまったらと考えるだけで心が冷える。
丁寧に布で銃を包む店仕舞いの様相に、ダンテは首を傾げた。
「続き、しねぇのか?」
「見られてたら出来なくなったのよ」
「ふーん」
くすりと楽しそうに目元を和ませると、ダンテはをじっと見つめる。
「仕事が終わったんなら、次はオレの番」
から視線を離さないまま、ポケットをごそごそ探る。
「……なに?」
彼の悪戯っ子のようなその仕草から何が飛び出すのかと、も自然と身を乗り出した。
ポケットの中、ダンテの人差し指がそれを探し当てる。
薄っぺらい銀色の、1セント硬貨。
「ほら」
ちょうどさっきもそうやったように、テーブルの上に乗せた硬貨を彼女の方へぴんと爪弾く。
が、力の加減に失敗し、強く弾き過ぎた硬貨は卓の角からぽとりと零れる。
「あ」
が手を差し出すも間に合わず、硬貨はきらきらと下へ落ちてしまった。
「やだ、どうしよう」
すぐには椅子から下りて、床を探した。
そのひどく慌てた様子に、ダンテもすこしだけ腰を浮かせる。
「そんな凄いもんでもねぇから」
「でも」
周りを見回し、は悲しそうに眉を寄せた。
そう遠くに飛んだはずはないのに、簡単には見つからない。
「どこ行っちゃったのかな」
「テーブルの下は?」
「そうかも」
椅子の足元ばかり探していたので、まだ見ていない。
は床に膝をついてテーブルの下にごそごそと潜った。
広い卓の下は薄暗く、慣れない目には物がよく見えない。
おまけにこのアンティーク家具は脚や台の裏の装飾も細かく、注意していないとあちこちに服や髪を引っ掛けたりぶつけたりしてしまいそうだ。
「うーん……」
「どうだ?」
上から降るダンテの声も何だか遠くに聞こえる。
「ない……あれ?」
の視界の奥に、ちらりと光るものが映った。
「……これは!」
「あったか〜?」
「ううん、失くしたと思ってたビスを見つけたの!これ旧型だから、発注しようにも大変なのよ!」
うきうきしたの声に、ついに硬貨を見つけたとばかり思っていたダンテはそっと苦笑した。
「それで、本来の探し物は?お嬢さん」
「あ……」
思わぬ見つけ物に我を忘れてしまった。ちょっとだけばつが悪い。
「ほんと、どこに飛んだのかな」
「オレも手伝うか?」
「待って、もうちょっと……」
もう一度後ろをよく探してみようと、くるりと方向転換をしたとき。
「痛っ!!」
角に盛大に頭をぶつけてしまった。
「大丈夫か!?」
テーブルの上にまで、ごんと響いた痛そうな音。
悠長に座っていられなくなったダンテもテーブルの下に潜る。
薄暗く狭い空間の中、は痛そうに額を押さえて身を屈めていた。
ダンテはそちらへするする進む。
「今すげぇ派手な音がしたぞ」
「ぶつけたの……。たんこぶ出来たかも」
「どこだ?」
「ここ」
が額から手を外して指差す。
そこへ何気なく指を伸ばし……ダンテは動きを止めた。
暗がりで彼の目を引くものは、たんこぶなわけがなく──の潤んで輝く瞳と、艶めく唇。 思わずごくりと誘われるように、ダンテは彼女の額ではなく顎に手を触れた。
「ダンテ?……っ」
突然迫って来たダンテから逃げる時間も空間もないまま、はそのままキスを受けた。
何度も何度も、離れてはすぐに重なる唇。
ダンテは角度を深さを変えてはたっぷりと、とのキスを味わった。
当初の目的はどこへやら、もうすこし、あとちょっとだけ、とどんどん時間は長引いていき……
「ふ、っう、もうっ……ダンテ!」
の息が上がって、もう本当に限界の寸前で、ようやくダンテは彼女を解放した。
「も、いくらなんでも、長すぎてっ……」
胸を押さえ、目にはうっすらと涙さえ浮かべている彼女に、ダンテはさすがに罪悪感を抱いた。
「悪い、つい」
謝ってはいるが、同じチャンスに出くわしたら同じことを繰り返すに違いないのだが。
下から窺うようにそうっとを覗き込む。
「でも、たんこぶの痛みは忘れただろ?」
はすこしだけ唇を尖らせて、少々大袈裟な仕草で額に両手を当てた。
「そんなので誤魔化されないんだから」
「そうか。じゃ、もう一回するから誤魔化されてくれよ」
「ダンテ」
隙あらばと楽しそうに自分を見つめてくる空色の瞳から視線を逃がした先──は言葉を飲み込んだ。
飛び込んで来た、弱々しい銀色の光。
「あった!」
「何がだ?」
すっかり探し物の存在を忘れているダンテを押しのけるようにして、それを拾う。
の指で摘ままれたそれを見て、やっとダンテがああと笑った。
「無事に見つかったな」
「……1セント?」
裏に表に引っくり返してみるが、特に何かの記念デザインなどではない。
ごく普通の1セント硬貨だ。
どうしてこれが贈られたのか分からず、首を傾げる。
考え込んでしまったの頭に手を乗せ(もちろん、出来たてのこぶには触れないように優しく)ダンテはゆっくりと顔を近づけた。
「オレには効果ばつぐんだったぜ?『Lucky Penny』」
「あ……」
ラッキーペニー。外出先でその日初めて拾った1セント硬貨は、幸運をもたらしてくれると言う。
ただ、硬貨が落ちていればいいというものでもなくて、厳密にはもうひとつ条件がある。
「……ちゃんと、リンカーンが表だった?」
「もちろん、ヘッズだったぜ」
おおきく頷いたダンテに、もにっこり笑顔を返した。
「本当にうれしい。これ、ペンダントに加工してもいい?」
確かめるようにペニーを胸元に当てている彼女に、ダンテは満更でもなさそうに目を細めた。
思っていたよりも大事になってしまったが……それだけ喜んでくれたということ。
1セントで支払った分にしては、とてつもない価値の買い物だ。
「オレ達の『テーブルの下でキス記念』か?」
「もう、冗談ばっかり!」
尽きないダンテの軽口に、もついつい吹き出してしまう。
彼が想いを込めてプレゼントしてくれたなら、1セント硬貨すらも輝きを変える。
「……ありがとう、ダンテ……」
「どういたしまして」
いまだにテーブルの下、狭いスペースに精一杯腕を広げて、ダンテはおどけてみせる。
広げられたまま閉じられそうにない腕に、どうしようかと数呼吸分だけ悩んで……はダンテに寄り添った。
すぐにふわりと抱き締められる。
「こんなに喜んでもらえるとは思わなかったよ」
「だって、ダンテが初めてくれたプレゼントじゃない」
「……あー。金欠でごめん」
「そんなの関係ないったら」
とすっとダンテの胸を拳で叩いておいて、はぎゅっと頬を胸に預ける。
「ダンテの気持ちがいちばんうれしい……」
「オレもとこうしていられて、最高の気分」
……結局ふたりはそのまま長い間抱き合って……ここがテーブルの下だということを思い出したのは、ダンテの背中が無理な体勢に悲鳴を上げる頃になってからだった。





ブルズアイ開店前にダンテがやって来てから、一週間ほど後のこと。
そのダンテとがふたりで仲良く店に現れた。
気分よくふたりを迎えたマスターは、の首から小振りなコインのペンダントが下げられているのを発見し……張り切って二人分のストロベリーサンデーを用意した。
『しあわせそうな様子を見せつけてくれてご馳走様』と、ダンテの分も、お代はなしで。







→ afterword

10万打お礼ふたつめです。
ちょっとマニアックなヒロインと、見守ってるんだけど見てるだけじゃ済まないダンテでした。

お話に使った『ラッキーペニー』ですが…硬貨を加工してもいいのって、何だか素敵じゃないですか?
(日本では違法…まあ、1円玉をペンダントにしてもアレな感じですが;)
1セントなんて使わないからなくそう!なんて動きもあるみたいですが、そうなるとちょっと悲しいです。
外国の硬貨が素敵に見えるのは、普段使わないし見慣れないからでしょうか?

ダンテのプレゼント、お気に召して下さったなら幸いです。
ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!
2009.2.19