予定時刻よりもだいぶ遅くなってしまったが、が無事に到着して四人はしばし再会を喜びあった。
近況報告に今日の出来事──その和やかな雰囲気の色を変えたのは、ダンテのお腹の音だった。
「腹減った……」
「ごめん!そうだよね」
が慌ててソファから飛び上がる。
今日は盛大なディナーを用意するつもりだったのだ。しかし、のことがあって、用意は全く手つかずで……
もお腹空いてるよね?どうしよう、何も用意できてないの」
は気にしないで、とにこにこ首を振った。
「この前のスポーツバーは?また試合観ながらご飯食べたいなって思ってたんだ。そろそろバスケも始まるんでしょ?」
「残念ながら、NBAはスト中なんだ」
ダンテの声のトーンが下がる。
「けど、ま、アメフトあるしな。は興味ねぇかもだけど、盛り上がってるぜ。行くか?」
「待て」
それまでじっと会話を聞いていたバージルが片手を挙げた。を見る。
視線を受けて、が首を傾げた。
「どこか他にいいレストランとかあるの?」
「いや。だが、夕食の材料はあるだろう」
「あるよ。たくさん」
「肉は?」
「もちろんあるよ。魚も野菜もね」
「ならば」
目元で薄く笑んだバージルに、もぴんと来た。彼が何を言わんとしているか。
みんなで用意しながらの楽しい食事。
「バーベキューだ!」



隣の家から譲り受けたときは、ガレージの肥やしになるだけでまさか本当に使う日が来ることになるとは思ってもいなかった。
ちょっと埃を被っているバーベキューグリルを指差し、バージルはそれをダンテに運ぶように指示を飛ばした。
「それがグリル本体だ。あと、金網も必要だな」
重たそうな器具に、がはらはらと見守る。
「気をつけて運んでね」
「おー」
に手を振ってみせ、ダンテは軽々とグリルを持ち上げた。蓋つきの上に特大サイズのグリルは、本来は大人の男性2人でうんうん唸りつつ運べるかどうかの代物だ。
どすんと置いて、ぱちぱちと手の埃を払う。
「ここでいいかー?」
「ああ」
鷹揚に頷き、後からバージルも細々とした道具を運び出した。
それらにちらりと目を落とし、ダンテがぼそりと呟いた。
「……あんたの方が楽してるよな」
「お前にランタンや炭の場所が分かるのか?」
「そりゃそうだけどさ」
必要な物を全て庭に持ち出すと、いよいよグリルの準備だ。
ずっしり重い金属の脚をグリルに取りつけ、立たせる。炭をセットし火をつけ、具合を確かめる。
(バーベキューなんて言い出した時は、どんだけ時間かかるんだと思ったんだけどな)
バージルの手際の良さに、ダンテは内心舌を巻いた。
「普段からとバーベキューしてんのか?」
バージルは呆れたようにダンテを見た。
「まさか。こんな大がかりな食事を二人の時にすると思うのか?」
もちろんはこのグリルを譲り受けたとき、喉元まで「バーベキューしたい!」と出掛かっていたようだったが、バージルが口に出して諭すまでもなく、この大人数用グリルを使った大掛かりなバーベキューは、参加人数たった二人では少し寂しい。
やはり大人数——といっても今でも四人しかいないが——で、わいわいと楽しみたいものだ。
「ま、そりゃそうだよな」
ダンテは納得して頷いた。
だがそれにしても、バージルのこの段取りは。
(実はグリル使いたくて仕方なかったんじゃねぇのか?)
口に出したら斬られそうなので、ダンテは口を噤んでおいた。



バージルがグリルの火加減を構っている間、ダンテはひたすら力仕事に明け暮れていた。アウトドアテーブルを庭に出し、チェアを並べ。
「こんなもんか?」
きちんと椅子を揃え、ぐるりと見回す。……と。
足元にさわりと何かが触れた。
「ん?」
下に目をやれば、
「わん!」
ぬいぐるみのように大きな犬が、ダンテの足にまとわりついていた。
「犬?こんなでっかいの、どこから……」
「シーザーだ」
火を入れたランタンをテーブル上に、虫除けを下に置きながら、バージルが溜め息をついた。
「わう!」
シーザーと呼ばれた犬は、今度はバージルに挨拶する。
「ようシーザー。で、こいつはあんたのトモダチ?」
犬とバージルというあまり見ない取り合わせだが、犬はそこそこバージルに懐いているように見え、ダンテは喉奥で笑いを堪えた。
バージルはむっつりと唇を結ぶ。
「隣の犬でな。……お前、また首輪抜けして来たのか」
しゃがんで首の辺りを撫でてやりながら、バージルはお隣に目をやる。
シーザーは名脱走犯だ。が芝生のスプリンクラーを入れると、十回のうち八回は自力で首輪抜けして水浴びにやって来る。更にそのうちの一回ほどは、バージルがシーザーを捕まえ損なって一緒にずぶ濡れになる。
「今日は肉の匂いにつられて来たのか?」
やがてシーザーの吠え声に気付いたのか、飼い主のマーガレット夫人がこちらにやって来た。
「こんばんは!いい夜ね」
ひらひらと手を振る。その手にはシーザーの首輪。
「またうちのがお邪魔しているみたいで。迷惑かけなかったかしら」
「いや。こちらも騒いでいたから、シーザーも気になったんだろう」
「“騒いで”?」
いつも静かにひっそり暮らす隣人の言葉が珍しかったのか、マーガレットは面白そうにバージルの後ろを背伸びで覗き込んだ。
「……あら!」
普段は整然と手入れされただだっ広い芝生の上、何故か見覚えのあるアウトドアグッズが点在している。それもそのはず、どかりと置かれたグリルはそもそも彼女の家族が使っていたものなのだ。
「バーベキューするのね!」
「遅い時間ですまないが」
「全然!ウチの子供たちに比べたら、バーベキューしてたってあなたたちの方が静かよ」
それはそうだな、とはバージルは言わなかった。
「楽しんでちょうだい。うちもバーベキューしたくなっちゃったわ。来週あたり、しようかしら」
招待するから遊びに来てね絶対よとマシンガントークで喋った後、マーガレットはようやく自分がこの家へ何をしに来たのか思い出した。
「さ、シーザー!帰るわよ!」
首輪を犬にびしぃっと向け、それから夫人はぎょっとした。自分の犬をわしゃわしゃ撫でて遊んでくれている人物は、あまりにも──。
素早く顔を巡らせて、バージルを見る。
「バージルさん?あの人は……」
彼女が何に驚いたか気付き、バージルは億劫そうに頷いた。
「あれは俺の双子の弟だ」
「ああ!どうりでそっくりなのね!」
こちらの会話を聞いていたのか、ダンテとシーザーも元気よく走ってやって来た。
「どうも。オレの名前はダンテ。ここには最近ちょいちょい遊びに来てるけど、うちのお兄ちゃんはどうにも秘密主義でね」
初めましてと気さくに笑うダンテと、無表情で腕を組んでいるバージルを交互に見、夫人は口に手を当てた。
「……あなたたち、似てないのねぇ……」



「似てないって言われたぁ?」
「それも大真面目にな」
ダンテの報告に、が吹き出した。
「一瞬で見抜くなんて凄いじゃない」
「マーガレットさんは大物だと思う」
金串に野菜を通しながら、も応じた。
食材を切れば準備完了、あとはみんなで焼くだけというのがバーベキューのいいところ。大量の野菜も肉も女子二人によって下拵えされて、あとは火を通される時を待っていた。
火の番のバージルが食材を見分する。グリルの火も点けたての頃からだいぶ落ち着いて、これなら食材が一瞬で黒焦げになるような事態は起こらないだろう。
「この肉は?」
「塩ダレ用です」
サーイエッサーと付け加えたくなる衝動を堪え、が答えた。バージルは鍋奉行ならぬ焼肉奉行らしい。
「もちろん、テリヤキソースもあるからね!」
ダンテには違う皿を見せる。
「おお、いいね」
ビール片手にダンテは椅子ですっかり寛いでいる。
「お前も焼け」
バージルがトングをダンテに向けた。
ダンテはごくんとビールを煽って首を振る。
「どうせ網の使い方でブーブー文句言われるからやめておく」
「右は塩で左はテリヤキと分けてあるだけだろうが」
「え!右に野菜乗せちゃったよ」
がぎくりと肩を震わせた。
「……野菜はどちらも必要だからいい」
お許しが出て一安心、はとうもろこしを転がした。
「醤油とバターが欲しいね!」
隣でがくんくん鼻を利かせる。
「それ最高!待ってて、持って来る」
言うが早いか、はトングをに押し付けて家に駆け出した。
ぴゅーっと駆け出した背中を見送り、バージルが溜め息をつく。
「もう何でも有りだな……」
「火が通ってりゃ適当でいいんだよ、バーベキューなんざ」
空いたの横にここぞとばかりに滑り込み、ダンテはぽいぽいと肉を網へ投下した。
たちまちジュウッと肉の焼けるいい音が弾け、食欲をそそる匂いが立ち上る。
「旨そう」
「ねー。……あ、これ、そろそろいいんじゃない?」
がトングで肉を返し、もうひと焼きしてから摘まみ上げた。肉汁が網に滴り、爆ぜるその音が更にダンテの空っぽの胃に訴えかける。
「ん」
ダンテがに催促の顔を向けた。
「客より先に食べる奴がいるか」
バージルが呆れて箸をに手渡した。うっかりそのままトングでダンテに肉をあげようとしていたが、慌てて箸と小皿を受け取る。
「はい、どうぞ」
小皿を経由した肉をから『あーん』で貰おうとし……ダンテは口を閉じた。思い直す。
「やっぱやめた」
「どうして?」
から皿と箸を取る。まだ慣れなくて使いにくい箸で何とか肉を拾い上げる。
「レディファースト」
「でも」
「頼むから、肉落とす前に食ってくれ」
ダンテの言葉通り、ぷるぷる危いバランスで箸に引っ掛かっている肉を、
「……じゃあ。いただきます」
はぱくりと口に迎えた。
「どうだ?旨い?」
「ん!おいひい」
熱々の肉にちょっと涙目になりながらも、は何度も頷いた。
口の中の火事が落ち着いたところで、ダンテにもお裾分けを取る。
「はい、ダンテ」
「……何でパプリカなんだよ?」
「どうせお肉ばっかり食べて野菜食べないから」
「ちぇ」
不平を零しつつも、ダンテは実に幸せそうにから赤い野菜を食べさせてもらった。
「ぅあちっ!」
「だ、大丈夫?」
「子供か、お前は」
一人で黙々と食材に火を通していたバージルは、凍てついた眼差しでペットボトルの水をダンテに投げる。
凄まじい速度で飛んで来た水を、「いちゃついてんのが羨ましいんだな」とダンテは粛々と受け取った。
そこへが新たな食材を抱えて戻って来た。
「わー、始まってるね。味はどう?バージルも食べれば?みんないい感じに火が通ってるみたいだし」
小皿を渡され、バージルはに何か言いかけてやめた。自分で箸を取る。と、は醤油とバターの他に色々と持って来ていることに気付いた。
「……それは今焼くと言わないだろうな?」
「もちろん。だってこのグリルじゃ匂い移っちゃうから焼けないでしょ?」
バージルに向けて、がさごそとそのビニールの袋を振ってみせる。
「全く……」
の意図を理解したバージルは、ひとり再びガレージに歩いて行った。



食事が進むにつれ、ピットマスターことバージルの努力も虚しく、金網の上にはいろいろな味が混在して焼かれるようになっていった。
が、ダンテが言った通り『火が通っていれば問題ない』わけで、誰も塩ダレ味テリヤキ風味について批評めいたことは口にしなかった。
仲間とあれこれ気ままに喋りながら肉を焼き、アルコールと共に楽しむバーベキューが美味しくないわけがない。
用意した肉も野菜もあらかたお腹に収め、四人は放射状に並べたビーチチェアに座って食休みをしていた。チェアの柄やサイズがてんでばらばらなのは、これらもお隣から譲り受けた品物だからである。
辺りはしんと静かで、時折思い出したようにグリルの火が爆ぜる音くらいしか四人を邪魔することはない。
空も星の数を数えられる程こっくりと暗い。明かりとなるものは、エントランスまで点々と続く足元のガーデンライトとテーブル上のランタンの揺れる灯火、そして四人の中央に用意された携帯コンロの静かな炎だけだ。
「これ、何に使うの?」
明かり取りのためではないらしい丸いコンロに、が身を乗り出した。
気温がもう少し下がれば暖も取れようが、手のひらを翳して暖かさにうっとりするにはまだ季節が早すぎる。
「それはね」
もわくわくと身体を起こした。
、もうデザートいける?」
「デザート?」
返答を待つよりも先に、は長めの金串をに持たせた。
「また何か焼くの?」
「だそうだ」
平坦な口調のバージルが、先程の袋の口を開いてに差し出した。
中に入っているのは白と茶色、二色のふわふわなお菓子。
「マシュマロ?」
「やっぱり締めは焼きマシュマロでしょう!」
バージルにわざわざ小さいコンロを用意してもらったのも、このため。
マシュマロは、軽く炙ると外はサクサク、中はとろーり甘くと食感が変わって美味しいのだ。
……ただし。
「わ!わ!火が!!」
火が燃え移ったマシュマロに、はあわあわと串を振った。
焼きマシュマロは、とにかく火加減が難しい。
「あーぁ」
笑いながら、ダンテが横からそれを奪う。ぶんぶん強く振って火を消すと、マシュマロはまさに消し炭になっていた。
「ま、食えないこともな……あっちぃ!」
いったい今日何度目の火傷か。ダンテは勢いよく水を飲んで舌をなだめた。
「これ、焦げやすいから結構難しいんだよね」
余所見をしていたのマシュマロも、
「おまえのも失敗だな」
「あぁー!」
火から出来るだけ遠ざけていたため引火こそしなかったものの、見事に側面が真っ黒である。
「こういうの、バージル向きだよね」
「一気に焼こうとするから燃えてしまうんだ」
新しく串にマシュマロを挿し、バージルはそれを丁寧にゆっくり回して火にかざした。確かに時間はかかるが、お菓子の白い肌は徐々にキャラメル色に色づいていく。この調子なら新しく苦いマシュマロを作ってしまうことはなさそうだった。
「……だそうです」
完璧なお手本を見せられ、は項垂れたままマシュマロの袋をに渡した。
「こんな感じ?」
は真剣に串を回している。
「今日いちばんマジな顔してる」
ダンテが横から頬杖をついての顔を覗き込んだ。その頬にかかる髪を指で耳にかけてやる。更にが身動きできないのをいいことに、肩を抱き寄せる。
「可愛いな、おまえ……」
「こ、こんなときにからかわないで。……ほらー!」
手元不如意になってしまったせいで、せっかく途中までは順調に焼けていたマシュマロが、一気にぶつぶつ真っ黒になってしまった。
「悪い」
大して悪いと思っていないダンテが、今度は串を持った。
「こんなもん、要は眠くなりそうなくらいゆっくり回しゃいいんだろ?」
一個目は既にに渡し、今は二個目に取り掛かっているバージルを観察しつつ、見よう見まねでダンテもマシュマロを焼いていく。
「うん、その調子!」
もどきどきとコンロを見つめた。
「そろそろいいんじゃない?」
「……ん」
簡単だと言いたそうな口振りの裏、実は結構慎重になっていたダンテが、そうっと壊れ物を引き上げるように串を火から下ろした。
360度どこから見ても、均一な茶色に上手に焼けたマシュマロ。
「できた!」
「完璧だろ」
どんなもんだと胸を逸らし、ダンテはマシュマロをにプレゼントした。
「どうぞ、darling」
「じゃあ……いただきます」
炎の照り返しばかりでなく頬を染め、はダンテから串を受け取った。本当にマシュマロは綺麗に焼けている。
ふうふう冷まし、せっかくダンテが焼いてくれたのにちょっともったいないなと思いつつも、ひとくち齧る。甘い香りがふんわり解けた。
「……うまい?」
すこし心配そうにダンテがを覗き込んで来る。
「……。」
もぐもぐと口の中が落ち着くまで待ってから、はダンテにマシュマロを向けて笑った。
「すっごく甘い!」
とろけてしまいそうなほど美味しい。
「そうか」
ダンテがホッとしたように肩の力を抜いた。
「自分で焼くより美味しいんだよねー」
に同意した。隣のバージルは、そんな彼女のためにただ黙々と手元に集中するのみ。
「喜んでもらえて何より」
恋人の極上の笑顔を引き出せたことに満足し、ダンテもの残りの焼きマシュマロを貰って頬張った。
舌にとろりと溶け出すお菓子は、火傷のことも忘れるくらいに甘かった。