ペンギンプールは、さすがに客がよく集まっていた。
それでも大人が餌付けに参戦できるのは、平日だけの特権だろう。
飼育員からアジが入った小さいバケツを受け取り、は大はしゃぎで柵の前に陣取っていた。目の前には触れそうな近さでペンギンが歩いている。
「あー、可愛い!」
数十羽のペンギンは、思い思いに泳いだり陸に上がったり。
「何か、こいつらも食欲なさそうだな」
食事時間なのにあまりアグレッシブでないのは、換毛期であるためらしい。
茶色くふわふわした毛を所々に残し、ぱたぱた歩く姿は本当に愛らしい。
「残すなよー」
ダンテはアジを一尾摘み、ちらりと食べたそうな視線を送り——いやいやそれはさすがに、とひょいっとプールに投げた。アジが水面に届く寸前、ペンギンは意外な速さで泳いでやってきた。觜をぱくりと開いて餌を丸呑みする。
「お、ちゃんと食ったな」
が放ったアジも、着水することなく別のペンギンのお腹に収まった。どのペンギンも、泳ぎは俊敏だ。
「水の中と陸の上じゃ、別の生き物みたいだね」
「ぼてっと丸っちい姿してるくせに、どうやったらあんなスピードが出るんだろうな」
喋りながらも、どんどんアジを投げ込む。あっという間にバケツは空っぽになった。楽しい時間は一瞬だ。
「あー、鱗がついて指パサパサ」
が手を振ってみせる。ダンテがふと気付いての手を見つめた。
「そういや、、魚を素手で触って平気なんだな」
さっき横にいたカップルの女性の方はアジに触れなくてぎゃあぎゃあ騒いでいたのを思い出したのだ。
「うん、平気」
は軽やかに笑った。
「うちは祖父が魚屋さんでね。あ、今はもうお店畳んじゃったけど」
「へえ。初めて聞いたな、それ。だから大丈夫なのか」
「そう。でも、魚は触れるけど、捌くまでは残念ながら無理なんだ。おじいちゃんにはよく呆れられてる」
感心するダンテに、気恥ずかしそうには顔を伏せた。
そんなのくるくる変化する表情を楽しみながら、ダンテは感慨深そうに何度も頷いた。
「やっぱ、とは色々違うんだな」
「……え?」
今度はがダンテを見た。
「いや、前にが七面鳥料理に挑戦して、ちょっと手伝ったことあってさ。あの時の様子だと、は魚だめそうだなって思ったんだ」
「ふうん」
の料理の手伝い。
はすいっと前に顔を戻した。
「ダンテ、の手伝いしてるんだ」
そりゃあ自分が日本にいるとき、ダンテはバージルの家にちょこちょこ顔を出しているみたいだし、手伝いの機会もあるだろう。
……だが……、やはり何となく面白くない。
「楽しそうだね」
「あ、違うって」
の声の変化に、ダンテは慌てて頭を振った。
「何が違うの」
「あれはに会う前の事だぜ」
「ふうん。にちょっかい出してたってバージルさんもよく言ってるもんね」
「いや、だからちょっかいはもうとっくに」
「ダンテ優しいもんね。いいと思うよ、別に」

「おみやげ買いに行こ」
抑揚のない声音のまま、はつつっと歩き出す。その素早さはさっきのペンギンのようだ。
(不味いこと言っちまったな……)
ダンテは取り戻せない話題にがしがしと頭を掻いた。
がどうして機嫌を損ねたのか分かる。そしてそれはダンテには甘く響く。……けれど、の焼きもちを味わうよりも、彼女にはやはりいつもにこにこと自分の傍で楽しそうにしていて欲しい。

ダンテは手加減せずに、薄い肩に手を掛けた。重みにがぐらりとよろめき、否応なしに足が止まる。
「ちょっと、危ない」
怒ったの頭に、ダンテは頬をくっつけた。
「……もう手伝うのはおまえだけにしとくから」
むにゃむにゃ聞き取りにくいものの、ダンテの言葉はの頭にじかに届いた。
(そんな声ずるい)
とげとげも何処かへ消え去ってしまう。
「それはありがと」
はぐるりと巻きつけられたダンテの腕をぽんぽん叩いた。
「でもが本当に何か困ってたら、手伝ってあげて」
ダンテが身体を離し、の正面に回り込んだ。
「……おまえ……」
瞬きひとつせずにを見つめる。長い、長いこと。
「凄ぇいい女だな……」
「……それはありがと」
熱い眼差し——相当頑張ったものの、結局耐えられなくなってが先に目を逸らした。
「さ、次はおみやげ!」
ダンテの手を繋いで引っ張る。
「いっぱい買うから覚悟しといて」
何か欲しい物があるというよりは、気恥ずかしさから言葉を連ねているだけという感じの。ダンテも手をしっかり握り返した。
「いいのあるといいな」
のためなら荷物持ちも楽なもんだと思いつつ、彼女の指を弄ぶ。……と。
「あ」
「あ」
触れた感触に、ふたり同時に足を留めた。
お互い、アジに触ったせいでパサパサなままの指先。
「先に手洗いだな」
「うん」
「このままだとペンギンに食いつかれちまいそうだもんな」
「それは困るね」
妙な気まずさがリセットされて、ふたりはいつも通りの距離でくっついた。



スーベニアショップでは、は日本人らしさを遺憾無く発揮してダンテを驚かせた。
と自分にはペンギンのストラップ、バージルには和名アオウミガメのペーパーウェイト──はダンテにもアカウミガメを勧めたのだが、本人が「絶対に使わない」と遠慮した──を購入、日本で待つ家族と友達にはポストカードとガイドブックを選び、満足げにお店を後にした。
「袋ばっか貰ってどうすんだ?」
自然と荷物持ちになっているダンテが、ずしりと重いおみやげを覗き込む。は店員に一言お願いし、空の袋をたくさん入れてもらっていた。
思ってもみない質問に、はきょとんと目を丸くする。
「え?だって、友達に渡すときに使うでしょ?お店の名前入ってるから、袋だって記念になるし」
「そういうもんか」
おみやげの受け渡しをあまりしないダンテにはピンと来ないが、まあそういうものなのだろう。
「ところで……」
ダンテはもう本当にくっついてしまいそうなお腹をさすってみせた。がぷっと吹き出す。
「そうだよね、お待たせしました」
水族館に着いたときから空腹をほのめかしていたダンテを、ここまで連れ回してしまっていた。
ふたりレストランの階に向けて歩き出したところで、ぴんぽんぱんぽーん。館内放送が始まった。
『ただいまの時刻より、別館ドルフィンワールドにて、イルカショーが始まります……』
ぴたり、との足が止まる。二歩ばかり遅れてダンテも立ち止まった。
「ダンテサン、あのね……」
上目遣いのに、ダンテはげっそりと先程のおみやげ屋を指差した。
「もうあそこのジャンクな食い物でいいから、買って持って行こうぜ……」



水族館でたっぷり遊んだおかげで携帯のエクササイズアプリに二万歩も歩いた記録を残し、ふたりが家に戻ったのは夜8時すぎのこと。
遅いから心配したと言うたちにおみやげを渡すと、は喜んですぐにストラップを付けてくれたが、バージルはペーパーウェイトに微妙な面持ちをしていた。
温め直してもらった食事もダンテとふたりで楽しみ(実のところ、あのおみやげ屋で買った2ドル99セントのアイスクリームサンデーとフローズンショートケーキは、その安さに見合った人工的な甘さで、のみならずダンテの胃にも長い時間残ったままだった)──そうして、よく遊んだ一日が終わった。





ぴぴぴぴぴ。
セットした目覚まし時計が、控え目に鳴り始めた。
「うう……」
それがクレッシェンドの金切り声になる前に、気だるい手を伸ばして何とか止める。
時計が示すのは朝としてはさして早くもない8時。
さっき枕に頭を乗せたばかりの気分なに、窓の外は眩しすぎる程の光に満ちている。
「ねむい……」
は大きく欠伸した。
目がちっとも開いてくれないが、朝ご飯のことでに気を遣わせるのは悪い。朝の早いあの二人は、きっともう食事を済ませてコーヒーでも楽しんでいる頃だろう。
「まだ寝てようぜ……」
隣で、起きようという努力の欠片も見せずにダンテがシーツの海に沈んでいった。も道連れにしようと、腕をがっしり回したままだ。
「うーん……」
ダンテの申し出は抵抗しがたいが、ぼんやり重い目蓋をごしごし擦る。
時差と緊張のマジックも切れたのか、単に遊び過ぎただけなのか、さすがに疲れから体力は全快していない。そもそもダンテとひとつのベッドで眠っている時点で回復は難しい。
この家に泊まるといつもそうなのだが──ダンテにも勿論、部屋は別に用意されている。が、バージルとの前で建前上の「オヤスミ」を言った後、結局ダンテはの部屋にやってきて夜を過ごすのだ。
別にには問題ではない。ダンテとはなかなか会えないのだから、できるだけ長い時間を一緒に、できるだけぴったり甘えてくっついていたい。
だから問題はではなく、
(ダンテのお忍び、絶対あの二人にはばれてる)
そう考えると恥ずかしさで顔から火が出そうになる。
が、ダンテがそうせざるを得ないのは、自分がの家に泊まりたいと言っているからだ。
(それも……もう、どうなんだろう)
は昨日の朝のことを思い出した。
(今までも結構、邪魔してたんだろうな)
初めてこちらに来たときは当然のようにここに泊まった。そしてそのまま今に至るわけだが——
は気の置けない親友だし、一緒にいられるのは嬉しい。けれど、そのはもう高校生のではない。新しい、バージルとの生活があるのだ。昨日のように二人の仲を邪魔したくはない。
それに、自身だって誰にも気兼ねすることなくダンテとふたりきりで過ごしたい。
例えばこのまま二度寝して、外がいいかげん眩しくなってから起き出して、よく寝たねと笑いながら、適当に冷蔵庫の中のアイスをパイントのまま一緒にスプーンで食べるとか。
「ね、ダンテ」
は恋人を揺すってみた。
「……んー……」
ダンテからは遥か遠く、掠れた声しか返って来ない。
それがかえってチャンスのように思えた。ダンテの意識がぼんやりしているときだからこそ。
「私、今日からダンテの家に泊まる」
「……。」
「もちろん、お邪魔じゃないのならだけど……」
「あの二人が邪魔なんだよ」
「わっ」
起きたの、と問う間もなくダンテの手が伸びてを捕まえた。
「これ、現実か?」
寝惚けてるんじゃねぇよなとダンテは呟く。彼の目はまだベッドの外の明るさにしぱしぱと瞬かれたままだ。
はちいさく頷いた。
「たぶん、夢じゃないよ」
「……よし!起きようぜ!」
言うが早いか、ダンテががばっとごと身体を起こす。
「わ!な、何でそんな急に」
「眠気なんて吹っ飛んだ」
確かにダンテの声はさっきの虫のようなか細さはどこへやら、すっかりいつものように張りがある。
やっと朝に慣れてしっかり開かれた目で、ダンテはを鼻先が触れそうな距離からじいっと見つめた。
「……本当にうちへ来るんだよな?」
「……うん」
額どうしがこつんと当たる。
「よし。」
やっと、これは夢ではないと納得したらしい。
「今日は寝起き最高だ」
うーんと思いっきり伸びをする。ダンテの膝に乗ったままのもつられて伸びをした。
「私はまだ眠いんだけど」
ダンテの寝癖の髪をちょっと引っ張る。
「オレのせいだけど謝らない」
遅ればせながら「おはよう」のキスをして、ダンテは後ろの窓のカーテンを端へ押しやった。途端に、燦々と光が降り注ぐ。
今日もデート日和のいい天気だ。
「さて、今日はどこへ行こうか?」
ダンテがぐるりと瞳を回してを見た。
問われては考える。
ロデオドライブ、ラスベガス、ゴールデンゲートブリッジ。
行ってみたい魅力的な場所はまだまだたくさんある。だけど。
『どこへ行く?』口元を優しく笑ませて、じっと返事を待つダンテ。
──行き先は決まった。
やっぱり、
「ダンテと一緒なら、どこでもいいよ!」







→ afterword

半年ぶりですみません…季節もだいぶずれてしまいました;

この夏、ひょんなことから水族館に熱中し、「ダンテと水族館いきたい!」と、このお話のもとができました。
そこから何故か迷子とかバーベキューとか膨らんで、書きたいだけ書いてしまいました。
お邪魔虫うんぬんはさておき、やっぱり四人揃ってると幸せです。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!
2011.10.31