子供達の警告通り、は男に話し掛けられていた。
やけに親しげな笑みを浮かべたその男は、いかにも格好つけたサンデーランナーという出で立ち。
ブランドものの真新しいウェアの胸ポケットにはMP3プレイヤー。ぴかぴかのスニーカーも目に眩しい。ダンテには、彼がランニング慣れしているようにはどうしても見えなかった。
(んだよ、アレは)
遠目からもはきょろきょろ困っている。それなのに、男はしつこくまとわりついているようだ。
どすどす二人に近付いて行く。
男はの気を引くのに必死になっていて、危険な存在が足音高く背後に迫っていることにまるで気付かない。
先にが、あっと安堵の表情でダンテに助けを求めた。
彼女に素早くひとつ頷いてみせた後、ダンテはすぐに表情をぎらりと変えて殺気鋭く口を開く。
「おい、あんた」
「はい?……!」
ようやく後ろに注意を払った男は、いきなり現れ、しかもどう見ても友好的ではない目付きのダンテにぎょっと飛び跳ねた。
ダンテは剣呑な態度を崩さず、下から上まで男を値踏みするように睨んだ。
「オレの彼女に、何か用か?」
彼女という言葉に、男ははっと息を飲む。
ようやく踏んではいけない轍を踏んだことに気付いたようだ。
「えっ、あ、そうですか」
さっきまでの馴々しさはどこへやら。ダンテの気迫に押されて、男はまろぶように後退る。
「用がねぇんなら、さっさとラン戻れよ」
締めにがつんと肩を入れて凄んでやれば、
「そっ、それじゃまたね、さん!」
尻尾を巻いてという表現ぴったりに、男は走り去って行った。
「ありがとう、ダンテ」
横で胸を撫で下ろして安心しているに、けれどダンテはむっと唇を尖らせた。
「名前教えちまったのか?」
「あ……だって、あの人ほんとしつこくって」
叱られて、はばつが悪そうに目を伏せた。
舌打ちしそうになるところを、ダンテはぎりぎり踏み止まった。
(無防備すぎるんだよ……)
しつこさに根負けしたからと、大事な名前を見知らぬ男にあっさり教えてしまうなど。
自分と出逢ったばかりの頃は、もっとガードが堅かったはずなのに。
(そりゃ、今のの方がいいに決まってるが)
愛嬌を振りまくのは自分だけにしておいて欲しい。
押し黙ったダンテに、はひょこんと頭を下げた。
「ダンテが来てくれてよかった。ありがとう」
「……まあ、何もなくてよかったよ」
怒りをぶつける対象が分からなくなって、ダンテは結局むずむずを飲み込んだ。
割り切れないまま、レジャーシートにざっと腰を下ろす。
(ピクニックの出だしは完璧だったってのに)
遥か前方には、ふたりを引き離した元凶の子供達がこそこそ固まって、じいっとこちらを窺っている。
後方には、ランニング中の若者達の姿がぽつぽつと見える。
ダンテにとっては、その全てが障害物に思えてきた。
──こんなに邪魔されるとは。
頬杖をついたダンテに、は水筒から注いだ紅茶を差し出した。
「子供たちの相手も、お疲れさま」
「あー……」
力なくカップを受け取って、ぐびっと一気飲みする。
今まさに『お疲れさま』と言われたい気分だった。
「子供達と遊んで楽しかった?」
「疲れた」
労いを受け、本当にぐったりとダンテは木に背中を預けた。
「このまま寝れそうだ」
口からおおきく欠伸が零れれば、がくすくす笑った。
「お昼食べ損なってもいいなら、どうぞ」
「そんなことしたら絶対後悔しちまう」
大袈裟でなく本気でしかめっ面で、がばっと身体を起こす。
「食おうぜ、今すぐ」
「じゃあ、ダンテが寝てしまわないうちに」
目の前に、ぱかりとランチボックスを開かれる。
興味津々で中を覗き、ダンテは目をまるくした。
「すげぇ」
当日いきなり言い出したピクニック、ありあわせの材料で作られたとは信じられないほど豪華なおべんとう。
とりどりの具材のサンドイッチと香ばしいチキン、ポテトにサラダ、そして瑞々しい果実。
視覚に嗅覚にまんべんなく刺激が行き渡り、ダンテの腹が音を上げた。
「全部うまそうだ」
すかさず手を伸ばしたダンテに、
「待って!手!」
は素早くウェットタオルを差し出した。
受け取りながらも、ダンテは気まずく縮こまる。
「母さんみたいだな」
「どうせ」
戒めに肩を竦めたダンテに、はつんと顎を向けた。
けれど……拗ねるそばから口元が緩んでしまう。
「どれでも好きなのをどうぞ」
こんな風に、ダンテの隣は不機嫌が続かない。
「どれから食おう」
綺麗に手を拭き終え、まじまじと中身を見比べる。
「どれがおすすめだ?」
「うーん。やっぱりトマトとツナが、ダンテの口に合いそうかな」
「じゃあそれ」
「緑のピックのよ」
説明されたサンドイッチを手に取ると、ダンテはぱくりと一気に半分頬張った。
「ん」
たっぷり詰められた具が、パンからはみ出て彼の口元にくっつく。衣服を汚す前に、がハンカチで救済に入った。
「これじゃ私、ほんとにお母さんみたい」
ダンテの口を拭きながら、堪え切れずに笑い出す。
笑われ続けて、ダンテはさてどうしようかと横目で彼女を見た。
……そうして、とっておきの反撃方法を思いつく。準備はぺろりと唇を舐めておくだけ。

「なに?」
さっと彼女のおでこに自分のおでこを合わせ、
「母さんにはこんなこと出来ねぇぞ」
が身動きする前に軽くキスを贈る。
「……な?」
間近に覗き込む青い瞳はとてもとても楽しそうで、逃げ損ねたはちょっとだけ悔しそうに眉を寄せた。
それから、
「そうね。お母さんはこんなことしないよね」
次は自分からダンテに唇を重ねた。



バスケットの中身が半分ほど消えると、ダンテは食べる手を止めた。
「もうご馳走様?」
いつもの彼にしては食べっぷりに勢いがない。
それに、何だかさっきから妙に静かすぎる……気がする。
何か不味かっただろうか。
ちらりと見上げたダンテは、いやに真剣な顔をしていた。
「ダンテ?」
呼び掛けると、ダンテはゆっくりに向き直る。
二呼吸分だけ置いて、ダンテは口を開いた。
「……、オレのとこに来ねぇか?」
「え……?」
あまりに唐突な話題に、はきょとんと動きを止めた。
ダンテはから目を離すと、少し遠くを見つめるような目をした。視線の方角にあるのは、彼らが暮らしているスラム。
それに気づいて、もダンテが言わんとしていることがすとんと胸に落ちて来た。
「引っ越し、ってこと?」
「ああ」
ダンテはきっぱり頷いた。
が暮らしているブロックは目抜き通りに程近く悪魔の襲撃が少ない分、まだ安全な方ではあるのだが、それでも女の一人暮らしは推奨されたものではない。
それに──
(さっきみたいな男がいつ店に来るか分かったもんじゃねぇし)
その度に自分が助けに入れるとは限らない。
だからできるだけには、自分の傍にいてもらいたい。
今日彼女を外へ連れ出したのは始めからそう誘うためだったのだが、男に話し掛けられているを目の当たりにして、よりいっそう焦ってしまった。
「おまえ一人だし、心配なんだよ」
要約されたダンテの意思を汲み取って、はしずかに顔を振った。
「私なら、大丈夫よ。生まれたときからスラム育ちだもの」
「けど、前までは家族がいた。今は」
一人だ。そう言おうとして、ダンテは言葉を切った。
の兄のことは気軽に話題に出せるほど、日が浅くない。
一瞬目を泳がせたダンテに、はおっとり笑った。
「確かに一人だけど、でも、ダンテがしょっちゅう来てくれるじゃない」
実際、ダンテは自宅と依頼との家を三角に移動して暮らしているようなもの。
色っぽい意味で、ダンテがの家で夜を過ごしたことはないけれど、それもそう遠くないこと。
にとってダンテは、いなくてはならない存在。
「ダンテの気持ちはとっても嬉しい。本当よ。でも」
「店か」
ダンテの言葉に、は迷わず頷いた。
「私には継いだあの店があるもの」
「うちの事務所を使えよ」
「仕事って言う意味だけなら、それでもいいけど」
ガンショップは、にとって家族の形見。
ほいほいと捨て置けるものではない。
「ごめんなさい……」
真摯に見つめられ、ダンテは深々と溜め息をついた。
(まあ、分かっちゃいたけどな)
「一回でYesが貰えるとは思ってねえし」
無造作に指を伸ばし、の髪に触れる。
「オレがあっさり諦める性分じゃないってのは、分かってるよな?」
「……そうね」
はちいさく微笑んだ。
もうすこし──気持ちの整理がついたら。家族の想い出に寄りかかることなく自分を確立出来たなら、あの家を離れるときがやってくるかもしれない。
それにはまだまだ時間がかかりそうだけれど……
「さて、ややこしい話は終わり」
すっぱりと声音を元に戻すと、ダンテはごろんと横になった。頭を乗せたのは、の膝の上。
「ダンテ……」
「これでも必死の誘いを蹴られて傷心したんだ、ちょっとくらい慰めてくれよ」
「そんなヤワじゃないくせに」
軽口を叩いてみても、ダンテは聞こえないふりをしている。
仕方なく、はもぞもぞ身動きをやめた。
太腿に感じるあたたかい重み。
陽光に透けるような銀の髪。
気恥ずかしいのに、彼の髪の綺麗さに、知らず溜め息が零れた。
銀色に誘われるように手を伸ばして撫でてみる。
さらさらと糸のように頼りなく指を滑る感触が、ただただ愛しい。
さっき彼の誘いを断ったことを、早くも後悔してしまいそうなほど──
「綺麗」
飽きもせずに髪を弄ぶの手の動きは例えようもなく心地よく、ダンテはうっかりうとうとと眠りそうになってしまった。
そんなことはもったいないので、わざと大きく頭を動かして意識をはっきりさせる。
「髪を褒められてもあんまり嬉しくはねぇけど」
でも、と彼女の手を捕まえる。
「触ってくれんのは嬉しい」
顔をずらして、捕らえたやわらかなの手に何度も何度も口づける。
「……
ダンテは眠さのせいではない、熱くとろんとした目で、を見つめる。
「デザート……」
「……。」
そんな眼差しをひたと向けられ、はどうしたものかと何度も瞬きした。
ダンテが望んでいるものは、聞かずとも分かる。
ランチボックスにまだたくさん残っている果物。その中からいちごを摘み上げ──やめる。
代わりに、骨付きのチキンをダンテの口元に運んだ。
「なぁ、これは……」
望んでいたものとはまるで違う食べ物の登場に、露骨にダンテは顔を顰めた。
は照れて彼からふいと顔を逸らした。
「もったいないから食べちゃって」
「そりゃ食うけどさ」
ぶつぶつ言いながらも、寝たままの行儀の悪い体勢でチキンをぺろりと平らげる。
食べられる部分をすっかり齧り取ったところで、
「お」
その骨の形にぴんときた。
「どうかした?」
突然いきいきと目を輝かせたダンテに、は小首を傾げた。
「これ、ちょうどいいと思わねぇ?」
ダンテがにっと笑って差し出したのは、何の変哲もない骨。
問い掛けを重ねようとして、その骨がY字だということに気付いた。
「もしかして」
ちらりと見れば、ダンテがとびきりの笑顔で『それだよ、それ』と頷いている。
子供っぽい思いつきに、は苦笑した。
「乾かさないとだめだよ」
「オレは力あるから、出来るって」
「そういう問題?」
「いいから。ほら、持てよ」
「もう」
押し切られて、はダンテの持つ側と反対の骨を指で摘まむ。
鳥の叉骨……二股の骨は、『願いの骨』。
二人で願いを込めながら、枝分かれした骨をそれぞれ自分の方向へ引っ張って折る。その長い部分が手元に残った方の願いが叶うと言われているのだ。
いわば花占いに似たおまじないのようなもの。
「準備は?」
「いいよ」
意外にもかなり真剣なダンテの様子に、もごくりと息を飲み込んだ。
今、ぱっと思いついた願いはただひとつ。
それは──
「よし、じゃあいくぜ。……3」
ダンテがおもむろにカウントダウンを始めた。
(私の願いは、)
「2」
(このままずっと、)
「1」
(ダンテと一緒にいること)
ぼきっ。
湿った音を立てて、それでも何とか骨は二つに割れた。
そして、肝心の長い骨は──

「オレの勝ちだな」

ダンテが満足そうに骨を振った。
自分の短い骨とそれを見比べ、は何となくがっかりした。
「勝ち負けなんてないでしょ?」
「さあ」
ふわりと身を起こして、ダンテはまだ骨を眺めている。
おまじないにしてはやけに嬉しそうなその様子。
「そんなに大事な願いを掛けたの?」
「それは言えねぇな」
眉を聳やかし、ダンテは意地悪く首を振る。
「喋っちまったら、叶わなくなるんだろ?そんなことになったらキツい」
「何それ?」
きつい、とは?
ダンテが何を願ったのか、さっぱり分からない。は手元に残った『負け』の骨をぼんやり見た。
ダンテと一緒にいたいというのは叶わないのだろうか。
「まあ、そう落ち込むなって」
しゅんと肩を落としてしまった彼女から、短い骨を取り上げる。
まだすこし未練がましく、はそれを目で追った。
「落ち込んでなんかないけど」
「そうか?」
「……ちょっとはね」
「どうせ似たり寄ったりの願い事に決まってる」
「え?そうなの?」
「当然」
ダンテは自信ありげに胸を反らした。
「ただ……」
「ただ?」
(オレのはちょっと欲望に忠実すぎかもしれねぇけどな)
言ったら怒られそうだし、願いという名目の欲望に気づかれてしまうので、ダンテはそこで口を噤んだ。
代わりに告げたのは、別のこと。
「ただ、オレの気持ちの方が強いってこと」
が何か反論する前にもう一度、ころんと彼女の膝を拝借する。
「今度こそ一眠りさせてもらうぜ」
宣言すると、ダンテはさっさと背中を丸めた。
「……もう」
既にしっかり目を閉じているダンテは、猫だったなら喉を鳴らしていそうなほど気持ち良さげだ。
邪魔することもできなくなってしまって、はそっと肩を竦める。
結局、増えたのは疑問ばかり。
けれどたぶん、ダンテの言う通り──ふたりの願い事は似たり寄ったりなのだと思う。
それならどっちが長い骨を手に入れたとしても同じこと。
「……私も眠くなってきたかも」
ぽかぽかな陽気と、足の上のぬくぬくの体温と。
はふわあと欠伸をして、後ろの木に背をもたせかけた。
太陽の光を浴びた木肌は何とも心地よく、スラムに帰るのがもったいない。
(今度ピクニックに来る時は、またチキン持って来なくちゃ)
そして今度こそ、長い方を勝ち取る。
(私の気持ちの強さだって負けないんだから)
これはダンテには内緒の決意。
ランチボックスの上、折れた二本の骨をもう一度だけ見てから、は瞳を閉じた。







→ afterword

早く春にならないかなあと思っていたら、ダンテとピクニックするお話ができました。まったりべったり!

ふたりが何気なくシートを広げたハナミズキの花言葉は、「私の想いを受けて下さい」(@うぃき)。
なので今回は蹴られたダンテの誘いも、きっとそのうち…!
欲望に忠実な願いごとも、きっとそのうち…!(笑)

それでは、この度の11万hits、本当に本当にありがとうございました!
2009.3.23