きょろきょろ。うろうろ。
おそるおそるといった様子で、はダンテの隣を歩いた。
ダンテの言う『楽な方法』で正門すらも突破した後、ちょっと歩けばそこは既にの見知らぬ風景だった。
「そんなに街が珍しいか?」
「はい」
視線はあちこち彷徨わせたまま、素直には返事する。
外出するときは車で移動ばかりしていたから、生まれ育った土地、その当たり前に馴染んだはずの景色さえも珍しい。
そよと風が髪をすり抜ける。
やはり外は心地よい。
「クリスマスなんですね」
街路樹や寄木。歩行者の足休めに据えられたベンチまでも、電飾とモールできらびやかな装いを施されている。
道路標識までも、ヒイラギやポインセチアのリースを誇らしげに抱いている。
家々の前にはツリーがデコレーションの個性を競うように置かれ、一瞬も目を休ませてくれない。
今は昼だから電気は灯されていないが、それでも充分うつくしい。
「綺麗ですね」
ほうと瞳を輝かせるに、ダンテもこころ和んだ。
「テレビで見るより、ずっといいだろ?」
「家にはテレビもありませんから……」
「……そうか」
あの執事なら、テレビはお嬢様に悪影響だ!と父母に進言しかねない。
「それでも、クリスマスパーティーくらいするだろ?」
ダンテもクリスマスは関係ない立場なのだが、それはさておき、訊ねてみる。
はこくりと頷いた。
「ええ。ボールルームでダンスもしますよ」
「あの屋敷で?」
「はい」
「外へは出掛けないのか?」
「はい」
「そうか……」
ダンテは溜め息をついた。
通りにはと年頃も変わらないだろう学生が、うきうきと弾む気持ちを隠せないまま、まるで爪先立ちではしゃぐように行き交っている。
彼女たちに比べて、はずいぶん損をしている気がする。
門でがっちりと閉ざされた館。
その狭い世界は安全には違いないだろうが、それと引き換えにたくさんのものを犠牲にしている……
そう考えると、まっしろで日焼けとは無縁なの肌はとても切なく目に映る。
(本当にこれでは幸せなのか?)
「ダンテさん」
ふと、がダンテの袖にそうっと触れた。
「ん?」
「これは何ですか?」
が首を傾げたのは、クレープの屋台だった。
ああ、とダンテは屋台のカウンターに回り込む。
「クレープ屋だ。クレープは食べたことはあるだろ?」
「わあ、手で持って食べられるようになっているんですね」
「……。」
は「便利ですね!」とぱちぱち瞬きしている。
無邪気な彼女に、ダンテは思わず天を仰いだ。
そうだった、あの家ではぶどうさえもナイフとフォークで食べるんだった。
「食う?」
屋台からじーっと動かないに、コートから財布を取り出す。
お嬢様はぱあっと顔を輝かせてダンテを振り返った。
「いいんですか?」
「そんな顔されちゃな。おーい、注文いいか?」
カウンターの中へ声を掛けると、恰幅のいい店員が威勢よく現れた。
「いらっしゃい。何にする?」
「オレはいちごと生クリームで」
メニューを見もせず、ダンテは中身をオーダーした。
ふむふむと店員はメモ書きして、それからに笑ってみせる。
「彼女は何にするんだい?」
「……。」
「彼女?」
?」
「えっ。ああ、私のことですか?」
ダンテに呼ばれてやっと気付いた。
店員が不思議そうにダンテとを見比べる。
「君たち恋人じゃないの?」
「ええっ」
『恋人』……今の今まで考えてもみなかった単語にぎょっとしたに、店員はごめんごめんと腹を揺らした。
「何だ、違うのかい。お似合いだと思ったんだけどなあ」
ダンテはちらりとを窺った。
は驚いて固まってはいるが、とりあえず嫌そうではない。
だったら……
「オレは喜んで彼氏になるんだけどな」
メニューを渡してやりつつ、これみよがしに呟いてみる。
「……えっ?」
(聞き間違え?)
しかしがダンテに問いただす前に、おじさん店員がわっはっはと割り込んだ。
「頑張れよ、若いの。ようし、彼女の分はタダにしてやろう!」
邪魔されてむしろ少しホッとして……ダンテは店員のノリに合わせ、白い歯を見せた。
「やったな!、好きなだけトッピングしてもらえよ」
「え?トッピングって?」
どんどん流れていく会話にさっぱりついていくことが出来ない。
「全部いってみたらどうだい」
「それいいね。じゃ、それで!」
「え?ええ?」
さっさとメニューを取り上げられて、のオーダーは店員とダンテに適当に決められてしまった。



屋台のおじさんがのために気合いを入れた一品。
それはクレープというよりは、くだものとクリームの盛り合わせクレープ付きといったものだった。
「すごい量ですね……」
「これも本来のクレープじゃねぇんだけど……」
あの親父いくらなんでもやりすぎだろ、とダンテは頭を抱えた。
を彼女かと突っ込んでくれたところや、お似合いだと言ってくれたときは最高にいい奴だと思ったのに。
「でも美味しいです」
はプラスチックのスプーンで、生クリームを口に運んだ。
「まあな」
ダンテも自分の(こちらはごく普通のクレープだ)にかぶりつく。
……こんな風に二人でベンチに腰掛けていると、と自分がお嬢様とそのボディガードだということなど、すっかり頭から消え去ってしまう。
隣のは、世間的にはありきたりな時間をそのちいさな唇でしっかり味わっているようだ。
寒さにほんのり赤く染まった鼻の頭は、彼女が人形ではない証。
さっき、部屋に忍び込んだときよりもまた、はいろいろな表情をするようになった。
これが本来の彼女なのだ。
(館で初めて会ったときより、ずっといい)
そんなことを考えながら、ダンテはクレープの最後の一口をぺろりと平らげた。
「もう食べ終わったんですか?」
が驚きで目をまんまるくした。
「オレのはごく普通のクレープだったから」
「あ、そうですね」
手元のくだもの盛り合わせは、ダンテの食べていたクレープの五倍はボリュームがあるだろう。
まだまだ完食は遠い。
手伝うべく、ダンテがひょいと手を伸ばした。
「クリームはノンファットじゃねぇし、お上品でもねぇけど」
クレープからはみでているいちごで生クリームをさらう。ぱくり。
「こんなのも、うまいだろ?」
至近距離でふたりの目が合った。

ダンテはしずかに彼女の名を呼ぶ。

「あの家を出たら、もっと色んなことがおまえを待ってる」

「だから、」
「も、もうお腹いっぱいです!」
はクレープをダンテに押し付けた。自然と、彼のその先の言葉を区切っていた。
(家を出るなんて)
「……無理です……」
今の自分には刺激が強すぎる誘惑だ。
確かにこの小一時間ふたりで歩いただけで、画集10冊分は心を動かされたけれど──
(とても無理……)
「……そうか。じゃ、遠慮なくもらうぜ」
ダンテはからそっと目を逸らした。



家への帰り道は、行きよりも周りの色彩が沈んで見えた。
単純に太陽の位置のせいばかりではない。
そのことはにもよく分かった。
自分は、本当にあの家に帰りたいのだろうか。
厳重な門と、たくさんの使用人に守られて、何不自由なく。何の自由もなく。
「着いちまったな」
ダンテが残念そうに息をついた。
何も言えず、は自分の部屋を見上げた。
あの中へ入ってしまったら、またいつもと同じ……何にも変わらない日常が始まる。
今年のクリスマスも、父母にはたくさんの来賓があるだろう。
どこかの誰かと上辺だけの挨拶をして、一言ずつ会話を交わして、礼を失さない程度にちょこっと踊って。
こちらも向こうも、互いに相手に興味はない。
だから次の日になったら、聖夜に誰と踊ったのかも思い出せない。
何事もなかったようにクリスマスは終わって、そしてまた次の一年が来て……
いつかは誰かと結婚させられるのだろう。もしかしたら、今日みたいに一緒に外を歩くことすらしないまま。
相手は自分のこころを動かさないし、自分も相手のこころを動かしはしないだろう。
形だけが飾り立てられ、中身はどこにも存在しない日々。
──戻りたくない。
本当は、戻りたくない。
だけど──

ダンテがの手を取った。そのまま二階の、彼女の部屋を指し示す。
さっきふたりが飛び出したまま、開け放たれた窓。
「逃げ出す決心がついたら、あの窓を開けておいてくれ」
「え?」

「夜、おまえを攫いに行く」





ダンテに送られて窓からそうっと帰ってみれば、執事が青ざめた顔ですっ飛んで来た。
執事の連絡を受けてやってきた父母にも、散々小言を言われた。
ダンテはボディガードの任を解かれてしまったらしい。
『あの男に誘拐されたかと思った』
母に心配されながらも、は内心、不謹慎な気持ちを抑えるのに苦労していた。
(あのまま誘拐されていたらもっとよかったのかも)
ダンテは自分を外へ連れ出してくれた。
そうでなかったら、今もろくに外の世界を知らないままだった。
大事に大事に守られて……物のように。いつまでも。
『明日は今日休んだ分を取り返すように、教授の授業時間を増やしておいたからな』
父の苦味走った声も、上滑りしていく。
──こころは決まっていた。
一度知ってしまったクレープの甘さは、もう忘れられない。



「着替えをするから、廊下に出ていてもらえる?」
はどこまでもぴったりくっついてくるメイドににこりと微笑んだ。
メイドはいいえ、とあくまで付き従う。
「お手伝いします」
「いらないわ。ありがとう」
「……それでは」
いつになく凛としたの態度。
少しだけ訝しがりながらも、メイドは席を外してくれた。
もしかしたら、彼女は理解してくれたのかもしれない。
はそうっと窓に歩み寄る。
音を立てないように、ガラスを押し開いていく。
途端に外の空気が流れ込んできた。
飛び出したら、もう後ろにあるようなあたたかい部屋には戻れないかもしれない。
それでもこれは自分で選び取った道。
寒いのに、心は躍る。
知らず、足は駆け出した。
「ダンテさん」
バルコニーの手すりに危なげなく座っていたダンテが振り返る。
その満面の笑顔。
「待ってたぜ」
身軽に枠から降り立ち、するするとに近づく。
「それでは誘拐させていただきます。お嬢様」
おどけて芝居がかった仕草での手を取り、昼間と同じように彼女を抱き上げる。
そのまま下へジャンプするかと思いきや、ダンテはふと立ち止まった。
「ダンテさん?」
「まずはどこへ行きたい?」
どこへ。
訊かれてもには、候補を探すことすら難しい。
「じゃあ」
ダンテが助け舟を出した。
「うまいもん食いに行くか!」
「美味しいもの?クレープのような?」
「似てるけど、もっとうまい。オレの大好物だ」
「それはクリスマスに関係ありますか?」
「あー。いや、ねぇな。でも、頼めばきっと何かサービスしてくれるぜ」
「では、そこに」
「驚くなよ。マジでお上品な店だからな」
「……覚悟しておきます」
「はは」
不安に眉を寄せたお嬢様の額に、元ボディガードはさっとキスを落とす。
あたたかい頬。人形なんかじゃない。
「……?」
「しっかり掴まってろよ!」
何が起きたのか分からなかったを抱えて、ダンテは外の世界に飛び出した。





「本当に、これでよかったのですか?」
開けっ放しの窓を見つめ、執事はしんみりと眉を落とした。
館の主はむっと唇を引き結ぶ。
「仕方ないだろう……」
大切な愛娘を可愛いがるが故に、あまねく危険から遠ざけ……結果的に、彼女を家に閉じ込めるようになってしまったのは、一体いつの頃からだったろう。
の本当の望みを考えてやろうともしなかった。
「……それにあの男なら、ぎりぎり信頼してやらんでもない」

に日焼けくらいさせてやれよ』
前払い分を含めて一切合切の小切手を叩き返してきた──ダンテという男。

「……寂しくなりますね」
「永遠の別れにするほど、あれは恩知らずな娘ではない」
気温がゆるんで春になったら、巣立った鳥も戻ってくるかもしれない。
──もしかしたら、小鳥を連れて。

「それでも、寂しくなりますよ」
「そうだなあ」
がいなくなった部屋で、白いカーテンは翼のようにはためいた。







→ afterword

58880をご報告いただいた捺美様へ捧げます。
3ダンテの魅力がちょっとでも出ていればいいのですが…;
この先ヒロインは苦労しそうですが、でもダンテがいればきっと何でも大丈夫!

捺美様、長らくお待たせしてしまって申し訳ございませんでした。
すこしでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
ここまでお読みいただいたお客様も、本当にありがとうございました!!
2008.12.21