lock, stock, and barrel




外は雨。
ベッドルームには鍵が掛けられ、完全に外の世界から守られている。
浅い午後。
今日はふたり、このまま何もしないで過ごすと決めた。
「ダンテ、寒いー」
ぼやくと、ダンテが毛布を肩まで引き上げてくれた。
途端にふわりとダンテの匂いに包まれる。クローブとバニラが織り成す、クリーンで甘いあたたかな香り。うーんと深呼吸すれば、髪の先から足の爪までぴたりと彼にくっついているような幸福な感覚。
毛布の中のぬくもりを逃がさないように、ダンテは慎重に右手を外に出した。がさごそとサイドテーブルの上を探る。
「何さがしてるの?」
「食い物」
やがてその指が菓子に届いた。
この揚げ菓子はがスーパーで見つけた、ここ最近で一番ジャンクな食べ物だ。クリーム入りの細長いスポンジケーキ、それを更に油で揚げた、ひどく甘ったるい菓子。油と砂糖の罪の味。
ダンテは指二本分ほどの大きさのそれをつまんで頬張った。
油ぎとぎとで見ているこちらが胸焼けを起こしそうだが、彼が食べていると何だか素晴らしく美味しそうな食べ物に見えてくる。
「ひとくち」
「ん」
ねだったの口元に、食べかけのケーキが触れる。ぱくりと歯でちぎって舌がケーキに触れた瞬間、もらったことを後悔した。
「病的に甘い……」
舌の上でなかなか溶けないクリームがジャンクさを物語っている。
がかじったその五倍はある残りを、ダンテは臆せずむしゃむしゃ食べた。しかし彼の表情はどう見ても「美味い」とは言っていない。
「油すごいよ」
苦笑して、てらてら光るお互いの唇を指で拭う。ダンテがの指をぺろりと舐めた。
「これ、腹持ちいいよな。一本で当分戦える気がする」
「カロリーは知りたくないよね」
しつこいクリームが喉に絡まっているような気がして、は飲み物が欲しくなった。
ダンテを乗り越えるように身体を重ねてテーブルに手を伸ばし、昨夜の飲みかけを探す。──あった。瓶に四分の一だけ残った、琥珀色のアルコール。
「昨日のビールが冷たい水に変身してくれたらいいのに」
「普通は水がワインになる方を望むもんだろ?」
「普段ならね」
口をつけると、想像した通り、ぬるくて不味い液体が舌に溜まった。
「ダンテも飲む?」
「それしかねえなら」
瓶を受け取り、ダンテはごくごくと勢い良く喉を鳴らした。
不承不承で口にしているはずなのに、彼が豪快に喉を上下させているのを見ると、先程同様、ぬるいビールも悪くないように思えてくる。
は枕に肘をついて、まじまじとその姿を見守った。
「ダンテ、何でもいいからCM出たら?」
「何だ急に」
ダンテが笑って腕を伸ばした。そのままぎゅっと抱きしめられる。
彼の高い体温に包まれ、おおきなてのひらで背中を撫でられていると、これ以上ないほどに安心する。
「んー……今なら猫みたいに喉も鳴らせそう」
「確かにそんな顔してるな」
人差し指と中指で、顎の下をくすぐられる。
うっとりと目を細めれば、ダンテの青い瞳が近づいてきた。そのまま唇が重なる。
「甘い。けど、苦い」
ケーキとビールの味が交互に溶けて来て、は楽しくなった。くふふと笑うと、ダンテもつられてニッと唇を持ち上げた。
「昨日のビールで酔っ払ったか?」
「そうかもね」
ぺたりとダンテの胸に頰をつける。その規則的な心音に、はふと顔を上げた。
「いま何時かな」
「知りたいか?」
彼らしいと感心するべきなのか、寝室には時計がない。
ダンテがの髪を撫でる。心地よさに、は上げた頭を再び戻した。耳元で、とくとくとダンテの心臓が確かに時を刻む。
「……何時でもいいや」
「昼は過ぎてる」
「うん」
ふたりともが黙ると、部屋には雨の音しか響かなくなった。ベッドから起きない怠惰さを正当化してくれる音。
充分に眠ったはずなのに、お腹がいっぱいで、触れている恋人の肌はあたたかく、どうしても目蓋がとろんと重くなる。ダンテの呼吸も深い。
……と。
かたん。
玄関で物音がした。
「なんだろ」
起きようとしたの肩を、ダンテが押さえた。
「どうせ、何かの勧誘」
「宅配だったらどうするの?」
「大事なもんならまた届けに来るさ」
「うーん。レジュメの添削、バージルさんにお願いしてたんだよね。それが返って来たのかも」
「その名前はここで聞きたくねえな」
「ごめん。だけど、私の卒業後のアメリカ暮らしがかかってるの」
「……。そうだった。まあ、郵便ならポストに入れてくだろ」
「んー」
まだ渋るのむきだしの肩に、ダンテがキスを落とす。
「あと少しだけ」
あやすように頭をぽんぽん撫でる。もやがて肩から力を抜いた。
今は雨音が遠い。雨足が弱まったのかもしれない。
同じことを考えていたのか、
「雨が止んだら、夜は外にピザ食いに出ようぜ」
ダンテが唐突に喉声で呟いた。
彼好みのチーズとろけるピザ、その美味しさとボリューム。ピザを求めて軽快に夜の街を歩いて行くダンテの姿までも一緒に脳裏に浮かび上がって、はそっと笑った。
「ダンテは完全に夜行性だよね」
からかったつもりが、ダンテは意外なほど真顔で瞳を瞬いた。
「……は、そうと決まってる」
「なに?何て言ったの?」
聞き取れずに訊ね返せば、ふるふると顔を振られる。
「……いや。何でも。俺は夜行性だって言っただけだ」
「そっか」
特に気に留めず、も頷いた。
「私はもともと宵っ張りだよ」
「いいね」
「それに……」
昼夜逆転していた方が、日本に帰るとき時差ぼけで苦しまない。
言いかけた言葉を察したのか、ダンテが嫌そうに唇を引き結んだ。
ごめんと声には出さず、は彼にくちづけた。
「まだまだ時間あるから」



狭いベッドルームに、シーツの擦れる密かな囁き。
揚げ菓子とは違い、この時間はどれだけでも平らげることができる。飽食で消化不良などというものも無い。不健康だと罵られようと、それさえ美味なスパイスになってしまいそうなほど。
すこしの食べ物、すこしの飲み物、そして鍵の掛かった寝室に恋人と。
ふたりに必要なものは全部ここに揃っている。この部屋だけ切り取られ、どこか別の惑星にぽんと置かれても困らない。
「あ、ねぇ。やっぱり夕食のことだけど……」
上気した頰もそのままに、が顔を上げた。
「外に出んの面倒か?」
はそうではないとかぶりを振る。
「そうじゃなくてね……」
ちょっと照れるように視線を揺らし、更に間を置いて、ぽつりと切り出した。
「……私が作る」
ダンテが目をまるくした。
「料理、苦手なんだろ?」
「そうだけど……ずっと外食も飽きるでしょ。体に悪いし。だから、今から練習しておくのも悪くないかなって」
見つめられ、は気恥ずかしそうに俯いた。
『ずっと』も『今から』も、未来を予感させる途轍もなく素晴らしい、それだけに口に上らせるのがちょっとだけ難しいフレーズだ。
ダンテはそれをちゃんと察してくれたらしい。
「だったら、買い出し行かなきゃな」
ウインクつきの、おおきい笑顔。
ふたりで手を繋いで近所のスーパーへ歩いて行くところ、食材でぎゅうぎゅうになった冷蔵庫のこと、ふたりで狭いキッチンに並んで立つシーン。
「確かに悪くない」
ダンテに同意するように、雨もぱたりと止んでいた。







→ afterword

ダンテさんの香水をちらりと入れたくて書いた短文でした。
トップのクローブは歯医者さん、もしくは美容院みたいな清潔感がありますよね。ラストノートは、インドの雑貨屋さんみたいにエキゾチックであたたかみのある香り。うーん(深呼吸

ダンテさんのお話も、そろそろ次あたりから大きく動かしたいです。
短い文でしたが、ここまでお読みくださってありがとうございました!
2019.10.22