よねんぶり




店を閉めようとした矢先にその男がやってきたのは、実に四年振りのことだった。
「……ダンテじゃない!」
「よぉ」
ひょいと片手を挙げて、ダンテはレッドシダーのカウンター、私の真正面をどっかり陣取った。銀髪が楽しげに揺れる。
「いつもの」
「いつものって、何だっけ?」
「おいおい、冷てぇな」
そう言って笑う旧友のために、私はライムを取り出した。
「これ?」
「当たり」
八分の一にカットして、そのままビール瓶の口に乗せる仕草を見せれば、
「ヘイ!」
ダンテは目を見開いて腰を浮かせた。
「冗談よ」
もっともっと揶揄って彼のくるくる変わる表情を眺めたいといういたずら心を何とか宥めて、ジンのボトルを爪で弾く。
「これでしょ」
「そうそう、それだ」
お客人は頬杖をついて満足気。
ダンテがこのバーに初めて来たのは、いつだっただろう。
もう簡単には思い出せないけれど、でも、少なくとも彼に無精髭は生えていなかったし、髪もこんなに長くはなかった。
そうだ──初めて会った頃のダンテはもっと細っこかったし、当時ここのマスターだった私の師匠が出した度数の高い酒を無理してかっこつけて飲んでいた。
その頃の幼い可愛らしさは今や影を潜めてしまって、じっくり探さないと分からない。けれど代わりに顎や鼻のラインが精悍さを増し、渋みが加わって、どこもかしこもぐっと男っぷりが上がった。
強い酒を呷る姿も気取らず自然。簡単に潰れなくなったのは、いつからだったか。
(お互い、歳とったな)
十年ほど前にマスターから譲られたバックバーも、私や贔屓客好みの酒がずいぶんと増えた。自慢のラインナップを背に、ぼんやり考える。
いや、齢を重ねただけじゃない。
加齢抜きにして、この前会った時から、ダンテは何か感じが変わった。
(どこが?変わった?)
まじまじ観察していると、ばちんと目が合ってしまった。
表情に合わせて濃淡が変化する、うすい空色の瞳。そのワンペアは出会った頃から変わらない。
「まーた小汚くなったんじゃない?」
見惚れていたのを隠すように、慌ててジンライムをどんと出す。
ダンテは髭の伸びた顎を摩りながら、悪びれもせず口角を持ち上げた。
「ちょっと遠い所から帰って来たばっかでね」
「それで身繕いもせず、ここへ?」
呆れたと手を広げてみせる。
「ドレスコードとか口うるさくはしたくないけど、もうちょっと気を使ってよね」
とは言ったものの。
どこか旅行からホームタウンに戻って、そしてまっすぐ自分のところを訪ねてくれれば嬉しくもなる。
さっき、客が引いたからといってすぐに閉店しなくて良かった。
「やっぱ美味い」
あっという間に一杯飲み干して、ダンテはグラスをこちらに滑らせた。
「お前の顔を見ながらこいつを飲まないと、どうもこっちに帰って来た気がしなくてね」
「うまいことおだてて、タダ飲みするつもり?」
「まさかそんなことはしないさ。ツケといてくれ」
「結局それなの?」
「俺とお前の仲だろ、Darling?」
「そうね、あなたが来るのはワールドカップよりも少ない気がするけどね」
じゃれあいながら、彼のお代わりついでに自分の分も作る。
ダンテの分は二杯目からジン多めがいつものレシピだ。
「どうぞ」
カウンターにグラスを置くか置かないかの内にダンテが手を伸ばしてくるものだから、手が触れそうになった。目の前の相手はまるで気にせず、出されたものに口をつける。こちらの心拍数を上げておいて、罪作りな男だ。
「効くね」
本当に美味しそうに、ごくりと喉仏がアルコールを嚥下する。見てはいけないものを見てしまったときのような気分にさせられるのに、不思議とダンテに目が釘付けになってしまう。他の客の喉仏なんか見ようとも思わないのに。
「ん?どうかしたか?」
再び目が合ってしまって、私は咳払いで視線を逸らした。
「どうもしない」
すげなく答えたが、ふと思い直す。
これは逆に訊ねるチャンスか。
「何かあったの?」
「え?」
「何となくだけど。雰囲気が」
くるりと円でダンテを囲むように指を回すと、彼は髪をくしゃりとかき混ぜた。くんくんとあちこち嗅ぐ。
「やっぱシャワー浴びてくれば良かったか」
「何をいまさら」
すこし躊躇ってから、ダンテは口を開いた。
「……兄貴が帰って来た」
私はぱちぱち瞬きした。
「へえ。お兄さんいたんだ」
まるで初耳だ。
ダンテに関することなど、彼の酒の好みくらいしか知らないのだから。
「それで?」
遠方から帰って来たというのは、その兄絡みなのだろうか。会いに行って来たとか。
両肘をカウンターについて身を乗り出すと、ダンテは溜め息をついて、──それからおおきく顔を振って笑った。
「やっぱここに来て正解だった」
「ええ?」
まるで説明になっていない。
私は思い切り首を傾げた。
「ここに来ると、肩の荷が下りる」
そう言って微笑む彼は、確かにちょっとだけ憑き物が落ちたようにも見えた。入って来た時より顔色がいいような。二、三歳若返ったような。アルコールで血色が良くなったのだろうか。
「……何だかよく分からないけど、またいつでも来て」
空になった二杯目を片付けようとすると、その手をダンテが掴んだ。
「なに?お代わり、まだいるの」
「──いや」
そうじゃないと言いつつ、手は離さない。
じわりと体温が伝わって来た。手首を親指でなぞられる。
(なに?)
時が止まったような気がした。けれど時計の秒針が動く音はかすかに聞こえる。止まってるのは彼と私だけ。
かちっと分針が焦れて動いて、ようやくダンテが動いた。
「……つい」
ぼそりと呟き、手を退けた。
離すくらいなら触れなければいいのに。と思うが、それを言えるような素直な性格はしていない。たぶん──お互いに。
「全く……」
触れられた手首が熱い。これは、今飲んだジンのせい。アルコールのせいだと思いたい。
「もう閉めんだろ?」
ダンテが周りを見渡して、スツールから立ち上がった。
「帰るの?」
あ。まずい。
うっかり、寂しそうな声を出してしまった。
ダンテは振り返らずに手だけひらひら振ってみせた。
「今夜は疲れてて、酒の回りが早そうでヤバい」
「はいはい。次もまた四年後とか?」
「いや。すぐ来るよ。じゃあな」
あっさりとドアは開かれて、ダンテの姿は外へと消えた。入れ替わりに忍んできた夜気はひどくつめたい。
──嵐のようなひとときだった。表面上こそ穏やかだったけれど、水面下では白鳥のようにバタバタ足掻いていた。
「全く……」
またしても同じぼやきを零しながら、後片付けを始めた。
指先が細かく震えている。これもアルコールのせいだと思いたい。
頼りない手からつるんとグラスが滑る。慌てて伸ばした手は間に合い、グラスを何とかキャッチできた。
救えずシンクに落ちたライムからは、爽やかな香りが立ち上る。それでも、私の意識をしゃっきり引き戻すにはまだまだ足りない。だいたい、ステンレスのシンクが銀色なのも良くない。どうしたって彼を思わせる。

ダンテが帰って来た。

すぐ来るとか何とか言い残して。
またもグラスが手から踊ってダイブしかける。
「お、落ち着け」
どうせ彼はまた暫く訪ねて来ない。
その方がいい。その方が平穏なのだ。
四年くらい空けてくれたら、また気の置けない友人みたく、何食わぬ顔で会話ができるようになる。
──それなのに。
ダンテは1週間と空けず、またやってきた。
この前よりもこざっぱりとした格好で。
私を魅了してやまない笑顔つきの深いやさしい声で、今度こそ、とどめを刺しに。
「いつもの頼む」







→ afterword

5ダンテさん!!!!!
4月頃にダンテさんおかえりなさい!で拍手お礼として書いたものの、ちいさいネロくんに唐突にジャックされたり、爆弾ゲームに乗っ取られたりするうち、Upしそびれたままになっていた短文でした。
私はダンテさんがアルコール飲む姿が好きなようです

ダンテさんが稼業関わりなく、ひとときでも普通の人間として何の気兼ねもなく過ごせる場所って、どれだけあるんでしょうか?
どうしたって目立っちゃうから、一般人に紛れて…っていうのは無理な相談だとも思いますが。
ダンテさんにのしかかる責任や負担が大きすぎて(だいたい兄のせいな気もしないでもないけど)大変ですが、主役はダンテさんだからなぁ
そろそろ美味しいとこだけネロくんからさらっていって、「You stealing my spotlight!」って怒られて欲しいですね!

お読みいただき、ありがとうございました♪
2019.11.24