ついに迎えてしまった、ヴァレンタインデイ。
の心づくしの料理がテーブルを埋め尽くす様は壮観だった。
「全部、がひとりで作ったのか?」
バージルは思わずそう訊ねる。
忙しそうにカトラリーを運ぶは両手いっぱい塞がっていながら、それでも彼を振り返る。
その動きに危うく傾いた食器をバージルが受け止めた。
「そうだよ?だからいっぱい食べてね、バージル」
にっこり微笑む彼女に、今度はバージルがバランスを崩しそうになる。
笑顔で名前を呼ばれるだけで、どうしてこうまで平常心が保てなくなるのか。
……」
場の雰囲気に流されて、訳もなく彼女の名前を呼んでしまった。
零れた自分の声があまりに情けない弱さで慌てる。
しかし。
「あ、何か食べられないものあった?」
はバージルの細い声の意味を、勘違いしたらしい。
ふうっと肩の力が抜けた。
のこういうニブさも愛しいと思ってしまうのは、もはや重症の証。
苦笑する。
「いや。いつもお前が作っているものは、何でも残さず食べているだろう?」
このセリフは嘘ではない。
もともとあまりみずみずしい野菜類は好きではなかったのだが、が作るサラダの彩りだけは何だか好ましく思えて、いつの間にか好きになっていた。
恐らく、作り手がという、その事実だけで。
野菜すらも印象を変える。
バージルはを真直ぐ見つめた。
「今夜も残さない」





「……ふぅ」
豪勢な食事の後。
バージルはいつものように自分の部屋に篭った。
ディナーの最後、デザートはたくさん出て来たし、大きなショコラフレーズの真ん中には「Happy Valentine」とホワイトチョコで流麗に書かれたプレート(の刺すような視線の前に、平和な勝負──ジャンケンでダンテのものになった)もあった。
きっとこれでの中でヴァレンタインは終わったのだろう。
それでいいと思った。
今のようにバランスのいい状態、それで何が不満だというのだ。
窓際に座り、片膝を抱える。
いくつか読みかけの書物があったが、今はそれらに手を伸ばす気にもならなかった。
……が、することがない。
リビングに戻ったとしても、ダンテがいるだろう。
下手したら、がダンテにチョコレートを渡す場面にぶちあたってしまう可能性だってある。
それだけは何が何でも御免こうむりたい。
……仕方ない。
一度無理にでも読書を始めれば、そのうち気も乗ってくるかもしれない。
積んであった山のいちばん上の本を無造作に摘まみ上げる。
そこへ。

コンコン

控えめに扉がノックされた。
ダンテがノックした試しなど、未だかつてない。
だとするとこの家にいるのは、あとひとり。
そっと扉を開ける。

「……こんな時間に、ごめんね……」

やはりそこにはがいた。
「……」
咄嗟にうまい言葉が出て来ず、バージルは思わず立ち尽くした。
も何も言わない。
不自然な沈黙が流れた。
が、すぐに彼女の身体が可哀想な程震えていることに気付く。
寒い……わけがない。
バージルは扉を彼女へ向けて大きく開いた。
「……中へ入れ」
「うん……」
が遠慮しがちに入って来る。
突然の訪問に驚いてはいても決して迷惑ではないのだと、どうして態度でも言葉でも表せないのか。
うっかり舌打ちしてしまいそうになり、バージルは更に自己嫌悪に陥る。
とにかく、いつものような会話をしなくては。
ソファに座り、斜めに向かい合う。
何とも居心地が悪い。
とりあえず、今共通の当たり障りのない話題といえば。
天気……はわざとらしすぎる。
今読もうとしていた本の内容……はどうでもいい。
──そうだ。
「今夜の料理はどれも美味かった。いつもよりも食べ過ぎたな」
やっと引っ張り出した話題と、彼にしては大袈裟なジェスチャー。
これで、もいつものように笑ってくれるはず。
だが。
「ありがとう……」
どこかぎこちない、強張った表情。
料理にしろ何にしろ、褒められればはさも嬉しそうに微笑んでくれるのに。
?」
バージルが呼ぶと、はわずかに身じろぎした。
その瞬間。
が背中に何か隠していることに気付いてしまった。
「今、何か」
バージルがその背を覗き込もうと動く。
「なっ何でもないの!」
いきなり、は両腕を背後に回した。
尋常ではない慌てぶり。
バージルは目を細めた。
「何を隠している?」
「何でもないから!」
「見せろ」
埒が明かずバージルは立ち上がり、の背後に手を伸ばす。
それを防ごうとして、が身体を捻り……


どさり。
バージルはをソファの上に押し倒すような姿勢になってしまった。


一瞬なのか、長い時間なのか分からない不思議な間、超至近距離で互いの瞳を見つめあい……
何でこんな近くに相手がいるのか考え……
ようやく、バージルは自分が何をしているのか、どんな体勢なのか気付いた。
「!」
慌ててから飛び退る。
腕や肩に触れたやわらかさや、あたたかさ。
それがバージルの心臓を奔らせる。
偶然の成り行きとは言え、何ということをしでかしたのか。
……」
謝ろうと彼女の方を窺うと、も真っ赤な顔をしていた。
目が合うと、すかさずぷいっと逸らされた。
不満げに尖る唇。
「バージルのせいで、潰れちゃったかも……」
何のことやら分からず、バージルは首を傾げた。
「何がだ?」
問われ、観念したようにはそっと後ろに隠したものをバージルに手渡す。
すぐに辺りに漂う甘いショコラの香り。
ネイビーのチェックの包み紙と、それに合わせたシックなサテンの白いリボン。
受け取ったまま、バージルは固まった。
(これは……もしかして)
動けずにいると、がこれまたロボットにでもなってしまったかのようなぎこちない動きで、バージルの手の中の箱のリボンを解く。
促され、バージルが最後のふたを持ち上げる。

中からは、並んだハートのケーキがふたつ。
そして『Be My Valentine』のメッセージ。

「やっぱり……ちょっとひしゃげちゃったね」
照れ隠しか、笑うの表情。
脳裏で何度も明滅する、メッセージの意味。
理解が追いついた瞬間。バージルの中の何かが断ち切れた。
思いきり、を抱き締める。
「…………」
期待するだけ無駄、と最初から諦めていた。
だがケーキを受け取ってみて初めて、自分がどれだけを想っていたかに気付いた。
まだ何が何やら、実感が湧かない。
そこへ、これはちゃんと現実だと教えるようにそっと背中に回された、の腕。
より密着した身体。
自分からくっついておきながら、の鼓動はうさぎのそれのように速い。
(……大丈夫なのか?)
勿体ないと思いつつも、彼女を気遣い、腕を離す。
が明らかにホッとしたように息をついた。
バージルは照れ隠しに、ケーキに視線を送った。
「美味そうだな。早速貰おうか」
少しだけ端っこがひしゃげたケーキを手に取る。
「お腹いっぱいなんでしょ?無理しなくていいよ」
がバージルを制止しようとする。
バージルは手を止めて、に向き直った。
「言っただろう?お前が作ったものならば、何でも残さず食べると」
の頬が真っ赤に染まった。
うっかりするとまた不自然に止まってしまいそうな時間を誤摩化すように、バージルはケーキにぱくりとかぶりつく。
「……合格?」
が心配そうにバージルを覗き込んでくる。
しかしバージルは答えず、無表情で最後に指に残ったクリームを丁寧にねぶるだけ。
美味しいのか不味いのか、どちらとも読み取りにくいその態度。
「やっぱり、バージルには」
何か言おうとしたの唇を、バージルは強引に奪った。
触れて伝わるのは、バニラの感触。
クリームを味見したときよりも濃く感じる芳香に、は目眩を起こしかけた。
ちゅ、と音を立てて唇が離れる。
恥ずかしさで下を向いたままのを上向かせ、バージルはむすっと顔を顰める。
「……甘すぎる。」
ケーキも、キスも。
胸焼けを起こしそうな程の甘さ。
それなのに。
何故か、妙に後を引く。
「だが、気に入った。もっと頂こうか」
意味ありげな低い声で、バージルが囁く。
はぎくりと肩を竦めた。
「あの、甘い物の食べ過ぎはよくないよ?」
「そうだったか?」
恍けるバージル。
「そうだよ!胸焼け起こすんだよ、確か!」
「……それも悪くないな。胸焼けを起こすまで、食べてみるとしよう」
「バージル……」
「残さないと約束したからな」
「……」
バージルは残ったもう一つのケーキを摘まみ上げる。
無言での前に差し出し、目だけで『食べろ』と命令する。
目だけでしか『意地悪』と逆らえないが、ケーキを一口だけ齧る。
すかさずバージルが顔を寄せた。
のバニラ風味の最後の抵抗のかけらは、バージルの唇に溶けた。










→ afterword

時期外れのUpで大変申し訳ございません。
ヴァレンタイン企画、バージルエンディングでございました!
いつもより糖度倍増(当社比)でお送りいたしました。
楽しんでいただけたなら幸いです!!
2008.7.9