gentle liar




はこの日もサービス残業をした。
(誕生日だっていうのに、お構いなし)
特別なものと言えば、同僚や上司は「おめでとう」の一言かメール、そして会社で恒例となっている合同名義の花束である。
朝礼で拍手と共に贈られて、それでハイおしまい、である。
世間なんて、どうせそんなもの。
花束は嬉しくないわけじゃないし、自分が他の同僚の誕生日のときにはちゃんと「おめでとう」の気持ちを込めて花代をカンパしている。
だから、みんなもそれと同じくらいには自分の誕生日を祝ってくれているはず。
それでも。
帰り支度をしながら、はぼんやりと思う。
──それでも何かが足りないと思ってしまうのは、贅沢というものだろうか。



「ダンテ。いないのー?」

ぐったりと帰宅して、が呼びかけたのは彼女の同居人。
きつい仕事の代わりに高給を貰っているが大枚をはたいて購入したマンション。
彼女の城へまるで猫のように転がり込んできたのが、ダンテなのである。
自称・のボディガードで、普段は便利屋をしているらしく、何日も帰って来ないときもある。
本当に自由気儘な男。
その癖ここにいるときは、オリーブ抜きのピザを作れだのストロベリーサンデーを作れだの、口がきける分だけ猫以上にうるさい。
何でそんなわけのわからない男をそばに置いておくのかと言えば、本当にボディガードが必要なくらいにこの辺りは夜間の治安が良くないので、女の一人暮らしを周囲に悟られたくないためである。
まあ……それだけではなく……有体に言えば、ダンテと暮らすのは楽しいのだ。
ノリのいいダンテに『今日、私の誕生日なんだ』と言えばきっと大袈裟に驚いて、派手に一緒に騒いでくれるだろう。
そう思っていたのに、彼はどうやら不在。
「『仕事が入った。出掛けてくる』」
玄関の鍵受けに無造作に置かれたダンテ手書きのメモ。
読み上げ、は溜め息をつく。
誕生日だっていうのに、一緒にお祝いしてくれるペットすらなし。
もちろんダンテは今日のことを知らないのだろうし、仕事に出掛けていく彼を責める立場でもない。
けれど、ダンテがいないとなると……
ふと、もう一人の顔が脳裏を過った。
奔放猫ダンテには双子の兄がいて、彼もちょくちょくここに訪れている。
彼の名は、バージル。
ただしこちらは猫の兄と言えども気性はまるで山猫、基本的に人に寄り付くことすらしない。
バージルとは別に仲が悪いわけでもないのだが、それでも声を掛けにくいことには変わりない。
「来てくれるとも限らないし」
虚しくなるだけかな。
だいたい、『誕生日に一人なのか?』と鼻で笑われでもしたら、間違いなく人生ワーストの気分になってしまう。
「あーもう、考えるのやめやめ!」
無性に腹が立って来て、はキッチンへ向かった。
冷凍庫には、ダンテお気に入りのアイスクリームがあったはず。
あれを食べてしまおう。
普段ならパイントのカップなどの味覚には重過ぎて最後には胸焼けしてしまう甘さが、今日は恋しかった。
スプーン片手に、いざ冷凍庫を覗こうとしたとき。

りりりりりん

電話が鳴った。
「……何よ」
こんな日、こんな時に電話を掛けてくるなんて。
アイスクリームのおかげで少し持ち直していた気分が、また沈む。
……いいや、無視しよう。
居留守を決め込み、電話の音に対抗するように鼻歌を歌いつつは再び冷凍庫へ向かう。
しかし。

りりりりりりりりりん
りりりりりいりりりりりりりりりりん

アイスクリームのカップを取り出し、蓋を開けてスプーンを突っ込んでも、二口ほど頬張っても、まだ電話は鳴りやまない。
「……しつっこい!!」
あまりのしつこさに、ついにはスプーンを置いて観念した。
ひったくるように受話器を持ち上げる。
「もしもし!!?」
『うわっ、どうした?っつうか、何で電話すぐに出ないんだよ』
「……ダンテ?」
受話器の向こうから思いがけず届いた聞き慣れた声に、は耳を疑った。
「そっちこそどうしたの?仕事なんじゃないの?」
『終わったから、電話してみたんだ。……というか、さ」
「何よ?」
歯切れの悪いダンテに苦笑した。
こういうときの彼は、何かバツの悪いことをした猫のように背中を丸める癖がある。
きっと今も公衆電話の前でそんなポーズになっているに違いない。
簡単に想像がついて、ますますの頬が緩む。
そんなのことは全く気付かない様子で、何度も言い出し掛けてはやめ、大きく息を吸い込んで……を繰り返し、ようやくダンテは本題を切り出した。
『実はさ。大金が入ったからパーッと飯食ったはいいんだけど、財布をどっかに落としちまって……このままじゃ警察にしょっぴかれちまうから、、金立て替えに来てくれねぇかな?』
情けない声で、情けない告白。
「ぶっ!」
『笑うなよ!ダセェことはよく分かってんだから!』
必死なダンテに、はくすくすと笑いを納めるのに苦労した。
「……で、今どこにいるのよ?」
『イルマーレ』
ダンテが口にしたのは、ここいらで一等高級な、それこそ気合を入れて行くようなレストランである。
ですらまだ入ったことはない。
「何でまたそんな高いとこ!だいたい、そんなおっしゃれーなとこ、ダンテ苦手なんじゃないの?」
『たまには入ってみたくなったんだよ……で、何分後に来られる?』
「しかたないなあ。じゃあ、30分で」
『サンキュ。ウェイターに保護者が迎えに来てくれるって伝えとく。……あ、一応ここドレスコードあるから、もちょっと服考えて来いよ』
「はいはい」
お金を支払いに行くだけで服まで着替えていかなくちゃいけないとは。
呆れながらも、は妙にすっきりした気分になっていた。
うっかりテーブルの上で溶けかけていたアイスクリームのカップに気づき、うきうきとしながらそれを冷凍庫へしまう。
ダンテと一緒に帰って来たら、これを一緒に食べればいい。
いちごはないけれど、ジャムとウエハースもあるから、ストロベリーサンデーもどきを作って食べてもいい。
そうだ、せっかく高級レストランに寄るんだから、ちょっとお高いシャンパンでも分けて貰って来て、それをダシにバージルを呼びつけても面白そう。
は明るい気分で部屋を飛び出した。



ダンテが指定したレストランに到着すると、は緊張しながら入店した。
一応よそいきのワンピースにストール、そしてとっておきのハイヒールも合わせてきたものの、慣れないピンヒールが既に痛い。
「いらっしゃいませ。ご予約は伺っておりますでしょうか」
きょろきょろダンテを探そうと首を伸ばしていたところをウェイターに声を掛けられ、は慌てた。
「あっ、えっと、連れが先に来ていると思うんですが……」
「お連れ様のお名前をお聞かせ下さいますか?」
「ダンテです」
答えると、ウェイターがああ、と明るく微笑んだ。
「では、お客様が様でいらっしゃいますか?」
「そうですけど……」
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。窓際の席をご用意致しております」
「え?」
支払いに来ただけなんだけど……支払いも席に着かないとだめなのかな?
訳も分からずウェイターに導かれるままついていくと、窓際の奥の席、ダンテが陽気に手を挙げるのが見えた。
いつもと何か雰囲気が違うと思ったら、ダンテはスーツをめかしこんでいる。
部屋でのラフな姿からは想像出来ないスマートな姿に、の胸が一気に逸る。
まるで別人だ。
「ちょ、ちょっとどうしたの、そのスーツ?」
「似合ってるだろ?」
「え、そ、そうかもね」
「まあ座れよ」
ぼーっとダンテを観察しているままフリーズしているに苦笑しながら、自分の目の前の席を示す。
ウェイターに椅子を引いてもらうのに合わせてぎこちない動きで着席し、ふとテーブルを見れば。
ダンテの前にはまだ水のグラスしかなくカトラリーも手つかず、ナプキンもきちんと折り畳まれて立っている。
目の前にはご丁寧に、ネームカードのようなものまで置かれている。
あれやこれやと見ているうちに、ウェイターが食前酒を運んで来た。
何気ない様子でグラスを受け取るダンテ。
そこでようやく、は何もかもおかしいと気付いた。
「ご飯、食べたんじゃないの?」
「こんなロマンティックな席で、一人で?」
笑いながら、ダンテは窓の外を指す。
外の木々にはイルミネーションが飾り付けられ、遠くの公園の噴水も月明かりに輝いている。
店内中央ではピアノが生演奏で奏でられ、横のステージでは何組ものカップルがゆったりとスローダンスに興じている。
視線をテーブルの真ん中に戻せば、キャンドル。
の目線がテーブルに落ちたのを確認してから、ダンテは彼女の前に寝かされていたカードを手前に起こす。
「えっ」
表れた文面を見て、が息を飲む。

Happy Birthday

「今日、誕生日だろ。さっきの電話は、をここに呼び出すためのウソ」
ダンテはウインクしながらグラスを持ち上げた。
「Let's make a toast to your birthday!」
ちん、とグラスが鳴る。
「ダンテ……知ってたの……?」
の声が震えた。
だって、何にも。
何にも言わなかったのに。
ダンテがにやりと笑った。
「カレンダーに丸がついてたろ。それに、何となくここ最近そわそわしてたみたいだったしな。大正解」
ウェイターがピザを運んで来る。
こんな高級レストランでもオリーブ抜きのピザをオーダーしているダンテがおかしくて、は声を立てて笑った。

──最高の時間。きっとこれ以上の時間なんてもう、来ない。

さすがにお上品な味がするねなどなど談笑しながら二人でピザに舌鼓を打っていると、ふとダンテが顔を上げた。
「やっと来たか」
「え?」
もつられて顔を上げる。
と。

「Shall we dance?」

突然、ダンスに誘われた。
の椅子の背に手を添えて来た相手は。
「ば、バージル!?」
「どうやら間に合ったみたいだな。よかった」
現れたバージルが、に目を合わせて目を細める。
それに不満そうにダンテがぶんぶんとフォークを振った。
「大遅刻だぜ。もうあんたの分のピザはねぇぞ」
「いらん。……来い、
バージルに椅子を引かれる。
「ま、待って。私踊れない」
はばたばたと手を振った。
構わずバージルはその手を取る。
「俺も踊れない。適当に音楽に合わせていればいい」
「ええっ」
優しくも振り解くのは許さないバージルの腕に引かれ、つかつかとステージまで連れて来られる。
始まったメロウな曲に合わせて二人はダンスを始めた。
すぐに、は頬を膨らませてバージルを睨む。
「……踊れないなんて、嘘つき」
が適当にステップ(たたら)を踏んでも、それに合わせて(フォローして)軽やかにリードするバージル。
手を持ち上げられれば、は自然にくるりとターンしていた。
離れたのも一瞬だけ、すぐにまたバージルの腕の中にすっぽり収まる。
「ね、もうちょっとこう……離れない?」
は真っ赤な顔でバージルの胸を突っ張る。
ダンスだから仕方ないとは言え、バージルの手は腰に添えられているし、右手はがっちりと繋がれているのだ。
おまけに、ダンテと同じように今日のバージルもきっちりスーツ。
端正な身のこなしが更に際立っている。
更に、いつもよりもしっかりと決めた彼の髪からは、整髪料の香りがふわりと漂う。
──もう、緊張の度を越え過ぎている。
離れようとしたところをぐいと抱き寄せられて、近くなった顔に思わず仰け反った背を今度は手で支えられ、逃げたポーズまで見事にダンスの一部になってしまう。
「ダンスの間は我慢しろ」
楽しそうに囁かれ、バージルの腕の中ではぐったりと観念した。



それでも何とか、がダンスのコツを掴み始めた頃。
突然、曲が切り替わった。
「……あいつ」
頭の上に、バージルの苦々しい声が降って来る。
「何?」
がバージルの視線を追えば。
「バージルばっかうまいとこ持ってくんじゃねぇよ」
ピアノ横に、ダンテがマイクを持っていた。
「Happy birthday !オレがおまえのために歌ってやるから、しっかり聴けよ!」
ダンテの大声に、ビィーンとハウリングを起こすマイク。
バージルが額に手を当てて眉を顰めた。
「愚弟が……」
「だ、ダンテって歌うまいの?」
ここが場末のバーや何かならともかく、仮にも高級レストランである。
公衆の面前、更にここの客層ならきっと耳が肥えている。
ブーイングでも起きたらどうしよう、とハラハラ見守る
そもそもダンテは何を歌うんだろう?

ピアノがゆるやかに前奏を始める。
ふた呼吸分遅れてダンテが歌い出したのは、ロックでもなければ流行りの曲でもない。
『You're Everything』
スタンダードジャズナンバー。
”おまえと一緒に過ごす時間より大切なものなんてない”

──前言撤回。今が、いちばん最高な時間。

はバージルの胸に顔を押し付けた。
「……離れて欲しかったんじゃないのか?」
意地悪く、バージルがの頭をひと撫でした。
うぅ〜と唸りながらも、は顔を上げることはできない。
「な、泣いちゃったなんてダンテには言わないで」
バージルは彼女の髪を撫で続ける。
「ああ。そんな勿体ないことはしない」
をあやすように僅かに揺らし、バージルは再びダンスを始める。
さっきよりもゆっくりと、ステップもちいさく。
「おまえの泣き顔は、俺の胸だけに留めておく」



レストランからの、帰り道。
踊って、泣いて、アルコールも効いてきて……
疲れたは、眠っていた。
ベッドとなっているのは、バージルの背中。
おんぶした彼女をなるべく動かさないよう、ゆっくりと歩く。
バージルの僅かに前には、のハイヒールを持ったダンテ。
「……ぐっすりだな。嘘ついて無理やり呼び出したけど、今日はちゃんと祝えたと思うか?」
「確かめてみろ」
バージルに言われ、ひょいと振り返り、の顔を覗き込む。
くぅくぅと眠る
その表情は……
「なるほどね」
ダンテは満足そうに唇の端を持ち上げる。
「あんた、可愛い寝顔を確かめられなくてかわいそうだな」
憎まれ口にバージルは鼻でフンと笑うが、何も言わない。
──背中があたたかくて、彼女の感触がやわらかくて、最高だ。
などと、わざわざ教えてやる必要もない。

「「Happy birthday」」

うっかりかぶってしまったセリフも、祝う気持ちはすっかり同じなのだから仕方ない。
やさしいうそつき達は、の家に着いてしまうまでの短い時間をできるだけ長く引き延ばそうと、ゆったりのんびりと歩いていった。







→ afterword

相互リンクさせて頂いた際にそちらの管理人様に押し付けた(←)夢です。

何でこうもベタなのか言い訳をさせてもらえば…自分の中で名作海外ドラマ「アリーmyラブ」が最高潮に盛り上がっている時期に書いたもので…あの人たちってしょっちゅうこんなことしてるので…それに影響されたというか…とにかくうわあ!(脱兎)
読み返すのも大変で、やっとやっとこちらにUpすることができました。

ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!!

2009.1.8