Orange Waltz 4




とある夕暮れ時。
「ダンテー!」
賑やかな物音と共に、はリビングに駆け込んだ。
しかし中には彼女の呼んだ人物ではなく、その兄しかいなかった。
「ダンテなら外出しているが」
読書を楽しんでいるらしいバージルが微動だにせず答える。
「えぇー……バイクはあるのに?」
「どうした?」
がっくり肩を落としたの様子に、何事かとちらりと振り返る。
「ん……仕事で嫌なことがあって……」
確かにの口調はいつもよりも湿っていて暗い。
バージルはやれやれと静かに本を閉じた。
「話なら聞くぞ」
いつも無愛想なバージルにしては優しい一言。
けれど、はうーんと申し訳なさそうに視線を揺らした。
「ありがと。でも、ごめん。今は愚痴るより、バイクでかっ飛ばしたい気分なんだ」
「バイクで?」
「うん」
でも、ダンテがいないなら仕方ないし。
ぽそっと付け足された一言に、バージルは眉を聳やかした。
音もなくソファから立ち上がる。
それからテーブルの上に無造作に放り投げてあった「それ」を手に取り、を振り返る。
「行くぞ」
「え、何?」
目を上げたに、バージルはちゃらりと手のひらを翻して見せた。
バイクのキー。
そうしてバージルは、威風辺りを払う様でにやりと笑んだ。

「俺がバイクに乗れないとでも?」





「バージルがバイク乗れるとは思わなかった」
手渡されたヘルメットをかぶりながらそう言うと、バージルはふんと横を向いた。
「普段乗ろうともしていないからな」
「そう。……ねえ」
「何だ」
「この紐、留めて」
顎のところの金具がうまく留められない。
もたついているに、バージルは仕方なさそうに手を伸ばした。
「いつもダンテ任せか?」
「ていうか、ダンテと乗るときはノーヘルだから」
「おい……」
だからヘルメットがなかなか見つからなかったのかとバージルは呆れた。
「彼奴は殺しても死なないから構わないが、おまえはもっと気をつけろ」
「どういう理屈……」
苦笑するの顎で遊ぶ紐をぱちんと器用に留めてやる。
バージルの指が顎に触れると、はちょっとだけ緊張した。
間近にあるバージルの端正な顔。
(性格に難有りでも、やっぱりかっこいいんだよね……)
出逢った当初から思っていることを再確認し、はそっと溜め息をついた。
これで皮肉が少なければとか、常に優しければとか、望むことはいろいろだ。
(そんな完璧な人、いるはずもないけどね)
かくいう自分だって万能じゃない。
ぼんやりしている合間にも、金具は留め終わった。
「どうした?出来たぞ」
「ああ、ありがとう」
準備も万端、バイクの後部に跨る。
しかしどこにも掴まらないに、バージルは45度だけ顔を動かして後ろを窺った。
「いつもどんな風に乗っている?」
「ええと」
前にいる人物の姿はいつもとほぼ変わらないはずなのに、中身が違うだけでどうしてこうも緊張してしまうのか。
はぎこちなくバージルの肩に遠慮がちに手を置いた。
ダンテ相手だと、もう何度もタンデムしているのでもっと気楽なのだが。
「……こんな感じ」
「それで振り落とされるなよ」
「振り落と……えっ?」
「お前の望み通り、飛ばしてやる」
「わ!!!」
ダンテよりも乱暴に、バージルの運転するバイクは一気に加速した。



何の打ち合わせもしていないのに、バージルはダンテとがいつも走る道を選んでいた。
(この辺りが双子だなあ)
そんなことを思いながら、はちょっとだけバージルに身体を寄せる。
海岸沿いで、潮風は容赦なくふたりに吹きつける。
埠頭に着いてバージルはバイクを停めた。
停めるときばかりはダンテよりもきっちり丁寧で、は何となく可笑しく思った。
いつもそうしているように、は海にせり出したテトラポッドに上がる。
足元で砕ける白い波は見ていて気持ちいい。
胸いっぱいに塩辛い空気を吸い込んで、隣にいる人物のことなど忘れて思い切り、
「分からず屋ーーー!!!」
喉も嗄れてしまえと、仕事の上司の愚痴を叫ぶ。
「石頭ーーー!!!」
「見栄っ張りーーー!!!」
などなどひとしきり言葉が思いつかなくなるまで怒鳴り尽くして、は肩で荒く息をつく。
それをしばらく見守っていたバージルだったが……堪え切れず、くっと吹き出した。
「……気が済んだか?」
頬を真っ赤にして、はまだ深呼吸を続けている。
「お陰様で!」
息が整うと、くるりとバージルに向き直る。
の顔はいつも通り、ぴかぴかの笑顔。
心底からほっとして、そのくせ態度には表わさず、バージルは踵を返した。
「帰るぞ。ここでは風邪を引く」
家へ直行してしまいそうな様子に、あっとが声を上げた。
「待って。いつも寄ってるところがあるんだけど……」
「何処だ?」
「この道沿いの、カフェ。そこであったかいココア飲むのが締めなんだけど」
さすがに呆れただろうかとバージルに並んでみる。
横から見上げたバージルは、苦笑しながらヘルメットをぽいと投げて来た。
「ここまで来たら、最後まで付き合ってやる。道案内しろ」
「やった!」
かくしてのリフレッシュツアーはバージル同行のもと、締めのココアまでちゃんと無事に行われたのだった。





とある午後。
「バージル!」
は息急き切ってリビングに飛び込んだ。
しかし残念ながら探す彼の姿はそこにはなく、代わりにダンテがひょこりとソファから頭のてっぺんを覗かせる。
「バージルなら出掛けたぜ」
「そっか……残念」
ダンテの隣にどさりと腰掛け、はあーあと嘆いた。
「ちょっと困った」
「どうした?」
いつもよりも覇気のないを、ダンテは心配そうに見つめた。
「んー。実は、廊下の古時計が止まっちゃって」
ダンテは言われた時計を思い浮かべた。
廊下にでんと置かれた、やたらと大きい時計。
年季が入って古めかしいが、重厚なこしらえはいかにも値が張りそうな品物だ。
「あれか」
「うん。お祖父ちゃんの代からある、家族の大切な想い出の時計でね。動いてないとちょっと寂しくて」
「で、何でバージル?」
「これまでも何度か止まったけど、その度にバージルが直してくれてたから」
「……ふうん」
ダンテがつまらなさそうに呟いた。
むすっと唇を尖らせて、そして勢いよくがばっとソファから立ち上がる。
「道具箱はどこだ?」
「えっ」
目を丸くするに、ダンテは親指でどんと自分の胸を叩いた。

「修理くらい、オレに任せとけって」



「だ、ダンテ……やっぱりバージル待つよ」
ふんふんと呑気に鼻歌混じりでドライバーを回す彼に、はそわそわと右往左往した。
「よっと」
ダンテの掛け声と共に、ぎぃっと音がして時計の前面が開いた。
「こ、壊さないでね?」
「おいおい」
あまりに信頼のない一言に、思わずダンテの鼻歌が止まった。
「時計くらい簡単だって。普段もっと面倒で危険なメンテもしてるんだぜ」
「例えばどんな?」
「じゅ……」
「じゅ?」
「充分注意してやるから」
言葉尻を濁し、ダンテは作業に戻る。
作業を何となく見ていられず、は傍を離れた。
「飲み物用意する」
「サンキュ」
ダンテは振り向かずに左手だけ挙げて、礼をした。



トレイにダンテの分のコーヒーを乗せて運ぶ。
ダンテはいつになく真剣な表情で時計と対峙していた。
もう鼻歌を歌っていない。
マイナスドライバーを口に銜え、ときどき手に持つ型違いのドライバーと器用に使い分けながら、迷うこともなくてきぱきと作業している。
普段あまり見かけないダンテのそんな横顔に、思わずは見惚れた。
(ダンテじゃないみたい)
正直、時計を壊されても仕方ないと諦めていたのだが、こうしてダンテを見ている限り、その心配はなさそうだった。
(絶対に直してくれる)
今日のダンテは、いつになく頼もしい。
「今回の故障は古いリューズが原因だな」
ダンテはいつものグローブを嵌めていない指で、奥のパーツをぎこぎこ弄る。
「今回はこれでいいとして、またすぐ壊れちまいそうだ」
振り返られて、ははっと我に返った。
「……そう。じゃ、新しいの時計屋に頼んでみる」
「その方がいいな」
ダンテがガラス扉を戻してネジを締め直す頃には、時計は元通りにこちこちと時を刻んでいた。
「わ。直った」
「だから言っただろ?」
得意そうに大きく笑って、ダンテはコーヒーを口にする。
おとなしくトレイを持ったまま、は言いにくそうにダンテを見上げた。
「あのー……」
「ん?」
「疲れてなかったら、もう少しお願いしたいことがあるんだけど……」



「これでいいのか?」
の指示のまま、背伸びしてバスルームの電球を取り換える。
「うん」
「後は?」
「階段の所も、できたら……」
「OK」
細々した用事もちっとも苦にせず、ダンテはまめに働いた。
の手元に溜まっていく切れかけの電球。
(実はダンテもやる気さえ出せば、バージルみたいに器用なのかも)
今まで考えられなかったことに、はくすくす微笑む。
細かい作業はあえてダンテには頼んで来なかったが、次からはお願いしてもいいかもしれない。
「終わったぞー。他は?」
ダンテが階段の踊り場から身を乗り出した。
ぐるりと見回し、はふるふると首を振る。
「とりあえず、今のとこ大丈夫。ありがとう」
「いつでも何でも言えよ」
そう言うと、ダンテはこちらに背中を向けた。そのまま自分の部屋に戻ってしまいそうだ。
「待って、ダンテ」
は慌てて呼び止める。
「疲れたでしょ。ストロベリーサンデーでおやつにしない?」
再びひょこりとダンテが顔を覗かせる。疲れも吹っ飛んだような、満面の笑顔。
「乗った」



ダンテが時計を直した夜。
「……
テーブルに隙なく並べられた豪勢な食事に、バージルが不審な視線を走らせた。
「今日はおまえの誕生日か?」
「それはこの前祝ったばっかりです!」
もう忘れたの?とはぷりぷり怒る。
スープ皿を受け取りながら、ダンテも首を傾げた。
「オレ達の誕生日でもねぇけど」
「知ってます。もう、何か特別なことがないと豪華にしちゃいけないの?」
トングを取り上げられそうになって、ダンテは慌てて手を伸ばす。
「そんなことはねぇけど」
「だったらいいでしょ」
磨き上げたクリスタルのグラスを二人に回し、はシャンパンを注いだ。
「こんないい酒を開けたのか?」
抜かりなくラベルを読んで、バージルが更に目を細めた。
「そう」
各自のグラスに黄金色にきらきら輝く液体が満ちると、はにっこりとグラスを持ち上げた。
「さ。乾杯しよう!」
「……何に?」
ダンテが訳が分からないなりに、グラスを掲げた。
うーんと考えて、はすぐに頭を振った。
「何にでもないけど、いいでしょ。今日はとにかく気分がいいの!」
「変なヤツ」
「バージルも、乾杯しなきゃシャンパンあげないよ」
「……。」
の音頭のもとに半ば無理やり乾杯は行われ、控え目に三人のグラスが鳴る。
──は本当に最高の気分だった。

無茶なガス抜きなんて絶対手伝ってくれないと思ったバージルがバイクを走らせたことも、
『修理』の二文字なんて辞書に載っていないと思ったダンテが器用に時計を直したことも、

(嬉しい発見!)
双子との生活は、まだまだいろいろありそうだと、は思った。










→ afterword

時計に限らず、細々した物を簡単そうに修理する人ってかっこいいなあと思って書きました。
作中ではヒロインがダンテに対して失礼なこと言ってますが、ダンテは銃とかもいじってるだろうし、普通に器用ですよね…?たぶん。(笑)
…逆に、仕掛けが作動しなくてぶーぶー怒ってたバージルの方が不器用な気がしないでもな…あれ?(笑)
真相が気になります。

それでは、この度は(だいぶ遅くなってしまいましたが)8万打どうもありがとうございました!!
2009.1.9