幼い頃、私はよく転んだ。
前を行く足の速い兄たちに何とかついていこうと、「待って」とだけは言うまいと、ひたすら次の一歩、また一歩と走った。
そうして焦るあまりにしょっちゅう転び——そこで兄たちは足を止め、振り返る。
結果としては二人に迷惑かけたのと同じこと。
……だけど。
「大丈夫か?」
私が泣かないか、真っ先に手を伸べてくれるダンテ兄。
「大した怪我じゃない」
傷口を見て、ハンカチで手当てしてくれるバージル兄。
ちゃんとちゃんと振り返ってくれた二人に、鼻の奥がつんと痛むのは、傷のせいばかりではないと知っていた。
バージル兄もダンテ兄も、どちらもかけがえのない家族。
時が流れ、私は転ばなくなった。
スカートから覗く膝にはもう、ハンカチも傷痕もない。
ただ……私のおてんばが影を潜めた代わりに、

「今日は誰と出掛けるっつったっけ?」
「何時に戻る予定だ?」

兄たちは少々、過保護になりすぎてしまったらしい——





boyfriends




が家出の後、家に戻って一ヶ月余り。
三人の仲は以前のように遠慮なく笑いあえる関係に戻った。
……と思っているのは、末のただ一人。
バージルとダンテは家出によって精神的に成長した妹の挙動に、いつでも内心ひやひやそわそわさせられている。



ー」
朝の忙しいひととき、ダンテの声がダイニングに滑り込んだ。
「何?暇ならご飯作るの手伝って」
バターの香る熱々のフライパンを手に、呼ばれたは兄を振り返りすらしない。
「冷てぇな」
ぼやきながら、ダンテは冷蔵庫に手を伸ばした。食材やら各人の好物やらが詰め込まれた中からトマトジュースを確保し、きゅぽんと小気味よくプルタブを開く。ごくごく飲み下せば、トマトの酸味が心地よく喉を流れていった。
「うー、やっぱ朝はこれだよな」
「私はそれだけでお腹膨れそう」
「オレにはまだまだ前哨戦だぜ」
お気に入りを勢いよく空にして、ダンテは忙しく働く妹の背中を眺めた。
「ドレスの準備はできたのか?」
「ああ、それなら」
さすがにダンテのその質問は無視できない。
振り返ったは、キッチンの入り口に現れたもう一人の兄の姿を見つけた。
「バージル兄、おはよ」
「何の話だ?」
バージルは挨拶さえもむっつりと無視。上の兄の機嫌が大抵においてあまりよろしくないのは、何も今に始まったことではない。
が、今朝は普段に輪をかけて虫の居所が悪いようだ。
「ドレスとは?」
低い声で繰り返す。
続いて、ちっと舌打ちが響いた。もちろんではない。
「あんたには関係ないって」
「お前には聞いていない」
ダンテの発言はぴしゃりと跳ね除け、バージルはにもう一度しっかり向き直る。
「一体何の事だ?」
凄まれ、は肩を竦めた。自分の兄ながらちょっと怖い。
(別に悪いことしてないのに……)
まるで圧迫面接に挑む学生のように、は僅かに縮こまりつつ口を開いた。
「明日のプロムに着ていくドレスのことだよ」
「プロム……」
バージルは顎に手を添えた。
プロムは高校卒業を祝うダンスパーティーのことだが、はつい最近まで二年も家出していたため、その間の学校の単位数はぎりぎりだったはずだ。
「卒業できるのか?単位は?」
「足りてた。あれ?言わなかったっけ」
「聞いていない」
「ダンテ兄に言ったのに」
伝わってなかったんだねーとからから笑うの横、怖い視線の長兄からダンテがつーっと逃げてダイニングから消えた。
ムッとした態度に更に貫禄を持たせるかのように、バージルは腕を組む。
「……それでちゃらちゃら着飾って行くと?」
「ちゃらちゃら、って……。せっかくのプロムナイトなんだし、変なもの着ていけないでしょ」
別にプロムクイーン狙うわけじゃないけど、とはフライパンを振る作業に戻った。
ゆらゆら上る湯気を見、バージルは溜め息をつく。
「まあな……」
妹の晴れの舞台だ。確かに多少着飾ったとしてもあまり煩く言えない。
が、問題はドレスだけではない。むしろ他に心配すべきことがもう一つ。
「誰と行くつもりだ?」
そういったイベントにはパートナーが必要不可欠。
クイーンを狙わないにしても、一人で行くダンスパーティーほど虚しいものはない。
「それなら心配いらないよ」
険のあるバージルに、はにっこり笑う。
そして、
「サムが誘ってくれたから」
ダンテでも、ましてバージルでもない人物の名をさらりと口にした。



(何でこうなったんだろう……)
は途方に暮れていた。
自分の部屋のクローゼットの前、男二人がああでもないこうでもないとドレスを広げて議論している。
朝食の後、もともと約束していたダンテに明日のドレスを選ぶのを手伝ってもらっていたのだが、こういうことには興味なさそうなバージルが靴音高く乱入し、以降しっちゃかめっちゃか。主役のは後ろに置いてきぼりなのである。
にはこっちだろ!赤!」
「愚か者が、余計な人目を引いてどうする!この濃紺だ、シンプルでいい」
「はあー?修道女にでもすんのかよ!地味だ地味!」
「花でも付ければいいだろう!」
もう決めたとばかりにバージルがドレスのタグに手を伸ばす。
「あああ待って!」
慌ててが割って入った。
彼らが見ているドレスは店からまとめて借りて来たもの、気に入った分以外は返品することになっている。タグを外したら返せなくなってしまう。
「おっと、危ねぇ」
察したダンテがバージルからドレスを遠ざけた。
もやっぱ修道服はイヤだよな?」
ずいっと赤いドレスがに当てられる。
「う、うぅん……」
は鏡に向かって目を凝らした。
ブティックの特殊な照明の中では丁度よく見えたルビーレッドは、今は確かに少々派手に感じる。金髪だったらモンローのコスプレになってしまいかねない。
「普段着ない色は浮いて見える。それに自分も落ち着かないぞ」
バージルがさりげなく濃紺のドレスを差し出した。
「んー……」
上品なのも大人っぽくていいなと候補にしたロイヤルブルーの一着は、確かにダンテの言う通り背伸びしすぎで、まるで澄ましたファーストレディのよう。
「私、これにする」
赤も青も素通りし、は奥のドレスを肩に当てた。
黒のドレス。
色は大人っぽいものの、丈が膝上と短く、ビーズとスパンコールの刺繍にレースの縁取りが可愛らしさと華やかさを添えている。
「どう?」
兄たちににっこり首を傾げ、ついでにくるりと回ってみせれば、シフォンの裾がふわりと揺れた。
「どうって……」
「悪くはない……」
ダンテもバージルも、奥歯に物が挟まったようにはっきりしない答え。
それもそのはず、妹はかつてないほど女らしく見えた。
似合っているのだが、それはそれで——
いがみ合っていたのが嘘だったかのように、二人はくるりと同時に踵を返す。
「クリーニングだな」
「アレ、クローゼットの奥だよな?」
「ああ」
「クリーニング?あれ?クローゼット?何の話?」
「じゃ、行って来る」
「飛ばせ」
バージルがダンテにバイクのキーを投げた。その間はすっかり無視状態。
普段気が合うことなど滅多にないくせに、あるとこうしてには訳が分からない。
「もう、何の話してるの?教えてよ」
ダンテが大きな荷物を抱えて窓からひらりと出て行ったのを見送り、そこでようやくバージルはの方を向いた。
「タキシードだ。プロムには俺達も同伴する」





兄妹でなんて恥ずかしい!と叫んでも怒っても、一度タッグを組んでしまった双子の結束は巌と固い。
無事にタキシードもクリーニングされ、は兄二人同伴のもと、卒業パーティーに出席することになってしまった。



パーティー当日。
下界の雲行きは怪しいが、天上はさわやかに晴れ渡っている。
待ち合わせ場所の自宅前には、しっかりおしゃれした兄妹三人の姿があった。
いつ何のために買ったものやら、タキシードはやたらめったら兄たちに似合っている。
バージルがぴしりと着こなしているのは想像できたとしても、ダンテもまた胸に赤いスカーフを忍ばせて足元はエナメルのスニーカーと意外や慣れた姿に見える。
(あーあー……)
は早くもげっそり疲れを覚えた。兄たちの顔面偏差値が高いことは、妹の自分でも見とれてしまうくらい身をもってよーく知っている。
会場では一体どれだけ衆目を集めるものやら……は頭痛を覚えた。



約束時間より少し早く、待ち人が到着した。
「あ、来た来た!サムー!」
見慣れた影に頬を緩め、は大きく手を振った。
緊張が解けた妹とは真逆に、兄二人は一気に表情が険しくなる。
「あのう、初めまして……」
愛娘の結婚相手と初めて会う父親のような堅く強張った付き添い達に、のパートナーはぎこちなく会釈した。
「サマンサです。とはいつも仲良くしてもらってます」
ぺこりと下げた頭には、サテンのリボン。
「サムは……」
「サマンサの愛称かよ……」
どんな男だ許さねぇと眦を吊り上げていたのに、現れたのは実に感じのいい少女。
彼女を前に、ダンテとバージルも安堵と疲労に肩を落とした。



プロムナイトの会場は、卒業生やその家族に教師達ですっかり祝福ムードに包まれていた。
花と風船で飾られたアーチが四人を出迎える。
きょろきょろ進めば、満たされた熱気にはひたすら圧倒された。
「ホールも雰囲気変わるね!」
「委員会のみんな、デザイン頑張ってたからね」
中には軽食やドリンクを提供するテーブル、奥にはステージが設置されていて、バンドが卒業生たちの浮かれた心を更に弾ませる曲を演奏している。
フロアの中心は音楽に身を任せて踊るカップルや、友達とはしゃぎあう卒業生でぎっしりだ。
ちらほら見かけるクラスメイトもそれぞれ気合いを入れてめかしこんでいて、授業中の彼らを知っていると何やら不思議な感じがする。
はこそりとサマンサに耳打ちをした。
「ね、ベースの前で踊ってるのってケリーだよね?」
「だね。びっくり」
「派手なドレス!目立ってるー」
「けど、それを言ったら……」
言葉を濁して、サマンサは背後を窺った。
……先程から痛いくらいに視線が突き刺さっていることに気付かないはずはないだろうに、悠々とフロアを歩くの同伴者。
目が慣れた分を差し引いても、ここで一番目立っているのは彼ら双子だ。
バージルが一歩進んではモーゼが祈った海の如く道が開かれ、ダンテがグラス(発泡しているがもちろんソーダ)を一客受け取っては人々が同じものをと給仕に群がる。
彼らの一挙手一投足が注目の的、ここは誰が主役の何のパーティーなのやら分からない。
「うわー、あれキャビアじゃない?食べてみようよ!」
無邪気にがサマンサの手を引っ張る。
クラッカーのテーブルに目をきらきらさせている、色気よりは食い気らしい彼女の様子からすれば、同伴者の心配は杞憂だったと思うのだが……。
(気苦労が耐えなさそう)
察しのいいサマンサはちょっぴり同情した。きっと今も周囲の「虫」に神経を尖らせているだろう双子に。それから、そんな厳しいガード陣を抱えているに。



パーティーは盛り上がる一方。
ステージ上のドラマーがスティックを軽快に三回鳴らすのに合わせて、バンドが次の曲を奏で出した。
「あー、この曲!」
「懐かしいね、流行ったよね」
思い入れのある旋律に、もサマンサも顔を見合わせて笑う。
他の卒業生にとっても思い出深いようで、今まで片隅で小休憩を取っていた者もフロアに戻り始めた。途端、会場の温度が上がる。
とサマンサもじっとしていられなくなり、歌を口ずさみ、爪先でとんとんリズムを取った。
——そわそわしている妹たちを見て、ダンテはバージルをちらりと窺ってみる。
バージルもやはり同じことを考えていたらしく、腕組みを解く。が、自分から動くつもりはないらしい。
ちいさく嘆息して、ダンテはポケットに突っ込んでいた手を無造作に上げた。
「サム、せっかくだから踊ろうぜ」
「えっ?」
思ってもみない誘い。サマンサはびくっと肩を震わせ足を止めた。
「で、でも」
「ほら」
躊躇う妹の友達の手を無理やり掴み、ダンテはフロアの真ん中にずんずん進む。
周りの視線が、一斉に二人に釘付けになった。
「あ、
「しょうがないから、ダンテ兄と踊ってあげてー」
困り顔のサマンサには手を振った。
「もう、ダンテ兄ってば強引だよね」
それでも、差し出されたダンテの手に頬を染めておずおず応じる親友の様子は微笑ましい。
「サム、楽しそう」
「羨ましいか?」
バージルが遠くを見つめるように目を細めた。
は素直に頷く。
「まあね。私にはパートナーいないし……」
怖い顔で横に立つお兄のせいで、とは黙っておいた。
「……全く」
唐突に、バージルがすたすた歩き出す。
「どうしたの」
見れば、兄の持つグラスは空っぽだ。
お代わりかと思いきや、バージルはそれをウェイターのトレイに預けた。空いた手を上向けて、こちらに差し伸べる。
「来い」
「え」
「早く」
もたもたしているうちに、の手がバージルに捕まった。先程のダンテとサマンサのように、手が重なる。
「……バージル兄と踊るのー?」
「独り寂しく見ているよりはマシだろう」
「どうかなあ」
ちくちく注がれる周りからの羨望の眼差しと、目の前の深い青色の瞳。その色はいつもより若干やさしく——どちらがより気になるかと問われれば、比べるべくもない。
「まあ、お兄ちゃんとダンスする機会なんてそうそうないしね」
「そういう事だ」
「じゃ……よろしく」
シルクの手袋に包まれた兄の手に、改めて自分の手を滑らせる。
互いにすこし遠慮がちな距離を保ちながら、呼吸を合わせて最初の一歩を踏み出した。
バージルのエスコートはきっちりしたステップでどこか古風で、慣れないは何度もヒールが縺れてしまう。
「……おまえ、ダンスの授業はちゃんと出ていたのか?」
「出てました!」
むっと顎を突き出す。
バージルは更に何か言いかけ……やめた。ホールの飾りが目に入ったのだ。終わり良ければ全て良しというのは自分の考えにはしっくりこないが、それでも過去をねちねちあげつらってもキリが無い。結局この場にそぐわない小言は全部引っ込める。
「まあ、無事に卒業出来て良かったな」
「う、うん」
突然おだやかに雰囲気をゆるめられ、はすこしだけ身構えた。文句となると口数が増える兄にしては珍しい。無論、怒る兄より笑う兄の方がいい……と、思う。
「お兄にはほんと世話になったよね」
「課題の、か。色々あったな」
「もう手伝ってもらわなくていいからね」
「当然だ。二度と手は貸さん」
きつく言い切って、それからバージルはふっと笑った。苦笑や微笑の類いではなく、ほぼ全開の極上笑顔。
「!!」
がんっ!
あまりにレアなその表情に、は盛大にコケた。
すかさずバージルが腕で支える。
「おまえは3分とまともに踊れないのか」
「……っ、これはバージル兄のエスコートが悪いの!」
「何だと?」
「ほらっ、その態度!ダーシーみたい」
文句を垂れた矢先、
「あっ」
再び、バージルの革靴につんのめる。
「おい……おまえをリディアにはしたくないんだが」
「ごめん。でも、エリザベスも無理みたい」
謝って、ふと顔を上げた先、ダンテもサマンサに詫びているのが見えた。ダンテもに気付く。それから、互いに罰の悪い顔で目を逸らした。
「……交代した方が賢明だな」
「えっ」
するりとバージルがから離れ、サマンサの手を取った。
「踊り直したいから、付き合ってくれ」
これまた突然の交代だったが、ダンテに何度か激突されたらしいサマンサは、すぐにぺこりとお辞儀した。
「よろしくお願いします」
二人が軽やかに踊りだすと、辺りに称賛のため息が幾重にも広がった。
エキシビションのように舞う二人と、……余ったダンテと
「みじめ……」
「ま、それぞれ得意分野ってもんがあるだろ」
「うん……そうだね」
サイダーを受け取って、賑やかな会場を見渡して……はとあることを思い出した。ダンテも同じように気付いたらしい、可笑しそうに辺りを見回す。
「ここのテーブルじゃかくれんぼは出来ねぇなー」
「長いテーブルクロスがないとね!」
二人はぷっと吹き出した。
幼少時、母が連れて行ってくれた規模の大きなクリスマスパーティーでのこと。出された食事を残さず食べ尽くしたダンテとは、大人たちがコーヒーと会話を楽しんでいる間の退屈な時間、バージルやその他「いい子たち」が大人しくボードゲームに興じている輪からそっと抜け出し、会場のテーブル下の大きさと掛けられたクロスによる視界の悪さを活かし、派手にかくれんぼを始めたのである。それはちゃんと静かに遊んでいた他の子どもたちにとっても大変魅力的な遊びで、参加者はどんどん増えて——最終的に、ダンテとは母と兄にきつく怒られたのだった。
それから10年以上。どうしても自分たちはお上品なパーティーは苦手なようだ。
「なんか、変わってないよね」
「いいことじゃねぇか」
ダンテはけろりとしたものだ。
「こっちはこっち。適当に踊ろうぜ」
にっとやんちゃに手を伸ばす。ダンテの笑顔に誘われて、も気が楽になった。
「こういうのって、型じゃねぇだろ?」
「邪魔にならなければね」
優雅に踊るカップルからは距離を置き、ダンテと二人で踊るのは、リズムに合わせてはいるがステップという概念など全くないダンス。
「ね、バージル兄が見てる」
「『Not classy』って顔か?」
「うん、そんな顔。ここはクラブじゃない!みたいな」
「関係ねぇな。だってあいつらも楽しんでるんだろ?」
「ちゃんと踊ってる」
「じゃーこっちも楽しまなきゃな」
かくしてフロアでひときわ目立つ二組のカップルが踊るのは、一方はまるでブラックプールのダンスホールから飛び出したような社交ダンス。もう一方は、もっとあざとい照明が目立つ小さな会場が似合うようなダンス。
前者は保護者や教員たちから、後者は卒業生たちから、それぞれ注目を浴びた。



ラストダンスも終え、テーブルの上の食べ物や飲み物があらかた空っぽになると、皆の興味はある一点に絞られた。
今宵のキングとクイーンは誰だったか、である。
既に各々が投票を済ませ、後は発表を待つばかり。
「やっぱりケリー?」
「どうかな。クイーンは彼女で問題ないけど、キングは……」
サマンサはうーんと首を捻った。
キングとクイーンはその名の通り、カップルで選ばれるもの。
サマンサ達と同クラスのケリーは確かにとびきり目立っていたが、その隣に立っていたパートナーは……どんな顔でどんなタキシードでどんな立ち振舞いだったのか、まるで思い出せない。
「じゃあ誰が」
が疑問を呈したとき、ざわざわしていた会場から会話がぴたりと止んだ。
ステージに司会が上がったのだ。
いよいよ発表の瞬間。
大袈裟なドラムロールと飛び交うスポットライトで、否でも応でも緊張が高まっていく。
『……今夜の映えあるカップルは!』
DJが噛り付きそうな勢いでマイクを掴んだ。

『バージル&サマンサ!』

途端、わぁっと歓声が弾ける。
『今年のキングにクイーン、どうぞステージにお越し下さい』
DJがステージ脇へ避け、二人を手招きした。
「うそ……」
サマンサは狼狽してバージルを見上げた。
まさか、こんなことになってしまうとは。
迷惑そうな素振りを見せるかと思いきや、バージルは涼しげな瞬きひとつでサマンサの前に立つ。
「行こう」
「でも……いいんですか?」
「妙なダンスをしていた連中に渡してもいいのか?」
「……。」
軽く腕を曲げて促され、サマンサはバージルの内肘に手を入れた。
「この色男!」
ダンテが口笛でやんやと囃し立てれば、
「サム、笑って笑って!」
はかちんこちんの親友にエールを送る。
ぱちぱち途切れない拍手の合間、ダンテはの頭にぽんと手を置いた。
「クイーン、残念だったな」
「ん?まあ、パートナーに膝ぶつけられた時点で諦めたよ」
「オレのせいかよ」
『なお、今年は一位に非常に僅差のカップルがいたため、特別賞を設けております』
「どう考えてもダンテ兄のせいでしょー?」
「いいや、おまえが赤いドレス選んでたら、もっと目立ってこんな結果になってなかったね」
「まーだ根に持ってるの?」
『ダンテ&!』
「赤いやつ、最高にセクシーだったのに」
「これだってなかなかでしょ?」
『ダンテ&!!』
「まあな……でも」

『ダンテ&!!!』

「あ?」
「なに……?」
軽口を止めてみれば、いつの間にか自分たちの半径1メートルから人が消えていた。
『ダンテ&、今年のプロムブラザー&シスターです!』
「はあ?」
「何それ!」
『お二人も壇上に上がって下さい!』
「プロムブラザーだって?」
「シスターってー?」
ステージ上ではバージルが口元を手で覆い、必死に笑いを堪えている様子。
「……これってつまり、ラズベリー賞みたいなもの?」
「いやー、そんな悪くないだろ?貰えるもんは貰っとこうぜ」
とんとの背中を押して、ダンテは悠々と大股で歩きだす。周囲には先程と違う喝采が広がった。応えてダンテは調子よく手を挙げる。
(受賞っていうより凱旋……)
ダイナミックな歩き方に苦笑しつつ、は兄の後ろにくっついていった。
そうしてステージに揃った四人には、この日いちばんの盛大な拍手が贈られたのだった。





今夜はやけに明るい。
達の思わぬ受賞を喜ぶように、天頂の月もほくほく丸く満足そうだ。
サマンサも無事に家まで送り届け、長かった一日もあとすこし。
けれどご機嫌な月の下を歩くの語気は、何故だか荒い。
「ティディとか!今夜のスーツ、最高に決まってたよ」
「どいつ?」
「どいつ、って……緑のタイをしてたけど」
「ああ、アレか。あいつ、ジュース派手に零してたぜ?」
「きっと緊張してたんだよ。可愛いじゃない」
「オレが台所で水零しただけで、こーんな目ぇして怒るくせに」
「……じゃあ、バートは!?まさか今夜来るなんて思わなかったけど」
「どの男だ?」
「黒縁の眼鏡の」
「あぁ、あいつか。教師にずっと付きまとって、量子力学だかの質問をしていたな」
「……ま、真面目でいいじゃない」
「俺が読書で食事に遅れるのも許さないおまえが、あれに耐えられるとは思えんが?」
「……もう!!」
この調子では、どの学生も貶されて終わるだけだ。
は疲れ切って兄二人を眺めた。
(ちょっと「あの人かっこよかった」って口滑らせただけなのに)
何時の間にやらダメ出し大会。
確かに、この二人よりも格好よく、それでいて性格も申し分なく、あらゆる意味で目の肥えてしまった自分を惹きつける何かを持った異性を探すのは、相当に——
「どうした?」
「ま、そのうちいい男が見つかるさ」
バージルはふんと顎を反らし、ダンテは手を頭の後ろで組む。
その余裕綽々な態度といったら。
(私が兄貴たちから卒業する日はかなり先かも……)
——悔しいが、兄だということを認識した上でも、バージルとダンテはパーティー会場でいちばん魅力的だった。
「ふえっくしょ!」
剥き出しの肩の寒さに、身体がついに音を上げた。
「おまえにはまだそんな色気づいたカッコは早いってことだな。これ、預かってろ」
ダンテがジャケットを羽織らせれば、
「同感だ」
バージルはマフラーを巻き付ける。
「靴は?足死んでねぇか、そんな高い踵で」
「そこまでは大丈夫です!」
抗議した直後に右のヒールが倒れた。
「ほーらな。素直に履いとけって」
ダンテがスニーカーを脱いでの前に揃える。
「……。」
無言で痛めた足を兄の靴に突っ込むと、不要となったハイヒールはバージルが持つ。
「この靴の出番はもう当分先だな」
「どうせ……」
むすっと唇を尖らせながらも、着せられた衣類は兄たちの体温であたたかく、心地よすぎた。
胸元をしっかり合わせる。と、爪に堅いものが触れた。どんなときでも肌身離さず身に付けている、聖水入りのペンダント。母がくれたお守り。
この存在を思い出す度、使う局面が脳裏を過って胃がきゅっと痛む。けれど、今夜はそんな危機は来ない。絶対に。
(今日も使わなくて済んだよ、おかあさん)
バージルとダンテ、ごく自然に二人の真ん中にいられるのは幸せなこと。
(心配性すぎるのも困るけど)
それでもは思いっきり首を縮め、かぽかぽ足を鳴らして歩く。
上着とマフラーの暖かさは、家に着くまで冷めなかった。







→ afterword

20万ヒットお礼、最後のひとつです。いつもながら更新が遅くてすみません;

季節外れも甚だしいですが、プロムはいつか絶対に書こうと狙っていました。青春!
プロムに限らず、「好きな人と好きな音楽、じゃあ踊ろうか」みたいな文化が大好きです。
相手が双子なら音楽はワーグナーでもガガでも何でも構いません、躍らせて下さい!

途中出て来た「ダーシー、リディア、エリザベス」は『高慢と偏見』の登場人物です。ダーシーは高慢で不愉快で…と誤解されやすい、本当はとても誠実な男性。ものすごく好きな作品なので、名前を使ってしまいました。ダーシー(*´Д`*)

それでは……すこしでも楽しんでいただけたなら幸いです。
読んでくださって、本当にありがとうございました!
2010.1.27