「なー、トマトジュースねえの?」
「ショウユも切れそうだぞ」

ステレオのように左右から聞こえてくる、そんな要求。
「重いんだから、ちょっとはか弱い女の子の身にもなってよ!」
怒った私に、ジュースを催促したダンテは「か弱い?まあ……そうか?」と肩を竦め、醤油の補充を指摘したバージルは「それでもおまえに頼むしかない」とすました顔をした。

買い出しの荷物持ちすらしようとしない二人だけれど──それには私と彼らとの不思議な出逢いを含め、一応は理由がある。




mission : Ex




兼ねてより名乗りを上げていたアメリカ支店での勤務を勝ち取り、東海岸の片隅で念願の一人暮らしを始めたのは、この秋のこと。
生まれて初めて両親の家を離れ、しかも慣れない海外でアパートを借り──さすがに前より居住スペースは狭くなったけれど、その代わりに比べ物にならないくらいの自由を手に入れた。
引っ越し代は会社負担だからと気楽に大量に連れて来てしまった段ボール箱をひとつひとつ開けて荷物を取り出し、好きなように家具を配置して……引っ越しは大変だったけれど、友達を呼べる程度には何とか片付いた。
ほっと一息入れようとしたとき、
「ん?」
自力で組み上げたばかりのテーブルの上に、見覚えのないものがあった。
「DVD?」
プラスティックの縦長ケースを手に取り、表と裏を交互に調べる。
それはどうやらDVDではなく、ゲームソフトのようだった。
「聞いたことあるような、ないようなタイトル」
タイトルの後ろには『3』と付いている。そこまで続いているからには、そこそこ人気があるシリーズなのだろうか。
「弟のかなぁ」
彼はあまりゲームをしないけれど、両親のものとはもっと考えられない。もちろん私が友達に借りたわけでもない。やっぱり弟の荷物が何かの拍子に紛れてしまったのだと考えるしかなかった。
余計な物のために送料が上がってしまったと後ろめたさが忍び寄ると同時に、何故かふとこれに興味が湧いた。
「……やってみようか」
片付けが一段落したら、普段しないことをしてみたくなったのかもしれない。
幸いそのゲームに対応した本体なら持っている。DVDも見られるからと、弟がお古をくれたのだ。それだけじゃ悪いとお小遣いをはたいてプレゼントしてくれた変圧器も、さっそく出番を迎えたと言うわけだ。
「やっぱりあの子のかな」
ひとりごちながらコントローラを差し込み、本体にディスクをセットする。
しばらく待つとゲームが起動した。
「New Game」
新しくゲームを始めれば、すぐにムービーが流れ始めた。
水の音と、金属の音。
薄暗い画面をよく見れば、雨が激しく降る中でご苦労なことに、赤い服の人と青い服の人が戦っているようだ。
「……見分けがつかない」
ふと、母が以前、外国の人の顔の見分けがつかないと話していたことを思い出した。私もそうなのかもしれない。
だけどそもそもキャラクターを区別するよりも、二人の動きが速すぎてよく分からない。
「あ!?」
片方がもう片方にぐっさり刺されてしまった。
「え?え?」
よく状況が掴めないうち、シーンが切り替わる。
さっきの二人のどちらかなのだろう、いきなり上半身裸でピザなんて食べている。雨のシーンは回想か何かだったのだろうか。
「……私もお腹空いたなぁ」
空腹で一瞬現実に立ち返る。
ゲームなんてしてないで、夕食を作るべきなんじゃないだろうか。
「冷凍ピザなんていいかも。買って来ようか」
画面から目を離して腰を浮かした時、ブブブッと手元のコントローラーが振動した。
「えっ!?」
テレビを見れば、もうムービーは終わってしまったのか、裸の彼は死神みたいな人に囲まれている。
どうしようとわたわたしていたら、ぐさりと彼が刺された。またコントローラーが震える。
「痛い!」
いや、自分が痛いわけはないのだけれど。
とりあえず、動かしてみよう。
私はスティックを倒してみた。
「わ、動いた!」
当たり前だ。私が操作した方向に彼は動く。ボタンを押せば、ジャンプしたり、銃を撃ったり、大きな剣を振り回したり。
「難しいなぁ」
これはアクションゲームというものなのだろうか。
死神と押し問答のように斬って斬られてを繰り返すうちに、
「あ。」
彼が膝からくずおれて、前のめりに倒れてしまった。
そのとき。
“何やってんだよ?”
台詞を当てるならきっとそんな感じ。彼がものすごい不機嫌な顔を私に見せた。



「……?」
今のは何だったんだろう。
一瞬キャラクターがこちらを睨んだような気がする。
(そんな演出なのかな)
あまり感じのいい演出とは思えないけれど。
何しろこっちはろくにコントローラを持ったこともない初心者なのだ。それがいきなり、死神との戦いに放り込まれた主人公を操作しろと言われても。
「あんまり期待されても困るんだけど」
とりあえず、私はボタンを押してコンティニューを選んだ。下手は重々承知している、だけどやられっぱなしは面白くない。
「もう一度!」
同じように現れた敵相手に剣や銃で応戦し──
「ああ。」
やっぱり負けてしまった。
力尽きたキャラクターは、またも倒れる寸前に私を見た。
しかも今度は、
びしっ
責めるような指差し仕草つきで。



よく分からないけれど、これはそういうゲームらしい。
下手なプレイヤーに対し、キャラクターが不満を示す。
手を広げたり地団駄を踏んだり、肩を落としたり顔を振ったり。操作にもたつくうちに一方的にやられてしまって、あんぐり口を開けられたこともあった。
(よくもそんなにバリエーションが用意されてるなあ)
あまりにもコンティニューが続くと、彼が疲れて動きにキレがなくなるような錯覚さえ起こす。
そんな内容だと思い込んでいた最初のうちは、とても感心していた。
でも……
のろのろとミッションを進めるうちに、さすがに何かおかしいと思えてきた。
彼(名前はダンテと言うらしい)はあまりにいきいきと──私を本当に怒るかのような表情をする。
まるで、私とコミュニケーションを取るかのように。
「……いや、まさかぁ」
ゲーム業界が日々進化していることに私が疎すぎるとしても、さすがにそれはありえない。……たぶん。
そう思いつつも『そうだったらいいな』と、ちょこっとだけわくわくする自分がいる。
何だかんだで、ダンテはとても魅力的なのだ。





今日はミッション7。
昨夜解くことが出来ずに眠気でギブアップした仕掛けを何とかクリアし、道をどんどん進む。
建物の頂上へ辿り着くと、ダンテの双子の兄が待ち構えていた。こちらはバージルと言うらしい。
ダンテは銀の髪をさらりと下ろしているけれど、バージルはきっちり前髪を上げている。このオールバックのせいで若干バージルの方が怖そうなイメージが強いが、あと他にダンテと見た目的に違うのは、服が赤いか青いかくらい。これでは私がオープニングで見分けがつかなかったのも仕方ない。
「うーん……」
どちらも甲乙つけがたいくらい、格好いい。
彼らの映画みたいなやり取りにぼーっとしているうち、画面が切り替わった。
「ああ、始まった!」
ムービーが流れて戦いが始まるこの『ボス戦』パターンは何度も経験している。犬もムカデも風神雷神みたいなのも、指にタコが出来るくらいに倒すまで本当に苦労した。何度も地についたダンテの服の膝は、擦り切れてボロボロになっていると思う。
今度もそうなるのだろうか。
「がんばって」
ダンテは任せろというように剣を構える。
私の操作するダンテは、それでもミッション1よりはスムーズに動くようになったと思う。
……思っていた。
「何でぇ!?」
がくり。ものの1分くらいでダンテが膝をついた。
「何もさせてもらってないよ!」
もう一度。
二丁拳銃を乱射してみる。が、バージルはそれを日本刀をくるくる回して盾のように銃弾を防いでしまった。
「ちょっと、それって卑怯なんじゃないの!?」
銃が駄目なら、もう剣しかない。
最近使いこなせるようになったコマンドを入力して、突進させる。が、それもバージルは左腕一本で弾いてしまった。
剣と交わると、がきぃん!と鳴る腕……彼は鋼鉄のプロテクターを着けているとでも言うのだろうか。
「どうなってるの!?」
そうこうしているうちに、見慣れた『Rest in peace』の赤い帳が画面を覆う。
銃も剣も利かないとは聞いていない。……これはちょっと、先が見えない。
それからいろいろ試行錯誤しつつ更に10回くらいはコンティニューを繰り返し、ついに私はコントローラから手を離した。指がもう限界だ。
「また明日……」
ゲーム機の電源を切ろうと指を伸ばしたものの──見慣れた赤い画面はゆらりと私を挑発してくる。
「……やっぱり、今日なんとかクリアしてみせる!」
負けて終わりはやはり悔しい。
ここ数日で、ダンテの性格が乗り移ったのかもしれない。
「もう一度!!」
コントローラを握り締めて、バージルと向かい合う。心なしかダンテばかりでなくバージルもうんざりと疲弊しているように見えるけれど、それこそ私の消耗した目の見間違いだろう。
「どうしようか、ダンテ」
さっき覚えた『ポーズ』でゲームの時間を止めて、作戦を練る。
真正面から突っ込んで行ってもガードされるだけなのはよーく分かった。
だったら、バージルの攻撃を避けてから突破口は開けないだろうか。
「攻撃仕掛けるばっかりで、避けたことなんてないけど」
ポーズを解除してから、離れたところでダンテをジャンプさせたり横転させたりしてみる。避ける練習。
画面奥ではバージルがいらいらと何事か呟いているみたいだけど、こっちはそれどころではない。
「あっ」
間違えて挑発ボタンを押してしまった。
『Come on, wimp!』
遠巻きからのダンテの挑発に、向こうでバージルが怒って何か叫んでいる。これはちょっと武士道精神に反していたかもしれない(単なる操作ミスだけど)。
「ごめんごめん」
バージルに謝って、しかし更にもう数回だけ避ける練習をしてから、ダンテをバージルの傍に走らせた。下手に攻撃はしない。周りをうろちょろすると、予想通りにバージルが刀を抜いた。これに当たったら意味がない。
「っ!」
私は体も手も斜めにして、ダンテを横転させた。見事バージルの攻撃は空振りしている。
「やった!!」
第一段階達成で喜ぶ私に、ダンテが「反撃のチャンスだろ!」と手を振り上げた。
「あ、そうだよね」
それからはもうガチャガチャと……このゲームの味であるスタイリッシュさなど微塵もない攻撃を続け、必死にごろんと転がって(たまに避け切れないこともあった)、コンティニューの度に目覚ましい進歩を遂げ、ついに私とダンテはバージルを負かした。
「やったー!」
バージルの体力ゲージを先に空にしたとき、私は思わず腕を振り上げていた。
できるものならダンテとハイタッチしたい。
そんなことを思っていたら、オープニングで見たことがあるシーンが始まるまでの、ほんの一瞬のタイムラグの間──ダンテがこっちに笑ってくれたような気がした。



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