彼ら双子はゲームの世界からこちらの世界へやってきた。
荒唐無稽だと言われようが、彼らと私にとっては真実なのだからどうしようもない。
「このゲームおかしいんですけど」などとメーカーに馬鹿正直に問い合わせてみたところで、返信が来る見込みは無いだろう。
そもそも問い合わせる気もないまま、彼らと私の暮らしはのんびりと続いていた。




ultimate mission : Ex




今日も今日とて、ダンテは暖かい部屋の中に引きこもってゲームをしている。いや、正確に言うと、彼には『特に用事がない時はなるべく家でおとなしくしてもらっている』のだ。
何せ彼の元いた世界と違い、こちらは本日も快晴快適。人類を脅かす存在は悪魔じゃなくて悪政だ。そこに銃と剣を携えた双子の介入は必要ない。
「図書館へ行く」
本の塊を抱え、バージルが立ち上がった。ゲームはしない彼の暇潰しは、専ら読書だ。もはや私の一生分の専門書を読んだんじゃなかろうか。
「もっと規模の大きい図書館はないのか?」
こう問われるのも、初めてじゃない。
心当たりのある近場の図書館はもう教えてある。私はパソコンでもっと広範囲の地域に検索をかけ、分室から本館までいくつか見繕ってプリントアウトしてあげた。
「道は分かる?」
私なりに気を遣ったつもりだったのに、バージルは小馬鹿にしたように鼻で笑って答えた。全く可愛くないったら。
「はい、鍵」
せめて自転車を貸そうとしたら、
「要らん。歩いた方が速い」
すげなく断られた。
しかし、自転車より速い徒歩って何だ。
「あの、何度も言うけど。魔人化は禁止だよ?」
悪魔が普通に出て来る彼らの世界と、狸や熊に猿など野生動物の出没でニュースになるこっちの世界が違うとは、耳にタコの地層が出来るくらい伝えている。
いかにも不機嫌そうにバージルは溜め息をついた。
「しない。ただ効率良いルートを行くだけだ」
言うが早いか、彼は窓から飛び出した。
「ちょっ、あぶないっ!!」
制止は虚しく空に掻き消える。
素早い。とにかく、『効率の良いルート』は常人には目で追うことさえ出来ないのは理解した。
「効率いいルートって……屋根……?」
「あいつも結構ストレス溜まってんのかもな」
私の横で、ダンテがのんびり呟いた。
「ま、見られるようなヘマはしねぇと思うから安心しな」
「……うん。それに、見られても目の錯覚扱いかな……」
自分だって、今のいま見たものが信じられないくらいなんだから。
やれやれとダンテの隣に座る。
空いているコントローラを持ち、ゲームに乱入した。そういえば、いつからかこんなに普通にゲームを遊ぶようになっている。
私の生活は変わった。
だけど、彼ら双子の生活はもっと変わった。
「やっぱり、ストレス溜まってる?」
あれもダメこれもダメ、の生活はさすがに厳しいか。
「まあなー。でも、外行けば行くなりのややこしさがあるからな」
「私が外出するようにはいかないよね……」
双子がこちらの世界に来た当初、それこそ私はありとあらゆることに怯えていた。
何せ若い女の一人暮らしだったはずの部屋に、いつの間にか男二人が転がり込んでいるなどと知れたら──世間体やら周りの目線やら外聞やら──いくら社交的な人間が多い国だとは言え、考えるだに恐ろしい。
親戚縁者などと都合よく取り繕おうにも、黒髪の女と銀髪の双子では、遺伝子レベルからして誤魔化すのが難しそうだ(せめて私に白雪姫くらいの美貌があれば、無理を通せたかもしれないが)。
けれど、一番の問題はそこではなかった。──彼らがうちの扉から現実世界に踏み出したら、実際どうなるのか分からなかったのだ。
1.元の世界に戻る。
2.何も起こらない。
3.姿が見えなくなる。
4.存在ごと消える。
5.etc
……いくら議論を重ねても、答えなど出るはずもない。
それに不思議なことに、彼らがこちらに来てからというもの、ゲームのディスクがどこにも見当たらないのだ。パッケージは空っぽのまま、テレビ台の棚に収まっている。
だから確かめようにも、向こうの世界が今はどうなっているのか皆目分からない。もしかしたらそこに何がしかのヒントがあるかもしれないのに。
こちらに突拍子もなく現れてから今のこの瞬間まで、二人は帰りたいとも帰りたくないとも口にしなかった。
私も、二人に帰って欲しいともここに居て欲しいとも口に出さなかった。
そんな訳で、二人は狭い家の中で特に何をするでもなく過ごす、ひどく無為な日をいくつか重ねていた。
しかし──当然ながら、それも数日しか持たなかった。
自分の意思でなく、ただ部屋におとなしく収まっているだけなどそもそも無理だったダンテが、缶詰生活に嫌気が差したのだ。
「そう簡単にあっちとこっちを行き来できてたまるかよ!」と、扉から果敢に足を踏み出し──別に存在が消えたり見えなくなったり、ゲーム的なエフェクトがかからないことを、身をもって証明した。
そうして、バージルは気儘に図書館へ出掛けるし、ダンテも自由にお酒を飲みに行くという、今の状況に至っている。
でも、いくら彼らが夢幻の存在でないと立証されたところで、一般人の中でひときわ目立つのは変わらない。普通に外出するだけで、有象無象の人間が寄ってくる。彼らも、その面倒臭さにはさすがに閉口したようだ。
そうそう、今のところ、隣人には双子の存在はバレていないようだ。お堅い国から来た人間ということで、パーティーやバーベキューへの参加を強いられたりしていないのも幸いしている。
(だから、このままあんまり目立って欲しくないんだよねぇ……)
彼らも、人あしらいと外出したい気持ちとを天秤にかけると、「うちに居るか」という気分に傾くことが多いのか、あまり積極的に外へ出ない。
不憫だとは思うけど、目立つ容姿をどうこうしろと言われても無理な相談だ。
「オレ達、『ニート』ってヤツなんだろ?食費くらいは稼がねぇとな……」
また一つ空になったコーラの缶を見つめ、ダンテが真面目な顔をつくった。
殊勝な態度に、私はそっと目を細めた。
「あれ?ダンテってば働くの嫌いじゃなかったっけ?」
「おい。働かざるもの食うべからず、って言うだろ」
「へー、それは同じなんだね」
感心したら手元が留守になったか、ダンテに負けてしまった。四六時中ゲームをやり込んでいる彼は上手い。
「『スーパーデビルブラザーズ』って、他にねぇの?これ飽きた」
「さぁ……私も詳しくないから」
そもそも、ダンテ達が主役のゲームも自分で買ったものじゃない。
『スーパーデビルブラザーズ』は、超有名タイトルだから面白いのかなと、おもちゃ屋さんで適当に選んだだけだ。
「赤いのが兄で青いのが弟って、逆だったら良かったのにね」
コンティニューで再戦を申し込む。
「やめてくれ……オーバーオールは許せねぇ」
ダンテはぶるっと身震いした。
「だけど配管工って、よく考えたらちょっとセクシーじゃない?」
「人によるだろ」
またダンテが勝った。
「オレなら依頼の電話がひっきりなしに入るけどな」
「はいはい」
否定はできない。
それが声に出てしまったか、ダンテはふとコントローラを置いた。
「配管工か……」
今度は私がぶるりと震えた。
「思いつきはやめてね?水道管を爆発させて手に負えなくなるとか、どうせ私に賠償責任が回ってくるんだから」
顎に拳を当てて悩むダンテに釘を刺す。……が、意外にもその横顔はひどく真剣だ。
なるほど。労働という理由があるなら、彼らも気兼ねなく外出できる。周りの人に存在を気付かれても、職あり職なしでは同じ同居人でも印象がまるで違う。
ダンテが人に囲まれるのさえ嫌じゃなければ、案外いいかもしれない。
「……ねえ。もしも、ダンテが本当に──」
「何の話だ?」
「わっ!」
背後からの突然の声に、飛び上がってしまった。
もう帰って来たのか、バージルがこちらを見下ろしている。
「お、お帰り。早かったね」
「借りるだけだからな」
またどっさりと本を仕入れてきたらしい。出掛ける前より、彼は機嫌が良さそうに見えた。
「それで、何の話をしていた?」
バージル専用ソファ(買わされた。バージルはダンテや私と違って、絶対に床に座ろうとしない。ただでさえ部屋は狭いのに、省スペースという言葉は彼の辞書には無いようだ)に足を組んで座る。
「オレの新しいシゴトの話」
ダンテがコントローラを片付けた。ついにゲームに飽きたようだ。
「俺は決まったぞ」
さらりとバージルが言った。
「は!?」
「え!?」
あんぐりと口を開くダンテと私の前に、バージルはぴらりと一枚の紙を靡かせた。
それを目で追い、更に驚く。
「図書館の……司書ー!?」
一般的にも人気がある上にポストが空かないその職に、どうやってもぐりこんだというのか。
私の疑問を察したらしいバージルは、ますます得意気に片眉を上げた。
「『こちら』へ来たばかりで、伝手はないが職を探している、と」
「それだけぇ!?」
「ああ。ふと思い立ってな」
「思い立ってぇ!?」
これだから美形は!就活の地獄の苦しみを味わわせてやりたいくらいだ。
地団駄を踏みたい私の横で、ダンテはとても神妙にしている。私は先程の続きを思い出した。
「……ダンテ、ほんとに働きたい?」
彼はぱっとこちらを見た。空色の、希望に満ち満ちた瞳。
「司書以外にしてくれんなら」
「もちろん」
私は大きく頷いた。
バージルの行動で、ちょっと考え直したのだ。彼らの容姿、むしろ有効に使うべきなのかもしれない。
ダンテならきっと面接も一発で合格するだろう。
「ダンテ、服着替えて。さっそく出掛けよう!」
とある職場、私には確信があった。





バージルが司書の座を掴んだ日──その日の内に、私の予想通りダンテもあっさりと仕事に就いた。
週の中日だというのに「明日から来てください!」と店長に指示され、さっそくダンテも初出勤である。
心配なので、様子を見に行くことにした。
『トイザまス』。
おもちゃ屋さんが、ダンテの職場である。
この前ゲームを買いに来たときに来たこの店が、何となく彼に似合いそうな気がした。
(ピザ好きだからイタリアンレストラン系でも良かったんだけど)
食べ物屋さんだとつまみ食いして怒られるリスクがあるから、結局おもちゃ屋を推薦したのだ。
どきどきしながら自動ドアを通る。
真正面のメインレジに、頭ひとつ飛び抜けて背が高い人物がいた。もちろん、ダンテだ。
ダンテは可愛らしいエプロンを身につけ、ホリデーシーズンの買い物客をきびきびと捌いている──右から左へ誘導しているだけにも見えるが、お客さんは何だかみんな楽しそうだし、後ろで店長がにっこにこしているのだから、働きとしてはあれで充分なのだろう。
様子も確認できたし帰ろうかと思ったけれど、ちょうど列が短くなってきたので、実際にダンテに対応してみてもらいたくなった。
適当に選んだ乾電池を手に、最後尾に並ぶ。
クリスマス前だからか、かごを商品でいっぱいにしている前後のお客さんに、列は遅々として進まない。
さすがに待ちくたびれてきた頃、やっと順番が来た。
「お待たせしました」
ダンテがとびきりの営業スマイルで迎えてくれ、
「何だ、か」
すぐに通常モードに降格した。つまらない。
それでも、胸の中の不安は溶けて消えた。
あの笑顔で迎えてもらえたなら、お客さんはいくら待っても後悔することはないだろう。
「ちゃんと仕事できてるみたいだね」
茶化すと、やたら背の高い店員さんはばーんと胸を張った。
「当たり前!」
それから得意げにくいくいと人差し指でもっと近くに私を寄らせて、ダンテは声をひそめた。
「ちゃんとどころか、ブラック・フライデー越えの売り上げだってよ。昼飯の時に店長に誉められた。ハンバーガーとコーラも奢ってくれたんだぜ」
「そう」
ちょっと苦笑してしまう。
ダンテは赤いエプロンを着込んでただカウンターにいるだけだが、レジに長蛇の列が形成される→店の外から、『凄いセールでもやってるのか?』と更に客が集まる→場違いなほど美形の店員を発見する→買い物かごを山にして会計に並ぶ……というループが作られている。これは店長も発注に忙しくなるだろう。
「良かったね」
ダンテの方は問題なさそうだ。と、後ろで囁き声がした。
『え、あの人……ダンテそっくりすぎない?銀髪、ウイッグかな?』
『それにしちゃ違和感ないし綺麗だね。めちゃくちゃかっこいいし、本物みたい』
キュッと心臓が縮まった。
そうだ。この世界でダンテとバージルを知ってるのは、何も私だけじゃなかったんだ。
(ど、どうしよう)
当のダンテは聞こえているのかいないのか、何食わぬ顔で私の乾電池をレジ担当へ渡した。
『話し掛けてみようか?』
『何て言って?』
女の子たちの会話は続く。
私はもはや冷や汗だらだらだ。
バレたらどうする?──いや、でも、バレるにしたって、どうバレる?
『その辺のゲーム買うのよ!』
『あたし、新作予約お願いしてみる!』
囁き声と言うにはすこし甲高すぎる声の彼女たちは、あっという間に列の後方へ駆け抜けて行った。
行方を目で追ってから、ダンテに向き直ると、彼は余裕綽々でウインクしてきた。
何か対策があるのか、それとももう既にこんな状況を味わっているのかもしれない。
「(平気、平気)」
声に出さず口の動きだけでダンテはそう言った。
……まあ、この分なら大丈夫だろう。まさか彼女たちも「あなたがダンテさんですか?」などと問い掛けはすまい。ダンテが現実の俳優さんやらアイドルだったらともかく。
「じゃ、頑張って」
私が会計を済ませてレジから離れると、列は先程より伸びて、もはや何かのアトラクションのようになっていた。
(これは会計するにも大仕事だぁ……)
全開放されているレジを横目に、私はおもちゃ屋を後にした。





「な、何だか疲れた……」
このまま家へ帰ろうかとも思ったけど、それはちょっともう一方の人物に対して薄情に思えた。
ので、次に向かった先は、バージルの職場である図書館。
自分用に印刷した地図を見ながら、自転車で快走する。
そこは自転車でもかなり距離を感じる、家からはかなり離れた場所にあった。バージルなりにいざというときの逃走経路など考えた結果だろう。
建物は思ったよりもこぢんまりとしていて、本館を名乗ってはいるが分室と言っても納得できるほど、館内はアットホームな雰囲気に満ちていた。蔵書数もそれ程あるようには見えない。
なるほど、取り立てて特徴のないちいさな図書館だからこそ、バージルがふらりと就職できたのだ。……と思わないとやっていられない。
むすっと歩いて行くと、書架の林の奥にカウンターが見えた。
「うわぁ……」
見るなり、げっそりした。
ここもダンテのおもちゃ屋と変わらないくらい、大混雑している。
場所が図書館だから黄色い声の会話など存在しないが、誰も彼もが本を大量に抱えて手続きを待っている。
(それにしても……)
呆れた。
ダンテは愛想よく接客していたのに、バージルはむすっと不機嫌そうに対応している。売り上げが絡む仕事じゃないだけマシかもしれないが。
もっとも、
「貸出期限は二週間後だ」
「あっ明日、返しに来ますっ!」
バージルのつんと尖った対応に、女性利用者はちっとも怯んでいない。
その横柄な態度と、まるで似合っていない生成りのエプロン。
「……ぷっ」
思わず噴き出してしまった。
と、まさかそれが聞こえた訳ではないだろうが、バージルと目が合ってしまった。
「わっ」
慌てて横を向く。おそるおそる視線を戻してみる──バージルは、「ここで何をしている?」と睨んでいた。
(ぎゃ!)
彼はダンテと違って、冷やかしを許してくれるような器量は持ち合わせていない。
私はきょろきょろと周りを見た。
何故か周囲の棚はすっかすかで、本を選ぼうにも何も無い。
必死に頭を巡らせると、返却されたばかりでまだ整理されていない本のカートを見つけた。そこから画集を一冊抜き出そうとしたとき、
「すみませんっ」
女性に後ろから突進されて、カートごと奪われてしまった。彼女はそのまま列に並ぶ。
(ま、まさかあれ全部借りるの……っていうかあんなに借りられるものなの?)
優に30冊はある。
ここに居る理由がカートごと消えてしまい、私は苦笑いでバージルを見た。
向こうも何だかげっそりしている。
(ま、バージルも大丈夫そう)
ひらと片手を挙げ(当然これは無視された)、私はその場から逃げるように立ち去った。
人でごった返していた図書館を出ると、来たときより更にぐったり疲れていた。私が働いていた訳じゃないのに、立ち仕事の後なみに足が重い。
それでも、気分は爽やかだった。
(二人とも大丈夫そう……かな?)
ダンテもバージルも、あんなに人に囲まれていたのにヤケを起こしたりしなかったし、ちょっと希望が見えて来た。
がっつり働かなくても、気分転換になればいい。
心に余裕が出て来れば、そのうち何か活路が見出せるかもしれない。こちらの世界か、あちらの世界、留まりたいのか帰りたいのか、その辺の決断も含めて。
「よし!今度こそ帰ろう!」
私は自転車をかっ飛ばして家に帰った。



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