Wの喜劇




ついこの前、私の両隣の空室が同時に埋まった。
ときどき部屋から出られなくなるだの幽霊が出るだの、妙な噂のせいで格安物件となっているこのマンション、私が引っ越してきたときから左右どっちとも空っぽで。ずうっと人が入って来る気配もなかったのに、それは本当に突然のことだった。
しかも、新しいお隣さんはどちらも日本人ではない。更にはどうも、その人たちは互いに知り合いらしい。いやいやそれどころか、ちらっと見た限りでは物凄く似ていたから、兄弟とかそんなんじゃないのかなあと思う。
家族なら一緒に住めばいいのにと思ったが、そうしない理由はすぐに分かった。
二人は仲が悪いのだ。ケンカが挨拶がわりのように、鉢合わせすれば何だかんだと衝突している。
たとえば始めの頃、うちのドア先でものすごい剣幕で怒鳴りあっていたことがあった。買い物帰りの私が部屋に入れずビクビクしていたら、一方が私に気付いてすまなそうに道を空けてくれ、もう一方がケンカ相手の頭を手で思いっきり下げさせて。私が部屋に入った後も、遠慮なくやかましい怒声が廊下に響き渡っていた……。
と、初回に限らずいっつもそんな風なので、私もケンカ沙汰は「ああまた始まった」と思うくらいに慣れてしまった。(困ったことに二人の中間地点、つまり我が家のドア前が主な戦場だ。毎度迷惑しているが、最近は私も彼らの和解・謝罪を待つ前に痺れを切らして、どちらかドアから近い方を押し退けて道を開いている。自分でもよくここまで慣れたものだと思う)
そんなある日のこと。
『うわっ!!』
玄関に向かって左の部屋から大声が轟いた。続いて、
ばたーん!!だだだっ、どんどんどんどん!!!
一連の物音、ドアが凹むかと思うくらいの強ノック。うちのドアが叩かれている。
(隣じゃなくて?)
隣の住人とケンカ以外のことで接触するのは珍しい。
「……なんですか?」
私は警戒のため、チェーンをしたまま薄くドアを開いた。
隙間から、前髪がある方のお隣さん(確かダンテェイと怒鳴られている方)の身体の四分の一くらいが見えた。
「た、大変なんだ!ちょっと見てくれ!!」
ひどく慌てている。
「大変て何が……」
「いいから!!」
すごい血相だ。
仕方ないので、チェーンを外す。かちゃりと音がした瞬間、一気に扉を突破されてしまった。留める暇なく彼が動く。
「これっ!!」
彼に突き付けられ、勢いよくぐわっと視界に飛び込んできたものは──雪平鍋に、山盛りの濃緑。……量こそ異常だが、物はただのわかめだ。
「これって……」
「オレはミソスープを作ろうとしただけなんだ……」
怯えたような表情で、ポケットからジップロック付きの袋を指先で摘んで取り出す。手軽なお味噌汁の具といえばこれ、ふえるわかめだ。斜めに豪快に封切られた袋には、もはや乾燥剤しか残っていない。
「こんなに増えるなんてクレイジーすぎんだろ……」
私は呆れて溜め息をついた。
Gとか火事とか大変な大事かと思いきや。わかめ。
「これだけ使えば当然です」
ぴしゃりと鍋を返すと、空気に乗ってむわっと味噌の匂いが立ち込める。
「なあ……これ、食えんのか?」
今日のメシはこれだけなんだけど、と彼はしゅんと肩を竦めた。
「食べられます」
(私なら食べたくないけど)
きっぱり答えると、彼は不安そうに目を上げた。何だか可愛いひとだ。
「本当に食える?腹壊さねぇ?」
「大丈夫です。ただ戻しすぎただけ、わかめです」
それは断言できる。
すると彼の表情ががらりと変わった。
「じゃあ」
大量のわかめと共に身を乗り出して来る。
「一緒に食おうぜ」
「はぁっ!?」
ドアを閉めようとしても、時すでに遅し。どすっと踏み込んだ引く気がない足は、心理学で習ったセールスの手口とまるで同じだ。
「ちょ、ちょっと!困ります!」
「挨拶まだだったし。な?」
にっこり笑顔。……心が揺れた。
思えば今までケンカしてる姿は怖くて、まともに顔を見たことがなかったのだ。
このひとは……このひとは……なんてかっこいいんだ!!!わかめを戻すのに失敗したなんて些細なこと、軽く帳消しに出来るルックス。
「オレはダンテ。よろしく」
声までも、一緒にわかめ退治してもいいかと思えるくらい魅力的。
……結局どうなったかと言えば、私が折れた。この笑顔を拒絶できる女性がいたら挙手願いたい。
ダンテのために扉を大きく開く。
意気揚々と彼が中に入って来た。この時点で、うんざりするほどの磯と味噌の香りが部屋に充満している。
負けるまいと、私は今までずーっと言いたかったことを口にする決意をした。今がチャンスだ。
「ダンテさん」
「んー?」
「夜中に騒いでも暴れてもピザ受け取ってもいいんですけど、エレキだけはやめてください」



二人がかりで挑んでも、秘蔵の胡麻ドレッシングをもってしても、山盛りわかめは手強かった。
面白いほどご飯が進まない。ダイエットには効果抜群かもしれない。
減らない海草を死んだ魚のような目で見下ろし、ダンテがついにフォークを置いた。
「想像以上にヤバいな、ミソフレーバードわかめ……」
「本当にお味噌汁を作る気あったんですか?」
「もちろん。マンションの管理人に日本食セット貰って、材料は揃ってた。あ、そういや」
ダンテが何かを思い出すように上を向く。
「……あいつもコレ貰ってたよな……」
「“あいつ”?」
首を傾げる私の斜め横で、何故だか彼の顔が白くなった。
「マズい、多分あいつも」
彼が立ち上がった瞬間、
『Why is this working too much!!!』
玄関向かって右から大声が轟いた。



それから数分後に続いて起こったことは、さっきとそう変わらない。
違うのは、来たのがダンテより静かで高圧的なひとで、彼が持ってきたのは行平鍋ではなくて一斗缶かと思うくらいのパスタパンだったということだ。
「なんだ、ちゃんとミソスープじゃん」
ダンテが頭の後ろで手を組んだ。
確かに彼が持ってきたのは、わかめと共に豆腐も葱も浮かんでいる普通の味噌汁だ。……が、どう見ても量は普通の一人分ではない。
「三食一週間分……うーん、もっとありそうだけど」
私は顔が引きつった。
「わかめが増えた分、お汁も豆腐も葱も足したんですね?」
「……そうだ」
彼は目を逸らして頷いた。ああもう何という負けず嫌い。
「で、これをオレ達にも食えってんだろ?」
「夕食に一品増やしてやるんだ、悪くはあるまい」
「あのう。うち、わかめはもう足りてます」
「……。」
凍るような眼差しで睨まれた。怖すぎる……。
気付かないうちに、ダンテの後ろに隠れてしまったらしい。ダンテが笑って私を前へ押し出した。
「このおっかねぇの、オレの双子の兄貴でバージルってんだ」
「……はあ……」
バージルが若干、表情を緩めた。
私がほっとしたのも束の間、一斗缶をぐいと持ち上げる。
……わかめをそのまま持って来られるのと、遠足1クラス分の味噌汁を押し付けられるのと、どちらがましだっただろう。
考えても分からない。
「……じゃあ、中へどうぞ」
私はまたも諦めた。
軽く頷いて、バージルが玄関に入る。
それを見てから、私はぴたりと彼を見据えた。このひとにも言いたかったことがあるのだ。
「バージルさん」
「何だ?」
「夜道で私の後ろを歩いてる時、これからは一声かけてください。ストーカーかと思って怖いです」



即席のわかめパーティーは、意外と楽しかった。
アルコールが入ってなくても基本的にテンションが高めで、本来は胃袋が底無しだというダンテ。(彼はうちの冷蔵庫にあったコーラを最後の一滴まで飲み尽くしてくれた。炭酸なんて飲まなければ、わかめがもっとお腹に収まっただろうに)
お椀の底が見えてホッとした次の瞬間に味噌汁を注ぎ足してきて、本人は澄ました表情を崩さない鬼のようなバージル。(一応、具の補充は手加減してくれていたようだ。代わりにダンテのお椀が大変なことになっていたけど)
ケンカしていない時の二人は、身構えていたよりは付き合いやすそうな人達だ。
失敗した和食を持ち込まれるのは金輪際ご免だが、せっかくだからもう少し仲良くなってみるのもいいかもしれない。
もしもこのマンションに噂通り幽霊が現れても、お隣に逃げ込めばいいかなあなんて思ったのだ。
満腹のため働かない頭でぼんやりしていたら、
「ハシ止まってるぜ」
「足り無さそうだな、追加だ」
連携されてしまった。それどころか。
「大体おまえもさ、風呂場で熱唱とかこっちに丸聞こえなの気付いてないだろ?」
「夜中に洗濯機を回した挙げ句、鼻歌混じりでベランダに乾しているのも迷惑極まりないしな」
同じニヤリ顔ふたつ──この二人、私が敵う相手じゃなかったかもしれない。
あまりの恥ずかしさに、山なすわかめに突っ伏したくなった。







→ afterword

日記に載せていた短文です。

増え過ぎわかめは、同僚から聞いた実話です。めんどくさがらずに「ふえる」を辞書で調べればこんなことにはならなかったのに!(笑)
どうしても双子に変換したくて書いたら、お隣さんになりました。
隣の生活音が気になりまs …右からは刃物を研ぐ音が夜な夜な…!?エレキの方がまだ平気ですね;
休日朝のゴミ出しも気合い入れていかないといけないご近所ですが、そんな暮らしも楽しいに決まってます!

お読みくださって、どうもありがとうございました♪
2011.11.24