第二話 毒 / Taste it deeply, please




サッカー部はほぼ毎日、朝練を行っている。
今朝は休養日ということで、はのんびりと登校した。
生徒玄関で、普段はかち合わない人物に出くわす。
「ダンテ、おはよう」
「あー、か。おはよう」
挨拶を交わした後も、なぜだかそわそわしているダンテ。
は顔を斜めにして覗き込むように彼を観察する。
ダンテは手に何かを持っているようだ。
「どうかした?」
「い、いや……」
ダンテの態度はますます怪しくなる。
朝、下駄箱、そわそわ。
それらの要素が組み合わさり、の中で第六感がピーンときた。
「もしかして、ラブレターでももらった?」
イヒヒとからかうと、ダンテの顔が一気に赤くなった。
図星だったらしい。
「え。ほんとに!?よかったね!誰から誰から!?」
ダンテはわたわたと慌てる。
「な、なんだよ、こんなの珍しくもなんともねぇんだからな!」
「だとしてもうれしいくせに〜。で、誰から!?」
「……。」
悪友に急かされて差出人と中を改めると、ダンテの顔が一気に曇っていく。
「……どうしたの?」
「差出人はオレのクラスメイト。中の手紙をバージルに渡してくれ、ってさ」
「……。」
(あちゃー)
それはまたキツい。
好奇心に負けて、ダンテにはかわいそうなことをしてしまった。
はぽんぽんとダンテの肩を叩く。
「ま、まあまあ。あんな出来たおにーちゃんがいたら、そういうこともあるって。私はダンテの方が好きだけどね」
「……マジで?」
「うんうん、マジです。ダンテの方が楽しいし、バージルって何か冷たそうだし。(バージルのことよく知らないけど)」
の言葉を聞いて、ダンテがヒュウッと口笛を吹いた。
「聞いたか、バージル。オレの方が楽しい奴だってよ」
「愚か者は愚か者同士でさぞ気が合うんだろうな」
「ぅえっ、バージル!?」
突如背後に現れたバージルに、は1メートルほど飛び退った。
「おおおおはよう」
「おはよう」
へこへこと姿勢を低くして挨拶するに何喰わぬ顔で挨拶を返し、バージルは下駄箱を開けた。
途端。

ずざざざざざざ

中に詰め込まれていた手紙が雪崩を起こした。
「「うわ」」
あまりの光景にとダンテは思わずハモッてしまった。
受け取った当の本人は肩で大きく溜め息をつくと、しゃがみ込んで足元に落ちた手紙を丁寧に拾い集める。
その律儀な態度を、は何となく意外に感じた。
「バージル、それ全部読んでるの?」
「宛名と差出人の名前がはっきり書いてある分だけはな」
「……偉いんだね」
思わず呟いたの言葉に、バージルが眉を聳やかす。
「俺は冷酷だそうだからな。即座に捨てていると思ったか?」
「あ、いや、その。さっきはごめんね。ダンテを励ますつもりで、つい」
「オレ慰められてたのかよ!?」
バージルのラブレターの量に呆気を取られていたままだったダンテが声を上げた。
「そりゃないぜ、
「い、いや〜。どっちにしても私、バージルのことよく知らないから。適当なこと言うのはよくないね、あはは」
弁明にあたふたしている間に、バージルが手紙を集め終わって立ち上がった。
「どうでもいいが、お前は日直じゃないのか?遅れるぞ」
「え?」
指摘されたが、玄関の大時計を見る。
「うわ!ホントだ、もうこんな時間!?ありがとうバージル、またねダンテ!」
すぐにダダダと駆け出す彼女の背中を、呆れ顔で見送るバージル。
そのどちらも交互に見ながら、ダンテがにやりと意味深に笑う。
「なーんで、同じクラスでもないあんたが、が日直だなんて知ってるんだ?」
ぴくり。
バージルの肩が僅かに揺れた。
ゆっくりとダンテを振り返る。
「昨日、彼女のクラスの担任に呼ばれて教室に行った。そしてそのとき見た黒板の表示を覚えていた。ただそれだけだが?」
「ふうん?さすがは学年トップの記憶力だな」
ダンテはバージルの説明を全く真に受けていない。
しばし互いを探るように睨み合う双子、穏やかではない空気。
彼らの周りで、女子学生はどきどきと二人に見惚れ、男子学生は『そこ通れないんだけど』と言えず立ち往生していた……。





本日、クラスはバレンタインデイ並みに沸き立っていた。
理由は『調理実習が行われるから』である。
女子だけが参加するこの授業(男子は代わりに技術の授業がある)、メニューがハンバーグやミネストローネという夕食メニューだった場合にはこんな騒ぎにもならないのだが、本日の課題は『クッキー』である。
クッキーとは、焼いてから時間をおいても食べられるもの。
すなわち、授業後に配ることができるもの。
──これはもう、バレンタインデイのように盛り上がって当然だ。


「くだらない」
合同授業のときだけ、とキリエと同じクラスになるレディがぼやいた。
今回はレディ、キリエ、そしてが同じグループ。
キリエがいる限りクッキーが丸焦げになることなどないので、はひたすら卵を割る、材料を量るといった脇役作業に徹している。
「レディちゃんは、誰か意中の相手はいないの?」
つやつやの黒髪に神秘的な色違いの瞳、可愛くてスタイルもよくて、男子に人気があるのにもったいない。
そんなことを思いつつ、は訊ねてみる。
レディはますますムスッと表情を壊す。
「いるわけないでしょ。同年代なんてみんなコドモよ」
「え、じゃあレディさんは年上が好みなの?」
二人の横で、もりもりとバターを練っていたキリエが身を乗り出した。
──年上。
がどきん、と胸を震わせた。
年上という言葉で真っ先に心に浮かんだのは、もちろんクレド。
今回のクッキーも、『キリエと作ったので、味見してみてください』とでも理由をつけて渡そうと考えていた。
さすがに苦しい理由だし、そもそも今日は数学もないから、教官室に直接乗り込まなければ渡すチャンス自体がない。
さっきから頭の中は目の前の作業ではなくて、まだタネにもなっていない未来のクッキーをどうするかでぐるぐるしている。
「別に。精神年齢の問題よ」
悩み出したの横で、レディが卵の殻を勢いよく捨てた。
「なるほどー。それはそうかも。ね、?」
「っえ?あ、ああ、そうだね。包容力とかね、欲しいよね」
矛先を向けて来たキリエに、慌てて同意を示しておく。
「話を振っておきながらなんだけど、そろそろ手元に集中しない?」
さらに何か言おうとしてくるキリエに、泡だて器をぐるぐる回してみせる。
賑やかなこちらの班をチェックしてくる教師の目が気になり出し、キリエも頷いた。
「じゃあ、もレディさんも手伝ってよね?」
「はい、オーブンの温度設定を見てきます!」
楽な仕事に走っていったに、残された二人がやれやれと視線を交わした。





お昼休み。
は出来上がったクッキーを手に、クレドを探した。
教官室にいないことを祈りつつ、外廊下を歩いていたところで。

「そこの男子学生、止まりなさい!」

タイミングよくクレドの声が聞こえた。
険のある声にが何事かとそちらを見れば、割れた窓ガラスとその先に転がっているサッカーボール。
しょぼくれた学生がクレドにぺこぺこ謝罪する。
それを腰に手を当てつつ聞くクレド。
(面白いところに出くわしたかも)
はその様子をじっくり見ようとレンガ作りの花壇に腰掛けた。
必死に謝る学生の姿に、クレドの深く刻まれた眉間の皺が徐々に浅くなっていく。
「次からは気をつけるように」
「はい、クレド先生!」
釈放となってすっかり元気になった学生にボールを手渡す。
最後に彼の肩に手を置いて二、三度叩いてから送り出し、クレドはふっとちいさく笑みを浮かべた。
(うわあ)
は目を見開く。
──こんな穏やかな表情、久々に見たかもしれない。
以前に一度見たのは、追試の採点後の……

か。どうした、ボーッとして」

あまりのことに固まっていたら、視界のクレド本人がどんどん近づいて来ていることに気付かなかった。
「え。あ。えぇっ」
は慌てて姿勢を正す。
(髪!髪型、大丈夫かな!?)
こんな展開になるとは思ってもいなかったから、会う前に確かめる余裕もなかった。
「本当にどうした?」
まともな返事をしないに、クレドは僅かに首を傾げる。
「だ、大丈夫です。そっそれより先生!」
少し落ち着いてみれば、これは本来の目的を果たす願ってもないチャンスだ。
はラッピングされたビニール袋を持ち上げる。
さっき丁寧に結んだばかりのリボンを解いて、クレドにクッキーを差し出す。
「今日の調理実習の成果です。採点してください!」
(……あれ?)
結局、ごちゃごちゃと考えていた理由とは全然違う言葉が口をついてしまった。
が、クレドが口元を緩めたのを見れば、これで正解かもしれない。
に並び、クレドも花壇に腰掛ける。
「家庭科の教員資格は持っていないが、私でいいのか?」
「それなら赤点はつけられないですよね?」
「いいや、資格はなくとも厳しくする」
クレドはわざとしかつめらしい表情を作ると、クッキーを摘まみ上げる。
その視線が気まずそうに一瞬揺れた。
が不安にクレドを覗き込む。
「早くも減点が?」
クレドは軽く咳払いした。
「いや……女学生はこの形が好きなのだなと思っただけだ」
この形、とはハート型のこと。
はしてやったりと内心で微笑む。
もちろん、クッキーは丸だの四角だの星だのうさぎだの猫だのひよこだの、いろいろな型で抜いて焼いたのだ。
でも、クレドに持って行く分にはそれは混ぜなかった。
混ぜてしまったらクレドは絶対に丸だの四角だの、つまらない形を選んで食べるに決まっているから。
はきっぱりと頷いてみせる。
「それはもう。定番ですから」
「そうか」
「で……食べないんですか?」
またもクレドが咳ごんだ。
「……では」
さく。
ハートの右上を齧る。
どうですか?と見上げれば、クレドは口元を覆ってとは逆の方向を向いてしまった。
(マ、マズいわけはないと思うんだけど)
材料の計量は自分が責任を持ったものの、作業自体はほとんどキリエが頑張ってくれたんだし、もちろん味見(毒見)だってしている。
それでも何も言われないのは、焦る。
「赤点ですか……?」
ようやくクレドがを振り返った。
手にはもうクッキーは残っていない。
「合格。もう少し甘さが抑えてあったら文句なしだが、まあそれは私の嗜好の問題だからな」
「やったー!」
(先生は甘さ控えめが好き、と)
とりあえずクレドにクッキーを手渡す作戦は成功!と、小躍りで喜ぶ。
あとは手に残るクッキーを袋ごと渡してしまえたなら最高だが……、そうしたらクレドはおそらくこれを家に持ち帰るだろう。
そしてクッキーがキリエに見つかったら、の気持ちがバレてしまう。
それは避けたい事態だった。
「じゃー、これはサッカー部の連中に配って来ます」
名残り惜しくもその場から立ち上がる。
「私は毒見役だったのか?」
立ち上がる彼女に、クレドが髭を撫でつつ冗談めかして訊いた。

──いちばんに食べてもらいたいという意味でなら、そうですけど。

はにっこり笑った。
おどけて瞳をぐるんと回してみせる。
「いいえ!先生が本命ですよ!それじゃ!」

クレドが派手に噎せた。
笑いながら駆け出す彼女を見送る。

「……全く。大人をからかうとは……」

口の中にはバターの香り。
なぜかどうにも後を引く、その甘さ。
それを誤魔化すように、クレドはもう一度咳払いした。










→ afterword

調理実習、いろんなもの作ったな〜と思い出しながら書きました。
豚汁とか…おいしいけど、ムードも何もないものも作ったなぁ(笑)
実際の授業では男子も一緒でしたが、それだとまたダンテとかバージルとか乱入で本筋から脱線してしまいそうなので(笑)、彼らは別授業ということにしました。乱入しても面白くなりそうだけど!
そういえば。
アメリカの学校だったら廊下にロッカーならあるけど、下駄箱なんてないですよね。
途中で気付いたんですが、どうしても下駄箱にラブレターという王道でいきたくて、その辺はまるっと無視しましt

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
2008.6.23