二日目となると、仕事の住み込み先とはいえ、やっとお客さん気分が抜けてくる。
洗濯、掃除と仕事はたくさんあるけれど、やはり食事の支度がいちばん期待されている部分らしい。
既に朝食の準備は整った。調理に使った食器を洗いがてら、はこれから主な活動場所になるであろう、キッチンを改めてゆっくり巡回することにした。
広いシンク、容量の大きい冷蔵庫(ただし中はひどく寂しい)。食器棚を開ければ、今は使われていないのか少々埃をかぶった銀のカトラリーが鎮座している。
「磨けば主役に使えるかも」
くすんだ食器ながらも、はわくわくしてきた。
見事な食器に美味しい料理。それから、あの双子。文句の付けようがない組み合わせが目に浮かぶ。こんな風に仕事にひそかな楽しみを見つけるくらいは、まあ許されるだろう。
(私はサーブするだけだけど)
ダンテは「一緒に食べよう」と言ってくれるが、それはきっとがここに馴染みやすいようにとの気遣いで、いずれは別々になるだろう。ちょっと残念だけれど、仕方ない。
ひとつ頷き、は探検を再開した。
彼女にとっていちばん重要なオーブンは、火力も充分だった。
引き出しにはトングもレードルもあるが、使われている様子がまるでない。
「いろいろ揃ってるのにもったいない……」
ひとりごちてワインセラーに手を伸ばす。
不意に隣に影が落ちた。
「ここを借りた時から、道具だけはたくさんあるんだ」
来たのは陽気な笑顔を浮かべた人物の方。一応、服の色が赤いのを確認してからは彼の名を呼んだ。
「ダンテさん。……は、料理なさらないんですか?」
「餓死しそうになったら考えるよ」
ダンテはワインオープナーを手の中でぱしんと回転させ、笑う。
「飲み食いの方が大得意」
そう言うと、の手が伸びたままのセラーを勢いよく開く。
中には、ボウリングピンをそのまま斜めにしたようにお行儀よくワインのボトルが並んでいた。
奥の瓶を取り出し、ラベルをあらため、ダンテは低く唸った。
「あいつ、結構いいの隠してやがったな」
「バージルさんのことですか?」
「そ。さて、秘密を暴いたからには共犯だぜ」
にやりと悪戯っぽい笑みを刻み、ダンテはボトルのコルクに指を乗せた。
慌ててが止める直前、
「今日は誰かの誕生日か?」
苦い声がダンテに待ったをかけた。
ぎくっとダンテの肩が揺れ、びくっとの全身が強張った。
ゆるゆる振り向けば、バージルが堅く腕を組んで立っていた。
兄は見ないように、ダンテはに親指を向ける。
「あ、ああ。の。な、そうだよな?」
「えっ」
突然話を振られたをバージルは静かに見下ろした。
「そうなのか?」
「……違います。」
「だろうな」
バージルはダンテからワインを奪い返すと、元のようにきっちり仕舞った。
「他の酒ならともかく、これはかなりの品だ。諦めろ」
「ケチな奴」
悪態をつきながらも、ダンテはの料理はしっかりちゃっかりつまみ食いして行った。



今日もあともうすこし。
夕食後は眠くなるもの、それでも明日の準備は欠かせない。
つつがなく一日を終え、芯からゆったりするために、もうひと仕事。
「よし!」
エプロンの紐をきつめに結び、は気合いを入れた。
昨夜バージルには「早く休め」と言われたが、やはり準備時間があまりない朝も、美味しいパンを食べてもらいたい。
「パン屋経験者っていうのが特徴だし……」
残念ながら、それ以外に目立った特技もない。
だから、せめて。
「胡桃、レーズン、あとはチーズにしようかな」
美味しくふかふかに焼けますように。
ミトンの手を祈るように組み合わせ、はオーブンを見つめた。



パンが焼き上がり、三十分もした頃だろうか。
かちゃ、とドアが開いた。
「あ……えっと」
またバージルだろうか。
しかし相手は濡れた髪をそのままに、つかつかとキッチンへ入って来る。
「ダンテさん」
今度はダンテがやってきたらしい。
(代わりばんこ?)
やっぱり夜は小腹が空くのだろうか。
「これ、いいか?」
ダンテはまだ切り分けていないパンを指差した。
「あ、はい!」
慌てて厚めにスライスして渡すと、彼は満足そうに頬張った。
「ミルクでも温めましょうか?」
飲み物の勧めには、ダンテは首を振った。
パンをぺろりと平らげ、
「あまり無理するなよ」
一言だけ置いて行く。
「はい。おやすみなさい」
会釈し、はそっと笑った。
(二人とも優しいなぁ)
早く正式に雇ってもらいたいものだけれど。
(どっちかって言ったら、バージルさん次第になるのかな)
焦っても、つまらない失敗をするだけだ。
ひとつひとつ丁寧に頑張るしかない。
「さ、今日はこれで終わり」
下ごしらえした野菜を冷蔵庫に入れ、さっき使ったナイフを洗い、パンをしまおうとして──
「……あれ?」
は小首を傾げた。
三種類焼いたパンのうち、手がついているのはレーズンブレッド。
けれど、さっきつまみ食いして行ったのはダンテだ。
「ダンテさん、よっぽどお腹空いてたのかな……」
釈然としないまま、の夜は明けた。





バランスの取れた食事のおかげか、毎日ぱりっとアイロンの掛けられたシーツのおかげか、はたまた爽やかな挨拶をくれるのおかげか。最近は、朝も気分よくすっきりだ。
欠伸に伸びを重ね、盛大に捲れていたシャツのお腹を伸ばしておへそを隠す。上半身裸で寝なくなったのは、初日にに悲鳴を上げられたため。
「ふあーぁ……〜?」
この名前も彼女の手料理同様、すっかり口に馴染んだ。
欠伸まじりにを呼び、ダンテは洗面所よりダイニングに先に足を運ぶ。もう起きた瞬間から腹の虫が鳴きっぱなしなのだ。
しかし、「今朝は何が食べられるんだろう?」との期待をよそに、ダイニングはがらんとしていた。
「あ……??」
キッチンを覗いても、いつものエプロンの後ろ姿がない。
テーブルの上もやけに片付いて、腹の虫を刺激する香りがしない。
「嘘だろ……!」
嫌な予感がダンテの頭を打った。
「どうかしたのか」
バージルはいつも通り定時に現れた。
その悠々とした態度に、ダンテはきっと眼を吊り上げた。
「バージル、またに何かきついこと言ったんだろ!!」
「何?」
「見ろよ、これ!」
ダンテはびしっとテーブルを指差した。
パン屑ひとつ零れていない。
それを見て、ようやくバージルも何かがおかしいと表情を変えた。
は?」
「見て分かんだろ、いねぇよ!」
いらいらと地団駄を踏むダンテは、既に「バージルがをいびったから、彼女は出て行ってしまった」図式しか頭にない。
「落ち着け。彼女の部屋は確かめたのか?」
ダンテよりは冷静なバージルが、顔を二階へ向けた。
「いや……まだだけどさ」
「なら、具合が悪くて起きていないのかもしれない」
「……!」
思い至らなかった考えに、ダンテは血相を変えた。
っ!!」
全速力で階段を駆け上がり、彼女に割り当てた部屋の前に立つ。
、大丈夫か?」
こんこんとノックするも、応えが返って来ない。
、開けるぞ」
バージルが静かにドアを開いた。
しかし、中は空っぽだ。
「おいっ……!」
またもバージルを睨むダンテに、バージルは足元の鞄を示す。
「荷物はある」
「けど、今にも出て行きそうじゃねぇか……」
ダンテの言う通り、鞄はまるでホテルに到着したばかりの客のよう。小物なども一切、広げられていない。
バージルは額に手を当て、腕を組んだ。
(律儀というか……)
は『試用期間』だから、いつ暇を出されてもいいように荷を大きく解いていないのだろう。
「あいつ……」
今は声のトーンも戻ったダンテが、のベッドにぽすんと座った。
「なあ、もう充分だろ?」
果たして何が「充分」なのか。バージルにもよく分かった。同意して頷こうとした、その途端。
がたがた、どさっ!
物凄い音がした。玄関の辺り。
「痛……」
かすかに届いた泣きそうな声はもちろん、のもの。
っ!!!」
さっきよりも更に素早くどたどたと階段を抜けて、迎えに出れば、
「あ。おはようございます。朝ご飯はちゃんと食べましたか?」
あらゆる食材をドレスの裾のように広げたその真ん中、尻餅をついたポーズで、は恥ずかしそうに笑った。



「冷蔵庫にメモを貼っておいたんですけど……」
“食材がなくなってきたので、朝市に出掛けます。サラダは冷蔵庫に、パンはオーブンの中にあります 
誰にも読まれることのなかったメモは、空しく三人の真ん中に置かれている。
「あの、ごめんなさい」
何やら尋常ではない慌てぶりで出迎えてくれた双子に、はぺこりと頭を下げた。
「いや、家出とかじゃねぇならいいんだ」
「家出?」
飛び出した意外な単語に目をまるくする。
「私がですか?」
「心配した……」
本当に脱力したように、ダンテはぐったりとテーブルに突っ伏した。
「あ、あの。ダンテさん?」
「安心したら、腹ペコなの思い出した……」
「お前はそれしかないのか」
バージルが呆れてキッチンに立つ。
「私がやります」
が後を追い掛けてしまうと、
「ボーッと待つより、みんなで用意した方が早いか」
一人残されたダンテもよろりと立ち上がった。



大人三人が並ぶと、さすがに広めのキッチンも狭く感じる。
ダンテは薄々「一人に任せた方が早かったんじゃ?」と思ったが、粛々と手伝った。
かくして無事に朝食が並び、皆で席につく。
「……何か足りなくねぇか?」
ダンテの視線がふらふらとテーブルを彷徨った。
いつもよりはメニューが少ない朝食。
「お食事、少なかったですか?ベーコンでも焼きましょうか」
「いや」
腰を浮かしかけたを遮り、バージルが席を外した。
「これだろう?」
戻った彼の手には、先日ダンテが盗み飲みしかけて叱られた、あのワイン。ダンテは軽快に口笛を吹く。
「今日は誰かの誕生日か?」
茶化しながらも、実に嬉しそうだ。
立派なラベルのボトルをどんと中央に据え、バージルもそっと微笑う。
「それに値する記念、ということにしておく」
古めかしいコルクが抜かれ、が磨いたグラスに赤く芳醇な液体が輝いて。
「これでも正式にうちの一員だ」
呆然と成り行きを見ていたが、やっと何に対してワインが開けられたのか気付いた。
「え……!それじゃ」

" Welcome "

のグラスにダンテとバージルのグラスが、それぞれ綺麗な音を立てて重ねられた。



最高級のワインに、あては素朴なパン。有名絵画との最たる違いは、これが最後の晩餐ではないこと。
何食わぬ顔でレーズンブレッドを口に運ぶバージルに、はおかわりを差し出した。
「どうぞ」
軽く目を伏せて受け取る彼に、もう一言付け足す。
「夜につまみ食いするなら、お手伝いもしていって下さいね?」
ごほっ、とバージルが咽せた。
「つまみ食い!?」
勢いよくダンテが身を乗り出す。
「おい、つまみ食いとか何だよ?」
「それは──」
高級酒をまるで水のようにごくごく嚥下して口籠もるバージルと、聞き捨てならないと詰め寄るダンテ。
いつもと何だか逆に見えて、はくすくすと口元を手で覆った。
(やっぱり二日目のもバージルさんだった)
もしもあのとき胡桃の方を食べていたら、きっとそのままダンテだと思っていた。
何だかんだで、遅くまで働くを気遣ってくれていた様子。
(結構親しみやすいひとなのかも?)
目前では、双子がどちらもむすっとしたままだ。黙っていれば、二人は本当によく似ている。
それでもそのうち、服や食べ物以外で見分けがつくようになるはずだ。
空っぽになった二人のグラスに、順にワインを注ぐ。
「ダンテさんも良かったら来て下さい。夕食の後、キッチンで明日の支度してますから」



夜になると、キッチンは昼間よりも騒がしくなる。
ぱたぱた忙しなく冷蔵庫が開け閉めされる音、オーブンが焼き上がりを告げる合図、絶え間ない会話と笑い声──そして時折、グラスがちいさく重なるその響き。
三人揃えば、生地の発酵を待つ間にも、会話はどんどん膨らんでいく。
そうしてささやかな乾杯は、三人の食後の楽しみのひとつになった。







→ afterword

199999番をご報告くださったなな様へ、バージル寄りの双子夢でした。もっと寄らせてもよかった気がします…普段の双子夢で無意味に青に傾きがちなのに、どうして肝心な時にこう、……。完全に力不足です。

バージルがダンテのフリをする、というのは書いてみたいと思っていました。が、あんまり言葉遣いも変えられないし、結局無言に限りなく近くなりました。
…「あんまり無理すんなよ」くらいは言えるんでしょうか(笑)

それでは、リクエストして下さったなな様、お読み下さったお客様、本当にありがとうございました!
2009.10.13