、今日どこか出掛けたい場所はないか?」
「突然どうしたの?」
「仕事がキャンセルになったから一日空いたんだ」
「やった!じゃあ、リクエストがあるの」
「言ってみろ。どこでもいいぞ」
「ショッピングモール!ちょっと遠いけど、すごく広くてお店がいっぱい入ってるんだって!」
「場所は分かるか?」
「分かるよ。雑誌に載ってた」
「ではそれで決まりだな」
「やったー!!」
「今日はそこへ俺を連れて行ってくれ」
「うん!……うん?」
「交通機関を使う練習だ。道中、俺は一切口出ししない」
「……。」



happy trails



観光客用のタウンマップと睨めっこしながら、は何とかバージルと共にバスターミナルに辿り着いた。
戦略通り、まずはターミナルの窓口で一日フリーパスを二人分購入する。
「バスブックも下さい」
「はい、どうぞ」
係員に手渡された時刻表は、辞書並みの分厚さ。
「探しにくい……」
「仕方ないだろう」
ぼやきながらページを捲るの横、バージルは腰を下ろして彼女を見守る。
もっと迷うかと思ったが、ここへ到着するのも予想以上に時間がかからなかった。
お出かけ日和のいい天気だの、あのカフェのアップルパイは甘すぎていまいちだっただのとのんびり会話しているようでいて、ちゃんと大切な道路標識や目印の建造物は見落とさずに歩くは、意外なほどにしっかりしていた。
(俺は心配しすぎなのだろうか)
バージルは一人、思案する。
どうも普段のふにゃふにゃしているの印象が強すぎて、街へひとりで放り出すなどとても考えられない。
それでも、こちらに少しは慣れただろう自身に余裕が出て、本来の彼女の注意深さが表れてきたのかもしれない。
……と、思っていたのだが。
「お姉さんが見てるのは長距離バスのページよ」
少しバージルが目を離した隙に、横の老婦人に優しく指摘されている
「ああ!本当。ありがとうございます」
「いいのよ〜。どこから来たの?」
「えと、日本からです」
「まああ、ニッポン!遠いとこから来たのねぇ」
「飛行機の旅も楽しかったですよ」
(おまえはほとんど寝ていたがな……)
いくら隣に自分がいて気を抜いているとは言え、見ず知らずの他人と和やかに会話しているに心の中で突っ込みを入れ、バージルは深々と溜め息。
(……やはり油断は出来ない)
どうしても不安を拭い去れない心配症のバージルは、もう少し様子を見てみようと再び溜め息をついた。
「……うん。このルートかな」
老婦人が立ち去った後、真剣に時刻表を調べていたが顔を上げた。
手元の本は、何枚かページの耳を折られている。
「決まったか?」
「はい。ご案内します」
ツアーのガイドよろしく、バージルを誘導する。
「ええと。進行方向はあっちだから……」
右側を走る車と標識を確認して、バス停のある側の道路に渡る。
数字とバスのマークが刻まれた標識と、おまけ程度に据えられたベンチ。
「あった。あそこから6番のバスに乗ります!」
が指差したそれはバージルも目星をつけていたルート。
「そうか」
間違えなかったをどうしても甘やかしたくなるが……まだ先は長い。
バージルはわざと鹿爪顔を作ってみせる。
「バスは乗ってからが大変だぞ」
「頑張ります!」
両拳を固めた彼女はどうにも可愛らしく、気を引き締めたのも束の間、バージルはついつい和んでしまった。



バージルの言う通り、バスに乗ってからが本当の試練だった。
「どうして『ショッピングモール前』とかそういうバス停がないの?」
「俺に聞くな……」
分かりにくい交通事情に、さっきからは文句たらたらである。
古い型らしいこのバスには電光掲示板もない。
外の道路標識と、運転手がぼそぼそ告げる内容だけが頼りである。
「ね、今『Camelback Street』って言ったよね?」
「……。」
「もう、確認くらいさせてよ!いじわる」
「……合っているが、そこはもう通り過ぎたぞ」
俺がいなかったらどうするつもりだ、とバージルは額に手を当てる。
「だいたい」
が唇を尖らせた。
「バージルだってバスなんて乗らないでしょ?」
こんな練習しても、どうせ車乗るんだし!とぶつぶつ言うに、バージルは眉を聳やかす。
「俺は車があるから乗らないが、おまえは……」
ふと思いついたように口を噤んで、バージルはを見た。
も免許取るか?」
「え」
思ってもいなかったことに、はどきんと肩を揺らした。
「確かに、車を運転できれば便利だがな」
どうする?と頬杖をついて、バージルは問う。
「う……」
はちらりと横の車線を見た。
びゅんびゅん走る大型車。ぱっぱーと急かすクラクション。せかせか行き交う人々と小回りの利くメッセンジャー。
「……やめときます。」
やや青ざめたに、バージルも同意する。
「それが賢明か……。まあ、こちらの道路に慣れればまた考えも変わるかもしれないしな」
「うん……」
「ところで、?」
「ん?」
バージルがこほん、とわざとらしく咳をした。
視線を窓の外へ送る。
彼と同じように外を何気なく見て、
「ああ!次降ります!」
は大慌てで窓に渡された紐を引いて運転手に合図した。



ようやく到着したショッピングモールは、どの旅行雑誌にも掲載されている有名な観光スポットでもある。
Macy's、Nordstrom、Neiman Marcusといった有名デパートなどが広大な敷地にあれこれ組み合わされている上、たっぷりと3階まで作られていて、これは歩き回るだけでも大変そうだ。
「うわぁ」
「バスよりも、この中の方が迷いそうだな」
「ほんと」
入り口のガイドを見ても、店が多過ぎて目が回る。
リストから店を探そうにも、聞き慣れないショップ名だらけ。
逆に、も知っている店はどれもお高いブランドばかりである。
「どこへ行きたいんだ?」
バージルがマップを見上げた。
はそろそろと顔を横に向ける。
「どうした?」
の視線の先には、フードコート。
「……お腹すいた。」
気まずそうな呟きに、バージルは思わずちいさく吹き出した。
「まずは腹ごしらえからだな」



ちょうど昼時ということで、フードコートは賑わっていた。
好きなものを買って、自由にテーブルに着く人たち。
「学食みたい」
は何だかわくわくした。
「何だ?」
前を行くバージルが振り返る。
きょろきょろしながら、は横に並んだ。
「こういうところでご飯食べるの、初めてだね」
バージルと静かなレストランで外食はよくするが、賑やかな場所と言えばせいぜい昼間のカフェにランチに行くくらい、こんな雑多な雰囲気の中での食事はしたことがない。
「メニューが選び放題でよかったな」
喧騒に特に不機嫌になるでもなく、バージルは並ぶカウンターを眺めた。
「うん」
すこしホッとして、もカウンター上の看板を見上げる。
中華やイタリアン、そして和食まで、あらゆる種類の料理が提供されている。
写真のメニューはどれもこれも空腹に訴えてくる美味しそうなものばかり。
そして美味しそうなものほど、舌を噛みそうな長い単語がずらずら踊っている。
恐れをなして、はちらりとバージルの横顔を見上げた。
「……難しいメニュー注文するときは手伝ってね?」
が三回注文して伝わらなかったらな」
まずは挑戦してみろ、とバージルはの背中をそっと押した。



つっかえつっかえ注文したブロッコリーとチェダーチーズのクリームスープとクラブハウスサンドイッチのセットが無事にトレイに並んで出されたときは、はかなり感動した。
「注文通り、間違いないか?」
先にテーブルを確保していたバージルがトレイを覗いた。
「うん!バージルのクラムチャウダーと全粒粉パンもばっちり!」
「上出来だ」
滅多に出ないバージルの皮肉トッピング抜きの誉め言葉。
犬だったら尻尾をふりふりする勢いで、はにこにこ笑顔を浮かべる。
「いただきます!」
「イタダキマス」
ふたりで律儀に手を合わせたら、お待ちかねのお食事タイム。
まずは、魅惑的な匂いで猛アピールしてくるスープをひとくち。
「ん〜、まったり!」
「『マッタリ』?」
の歓声に、バージルが顔を上げた。
「あ。」
あまりに感激して、うっかりと日本語が飛び出したらしい。
……が、説明しようにもうまく英単語が見つからない。
「おいしい、ってこと」
「どう美味しいと表現した?」
さりげなく誤魔化したのは、やはり通用しなかった。
そしてバージル先生のスパルタレッスンが始まる。
?」
「ええと……creamy」
「それから?」
「heavy……rich……その辺かなあ」
ニュアンスを伝えるのは存外に難しいが、勉強にもなる。
この効果的な発想の練習に、いつもならかなりレッスンは長引くのだが……バージルは苦笑してうーんうーんと考え込むの手元に視線を移す。
プラスティックのスプーンにひとくち分すくわれて、冷めていくばかりのスープ。
今回の授業はタイミングが悪いようだ。
「Time's up.」
言うが早いか、バージルは動きが止まったままのの手首を捕まえて、そのスプーンをぱくりと口に入れた。
「ぁあ!」
「成程、これがまったりか」
「うぅ〜」
にやりと笑むバージルに、彼の不意討ちと、うまく英語で伝えられなかった悔しさのその両方に、はがくりとうなだれた。



昼食が済むと、ふたりはモール内をぶらぶら歩いてみることにした。
シックでハイセンスな商品がお上品にちょこんと陳列されたショップや、チープな商品がかちゃかちゃとたくさん並ぶ楽しげなお店。
様々な専門店がずらりとお出迎えしている。
「あー、さっきの服可愛かった。やっぱり欲しい!」
「どこの店で見たか覚えているのか?」
「覚えてない。」
「……。」
広い館内、似たり寄ったりの作りにすっかり迷い、さっきからそんな会話ばかりである。
「あ、あのお店見てもいい?」
が示したのは、値段も程々そうなセレクトショップ。
「次、何かピンときたら迷わず買うんだな」
「はーい」
バージルに釘を刺されるも、迷うのが楽しいんだよねーとは言えないであった。



が店内を移動しながらあれこれ目移りしていると、……バージルがいない。
(またかぁ)
振り返れば予想した通り、バージルは店員に話し掛けられまくっている。
どうしても人目を引く彼は、彼女連れだろうとお構いなしに店員に捕まってしまうのだ。
何とか気を引こうと熱心な店員に「彼女さんにいかがですか?」などと聞かれれば、バージルも無下には断れない。
そんなわけで、結局はひとりで服選び。
あたしの彼氏よ!と堂々と態度に出していればいいだけなのだが、グラマラスでゴージャスなブロンド店員に立ち向かうには、すこし、いやかなり、自信も武器も足りない。
(バージルと買い物に来る意味があんまりないよ……)
寂しく思いながら、談笑している店員とバージルを視界に入れないようにしていたら、

後ろから呼ばれた。
「ん?」
くるりと向きを変えれば、バージルではなく、にこにこしている店員がずいっと寄ってくる。
「お探しのお洋服、こちらではないですか?」
差し出されたパフスリーブのカットソーは、確かにさっき別の店で買うか散々迷った一品。
どうしてこの人がそれをと考えるまでもなく、バージルが特徴を伝えてくれたのだろう。
運良く再び巡り合えた洋服に、は目を輝かせた。
が。
「この胸元のリボン、確かピンクのがあったと思うんですけど」
渡されたのは水色だ。
がそう訊くと、店員は申し訳なさそうに微笑んだ。
「……お客様には、こちらがお似合いですよぉ〜」
何だか奥歯に物が挟まったような言い方。
作為を感じてバージルを見れば、彼は素知らぬ顔で小物類を手に取って眺めている。
(この色にしろってこと……?)
回りくどいがバージルらしい。
「じゃあ、これを試着してみていいですか?」
アメリカへ来て服や靴のサイズ選びで何度も失敗して痛い目を見ているので、例えトップスと言っても油断はできない。
表示よりもゆったりめに作ってある『サービスなサイズ』というものも存在するのだ。
「どうぞ〜」
店員も快くサイズ違いの商品を重ねて揃えてくれた。
案内されたフィッティングルームで、手早く着替える。
(わ、ちょうどいい)
最初に渡された服でサイズもぴったりだった。
くるくると鏡の前で角度を変えて点検してみる。
身動きする度、胸元のサテンのリボンが揺れる。
実際に着てみると、確かに自分にはピンクよりも水色の方が似合う……ような気がした。
「お客様、いかがですか?」
「あ、いい感じです」
答えると、ドアが開いた。
「わ!」
声からして店員がいると思ったのに、バージルが腕を組んで傍に控えていた。
「独断で即決するつもりだったのか?」
「別にそういうわけでもないけど」
既にリボンの色だってバージルが選んでるし……と口の中で呟くと、はおずおず彼を見上げる。
探るようなバージルの前に、じっとしているのが恥ずかしくてとにかく動きたくて、そわそわとお姫様のようにそうっと服の裾を持ち上げ、更に照れ笑いで首を傾げてみた。
「……どうですか?」
バージルは言外に『見せろ』と伝えて来たくせに、さっと目を逸らす。
そして一言。

「ん」

(『ああ』ですらない……)
過去最少の返事だ。
いいのか悪いのか、全く分からない。
けれど。
……ゆっくりと自分に視線を戻したバージルは、眩しそうに目を細めて微笑している。
言葉よりも雄弁だ。
「じゃ、これ買う」
バージルの表情に完全に負け、かちんこちんで片言に返事し、は再び服を替えた。
着替えが済んでも、まだどきどきと胸が焦ってしまっている。
フィッティングルームから出れば、バージルはそこから離れ、代わりに店員がいた。
そのことにホッとしながら、売り上げに機嫌を良くした店員にカットソーを渡す。
(……あ。)
レジについたところで、不意にお財布の中身がさびしいことを思い出した。
今日はショッピングモールを歩き回るし、余分にお金を持っていたらあるだけ使ってしまう!と自戒して出発したのだ。
それに、他に買わなければいけないものがある。
英語の勉強に必要不可欠な、英英辞典。
高校時代のものではそろそろ物足りなくなっていたから、読書家バージルに見繕ってもらって買って帰る予定だった。
(足りるかな)
辞典も服も買ったら、今後のの経済状態はかなり崖っぷちである。
「87ドルです」
の財布事情など気にするはずもない店員が、さっと銀のトレイを滑らせた。
「あ、はい……」
清水の舞台から飛び降りて、がなけなしの100ドル札を抜き出そうとしたところで、
「俺が払う」
バージルが先にクレジットカードをトレイに乗せた。
「え、いいよ」
慌ててカードを取ろうとしたを牽制し、バージルは店員に支払いを済ませるように合図した。
「おまえは服より本を買え」
「でも……」
「辞典は自分で買った方が使い倒す気になるだろう」
カードを受け取り、さっさとレジを離れようとする。
「バージル」
はバージルの袖を引いた。
「買ってもらった服も着倒すよ。ありがとう」
の言葉に、バージルは一瞬目を見開き……それからやわらかく頷いた。



最後に立ち寄ったのは、本屋のBORDERS。
バージルに辞書の候補を上げてもらったもののその中でも迷いに迷い、やっとのことで一冊を選ぶ。
ついでに料理の本とファッション雑誌も購入し、荷物も重くなったところで、バージルがそろそろ帰ろうと切り出した。
「時間が遅くなればバスの乗り継ぎも難しくなるしな」
「うん……」
まだ時刻は夕食にも早いくらいで、としては少々物足りない。
たくさん歩き回ったつもりが、まだまだ足を踏み入れていないフロアばかり。
けれどバスブックを確認するまでもなく、遅くなればなるほどにバスの本数は減っていく。
楽しかったショッピングも、ここで終わり……。
さっきまでの明るい表情が消えてしまったのしょんぼりとした様子に、バージルはそっと手を繋いだ。
繋いだ手をあやすように、揺らす。
「今度は車で連れて来てやる」
「ほんと?」
「このままではおまえに恨まれかねないからな」
「やった!車ならもっとのんびりできるね!」
すっかり元の通りに元気になったに半ば引っ張られるように歩きながら、バージルはやれやれと嬉しそうに苦笑した。





ダイヤはいつも通り。
バインダーできっかり時間を確かめ、我ながら完璧すぎると自画自賛しながら、ジェシカはバスを走らせる。
太陽の残りが僅かに地平線に引っ掛かっているこの時間、帰宅ラッシュで左に並走している一般車線はどれもが大渋滞。
それに引き替え、こちらのバス専用の優先道路はスムーズで、バスを選んだ客はラッキーだ。
そんなことを考えながら、ジェシカはミラー越しに後ろをちらりと見やる。
学生や家族連れ、買い物帰りの老婦人にカップルと客層もとりどりだが、中でも特に目を引くのは……いちばん後ろの座席の恋人たち。
銀の髪の彼氏と、黒い髪の彼女。
彼女の方は先程までものすごく眠そうにゆらゆらと船を漕いでいたのだが、その頭が窓ガラスにごちんとぶつかる寸前、彼氏が自分の肩に抱き寄せて即席の枕を提供したのだった。
バスに乗り込んで来たときは、ジェシカにパスを見せながら「今回は間違えないで乗り継ぐから!」「そう願いたいな」などなど会話も元気よく賑やかだったのだが。
今は恋人の肩にもたれてすやすやと穏やかに眠る彼女と、その艶やかな髪を撫でてやりながらとろけそうな眼差しで寝顔を見守る彼氏。

(──愛ねえ……)

ジェシカはアクセルから少しだけ足を浮かせる。
ダイヤ通りに運転したら、あと20分で終点に到着してしまう。
彼らがどこで降りるにしろ、もうすこしだけ、このしあわせな時間を長引かせてあげようと思ったのだった。







→ afterword

41214のキリ番リクエストをしてくださった、浮猫さまに捧げます!

バージルとぶらりバスの旅、ショッピング編でした。
『Salut〜』でヒロインが一人でバスを乗るシーンがあり、そこでバージルと練習したと書いたのを思い出して、更に運転手まで再登場(?)させてみました。
書いてみたら、バージルがとにかく心配性でヒロインを甘やかしてばっかりになりました…

浮猫さま、長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
リクエスト下さった浮猫さま、それからお読みいただいたお客様、本当にありがとうございました!
2008.9.23