目覚めても、視界にはリビングのシーリングファンがない。
ぼんやりまだ働かない頭で、昨日の夜を回想し──
「!!!」
は跳ね起きた。




in his bed morning



(昨日……)
いろいろ、本当にいろいろありすぎた。
今もしっかり混乱中。
けれどはっきりしているのは、今自分がいるのは主寝室、バージルのベッドの上で。
はそろそろと胸元に視線を落とす。
(あああ)
着ているのは明らかに自分のものではない、ぶかぶかのシャツ。肌触りがなめらかで、そして、バージルの香りがする。
(私、これ……自力で着たっけ?)
記憶にない。
「うああ……」
久々に発したゾンビ声。
記憶を辿って思い出すのは、間近に覗き込んでくるバージルの薄いブルーの瞳、しっとり汗をかいた肌。
「うああ!!」
もはやゾンビ声どころか大絶叫。
それとかぶるように、扉が開いた。
「起きたか?」
入って来るのは、むろんバージル。
(ひぃっ!)
まだどんな風にバージルと顔を合わせたらいいのか分からないというのに。
(誰か教えてー!)
わたわたとシーツを掻き集めて身を隠し膝を抱えているうちに、あっさりとバージルはベッドに到着した。
ぎし、とスプリングを軋ませての隣に腰掛ける。
「……よく眠れたか?」
記憶がない=眠ったということでいいのなら。
「うん……」
「そうか」
ぎこちなく頷くに満足げに目を細め、バージルはさらっと彼女の髪を撫でる。
その瞬間、何か甘い香りが漂った。
「なに?」
はくんくんと辺りを嗅ぐ。
「おまえは甘い物には本当に鼻がよく利くな」
苦笑混じりにバージルは立ち上がる。
そのままとんとんと階段を降りる音。
階下まで行ったみたいだけどなんだろう、とは首を傾げた。
やがて寝室に戻って来たバージルが手にしていたのは、銀のトレイ。
「わ……」
紅茶とパンケーキだ。
そのどちらもが、空腹を刺激するよい香りを立てている。
「バージルが作ってくれたの?」
「おまえが起きるまで暇だったからな」
「……。」
今まで寝坊しても、こんなことはしてくれなかったのに。
バージルなりの心遣いが、たまらなく嬉しい。
はちらりとバージルを盗み見た。
思った通り、そっぽを向いているのでその後頭部しか窺えない。
突然甘やかしてくれるから、スパルタでも許しちゃうんだよね、とはひとりうんうん頷く。
「……もしかしてベッドで寝たら、毎朝バージルの手作りごはんつき?」
「Never.」
調子に乗るな、とバージルはむすっと眉を寄せる。
「Neverかあ」
それは残念。
「いただきます」
そっとフォークをパンケーキに入れる。
じわっと染みだすメープルシロップと、溶けたバターが目にも美味しい。
一切れをぱくりと口に入れれば。
「ん……ふわっふわ!おいしい!」


バージルは、ぱくぱく食べ続けるを愛しげに見つめる。
……と、が食べるのをぴたりとやめてしまった。
「どうした?」
焦げた失敗作はとうに自分の胃の中、彼女に出したものは完璧なはずだが。
「んー」
は照れ笑いでバージルを見上げた。
「こんなにおいしいのにもう食べられないのかーと思ったら、食べるのもったいなくなったんだ」
……そんなことか。
バージルははあと溜め息をつくと、の切り分けたパンケーキを指で摘み上げて頬張る。
「あー!貴重な私の分取ったぁ!」
「また焼いてやるから、そう喚くな」
「本当に?」
「ああ」
「いつ?明日とか?」
「……そのうちな」
確かに我ながら上手に焼けたとは思うが、それにしてもにこれほど喜ばれるとは思ってもいなかった。
なんだかんだで、ちょくちょく作ってやりそうな予感がする。
そんなことで、彼女が笑顔になるならば。
再びもぐもぐ食べ始めたの頭をぽんと撫でる。
「早く食べて支度しろ」
「へ?今日何かあったっけ?どこか出掛けるの?」
はフォークをくわえたまま、きょとんとバージルを見上げた。
バージルは呆れ気味に彼女の左手を捕まえて持ち上げる。
「……この指に嵌める指輪を買いに。おまえがいないとサイズが分からない」
「……あ……」
誕生日プレゼントに自分がねだったものとはいえ、今更ながら照れが込み上げる。
古代から伝わる、左手の薬指に指輪を嵌める素敵な理由。
左の薬指の血管はまっすぐ心臓(心)に繋がっていると考え、その薬指に「途切れることのない、終わりのない」指輪を嵌めることで永遠の愛を誓う、というもの。
真偽はどうあれ、信じていたくなる理由。
──バージルなら、きっとこの理由も知っているはず。
自分で考えておきながら、そろそろくすぐったさが限界に近付き、はこほんと咳払いで現実に立ち返った。
「じゃあ、見たいお店はリクエストしていい?セレブなバージル様」
「任せる」
例えばハリー・ウィンストンなんて言ってみても大丈夫なのだろうか。
……とはいえ。
「ちゃんとデザインはバージルが選んでね?」
何よりそれがいちばん大事。
「俺のセンスで文句言わないのなら」
「Never !」
「分かった」
ふたり、ちいさく笑みを交わす。
「さあ、早く食べてしまえ」
「うん」
最後のパンケーキをぱくりと食べて、はふと顔を上げた。
「そうだ。今日、車じゃなくて、バスで移動しない?」
「構わないが、急にどうした?」
バージルが不思議そうに首を傾げる。
「リベンジ。昨日バスの中で寝ちゃって、派手に乗り過ごしちゃったから」
ぴくり。
拳を固めて頷くに、バージルの眉が跳ね上がった。
「乗り過ごした……と?」
「あ。」
こちーんとが固まる。
(しまった……!)
昨日散々怪しまれながらも、何とかつき通した嘘だったのに。
(バカバカ私のバカ!)
バージルが目を細めてじっと探るような視線を寄越して来る。
「昨日は飛行機が遅れたから、到着が夜になったと言っていたと思ったが?」
「……。」
?」
「嘘を申し上げました。ごめんなさい。」
くたりと頭を下げるに深々と溜め息で応じると、バージルは横目で彼女を睨んだ。
「二度とそんな嘘はつくな」
「はい。ごめんね……」
彼女の、伏せられた睫毛が震えている。
昨夜着せた自分のシャツは彼女にはぶかぶかすぎて、その頼りなさを一層強調しているかのよう。
はどれだけ人の心を騒がせれば気が済むのか。
何だか憎たらしくなって、自分と同じように彼女の心を騒がせたくて……バージルは、いきなりの唇をぺろりと舐め上げた。
「ひぁ!」
びくりと反応したに、してやったりとふふんと鼻を鳴らす。
「食べかすがついていた」
「うそだ!」
「嘘なものか」
ふるふるとゼリーのように固まっているの、その包まった毛布をがばりと剥ぐ。
「!!?」
「いい加減ベッドから出て支度しろ」
「あ、はい」
そういうことかと安心半分には胸を撫で下ろし、言われた通りにベッドからもぞもぞ下りる。
(外出前にシャワーを浴びたい)
そこへ寝室奥の扉が目に入り……はバージルを振り返った。
「バージル」
「何だ」
「……その。シャワー借りていい?」
「好きに使えばいい」
「……うん」
そそくさとバスルームに消えて行ったを見送り、バージルはそういえばとはたと動きを止める。
がいつも使っていたのはゲスト用のバスルームだった。
ここのバスルームの方が広いとどんなに勧めても、絶対使おうとはしなかった。
(だから聞いたのか)
先程は今さら何を聞くのかと呆れてあっさり聞き流したが。
「そういうことか……」
互いのテリトリーが少しずつ重なって来た。
つまりはそれだけ心を許してくれているということでもあり。
「……。」
彼の良すぎる耳は、やがてシャワーの音を捕捉する。
一度意識してしまえば、それはもう頭から離れることはなく。

今日は出掛けないことにした、と言ったらは怒るだろうか。

と外出するためにも理性を総動員して音の聞こえない階下へ下りるべきか、それともあの扉を開けて……
傍から見たらそれはどんなに滑稽か。
二人分へこんだベッドの片側で、バージルは真剣に悩んだ。







→ afterword

前回の「Salut D'amour」の続きの短いお話です。
普通に付け足してもいい長さなんですが、どうしてもこのタイトルを使いたかったんです。
2話のソファでもめてる辺りからしたら、ヒロインにもだいぶ対バージル耐久力がついたと思います(笑)

バージルはその後どうしたんでしょうか。
我慢してショッピングに行くのもバージルらしいと思うし、負けてしまうのもバージルらs
朝ごはんを作る優しさがあるなら前者かな。いやいや、ここはやっぱり…ごくり
…ご想像にお任せいたします!

ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!
2008.9.10