「遅れるぞ!」

珍しくバージルが声を荒げた。
その視線は何度も玄関と自分の腕時計を往復する。
「待って!……さ、行こう!」
待っていた人物が飛び出して来てほっとしたのも束の間、すぐにバージルの顔が曇る。
。念の為に聞くが、パスポートはちゃんと持っただろうな?」
「もちろん!」
元気よくバッグを探って、……はぞっと青ざめた。
「取って来ます」
「そうだと思って、最初から俺が持っている」
呆れたバージルに、はがくりと肩を落とした。
「さすがです」
「後は大丈夫か?」
「たぶん」
「行くぞ」

いつものように慌ただしく、ふたりは日本へ向けて出発した。




Brand New




新しい一年を迎えようとしている日本はすきっと寒いが、綺麗な夕空が広がっていた。
オレンジ色に燃える空を見上げて、は首を傾げる。
「朝出発してきたのにもう夕方って、一日損してる気分にならない?」
何を今更、とバージルが苦笑した。
「帰りは逆だから相殺だろう」
「うーん」
何度海を越えて行き来してみても、時間の流れが不思議に思えてしまう。
やっぱり一日損した気分を払拭できないまま、
「ただいま!」
は実家の敷居をまたいだ。



の両親が帰省したふたりに用意していたのは、『年越し蕎麦』だった。
「本当はちゃんとした夕ご飯にしたかったけど、どうせ機内食を食べちゃったんでしょ?」
母が割り箸をそれぞれに配る。
受け取りながら、はこくこく頷いた。
「うん。だからお蕎麦も微妙なんだけど」
「俺の分のアイスクリームを食べなければ、まだもう少し腹も空いただろうにな」
器用にぱきんと箸を割り、バージルは横目でを見た。
が飛行機で出たデザートのアイスクリームを二人分ぺろりと平らげたのは本当のこと。
反論できないので、バージルの皮肉はつんと無視しておく。
母が相変わらずねえと微笑んだ。
「バージルくんも、少しだけでもいいから食べてね」
「ソバには何か意味が?」
どんぶりをしげしげ観察した後、バージルは機嫌を損ねたではなく、義父に訊ねた。
父は昨夏の流しそうめんのときのように、豪快に蕎麦をすすっている。
飲み込むまでちょっと待ってと片手を上げる彼に代わって、母が口を開いた。
「お蕎麦って、すーっと長いでしょ。だから、一年細く長く達者に過ごせることを願って食べるのよ」
「成程」
質問されることを想定はしていただろうが、それにしてもすらすらと流暢に答える義母。
確実に前よりも英語が上達している。
それに比べて、隣の恋人は。
「ん?どうしたの、ばーじる」
気が緩むとすぐこれだ。
(……はもっとスパルタにしてもいいかもしれない)
やがて訪れる新年を前に、バージルは一人こっそりそんなことを考えた。



蕎麦を何とかかんとかお腹に収めると、ふたりは居間へ移動した。
「あー、久しぶり!」
が喜んだのは、部屋の真ん中にどーんと置かれたこたつ。
歓声を上げてするりと潜り込む。
彼女とこたつを見比べ、バージルはどうしたものかと立ち尽くした。
本で見たことはあるが、実際に使うことになるとは思いもよらなかった。
「どうしたの?あったかいよ」
ぱんぱんと、掛け布団を叩いてバージルを促す。
「……ああ」
そっと布団をめくって、足を入れてみる。
「ね、ぬっくぬくでしょ」
「そうだな」
伸ばした足の扱いがよく分からずにしばらく動いてばかりだったが、楽な姿勢を見つけて落ち着いてしまえば、こたつは快適だった。
「みかん食べる?」
はかごに盛られた山盛りのみかんを1つ取る。
「まだ食べるのか?」
「……。こたつとみかんはセットで日本の冬の定番なんだよ」
「そうなのか?」
「うん。だから、剥いてあげる」
みかんを食べたいと言うより、何かバージルの世話を焼いてあげたいという気分だったのだが、それは心の中に留めておく。
小ぶりなみかんの薄い皮を剥けば、みずみずしく爽やかな香りがぷちんと辺りに広がった。
「はい。どうぞ」
「筋が残っているんだが」
「……これでどうですか」
「ああ、ありがとう」
まさに旬のくだものは、甘く喉を潤した。
ふたりで分けたみかんはあっという間になくなり、は2つ目に手を伸ばす。
……かさ。
外で何かが擦れるような音がした。
「雪か」
「夜いっぱい降るみたいだね」
雪が落ちる音が聞こえるくらい、テレビを付けていない部屋は静かだ。
「こっちのお正月でよかったの?」
バージルに渡すためにみかん半分を綺麗に処理しつつ、はちらりと彼を見上げる。
「いいも何も」
バージルはふっと目を細めた。まだ筋が残っている方のみかんをから取り上げる。
「おまえがいれば、どちらでも同じだ」
「……そうだね」
自分を包んでくれるものがこたつ布団かベッドの布団かなど、関係ない。
バージルが傍にいれば、どこでもあたたかい。
綺麗に剥かれたみかんを渡されて、はにっこりとそれをもらった。
「心地良過ぎて、寝てしまいそうだな」
バージルが若干背中を丸めて、こたつ台に頬杖を突いた。
「でしょ?うちにもおこた輸入しようか?」
「いや、そこまでは……」
くすりと笑いあって話しているうち、時計が夜10時を告げた。



「あら、お父さん」
居間にお茶を運ぼうとしていたの母は、同じようにやってきた姿を目に留めた。
「その箱は何?」
「バージル君と将棋でも指そうかと思ったんだ」
父は照れ笑いしながら、古びてくたくたの箱を見せる。
「バージルくん、将棋なんて出来るの?」
「チェスと似てるから大丈夫だろうよ」
「あなただって将棋なんて普段しないじゃない。それ、おじいちゃんのでしょ?」
「そうなんだが……何かバージル君とできることはないかなあと思ってね」
「……あなた、負けるんじゃない?」
「やっぱりそう思うかぁ。いやしかし、手加減してくれないかな」
「それで娘婿に勝って嬉しいの?」
鋭い一言に、父はしょんぼりと項垂れた。
母はその背に励ますようにぽんと手を置く。
「どっちにしても、今はだめよ」
「ん?」
音を立てないようにそうっと襖を開ける。
中の様子に、父も眉を下げた。
暖かいこたつの洗礼を受け、すやすや眠ってしまったバージルと
バージルはにちゃっかり腕枕などしてやっているが……今日は大晦日、目を瞑ってやるべきだろう。
「毛布持って来てやるか」
「お願いね」
そんな風にひっそりと、一年最後の日は更けた。





……バージルは不快感で目を覚ました。
いがいがするというか、とにかくからっからに渇いてしまった喉。
更には左腕が痺れていて、そちらを見ればが頭を預けて気持ちよさそうに眠っている。
「……?」
目に入ったのは畳。
ここはどこだとまだぼんやり紗がかかった頭で周りを見渡し、バージルはため息をついた。
こたつ。
暖かい、心地好いとだんだん心を許し、深く潜っていくうちに何時の間にやら寝てしまっていたらしい。
最後に見上げたときは10時だった時計が、また10時を指している。
(外が明るいわけだ……)
。起きろ。寝過ごした」
「ん……」
ゆさゆさと揺さぶられ、ようやくも重たい瞼を持ち上げた。
ごしごしと目を擦ってバージルと、それから周りを見てちょっと笑う。
「あー、やっぱり」
「何がだ?」
起き抜けの彼女の一言に、バージルは首を傾げた。
はううーんと伸びをして眠気を追い払う。
「ご飯の後にこたつでのんびりしてたら、絶対寝ちゃうと思ったんだよね」
「それならそうだと始めから……」
「まあまあ。こたつで寝ちゃうのも日本人なの」
呆れるバージルをよそに、はけろりとしている。
「喉渇いたでしょ?」
「ああ」
「こたつで寝ると喉渇くんだよね」
何でもないことのように答え、はまだ不機嫌なバージルを明るい笑顔で振り返る。
「あけましておめでとう!着替えて朝ご飯にしよう。おせちが待ってるよ」



の母と祖母が腕を振るったおせち料理は、バージルの不機嫌をも綺麗さっぱり吹き飛ばした。
田作り、栗きんとん、昆布巻きに伊達巻き、黒豆、鯛や海老……それぞれ美味しそうに煮しめられたり焼かれたりしたものが、お重に彩りうつくしく並ぶ。
「例えば豆は、『まめに働き、まめに暮らせるように』なんて願いが掛けられているんだよ」
お酒でいい気分の父から説明とともに杯を受けるバージルも、いつもより箸が進んでいる。
はそんな彼の様子を見守りながら、日本へ帰省してよかったと思った。
いくら頑張ってみたとしても、こんなに豪勢で手の込んだおせちは向こうではとても作れない。
「これも意味が?」
父母から一品一品講釈を受けつつ、バージルが数の子を小皿に取った。
「ああ、それはねえ」
「バージル、伊達巻きが美味しいよ!!!」
うふふと笑顔になった母に割り込み、は卵焼きを取り分けた。
(……今ので大体理解できたな)
本当には分かりやすい。
一応彼女の手前、伊達巻きを口に運ぶ。
これはこれで確かに美味しい。
「美味い」
「でしょ?」
素直に感想を述べると、はあからさまにほっと胸を撫で下ろした。
「昆布巻きはね、『喜ぶ』を重ねるらしいよ」
いそいそと昆布を取り分けただったが。
「コブマキの前に、これを」
まるで彼女に見せつけるように、バージルは数の子を味わったのだった。



料理もほぼ全種類味わい、お雑煮のおかわりもちゃんと重ね、お腹を幸福で満たしてふたりは箸を置いた。
居間で休んでいるうち、母が年賀状の束を持って来てくれた。
のも来てるわよ」
「ありがとう」
がアメリカに行ったことは友達に知らせてあるので、こちらに届いた枚数は少ない。
が、その内の一枚は裏も表も、をとびきり感動させた。
差出人は以前スカイプで話した親友。(そういえば彼女はまだバージルとダンテを勘違いしている)
「どうかしたのか」
バージルはハガキに釘付けになったままの彼女の手元を覗き込む。
「これ……」
すこしだけ恥ずかしそうにが差し出したのは、何ということはない年賀状、なのだが──
(……ああ)
まだ漢字はよく読めないバージルも、の名前と、それから自分の名前は分かる。
宛先に仲良く並んだ、ふたりの名前。
それだけのことなのだが、照れくさくて、気恥ずかしくて、とてつもなく嬉しい。
バージルもと同じように視線をわずかに泳がせた。
「……それで、内容は?」
「ケンカしないで仲良くね、だって」
「そうか……」
白と黒で牛柄が大胆に描かれたデザインの年賀状を手に取り、バージルは更に何とも言えない気分になった。
自分たちのことを思ってくれている人物がいることに、改めて感謝したい。
「返事は出さないのか?」
「出すよ」
さっそく「年賀」と印刷されたハガキを用意し、はふとバージルを見た。
「……名前、バージルも自分で書く?」
差出人の連名。ちゃんとふたりで受け取りましたよ、と知らせてあげたい。
意を汲んで、バージルはしっかりと頷いた。
「だが、その前に余分な紙で練習してからだな」
そう言うと神妙な面持ちで筆ペンを持つ。
「え、ボールペンとかじゃなくて、いきなりそんなので書くの?」
「筆でないと趣がないだろう」
「分かった。紙もらってくる」
妙なところでこだわりを見せるバージルに、はちょっとだけ微笑んだ。



年賀状の返事も無事に書き終わり、夕食も済み……
ゆず湯のお風呂から上がったがバージルを探すと、彼は『お気に入りの場所』にいた。
庭が一望できる縁側。
「上がったよ」
声を掛けると、バージルはそっと振り向いた。その様子からして、膝には猫がいるらしい。
毎度のことながら甘えんぼうな猫に負けじと、もバージルの横に並んで座る。
「何だ、それは」
バージルがの持ってきたものに目を落とした。
赤いラベルが貼られた、平たい楕円形のパッケージ。
表には大福が描かれている。
「ダイフクか?」
「中にアイスクリームが入ってるんだよ」
「本当におまえはそういうのが好きだな」
「いいでしょ!これをお正月に彼氏と一個ずつ食べるのが夢だったの!」
「どんな夢だ」
呆れながらも口元の微笑を誤魔化しきれていないバージルに、フォークを渡す。
ラベルを剥がせば、二個入りの白い大福アイスが顔を覗かせた。
「はいっ、どうぞ!」
夢が叶うとあって、はご機嫌だ。
(ダイフクの中にアイスクリームだと?)
いまいち想像がつかないそれを、おそるおそる一口頬張る。
「っ……」
餅は思いの外よく伸びる。
「あ、外の皮伸びるから気をつけてね」
何とかむいーっと噛み千切って一段落すると、バージルは「それを早く言え」とばかりにを睨んだ。
それくらいの睨み、はもう慣れっこなので全く動じない。
「美味しいでしょ?」
「甘い」
「そりゃアイスだもん」
ぺろりと食べ終わったにだいぶ遅れを取って、バージルもやっとアイスを完食した。
彼を待ってから、は両手を合わせる。
「ご馳走様でした」
「いや、まだだ」
バージルが実に素早くの唇を奪った。
粉のついた唇と、冷たい舌はバニラの味。
今度はがバージルを睨み、バージルは余裕でを見つめる。
「……夢が叶った感想は?」
「甘い」
「だろうな」
ふっと鼻で笑って、バージルもご馳走様と呟いた。
は熱病のように真っ赤な頬をしている。
(確かに長年の夢だったけど)
『彼氏』がこんなひとになるとは、誰に想像がついただろうか。
昨年の今はまだ出逢ってもいなかった。
「……バージル」
は何となく正座でバージルに向き直る。
「ふつつか者ですが、今年もよろしくお願いします」
思いがけない挨拶に、バージルはすこしだけ目を見開いた。
からかうわけでもなく、真剣なの瞳。
バージルはしっかりと視線を受け止めた。
「ああ。今年も──」
残りの言葉は唇で直接伝える。
離れそうにないふたりの距離に、居心地悪そうに猫が逃げ出した。

ふたりの真新しい一年が、始まる。







→ afterword

新年あけましておめでとうございます!

何かもう…いつもすみません。
食べてばっかりすぎじゃない?とは思うものの、どうせならこのシリーズではいろんな食べ物をバージルさんに食べてもらいたいという言い訳を
特に、雪見な大福とバージルが書けて、私はそれで満足です
今年も相変わらずなこのシリーズですが、またよろしくお願いいたします。

それでは、お読みくださいまして本当にありがとうございました♪
2009.1.5