「携帯を変えよう」
ある日突然バージルが切り出した。
使える物は長く大事にしろと、根っからmottainai精神が刻まれている彼にしては、これはずいぶん珍しいこと。
「いいけど」
同意してすぐ、ふたりはいつもの家電屋に向かった。
迷うことなくバージルは製品を手に取り、すぐカウンターへ注文に行く。
彼が選んだのは、話題のMy Phone4Sの黒と白。
「……?」
流行に左右されないバージルですら惹きつける何かがあったのだろうか。
「手に入るのは二週間後だそうだ」
本当に待ち遠しそうに、彼は言った。



Romeo knows Juliet




二週間後。
やっと手にしたスマートフォンだったが——バージルは自分の黒は電源を入れて設定を軽くいじっただけでテーブルに置いてしまった。
「手に入れたら飽きちゃうタイプだっけ?」
問われて、バージルは眉を聳やかす。
「そうだったら、俺とおまえの関係はこんなに長く続いていないな」
ゾッとするようなことを言う。
「だけど、あんまり携帯さわってないし」
「これは」
バージルは、自分の黒ではなく、彼女の白をとんとんと指先で叩いた。
「おまえの役に立つと思って変えた。……Ciri」
“ How can I help you ? ”
「わ!」
急に喋った自分の携帯に、大きく飛び上がる。
バージルは微笑して携帯を彼女に向けた。
「明日の天気でも、近くのレストランでも、何でも聞いてみろ」
「そんなこと聞けるの?」
「ああ。メール送信や電話の発信、あとは音楽を流せだとかも頼める」
それは凄い。
真新しくてぴかぴかつやつやの端末に、緊張しながら向き直る。
「あ……明日の天気は?」
“曇りですが、気温は下がらないでしょう。これが週間天気予報です”
画面いっぱいに現れた天気予報。
目はまんまるく口はパクパク、携帯を指差し驚いているに、バージルは笑いを奥歯で噛み殺して「続けろ」と顎をしゃくった。
「この近くにあるお寿司屋さんは?」
“地図です、どうぞ”
多岐に渡る質問を重ねても、優秀な音声アシスタントは淀みなく答えてくれる。
が——、Ciriに夕食のレシピを教えてもらって、じゃあそろそろスマートフォン本来の機能を試してみようかとした時、問題が起きた。
「バージルに電話掛けてもらえる?」
白いスマートフォンは束の間、沈黙した。
“そのような方のお名前はアドレスにありません”
「え!?」
全身から血の気が引く。ものすごい勢いでバージルに顔を向け、
「ち、違うよ!バージルの連絡先を消したとかじゃないよ!?」
弁明すると、バージルは涼しげな表情を崩さないまま片手を挙げた。
「それは分かっている。俺の名前を認識出来なかったんだ」
「あ……」
そういうことか。ホッとし、電話に向き直る。
「バージルに電話して」
“どなたに掛けますか?”
「バージルに!」
“すみません、理解できません”
「……バージル!」
は電話ではなくバージルに泣き付いた。
「それ程悪くはないんだがな」
バージルも微かに首を捻る。
彼としては、が日本人最初の難関と囁かれている“weather”を一回で越えたことの方が不思議なくらいだった。
「毎日たくさん発音してるのに」
むくれながら、何度もバージルバージルと機械に繰り返した。しかしCiriは残酷なまでに『分かりません』と返すのみ。
「もー……。あ、そうだ!」
急に顔を輝かせ、携帯を手に持ち口元に近づける。いい言い換えがある。
「名前が駄目なら。……私の夫に電話して!」
うまくいったと笑んだのも二秒間ほど。
“では、あなたのご主人のお名前をどうぞ”
「くっ」
バージルが耐えられずに吹き出した。
「ひどい!」
「すまん」
伴侶に素直に謝ると、バージルはMy Phoneの白を手に取った。
「Vergil」
“『バージル』がご主人の名前として登録されました”
「これでいい」
電話を彼女に返す。
「……夫に電話して」
不機嫌な態度も電子プログラムのアシスタントには伝わらない。程なくしてバージルの端末が鳴り始めた。
「解決だな」
「でも面白くない!」
むっつり目元を吊りあげたまま、はスマートフォンに向かって「バージルにメールして」と命令し始めた。優秀かつ厳しい秘書はその度に“すみません、分かりません”と繰り返す。
その様子を愛おしそうに見守りながら、バージルはもう一度こっそりと首を傾げた。
(俺には普通に聞き取れるが……)
本当に聞き取れないほど発音が悪いとは思えない。
それとも、に呼ばれる自分の名前の発音の方が耳にすっかり馴染んでしまったとでもいうのか。
彼女はまだいろいろ声音を変えながら、バージルの名前を連呼している。ときどき、日本語としか思えない『ばーじる』やフランス語かと苦笑する程ねっとりした『ヴァアジォ』が混じってもいる。——が、どれもが呼んでくれる自分の名前には違いない。
(最悪、俺だけが理解できれば何も問題ないしな)
世界でただひとり、「ばーじる」と呼んでも彼を怒らせない存在。
「休憩としよう」
バージルはごく穏やかな表情で、電池切れを起こしかけている端末を取り上げた。







→ afterword

短い間でしたが、拍手お礼として載せていた短文でした。
Ciri(Siri)は私のお気に入り機能のひとつです。
皆さまのアシスタントは、「Vergil(Virgil)」認識しますか?今試したら、1回でいけました。おにいちゃん褒めて褒めて!(殴

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
2012.1.5