Kissing Day with Vergil




「目的の物は全部揃ったか?」
土曜午後の恒例行事、の荷物持ちを(不承不承)請け負うバージルが、顔だけ動かし後ろを見やった。
デパートの人ごみの中、メモをちらちら見ながらついてくる彼女はいかにも危なっかしい。
。前を見て歩け」
まるで子供のお守りだ。
手を引こうにも、既にバージルの両手はあれこれ荷物で塞がっている。の手を取るか、もしくはこれ以上なにか買うとなれば、いったん車に戻るかクロークに預けるかしなければならない。
(そういえば)
すたすた歩く足を緩め、バージルは面倒そうに息をついた。
気に入りのコーヒー豆が切れていた。出掛けにの買い物リストに書き足そうとしたまま、今の今まですっかり忘れていたのだった。
、一度車に戻るぞ」
「……。」
?」
返答が無い。
足を止めてを完全に振り返って、ようやくが反応した。
「あっごめんなさい、揃いましたです!」
ぱたぱた駆けてきて、隣に並ぶ。そのときはバージルではなく、更にその奥に視線をやった。実にさりげなく、何やら未練がありそうに。
(何だ?)
バージルもそちらに目を向け──、合点がいった。
が見ていた看板には“ Kissing Contest ”とある。
『キスの日』の今日、このデパートも何やらイベントを行うようだ。
(確かに、CMで流れていたな)
その度、は真剣にテレビを観ていた気がする。彼女自身は、それについて一言も口に上らせてはいないが。
「アレに興味があるのか?」
訊ねる。が、彼女は荷物持ちを手伝おうとバージルの方へ手を伸ばし、顔も上げない。
話題を逸らさせまいと、バージルは荷を引き寄せ、から遠ざけた。
ようやくのろのろとはバージルを見上げた。
「なに?」
手は塞がっているので、バージルは顔を看板に傾けた。
「アレに参加したいのかと、そう訊いている」
「……。」
盗み食いがバレた子供のように、は気まずそうに身を縮めた。
「あー……確かに看板見てたけど……でも別に参加したいってわけじゃ……」
何やらもごもご口にして、明瞭に聞き取れない。
はっきりしないに、溜め息ひとつでバージルはさっさと踵を返した。
「だろうな。わざわざ他人に見せるものでもない」
再び早足で歩き出す。
「買い忘れを思い出した。一旦荷物を車に置いて来よう」
「うん」
即座に頷いたものの、彼女の声はやけにちいさい。
(……分かりやすい奴だ)
内心そっと苦笑し、バージルは駐車場に続く細い通路へ入った。
車を停めたフロアまではエレベーターに乗る必要がある。だが、バージルはその乗り場をあっさり通り過ぎてしまった。
何かを確認するように上を一瞥し、そこで立ち止まる。そのまま流れるような仕草で荷物を全部その場に下ろした。
「バージル?どうかした?」
「やっと手が空いた」
大仰な仕草で右手を振ってみせる。は驚きで目を見開いた。
「ごめんね、そんなに重かっ」
彼女の言葉を言い終わらせることなく、バージルは空いた手でを上向かせた。
「な」
恐らくは「何してるの」とでも言おうとしたのだろう、開きかけた唇を半ば強引に奪う。
「ば」
羞恥心で非難めいたの眼差しも、難なく受け止める。
「誰も来ない」
戸惑いで揺れる視線を軽くいなすように素早く囁き、バージルはキスを続けた。
は彼の気まぐれを受け入れきれず、咎めるようにバージルの胸を押した。が、バージルは動きを止めるどころか、逆にの自由を奪うようにその両手首を壁に押さえつけてしまった。
……どれくらい時間が経過しただろうか。
が不思議なことには、これほど情熱的に唇を重ねる割に、バージルはそれ以上のことをしようとしない。
逃げるのをやめてからは、手首を掴んでいた手はそれぞれの背中と顎に添えられている。の手は抗うことも応えることも選べず、ただ背後の壁に爪を立てている。
もどかしいような、バージルが無茶をしなくて喜ぶべきなような。無論こんな、いつ誰が通るとも知れない場所でしたいわけでは無い──正直、今にも膝から頽れてしまいそうなのだが。
涙目で問うても、バージルはゆっくりと瞬きで躱すだけ。
妙である。
こちらから行動を起こすのを待っているのだろうか。そうならば、屈して楽になってしまおうか。実のところ、嫌と突っ撥ねるより受け入れる方が格段に楽だ──バージルの魅力の前では。
「ん」
がわずかに身を捩ったのを再びの拒絶と取ったのか、バージルは壁に肘をついて更に密着してきた。それにつれて、足元の荷がどさりと崩れて大きな音を立てた。
「っ!!」
驚いたが、全力でバージルを押し退けた。
「だ、誰か来たっ」
「荷物が倒れただけだ」
ひどく忌々しそうに、バージルが呟いた。大様に前髪をかきあげる。
「人間ではなく荷物に邪魔されるとはな……」
「え?」
が倒れた荷物を直そうと足下を見たその瞬間、
ピピィーーー!
甲高いホイッスルが鳴り響いた。まるで、試合終了を告げるように。
「何、今の?」
非常事態……火事でも発生したのかと、天井のスプリンクラーを見上げる。しかし、水が降ってくる様子などない。
が辺りを警戒しているのも構わず、バージルはさっさと荷物まとめて持ち上げた。
「行くぞ」
普段同様、早足で歩き出す。
「え?でも、そっちは」
バージルが向かった先は、駐車場とは真逆。売り場へ戻る方向だ。
「道、逆だよ」
「いや」
バージルは迷いなく進み、もう少しで大通りに出るというところで足を止めた。視線だけでを先へ促す。
「どうかした……?」
バージルは何やら挙動が怪しい。
そう感じつつも、はバージルの前に出た。途端、
『おめでとうございます!あなたがたが、今年度の" Longest Kiss "を勝ち取られました!』
ぱぁん!とクラッカー、盛大な拍手がふたりを出迎えた。
「ぇえっ!?」
『ささ、お二人はどうぞこちらへ!』
タキシード姿の司会者とスタッフが、ふたりをステージ——先程がじっと見ていた看板の奥──へ、ぐいぐい導く。
「ちょ、えっ、何」
『彼氏さんはお荷物が多いですねぇ。たくさんのお買い上げありがとうございます』
「ば、バージル」
混乱した頭で配偶者に助けを求めるも、バージルの表情はいつもと何も変わらない。いいからとの背中を押して、ステージ上へ進ませる。
慣れた手付きで周りの店員に荷物をすっかり預けてしまうと、バージルは司会に向き直った。
「計っていたのか」
『ええ!』
司会は何故か誇らし気に胸を叩いた。
『たまたまこちらの警備員が、監視カメラに映ったあなたがたのキスを目撃しまして!』
横で、屈強な警備員が親指を立ててウインクしている。
『それが、えらく長い。あまりに長いので、彼が映像の時間を巻き戻して確認したところ』
ステージのスクリーンに白黒映像が映し出された。大量の荷物が花畑のように広がる中央で、飽きることなく長々と口づけするふたり──もちろん、バージルとである──と、画面右上に表示された13分33秒の文字。
『13分!世界記録には遠く及びませんが、今大会で優勝するには充分でした!』
再び客席から拍手が起こる。
『おめでとうございます!』
壇上で司会に肩を叩かれ、は真っ赤な顔で涼しい顔のバージルをふるふる睨んだ。
「……これ、まさか計画してたの……?」
バージルは笑みを噛み殺している。
「俺は見せていたつもりは無かった」
つとめて真面目な顔を装って、と目を合わせる。
「主催側が勝手に見ていただけだ」
「……。」
すべてはバージルの掌の上。
嘘だ!と糾弾したい表情がありあり浮かぶ恋人に、バージルは不敵に微笑んだ。
「商品はおまえに全部やる。そもそも、あれが欲しかったんだろう?」
「あれって?」
顎で示され、は司会が掲げる目録を見た。
『はい!優勝者のおふたりには、キッシングチョコ20ポンドをプレゼントいたします!』
バージルは顔を振って腰に手を当てた。
「俺には正気の沙汰とは思えんがな」
「……。……鼻血が……」
ぽつんと呟かれたの一言に、バージルは呆れて振り返った。
「一気に食べるなど馬鹿な事さえしなければ──」
振り返り、わずかに眉を上げた。理解すると同時に、颯爽と行動を起こす。
の頭を抱き寄せ、司会から目録を奪う。床にまとめられていた荷物を片手で全部持ち上げる。
『あ、せっかくですから受賞の挨拶を』
今にも帰ろうとする二人に、司会は慌ててマイクを向けた。が、バージルはそちらには目もくれず、ステージを下りた。
「悪いが、妻の気分が優れないようだ。──行くぞ」
バージルの腕にすっぽり庇われた姿のまま、は目線だけ司会に向けて「ごめんなさい、賞品をありがとう」と念を送った。
が鼻血を出したことに気付いてからバージルがステージを下りるまで、5秒数えたかどうか。
鮮やかすぎて何が何だか分からなかった幕引きに、会場はしばらくざわついたままだった。



がんがんにエアコンをつけた車内は、凍えそうなほど冷えていた。
「逆上せちゃってたみたいです……」
ティッシュで鼻を押さえたまま、は上目でバージルを見た。
「全く。もう大丈夫なのか?」
「たぶん。バージルのシャツ、汚しちゃったね。ごめんなさい」
バージルの上質なシャツの肩口が、何やらスプラッタな状態である。
汚れを摘んで確認して、バージルはそっと息をついた。
「まあ、今回は一方的におまえを責められないしな」
「そうだよね!」
全身で頷かれ、バージルは薄目になった。長いキスをしたことや、衆目にその姿を晒したことは、確かに自分の一存ではあるが。がどの時点で逆上せたのかは、完全には判断しかねるとしても。
「そういえば、コーヒー買い忘れてる」
細かいことに気が回るようになったところを見ると、もう気分は良くなったらしい。バージルはからかうようにを見た。
「戻るか?」
数分経ったとはいえ、売り場はまだ自分たちのことを忘れてはいないだろう。
はぶんと首を振った。
「いいえ!」
「なら、もう一軒寄るか」
「うん」
そうと決まればとサイドブレーキを下ろすバージルに、ははたと口元に手を当てた。
「……でも、そこで大会やってても参加はしないよ?」
「そうだな。他人に見せるものでもない」
前回とは違い心の底からそう言うと、バージルはにキスをした。







→ afterword

7月6日は、『International Kissing Day』だそうです。
双子それぞれのシチュエーションで書けて、とっても楽しかったです。
バージルさんはデパートの全ての監視カメラの位置を知っています、きっと

ちなみに、世界最長のキスはタイのカップルの、「58時間35分58秒」だそうですよ!!凄すぎますね…!
短めですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
2013.7.5