Cast A Spell




『おはようございます、サンタクラリタ。今朝は既に80°Fを記録しています。今日も傘の出番はなさそうですよ』
爽やかに熱気を伝えるニュース。バージルは無言でテレビのボリュームを絞って、ささやかかつ無駄な抵抗をした。
音が途絶えた部屋に、
「いーてんきー」
の能天気な歌が響く。
「何だそれは」
「あんまりいい天気だから、歌いたくなって」
答えて、はソファに座るバージルに近づいた。背後から、肩に顎をちょこんと乗せる。
「ね、バージル」
が積極的に甘えてくる。
何か魂胆があるな、とバージルは横目でを見た。
弟絡みでなければ大抵のことは気分良く許してやれるのだが。
「あのね、Merc出してくれないかな」
はそっと上目遣いでバージルを見上げる。
「車を?」
そんなことで。
もっと法外な要求かと思えば、意外な頼み事だった。
「ダメなら、バスで行くからいいけど……」
バージルがしばし無言なのを、却下と取ったらしい。肩を丸めて引き下がる。
バージルは車のキーを取った。
「いや。出すのは全く問題ないが、何処へ行こうとしている?」
輝く銀色のキーを見つつ、は店の名を口にした。
「バートズ」
「バートズ?」
それは最近ふたりでよく行く書店だ。家からは少し遠いのだが、特徴的な店のつくりと、古本三冊を持って行けば好きな本一冊と交換してくれるサービスが、彼女のお気に入りなのだ。
(何だ)
と声には出さず、バージルはキーをしゃらりと音高く鳴らした。
「おまえの事だから、菓子でも買いに行くのかと思った」
ソファから立ち上がる。
「行ってくれるの?」
途端に、の目が子犬のようにつぶらに輝いた。
きらきら見つめられて、バージルの頬は自然と緩む。
「ちょうど暇だったからな」
それに、と心の中で付け加える。
たとえが菓子を買いに行くと答えていても、結局のところ運転してやっていたに違いない。
バスで一人で出掛けさせ、熱中症だの事件に巻き込まれるだのを家で心配しているより、ずっといい。
「本は持ったか?」
一連の考えはおくびにも出さずに振り返ると、は両眉両肩を落として、右手左手に一冊ずつの本を見せた。
交換してもらう為の本が足りないらしい。
「俺も不要な本がある」
リビングの本棚から適当に一冊引っ張り出し、彼女に渡す。
「ありがとう」
「用意はもういいのか?」
三冊集まった本にほくほく顔のを見下ろす。
バージル自身には、だらけた部屋着など着る習慣がない。女のように化粧をする必要もないから、いつでも瞬時に外出できる。
は元気よく頷いた。
「うん。行こう!」
本を片手にまとめて持ち、バージルに腕を絡める。
「本当はね、バージルにも来て欲しかったんだ」
は妙に上機嫌だ。いや、ふたりで外出するときはいつも幸せそうではあるのだが。
(気のせい……か?)
バージルはすこしだけ不思議に思った。



片側三車線の国道を周囲に合わせて流れて行けば、そう時間もかからずに目的地に到着だ。
「ああ、気持ちいい天気!」
車から降りるなり、は猫のように思い切り伸びをした。
朝の予報通り、太陽の光が燦々と容赦なく降り注いでくる。
「頭が焦げそう」
まさか本当に焦げるのを心配した訳ではあるまいが、バージルはの頭にてのひらを乗せた。
その彼の抜けるような白い肌に、は不意にむらむらと嫉妬を感じた。
「バージル、ちょっとくらい日焼けした方が健康的じゃない?」
むいっと唇を尖らせる。
「ここの本の様にか」
バージルは苦笑した。
いつ来ても、この本屋は独特な雰囲気を醸し出している。そもそも、本を展示し売るための『建物』がない。『露店』と言った方が近い。
この屋外書店は、森の中に唐突に書架を並べ、まるで動物、或いは妖精か何かのために作ったような開放的な外観をしている。雨がほとんど降らない地域だからこそ実現したのだろう。
本棚の真上には一応雨よけ程度のトタン屋根はあるものの、四方をきっちり壁で囲まれた訳ではないので、陽射しは手加減なしに照りつける。
そうやって光に洗われるうちに商品である本の紙が茶色に焼けてしまうことを考えれば、本来、太陽と書物は天敵であるはずだったが、ここを好む客はたいして気にしていない。
当然保存状態にも影響してくることを考えれば、当初のバージルには思うところが無いでは無かったが、は他の客同様、ここが好きだ。バートズの本は、太陽の匂いがするらしい。
「これでもおまえと暮らす様になって、焼けた方だと思うが」
バージルは無表情で、ただ自らの腕を眺めた。
「真夏に海へ行こうとせがまれるし、隣家のガーデンパーティーに度々連れ出されるしな」
何だかんだと言い包められ付き合わされた数々のイベントを思い起こし、バージルは鼻を鳴らした。
「でも!日焼け止めなんか使ってなかったよね?塗らないでその白さは憎たらしい」
「体質だ。恐らく焼けてはいるのだろうが、すぐ戻る」
「なんて羨ましい……」
ぎりぎり歯噛みしそうな表情の恋人に、バージルはそっと苦笑した。
「おまえが日に焼けたくないのなら、そう手入れすればいいが……俺はおまえの肌が焼けていようが白かろうが、ここの本同様気にならんぞ」
「う……ん」
中身に代わりはないと言外に含まれて、はすこし照れた。
バージルに言われると、確かに肌が焼けているかどうかなど、笑い飛ばして済んでしまう問題のような気がしてくる。
(私もバージルが日焼けしても、嫌いになんか絶対ならないし)
まあ、ココナッツ色の健康的な肌のバージルを想像しようとしても、なかなか上手くいかないが。
何となく言葉を途切れさせたまま、ふたりはいつものルートで本屋を巡った。この店にしては珍しく、あまり客がいない。
手際良く欲しい本を探し、持って来た三冊と交換してもらい、帰るかとバージルが車に足を向けたとき。
「ね。……あれ、寄ってっていい?」
が立ち止まり、店の一角を指差した。
小さなテーブルの前に簡素な藤椅子を寄せ集め、朗読会が行われているようだった。なるほど、どうも客の姿が見えないと思ったら、ここに集まっていたらしい。
バージルも足を止めた。
「構わないが。珍しいな」
書店では、作家のサイン会だの詩の朗読会だのと催しがあることが多いが、これまでが興味を示したことはほとんどなかった。
「ちょっと、ね」
こうした集まりに慣れてはいないはずだが、は物怖じせずに人集りの中をどんどん進む。ステージ前寄りの方に空席を見つけると、バージルに中央に近い席を勧めて自分は端に腰を下ろした。
前方で、今まさに初老の女性が何かを読み終わったところだったようだ。
女性が本を置いて立ち上がると、周囲からあたたかい拍手が起こる。ふたりも控えめに手を叩いた。
「素敵な朗読をありがとうございました。それでは、次は──」
陰から司会が声を掛ける。
周囲はひとときざわついて、次の候補者を待つ。これは特に出演者が決まっている会ではないようだ。
「あ、私、いいですか?」
突然、がぱっと手を挙げた。
?」
バージルは驚いて隣を見た。
にこりと笑うと、バージルが更に口を開く前に素早く立ち上がる。
新たなボランティアに、周囲は慣れた様子で道を開け、を正面の席に通してくれた。
バージルはただ呆然とそれを見ていた。
(……あの本は?)
は手に薄いペーパーバックを持っている。ここで買ったものとは違う、彼女気に入りの布製カバーが掛かっている。家から持って来たのだろう。
テーブルにそれを置き、ページを開くと、はバージルを見つめた。
深呼吸ひとつ、それから読み始める。
「“……私の心は、いつもあなたと共にある”」
バージルははっと息を飲んだ。
(カミングス)
朗読、ではない。はその詩を完全に諳んじていた。──ひとときも、バージルから目を離さないまま。
(そういえば……大切にしたい一冊を見つけた、と言っていた)
それは何かと訊ねても頑として教えてくれなかったから、若い男が書いたドラマの原作本か何かかと思っていたが──
「“あなたはたったひとつの、わたしの世界”」
の言葉は一言一句こぼれることなく、血肉に染み込んで来る。
カミングスのうつくしい言葉に、目を閉じて浸ってみようとしても、の声音も眼差しもそれを許さなかった。捕らえられ、から目が離せない。
「“あなたの心は、私の心のなかに……”」
最後の一文が森に吸い込まれていく。そうして長過ぎる余韻の後、ようやくバージルは現実に返った。咳払いし、慌てて手を叩く。周りもはっとしたように拍手を始めた。
「……素晴らしい詩をありがとうございました。覚えるくらい、その詩がお好きなんですね」
ひどく感心した様子で未だ手を叩いている司会に、今更のように照れながらは席を立ってお辞儀した。
するするとバージルの隣に戻って来ると、その手を引いて立ち上がらせる。
「行こ行こ、なんだか恥ずかしい」
「あれだけの詩を読んでおいて、か?」
からかうと、は耳まですっかり赤くなった。触れる手は常よりも熱い。
「あっつい!本当に今日は暑いね」
手でぱたぱたと顔を扇いで誤摩化している。
(全く……あれほど場を──俺を魅了しておいて、度胸があるのかないのか)
ふと微笑すると、バージルは車の鍵をに渡した。
「先に戻っていてくれ。俺も欲しい本があったのを思い出した」
「え。うん」
ペーパーバックの上に鍵を受け取らせ、バージルは踵を返して書架に戻った。



さほど時間もかからず、バージルは車に乗り込んだ。
買った本を読んでいたらしいが、ぱっと顔を上げる。
「おかえりー。本、あった?」
「ああ。探していたより、いい物があった」
バージルの声は心なしかいつもより明るい。
「そうなの。よかったね」
運転席につきシートベルトを締めると、バージルは買った本をに渡した。
「これはおまえに」
「あ、ありがと……う!?」
ずしりと重い革表紙の本。そのタイトルに、は驚愕した。
「これって、カミングスの、初版本!?」
詩を気に入ってあれこれ調べたから、間違いない。日に焼けてボロボロだが、確かにこれは初版本だ。
「よくこんな貴重な本が……」
「都会の書店だったら、ガラスケースに入っていただろうな」
「わあ……いいのかな……」
はどきどきと表紙に指を滑らせた。ざらざらと引っ掛かる感じが、流れた時間の重みを感じさせる。
「読んでもらえた方が、本にとってもいいに決まっている」
横から手を伸ばし、バージルはページを開いた。
今にも千切れそうな栞紐が挟まれた、そのページは。
「" i carry your heart with me "だ。載ってるんだね」
もちろん、とバージルは頷いた。
「なかなか上手く読めていたから、俺も気に入った。また読んでもらおうか」
「え!」
は瞳がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。
バージルは澄ました顔で眉を上げる。
「朗読会で大勢の前で読むより、俺一人の前で読む方が簡単だろう」
「それは……どうかな……」
目を泳がせる。
むしろ、朗読会という場の力のおかげでこの詩を読み上げられた、とも言えた。しかもあんなにまっすぐ、バージルに想いを込めて。
こんな素晴らしい本を贈ってくれるくらいだ、その想いはちゃんと彼に届いたようだ。
「……あ!そうだ!次はバージルが読んでよ!」
「俺が?」
「うん!気に入ったんでしょ?だったら」
「言っただろう。俺はおまえが読んだから気に入ったと」
「でも」
一度くらい。
言おうとした言葉は、直接バージルの唇に溶けた。
シートに押し付けられ、強く抱かれる。
「……っ」
服ごしに伝わる、バージルの体温。
(……ちょっと届きすぎちゃったかもしれない)
バージルのキスを受けながら、はカミングスの魔力の強大さを呪った。
いつしか車内は、エアコンでは下げきれない熱気に包まれている。



家に到着した頃、頭上であれほど元気よく輝いていた太陽の姿はすっかり見えなくなっていた。代わりに不吉な黒い雲が空を埋め尽くしている。
しかも、車から降りた途端、最初の雨粒が頬を濡らした。
「ええっ、雨ー!?」
「天気予報が見事に外れたな」
「本が……」
大きな本は、とても鞄に入らない。
ここから玄関まではそう遠くないが、今持っている本はとても大事な本なのだ。
は一瞬躊躇したものの、すぐに本を服の中に潜り込ませた。
バージルは彼らしくもなく瞠目した。
「何を」
「だって。大切な物、濡らしちゃ嫌だから」
恥ずかしそうに言い訳する。
俯いたの頭を見下ろして、バージルは目を眇めた。
「……そうだな」
ジャケットを脱ぎ、をすっぽり包んでそのまま強く抱き込む。
「バージル」
「We're on the same page after all」
“俺もおまえを濡らしたくない”
は本を、バージルはをしっかり抱きかかえて、勢いよく駆け出した。
息を弾ませて、玄関に滑り込む。荒い息に肩を上下させ──気付けばふたりとも、声を上げて笑っていた。
無事に守りきった本を服の下から救出してから、は濡れたバージルの前髪をかきあげ、彼のおでこにお礼のキスをした。







→ afterword

まず始めに。
こんがり肌のバージルさんは、グラフィックアーツ62ページなどで拝見することができます(*´Д`*)
肺を病んでそうな蒼白肌だろうが健康的な色黒肌だろうが、バージルさんは美しい。

このお話に出て来る屋外書店ですが、外観・サービス含めてそのモデルはカリフォルニア州オーハイに実在します。(「バートズ・ブックス」)
いつか行ってみたい、素敵な本屋さんです。
そういえば冒頭で出した地名、サンタクラリタ!これも何かで見かけて、可愛い名前だからいつか使おうと思ってました。
別にバージルさんちがここにあるとかいう綿密な設定ではないのですが、バートズ同様カリフォルニアなので、このお話にちょうどいいかなと……wiki見た限りでは、とても良いところっぽいですよ!

カミングス、いいですよね!!
この詩はうつくしすぎて泣けてくる…何度も読み返したい一編です。
バージルさんに言ってもらいたい台詞も無事に書けたし、水も滴るバージルさんも書けたし、今回も書いててずっと幸せでした!

それでは短文ですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
2014.7.6