dazzle puzzle




「うーん」
は思いっきり頭を働かせ、悩みに悩んでいた。
雑誌の懸賞に応募するためにクロスワードパズルを解いているのだが、これがなかなか手強いのだ。
子供用のレベルならすぐ解けるようになったものの、大人向け雑誌のクイズではまだまだ実力不足。
むうっとタコのように唇を突き出したところで、背後でかちゃりとドアノブが回る音がした。
「何だ、まだ終わっていないのか?」
シャワーを浴びたバージルが寝室に入ってくる。
首にかけたタオルにまだ濡れた髪の水分を吸わせながら、彼女の手元を覗き込んだ。バージルの動きにつれて、あたたかさを帯びた石鹸の香りが漂う。
「だめー。もうギブアップ寸前」
ベッドの上で仰向けになって、雑誌を投げ出す。
「答えが出せなければ、応募は出来ないな」
180度逆さの視界に、意地悪く眉を聳やかしたバージルが映った。
湯上がりの彼から漂うほかほかの湯気とはかけ離れた、その冷ややかな態度。
「締め切りは?」
「明日の消印だから、早めにポストに投函しないといけないの」
「そうか」
口調だけは同情し、バージルはすっと目を細めた。
こちらを射抜く青の視線に、の背に期待と緊張が同時に電流のごとく走り抜ける。
こういうときの彼は優しい言葉を掛けてくれるが、それは『取り引き』であることが多い。しかも圧倒的に彼有利の。
「答えを教えて欲しいか……?」
「うぅ」
もう既に辞書との睨めっこは飽きた。何かきっかけがなければ自分には導き出せない単語である、ということも理解した。
「……どうする?」
バージルは今にも喉をくつくつ鳴らしそうなくらい、本当に愉しそうだ。
「教えてくれたら、何かあるんでしょ……」
「さあな」
バージルは無造作にベッドに腰掛けた。きっ、とスプリングが音を立て、の身体が弾んだ。
「バージルに訊くとその後が怖いんだもん」
「俺の手伝いが要らんなら、もう寝るぞ」
バージルが背を捻ってナイトテーブルのライトに手を伸ばした。
「待って!!」
物凄い反射速度でバージルの指が止まる。彼女が屈するのを知っていたかのようなタイミング。
「……やっぱり教えてください……」
なるべくなら自力で解きたかったのだが、時間に追われていては仕方ない。バージルも半分は人の子、少しはこちらの気持ちも理解してくれるだろう。
「あの。その……お手柔らかにね?」
祈りを込め、ペンを彼に渡す。
「いいだろう」
肩肘をつき彼女の隣に身を寝かせ、バージルは雑誌に答えをあっさりと書き込んだ。
──その後、の祈りは彼の悪魔の子の部分には届かなかった。


翌朝、10時。
バージルとはまだベッドの上で遊んでいる。比喩でも何でもなく、これは本当に遊んでいるのだ。パジャマのまま、朝食もそっちのけで。
『スクラブル』というのが、ふたりが遊んでいるボードゲームの名称だ。は最近これにハマっている。
最初に、アルファベットが一文字ずつ書かれたコマを7個、各々が適当に持つ。各自それを15×15のマスが引かれているボードに並べて単語を作っていく。
もちろん適当にマスの上に置けばいいという簡単なルールではなく、それぞれの単語は隣接していなければならない。
作った単語は長さや使われた文字ごとの素点によって得られるポイントが異なり、最終的にポイントを多く稼いだ者の勝利となる。
このポピュラーなゲームは単語の勉強になるということで、誘えばバージルも読書の片手間に付き合ってくれる。
昨夜はバージルに散々好きなように遊ばれて、まだまだ起きたくない彼女が口実がてらこのゲームをベッドに広げたのは、もう三時間も前のこと。
「あとはVがあれば" LOVE "が作れるのにな」
木製のボードと手元のコマを憎たらしそうに見比べ、彼女はうぅと唸った。
「山は……もう残っていないのか」
手持ちのコマで単語が作れない場合は余りのコマの山からも引けるのだが、ゲーム終盤ということで、コマはもう二人の手元のラックにしか残っていない。
「Vか……」
バージルが読みかけの本を閉じた。
「俺が持っている」
笑みを浮かべ、Vのコマを差し出す。
「でもこれって……ちょっとずるくない?」
「狡い。だがこのVで繋げば、トリプルポイントでおまえの勝ちだぞ」
「え?ちょっと待って。ほんとに?」
バージルがとんと指で示したボードのマスは、青色。確かにここに置くことが出来れば、Vの素点4の3倍、12ポイントが一気に彼女のものになる。
「おまえの記念すべき初勝利は目前だ」
「……。」
このゲームでバージルに挑み続けて一ヶ月──未だに彼女の勝利はない。それがもうすぐそこ、手の届く所にあるという。
しかし。
「……Vを手放す代償は?」
「これから考える」
「……何するにしても、手加減してくれる?」
「してやってもいい」
「本当に本当に?今度こそ、それ信じていい?」
「ああ」
「……じゃあ」
悪魔の手の上から、Victoryの鍵を得る。
ちいさな木の板をボードに置けば、
「勝ったーーー!!」
彼女の初勝利である。
協議の末、バージルにはもともと不利なアルファベットが配られていたわけだが、ともかく勝ちは勝ち。
「あー、楽しかったー!」
さっさとボードを箱に仕舞おうとすると、バージルが見咎めた。
「待て。勝ち逃げする気か?」
「え。だって、バージル散々勝ってたんだし、もう飽きたでしょ?」
それに頭も疲れたよ、と彼女は首を回した。
しかしバージルは、ボードを箱から人差し指と中指で引き出した。
「もう1ゲームだ」
「……。いや」
「俺にはFJKQXYZでいい。おまえは好きな字を選べ。空白のコマを使ってもいい」
何も書かれていないコマは、どのアルファベットとしてでも自由に使える。
かなり譲歩されているが、彼女はふるふる首を振った。
「それでもやだ。せっかくLOVEで感動的に締めたんだし、たまには気分良く終わらせて。そうじゃないと面白くないもん」
「……。」
バージルはじっと押し黙っている。
「……なら」
「ん?」
「先程手放したVの代償を」
ボードを横へ除け、ベッドの中央に場所を空けた。
「い、今から?そろそろ起きようよ。お腹空いたし!」
「どうせまだ起きたくなかったんだろう?」
「それはちょっと意味が」
ぐい、とバージルがの肩に手を掛けて押し倒す。片付け途中だった木のコマが、シーツに派手に散らばった。
「ああ!仕事増やしたー!」
「そんなものは後でいい」
バージルの情熱はとっくにゲームから彼女に移り変わっている。
の『今朝はベッドでまったり体力回復作戦』は、敢えなく潰えたわけだ。さっさと起きていれば良かったと思ってみても、後の祭り。
咎めるようにバージルを見れば、彼は思いの外やわらかなキスをくれた。確かに昨夜よりは手加減してくれるようだ。
ため息をつき、彼女は邪魔になりそうなコマをベッドからぱらぱらと払い落とした。それでいい、とバージルも満足気に笑む。
「昨日の応募ハガキ、今日中に投函しなくちゃいけないんだからね?」
「郵便局まで連れて行ってやるから安心しろ」
「うん……」
バージルに無傷で勝つためには、あと最低1万語は語彙を増やす必要がありそうだ。
(新しい単語帳を買いに行こう)
そうは心に決めた。
けれど──バージルの語彙が10万を越えているとは、恐らく彼自身も知らないこと。







→ afterword

ずいぶん長いこと拍手お礼を任せていたショートでした。
バージルさんとベッドの上でスクラブルとかチェスとか、もう最高でしかないですよね…
まあ勝ち負け関係なく、結局別のゲームに移行するまでがテンプレです。
それにしても、英検1級で語彙数15000くらいらしいので、戦闘力10万のバージルさんとはいったい

それでは短文ですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
2019.4.27