#2




肩の傷も癒えた頃。
「だから、銀髪の若い男のデビルハンターよ。あなたが知らないはずない、相当腕の立つ男だし」
は情報屋のエンツォに電話をしていた。
勿論、助けてくれたデビルハンターのことを聞くためだ。
何としてでも会ってみたかった。
彼が何者であろうとも、命を助けてくれたお礼をしたかった。──それに。
『興味持っちまったか?』
回線の向こう側で、エンツォが意地悪く笑った。
「……そうかも」
は正直に肯定した。
あのずば抜けた強さ。
何故、自分を救ってくれたのか。
知りたい。
もっと、悪魔の彼のことを知りたい。
『まあ、無理もねえやな。アイツは強ぇし、見てくれだっていいし』
「ルックスなんかじゃなくて、強さに惹かれたの。だから会って、剣技のひとつも見せてもらえたらなぁって」
『ハハハ、あんたは相変わらず色気のないこって』
エンツォが皮肉混じりに笑う。
「お生憎様」
飾るところのないこの情報屋は、も嫌いではなかった。
仕事のない頃にも細々とした依頼を回してくれた恩もある。例えるならば、叔父と姪のような関係だ。
『ま、とにかく。銀髪で相当腕の立つデビルハンターってんなら、Danteだな』
「ダンテ?それが彼の名前ね?」
『ああ』
エンツォは、詳しく彼の住所を教えてくれた。
『けどなあ』
「何?ヤバい奴なの?」
からからと笑ってみせる。
あれだけの腕の男だ、扱いやすい性格とも思えない。
裏の世界において、強くて性格までフレンドリーなデビルハンターの方が珍しいのではないだろうか。
それに、そもそも助けてくれておきながら無言で去っていったのだ。複雑な性格であろうことは間違いなさそうだ。
『……いや、そうじゃなくてな……』
エンツォがやけに歯切れ悪く切り出す。
みてえないい女を助けるだけ助けて、声も掛けずに放っておくなんて、ダンテにしちゃあ有り得ねえんだがなあ』





エンツォに紹介してもらった『ダンテ』の事務所までは、かなり遠かった。
いくらダンテが実力者だとしても、これだけ離れていたらのところまで名声が届くはずもない。元々、裏稼業というのはそういうものだ。互いのテリトリーが重なれば重なった分だけ厄介事が増すだけなのだから。
古めかしい建物を見上げてから、三回だけノックする。
そうして、ゆっくりと扉を開けた。
「Hello?」
中はがらんと広かった。
ただ、ビリヤード台やジュークボックス、ソファにテーブルのひとつひとつがやたらと大きく、いちいち目を引く。扇情的なピンナップ、ブルズアイを射抜かれたダーツボード。足元にごろごろ転がったビールやワインの瓶。
ダンテはどうやらの愛するシャビーシックからかけ離れているセンスの持ち主のようだ。
「すみません。ダンテさん?いないの?」
声を張り上げて呼んでみる。
それでも、応えはない。
(せっかく来たのに)
依頼に出かけているんだろうか。
「……待ってみようかな」
ちょっと図々しいと思いつつ、は埃っぽいソファに腰掛けた。
そこへ。

「これは美人なお嬢さん。シャワー浴びてきた甲斐があったな」

奥の扉からその人は、飄々とした物腰で何気なく、けれど音も立てずに現れた。
銀の髪に、アクアマリンの瞳。
上半身裸に無造作にバスタオルを引っ掛けた、そんな無防備な姿なのに凄まじい程のうつくしさ。
人外の。
すとんと納得できた。
「あ、あの……あなたがダンテさん?」
緊張しつつ立ち上がると、不敵に彼が笑った。おどけて会釈してみせる。
「いかにも、オレがダンテです。……どっかで会ったか?」
「はい」
即答に、彼は悪戯っ子のように目を笑わせる。
「おかしいな。あんたみたいな女、会ってたらオレが忘れるわけねえんだけどな」
エンツォと似たようなことを言う。
はくすりと微笑んだ。
「あの日は、いろいろありましたから」
首に掛けたネックレスを取り出す。
あの日、ダンテが落としていったと思われる、綺麗な赤い石。
捨て置くわけにはいかない気がして、宝石店でわざわざネックレスに加工してもらったのだ。
以来、肌身離さずつけている。
身につけていれば、彼に再び会えるような、そんな気がしていた。
(そして実際に会えたもんね)
ダンテはあの夜の彼とは雰囲気が違って見えるが、気分屋な『悪魔』ならばそういうものなのかもしれない。ましてや、夜の闇の下と、昼の陽の下とでは。
「その石……」
石の光に、ダンテが息を飲んだ。
数瞬なにか考え、ダンテは裸の胸に大事そうにぶら下げた大振りなアミュレットをに示した。
そこには確かにのネックレスと同じ、赤い貴石が誇りかに輝いている。
「やっぱり、あなたは、あの夜の……」
は早くも潤み始めた瞳を何度も瞬きして、クリアにさせた。
ちゃんとダンテを、命の恩人の姿を目に焼き付けたかったのだ。
「あの日、あなたがあたしを助けてくれたときに、きっと欠けちゃったんだと思います」
「ちょっと待て」
ダンテさんが、いきなりの手を掴んだ。
何をと反応する前に、無言でアミュレットの石に触らせる。
「え?」
は指の感触を疑った。
指を滑らせた彼のその石は、見事になめらかなまま。──傷ひとつ無い。
ダンテがじっとを凝視する。
「……あんたが触った通り、この石は欠けちゃいない」
「でも!あたしは確かにあなたに助けてもらって、だからこうして生きてるの」
「どうやら、ややこしいことになったみてえだな」
ダンテは頭を掻いて、ソファに倒れ込んだ。



三時頃ここに着いたはずだったが、気付けば外はすっかり日暮れ。
ソファに座って一点を見つめたまま、ダンテはしばらく身じろぎひとつしなかった。
は帰るに帰れなくなってしまい、そのまま待った。
……やがて、極度の緊張に先にの方が耐え切れなくなった。喉が乾いたと言い訳して、相変わらず無言の彼に断ってからキッチンに立つ。最初に目についたインスタントコーヒーを二人分、用意する。
芳しい湯気の匂いに、ようやくダンテも物思いから浮上したようだった。
ズズッと一口、コーヒーを含む。
「……美味い。これ、うちにあったやつ?」
「え?あ、はい。そうです」
「あんたの淹れ方が上手いのか」
彼の雰囲気が和む。
「普通、だと思います」
微笑みながら、ダンテのカップに熱々のコーヒーを足す。
確かにキッチンの様子からして、彼はあまり家事をするようなタイプではないようだ。
ふうっと一息ついて、ダンテさんはをつぶさに見上げた。
「あんた、名前なんだっけ」
「あ、はい。です」
か」
見つめて来る、快晴の空のような蒼い双眸。
うつくしすぎて、目が逸らせない。
が。
「悪いけど、あんたが探してるのはオレじゃない」
唐突に、話が本筋に戻った。
「でも」
は食い下がる。
彼はそっと視線を外した。
「……あんたを助けたのはきっと、オレの双子の兄だ」
「……双子……!?」
そんな考え、及びもしなかった。
エンツォもそんなことは何も言わなかった。
「名前は……」
まるで訊いてはいけない秘密を訊ねてしまったかのように、口の中が乾く。
ダンテもまた、たっぷりと間を置いた。

「Vergil」





自分を助けた悪魔の名前は『Vergil』だということ。
エンツォに教えてもらって訪ねたダンテの、双子の兄だということ。
ダンテの事務所にいれば、いつかバージルに会えるかもしれないということ。
沈黙から一転、たくさんの情報を受け取ると、はすぐさまここで働かせてもらうことに決めた。
ダンテ曰く、『結局それがバージルに会ういちばん手っ取り早い方法』なのだそうだ。
勿論、その裏の理由には女手が欲しかったのは間違いないだろう。が訪ねた日の夜、夕食にピザを取って振舞ってくれたのはともかく、次の日も宅配に電話しようとした辺り、普段の彼の生活があまり健康的でないことは分かる。
はできるだけダンテに食事を用意してあげようと思った。家事は得意でも不得意でもないが、半ば無理を言って置いてもらっている身なのだ。
(それにしても、厄介なもんね)
双子の兄弟だというダンテとバージルは、仲があまりよろしくないらしい。
元々はこの事務所を二人で開いて一緒に依頼を受けていたらしいのだが、早い段階で喧嘩が勃発し、バージルが出て行ったという。
それから互いに連絡を取ることはまずないという。
だから、彼がどこでどう暮らしているのか、全く分からないし調べる気もないらしい。
「けどまあ、あいつも聖人君子じゃないから、飯代だっているわけでさ」
この事務所宛てに振り込まれるバージルの分の依頼の報酬を、ごくたまにまとめて取りに来るのだという。
溜まった小切手の束を見せてもらい、は驚いた。 「……こんなに!?」
「ああ。まさか、オレがちゃっかりくすねてるとか思った?」
ダンテは大きく笑った。
「そんなこと思わないけど」
一緒に暮らすようになってから、の態度も口調もだいぶ砕けている。ダンテは相手との距離の取り方がさりげない。
「前回ここ来たのはいつだったか。半年前くらいか?とにかく、そろそろ来るんじゃねぇか」
「でも、自分の事務所を持たないっていうことは、半年に一回でも、ダンテに会いたいんじゃないの?」
何となく微笑ましくなったのでがそう言うと、ダンテが急激に不機嫌になった。
「気味悪ぃこと言うなよ。大体、小切手だって毎回、オレが知らないうちに取って行くんだぜ?」
「そうなの?何か変じゃない?自分で口座でも開けば、わざわざここに来なくたって済む話じゃない」
「それは……」
ダンテが言い淀んだ。
その様子を何だかおかしいと思い、ダンテの目線の先の通帳を見ると。
「Vergil……?ちょっと、ダンテがバージルの分の口座を使ってるの?」
「だってよー、口座開くのって面倒なんだぜ?昼間に銀行なんざ考えるだけで気が重くなっちまう」
「呆れた」
どうやら、ダンテの不精のせいで結局バージルが無駄足を踏んでいるらしい。
「いいわ、あたしがあなたの口座を開いて来てあげる」
「マジ!?」
ダンテの顔が輝く。
「Thanks darlin'!」
言うが早いか、大袈裟にぎゅぎゅっとハグされた。
「ほんとにもう」
エンツォは『腕の立つ男』と言っていたけれど、今の彼を見ただけでは絶対に信じられない。
思いっきりにこにことして、ご機嫌なダンテ。
──この人と双子のバージル。
まだ見ぬバージルも、きっとこんな顔をしてるはず。
あの夜の彼とダンテの雰囲気が異なると思ったのは自分の直感が正しかった訳だけれども、それでもはまだバージルを甘く見積もってしまった。
通帳を貸してやっているというその一件だけで、はバージルに対して好意が更に膨らんでしまったのだ。
そして勝手に『優しい人』というイメージまで作り上げる始末。
彼女がバージルはやはり『悪魔』だと知るのは、まだもう少し先のことになる。