激しい治療を繰り広げた二週間もようやく終わった。
それなりに楽しんでいたバージルではあるが、彼も若い男であるわけで、いつも寸前までのその行為では到底満たされず
悶々としつつも何とか耐え切った!と思ったら、今度は弟が引っ越して来たのである。
バージルの機嫌は悪くなるばかり。




Walking in the Clouds




「そういやさ、はいつオレらが悪魔だって気付いたんだ?」

夕食を三人で取っていたところ、ダンテ(at お誕生日席)がふと切り出した。
そういえばと、バージルが真正面の彼女を見つめる。
「ああ、それね。バージルと初めて出逢った日に、すぐ分かったよ」
くすくす笑いながら答える彼女。
俺は何か正体を明かすようなことをしていただろうか?と眉を寄せるバージル。
が悪戯っぽく視線を送る。
「瞬間移動で消える人間なんて、いないから」
「そりゃそうだ」
ダンテが苦笑する。
「天使でもなく悪魔と断定されるところが、バージルたる所以だよな。オレなら天使かと思ったろ?」
「んー、それはない」
「Gee!」
楽しそうなダンテと
「でも、それだけじゃなくて」
がぽつんと呟いた。
自然とダンテの軽口も止む。
バージルもフォークを置いた。

「悪魔の翼の影が見えたんだ。バージルの足元に」





夜も更けたころ。
シャワーを浴びてスリップドレスに着替えたは、窓辺に腰掛けた。
この大きなフランス窓は、お気に入りだ。
元々瀟酒なデザインだったのを、バージルがカーテンを掛け替えてくれ、窓辺に飾る観葉植物もプレゼントしてくれた。
もちろん景色、遠く街の明かりが見えるのもいい。
だが、いちばんの心を奪うのは、やはり、月。
まるで一幅の絵画のように、大きな月が窓枠に収まっている。
開け放った窓からの風に、そよそよと揺れるシルクの裾。
流れ込んで来る夜気に逆らわず、そっと顔を俯かせる。
今夜は、バージルは自分と距離を置きたいかもしれない。
夕食の席での一言……
悪魔の翼が見えたという言い方は、バージルを傷付けてしまったかもしれない。
あの夜見えた影は、確かに少し怖かった。
彼が人間ではないというのをまざまざと見せられてしまったから。
でも、
同じだけ、惹かれた。
彼はあの翼で空を飛んで行ったのだろうか、と空を見上げさえした。
もちろんそのときにはもう、視界には彼は映らなかったけれど。
「バージル……」
窓に背を向け、やっぱり彼に会いに行こうと思った。
誤解を招く言い方だったと、自分は何も畏れてはいないのだと、伝えなければいけない。
「バージルに、逢いに行こう」
大きく頷いて一歩踏み出したところで、

「ここにいる」

背中からバージルに抱き締められた。
「……どこ、から……」
肩を竦めて彼を振り返ろうとして、は足元の影に気付く。
ふたり重なる影の、その肩の辺りには……
あのとき見た、悪魔の翼のシルエット。
窓から夜気が流れ込んで、部屋を駆け抜ける。
「飛んで……来たの?」
「ああ」
バージルが静かに答える。
腕の力は弱く、が逃げ出そうと思えば簡単にそう出来る程。
自分の不用意な言葉は思った以上に彼を傷付けてしまっていたのだと気付く。
「バージル……」
そっと振り返る。
痛いものを堪えるようなバージルの表情。
はゆっくりと、彼の翼を見つめる。
初めて見た。
天鵞絨の黒、濡れたように光る翼。
優雅だ。
「……綺麗……」
ほうっと息を吐く。
指を滑らせると、まさしくそれは黒絹の手触りだった。
心地よくて、思わず何度も撫でてしまう。
勝手に触れてしまって、気分を害してはいないかとそっと彼を見上げれば、心なしかその表情はやわらかい。
安心して微笑みながら、そっとバージルの肩口に頬を寄せる。
「本当にバージルは、悪魔なんだね……」
「……ああ……」
いつものバージルの匂い。
とても落ち着く、この温もり。
翼への恐怖がなくなったら、途端にのおてんば心が頭を擡げた。
「とっても素敵な悪魔さん。あたしを攫って、夜のお散歩してくれないかな?」
目を合わせる。
バージルが、我が意を得たりと微笑んだ。

「With pleasure」





夜の空は、思っていた以上に寒かった。
ぶるりと震えたの顔をバージルが覗き込む。
「怖いか?」
初めての飛行に怯えたのかと勘違いする。
は首を振った。
「ううん、そうじゃなくて、寒い……」
「そうか。では」
横抱きはそのままに、羽織ったコートをかき寄せてを包む。
ぐっとふたりの距離が近くなる。
バージルの吐息が頬に触れる。
「どうだ?」
「あったかい……」
バージルの体温を確かに感じながら、はそうっと眼下を見下ろす。
「わあ……!!!」
気付かないうちに、随分高いところまで飛んでいた。
足元は、宝石箱を引っくり返したような煌めき。
手で掬えそうな近さに漂う雲。
自分たちの古城がはるか遠く、模型のように頼りなく見える。
そして、キスできそうな程、月を近くに感じる。
何もかもが、息を飲む程うつくしい。
「綺麗……」
心が締め付けられる。
誰も見たことがないだろう世界に、恋人とふたりきり。
バージルは決して無理をしないように、翼をゆっくりとはためかせてくれている。
そのお陰で、の髪を揺らすのはつめたい風だけ。
悪魔のくせにバージルは優しい。
は泣きたくなった。
「気に入ったか?」
バージルが強い風に負けないよう、耳元に囁く。
はくたりと彼の胸に顔を預けた。
「また連れて来て」
その満足そうな声音に、バージルはふっと唇に笑みを刻む。
「何度でも、お前が望むだけ……」
ひとつの影となった悪魔達は、しばらく夜闇の中の散歩を楽しんだ。



飛行を終えて戻っても、まだは夢うつつにぼんやりしている。
あのうつくしい世界にいたことが信じられなかった。
彼女を横たえたシーツの上で、バージルはどことなく不安そうに見えた。
「……怖かったのではないか……?」
バージルがそっと訊ねた。
初めて触れた、悪魔の黒き翼。
ふたり間近に瞳を交わす。
はゆっくり何度も首を振った。
「怖くなんてないよ……」
今はもうすっかり仕舞われた翼のある辺り……彼の肩甲骨の辺りを掌で撫でる。
服越しでも引き締まった肌が感じられる。
誰よりも、つよいひと。
「最初から、あなたに惹かれていたんだもん……優しい悪魔の、あなたに……」
「俺は優しくなどないぞ」
バージルが苦笑する。
が意外そうに瞬きをする。
「じゃあ、何であのとき、バンガードからあたしを助けてくれたの?」
「それは……」
バージルは視線を迷わせる。
そうだ。
俺はあのとき、何故彼女を助けようと思った?
……ああ、そうか。
俺は悪魔だから。
「命を諦めて投げ出そうとしていたお前だったからこそ、助けたくなった」
「……ひねくれてる」
どこまでも、不器用な。
はバージルの銀の髪にそっと指を通す。
夜露にしっとりと濡れた髪は、彼女の指の通りに流れる。
その動きに誘われるように、バージルが唇を重ねて来た。
鼻が触れ合う距離でしばし見つめ合う。

「……いいか?」

バージルの低く掠れた声に、は目を丸くした。
いつか聞いた台詞。
あれから二週間。
バージルは何だかんだで治療以上のことはしなかったし、そのお陰で傷はすっかり治っている。
これ以上、彼の熱情をたたえた瞳から逃げられるわけがない。
それに本当はもう、逃げたくもない。
頬と耳を真っ赤に染めながら、はちいさく頷く。
「……いいよ……」
応えとほぼ同時に、バージルの熱い唇が、降りて来る。
それは悪魔の媚薬。
ふたりの夜のはじまり。
かつて人間を堕落させた悪魔の誘惑は相当なもので、
は、優しくも激しいバージルの愛に包まれ、
今宵二度目の逃げ場のない夜間飛行に翻弄された。







→ afterword

お散歩、お疲れさまでした!

エアハイクもできないバージルが空を飛べるのか!とか、翼はどうなってるんだ!とかいう捏造はさておいて(悪魔なんだからきっと飛べるよ!爆)、この話はお気に入りです。

お読みくださいまして、ありがとうございました!!

2008.6.17

追記)
これを書いたときから10年以上経て、ついにバージルさんも自由に空を飛べるようになりましたね!!
おまけに尻尾なんて可愛いパーツまでつけちゃって…!!
バージルさんへの愛は深まるばかりですね!