Fourth of July




外は独立記念日で沸き立っている。
猫も杓子もパレードに詰めかけ、こんな街から遠く離れた館にまでその熱狂的な喧騒が届くようだ。
……バージルは独り、リビングに居る。
は聖フランチェスカ教会へボランティアに行ってしまった。
去年のクリスマスの時とは違い今回は本当に手伝いに行っているのだから、バージルとしても止めようがない。
もう一人の同居人、ダンテも──バージルがダンテの不在について考えること自体、いかに彼が孤独を感じているか表しているのだが──レディとパレード見物に出掛けていった。
レディはバージルのことも誘ってくれたのだが、が帰って来たときに館に誰もいないのでは可哀想だからと断った。
今もその気持ちは変わらない。
ただ……
バージルは付けっぱなしにしていたテレビに目を向ける。
賑やかにパレードを待つ人々を実況するレポーター、カメラに映るたくさんの笑顔。
そういったものを意識に入れてしまうと、より一層寒々しい心持ちになる。
──まだ毒が抜け切っていない。
いや、あの毒がもたらした過去の記憶が、と言うべきか。
ずっとずっと、治ったと信じてきた感情の傷口を開いてしまったばかり。
だから今こんなにも、孤独を孤独だとはっきり感じてしまうのだろう。
溢れてきた不安はひとつひとつが永遠にバージルを苛むだろうし、はきっと一緒に向き合ってくれる。
真摯に治療すれば、絶対に傷は癒える。
その深さに比例し、時間はかかるとしても。
ちら、と時計で時間を確認する。
が帰って来るまでにはまだだいぶある。
……迎えに行くか。
迎えというには三時間も四時間も早く到着する理由は、彼女なら訊かずとも分かってくれる。
用意もそこそこに、バージルは館を後にした。



聖フランチェスカ教会へは、クリスマス以来久しぶりにやってきた。
自分には場違いで、入りづらい雰囲気は相変わらず。
どうしたものかと視線を彷徨わせていると、教会の花壇の手入れをしていた老シスターが気付き、バージルに近づいて来た。
「こんにちは。貴方をお見かけしたことがあるようだけれど……」
「ああ」
向き直ったバージルははっきり頷く。
「去年のクリスマスに、を探しに来た」
シスターは柔和に頬を緩めた。
「ああそう、そうだったわねぇ。さん、いらしてますよ。さぁ、中へどうぞ」
シスターに丁寧に先導されれば一瞬躊躇はしたものの、もう中に入るしかなくなってしまった。
さんは今、子供たちに本の読み聞かせをしてくれているんですよ」
シスターが重い樫の扉を開く。
教会の主は半魔の彼を拒むことはせず、ただ厳かに受け入れた。
しんと重い、けれど意外に不快ではない清浄な空気。
「子供たちもすっかり懐いていて……ほら、あそこに」
バージルはぐるりと見渡す。
扉から真っ直ぐ続くバージンロードの奥、チャーチオルガンの前の段を利用して、と子供たちが座っていた。
十人程の子供たちは、みな真剣な眼差しでの話に聞き入っている。
バージルはシスターに軽く礼をすると、入り口からいちばん近い長椅子に腰を下ろした。
手を組んで顎を支え、視線だけで気付いてしまうのではないかと思うくらいに熱くを見つめる。
「……ジョージ・ワシントンは、アメリカのお父さんなのよ」
は独立記念日について語り聞かしているのだろう。
朗々としたの声は、遠いここまでもよく響いてくる。
「どうしておとうさんなの?」
最前列でを見上げていた利発そうな男の子が、きらきらした目で質問する。
真剣な彼に、は嬉しそうに答える。
「この国の土地を守ったり、大事な決まりを作ったりしてくれたの」
「ふぅーん」
「そしてジョージ・ワシントンは、いちばん最初の大統領になった」
「大とうりょうかあ」
「おとーさんがいるなら、おかーさんもいるのぉ?」
指をくわえながらの話を聞いていた女の子が首を傾げた。
はもちろん、とにっこり頷く。
「土地や、ここに住む人々……お父さんが守ったものを、お母さんと呼べるんじゃないかな」
──らしい考えだ。
バージルは目を閉じ、耳に心地よい彼女の声だけ追うようにして、その感覚に酔い痴れた。



……気付くと、やわらかい感触が頬の下にあった。
目の前は見慣れない飴色の木目で、何事かとバージルは頭を持ち上げる。
「あ、バージル。起きた?」
が大きな瞳で上から覗き込んでくる。
「……
どうやら眠ってしまった自分に、彼女は膝を提供してくれていたらしい。
いくら病み上がりとは言え、少し気恥ずかしい。
が、の膝はどうにも気持ちよく……バージルは逆らわずに再び彼女の膝を拝借する。
やわらかさとあたたかさに、ともすればまた眠ってしまいそうだ。
それでもよかったが、何となくの声を聞きたくなってバージルは話題を探す。
「……随分子供に慕われていたな」
口を開くとともに先程の光景を思い出し、バージルは誇らしくなる。
……同時に、長いことの傍にいた子供たちへの嫉妬まで蘇ってきたが。
膝の上の彼のそんな苦々しい気持ちは露知らず、は微笑む。
「子供って、色んなことをまっすぐに聞いてくるんだね。びっくりした」
「普段、ひねくれた者の相手ばかりしているからな」
バージルの言葉にはぷっと吹き出しかける。
「自覚あるの?」
「さてな……?」
悪戯っぽい笑みを交わし、バージルはゆっくり起き上がった。
ひたと眼差しを絡めたまま、にくちづけしようとし、

「だめーっっっ!!!」

突然の子供の大声に、キス寸前だったふたりはビクリと離れた。
振り返れば、さっきの読み聞かせの時間、の真ん前に座っていた少年がいた。
顔を真っ赤にし腰に両手を当てて、バージルを睨んでいる。
「ジョン、どうしたの?帰ったんじゃなかったの?」
は甘いシーンを見られてしまっていた照れで、早口に訊ねる。
少年──ジョンがぷっくりと頬を膨らませた。
「さっきのご本のお礼にきたのに……あんただれだよ!」
ビシッと人差し指をバージルに突きつける。
「名乗りもせずに誰何とはな」
身近にこんな口調の人物が思い当たるような気がして、バージルは少し不機嫌になる。
「俺はの恋人だが」
わざと『恋人』部分を強調すると、ジョンのどんぐりのような目がますます真ん丸くなった。
「な、なんだよ!はおれとケッコンするんだぞ!」
ばたばた走って来て、の手首を掴む。
「え、ちょっとジョン?」
はあたふた慌てるが、相手は子供なために無理に引き剥がしもしない。
それを見て、バージルが軽く眉を吊り上げた。
ぐっと近づいて、身長の差を活かしてジョンを見下ろす。
「手を離せ」
「やだよっ!」
「離せと言っている。三度は言わない」
「ふ、フン!おじちゃんにガンつけられたってこわくないもんね!」
「……。」
「ば、バージル?」
いよいよ温度を失った大人げないバージルに、は窘めるような視線を送る。
あくまで子供を庇う彼女にバージルは更に苛立ち……
「っきゃ!」
素早くを抱き上げた。
勢いで、ジョンの手も離れる。
「バージル、下ろしてよっ」
羞恥心でわたわた暴れるにも動じることなく、バージルは勝ち誇った表情でジョンを見やる。
「こんな風に女性を抱き上げられるようになったら、また来るんだな」
そしてコツコツと遠ざかる足音。

「ムッカつくー!」

ジョンの叫びが教会にこだました。





教会の外で散々じたばたした末に、はようやく自由を手にした。
「もう、なんでちっちゃい子と張り合ってるのよ!」
ぷりぷり怒ってみせても、バージルは涼しい顔で知らんぷりである。
「小さかろうと男は男だ」
どこまで本気で言っているセリフなのやら……はやれやれとバージルの手を取る。
──『普段』の彼なら、もう少し余裕もあるのだろうけれど。
依頼の悪魔退治で毒を受けて、それがバージルの辛い過去を呼び起こし……まだ彼は本調子ではない。
悪い夢が残す後味の悪さは苦く、しばらくは消えてくれないことも知っている。
どうしたら消せるかなんて、確とは分からない。
でもバージルが望む言葉なら言ってあげられるし、それはも望むこと。
それで彼が少しでも早く元気になってくれるのなら。
「バージル、あたしの『独占宣言』でもしてみる?」
突飛な単語にバージルが愉快そうに視線を合わせて来る。
「Fourth of Julyにか?」
「そう。あたしたちだけ、毎年Dependence Dayにしちゃうの」

Dependence Day……
Independence Dayとは正反対。
誰もが国の独立を祝っている中、バージルとのふたりだけがお互いに依存できることを喜ぶ日。
その狭く小さな世界に、バージルは強く惹かれた。
本当の意味での独立など、虚しいだけなのだから。
──ならばいっそ。

「悪くない」
バージルは力強くの手を握り返す。
指先に、二度と離さないという意思を込めて。
「ね、せっかく外に出掛けたんだから、花火見ていこうよ」
がバージルを見上げる。
バージルもふん、とちいさく笑う。
「独立記念日の祝いに便乗か」
「悪くない。でしょ?」
「まあな」
「やった!」
子供のようにガッツポーズを取るを優しく眺め、バージルは、さっきジョンに邪魔されたキスをした。







→ afterword

「Fourth of July」は、「Prayer within」とひと続きのような感じで書きました。
この2話は、完全にバージルのための話です。たまにどうしてもバージルを甘やかしたくなります……甘えてほしくなります(笑)
それにしても子供に張り合うバージル。余裕なさすぎでは…。次はちゃんとかっこいいバージルを書きたい!と思います。

それでは、ここまでお読みくださいましてありがとうございました。
2008.7.4