nine one one




「だからね、そこで私は……聞いてる?バージル」
『ああ、聞いている』

──それはいつもと同じ光景。
はぎゅっと電話の子機を握り締める。
昨年始まった、日本に住む自分とアメリカに住むバージルとの遠距離恋愛。
ただでさえ上手くいきにくいのに、相手が会話上手とは言えないバージルだと、心労が耐えない。
それでも、どうしても、彼のことが好きなのだ。



昨年、は初めてひとりでアメリカに旅行をした。
慣れない街に、完璧ではない英語。
警戒してはいたものの、昼間の大通りで絡まれては、としても避けようがなかった。
四人の男によるナンパ。
「いいじゃないか、遊ぼーぜ」
「困ります!」
「楽しいよ、オレらガイドブックより役立つし」
「やめて下さいっ」
必死の抵抗も、ニヤニヤ笑いで受け流される。
(これは本格的にマズい!!!)
携帯電話を取り出し、『911』をコールしようとする。
が。
「おっと、やめときな」
一人にたちまち携帯を奪われる。
最後の手段も失って、さすがにも覚悟せざるを得なかった。
四対一では、かないっこない。
グイグイと腕を引っ張られるまま、歩き出した直後。

その人物と目が合った。
A man in blue.
それが彼の第一印象。

何か考えるより先に、声が出ていた。
「Hi! Leon! I've been waitin' for you so long time! 」
縋るように、彼目がけて駆け出す。
「知り合いか?」
ざわつく男達。
「私のボーイフレンドよ。これからデートなの」
はきゅ、と並んだ見知らぬ人物の袖を引く。
「ホントかよ?」
男達は、疑わしそうな視線を突然現れた男に投げかける。
はビクリと震えた。
彼にそれを否定されたら終わりだ。
ごくりと喉を鳴らしてそっと隣りを見上げると、端正な顔立ちの彼は眦を険しくしてを睨んで来た。
(ああ……だめだった)
しょぼんとうなだれ、握り締めていた袖を離した。
——瞬間、肩を抱き寄せられる。
「Yes. This is my girl. 」
静かな声の宣誓。
静かなのに、その声は辺りを払い、重く響く。
が何かを言おうとするよりも早く、彼は強引にを引き寄せて方向転換させた。
呆気に取られている4人組を背にする。
「俺が約束に遅れたのではない。お前が待ち合わせ場所を間違えたんだろう」
「え……」
「恍けるな。随分探した」
会話しながらもどんどん歩き、4人組から遠ざかる。
5ブロック程も歩いただろうか。
交番が見えたところで、ようやく彼は立ち止まった。
後ろを振り返る。
「……ここまで来れば大丈夫だろう」
ぱっと肩を離されて、は我に返った。
やっと自分の立場を思い出す。
隣りを並んで歩く彼の、声も表情も態度も、全てが何だかしっくりと馴染んでいて、とても心地よかった。
彼は見知らぬ人。
初対面だというのに。
「あの……ありがとうございました。何てお礼を言ったらいいのか……本当に……」
じっ……と彼を見つめる。
改めて見ても、彼の印象は崩れなかった。
(警官ぽい……)
の中の警官像よりは、随分と顔立ちが綺麗すぎたが。
何よりも、銀髪なんて生まれて初めて見る。
今まで見た、どんなプラチナブロンドよりも美しい。
ただひたすら、見惚れてしまう。
「お前……」
はぁ、と目の前の人物が溜め息をつく。
「はい?」
「そんな顔をしていては、また狙われるぞ」
「……え」
カーッと頬から耳まで真っ赤に燃え上がる。
指摘されるまで、どんな表情で彼を見つめていたのか考えもしなかった。
「次も都合よく、レオンとかいう恋人がいるなどとは思うな」
言うなり、彼は最小の動きで踵を返す。
ふたりで歩いて来たときよりもだいぶ大股で、どんどんから離れていく。
その背中に何故だかズキリと胸が痛んだ。
このまま別れたくない。
「ぅ……Wait!」
は、一度は離した袖に、再び飛びつく。
彼が驚きで目を見開いた。
「な、名前……何て言うの……?」
突然の問いに、返答は訝しみで細められた瞳。
「お前、今の今起こったことを忘れたのか?……男が怖くないのか?」
だって、自分を信じられない。
こんなこと、日本でだってしたことないというのに!
押し黙っていると、彼がふうっと息をつく。
「……人に名前を尋ねる時は、まず名乗るべきじゃないのか?」
予想外に、穏やかな声が降って来た。
「あ……」
はとりあえず、引っ掴んでいた袖を離した。
きちんと姿勢を正す。
といいます。日本から来ました。それで……あなたは……」
問い掛けると、彼はゆっくりと一度、瞬きをした。
「バージルだ」
はきょとんとした。
彼から零れたのは、聞き慣れない名前。
「ばぁ……」
「……Vergil」
「ばーじる?」
「VERGIL!」
「バージル!」
「……Well done.」
発音を正しく矯正し、満足そうに腕を組むバージル。
その不遜な態度。
はぷっと吹き出した。
「何が可笑しい?」
不機嫌そうに眉を顰めるバージル。
「いえ……その、あなたみたいな人、初めてだなあって思ったら……」
くすくす笑いが止まらない
暫く呆れたようにむすっとしていたバージルも、あまりにが笑い続けるので、ついにつられて微笑んだ。
「俺も、お前のような女は初めてだ」
それがふたりの出逢いだった。



旅行から帰らなくてはならないと、仕事があるバージルの別れは、思ったよりもシンプルだった。
(バージルだったら、きっと彼女なんてすぐ見つかるもんね)
悲しい考えで俯いたに、バージルはちいさな紙切れを手渡した。
書かれていたのは几帳面な文字で小さく、彼の電話番号。
「Call me whenever you want.」
逸らされたバージルの眼差しは、セリフよりも切実に『電話しろ!』と告げていた。
その気持ちの強さはきっと、自分と同じ……
そう思えた。
「でも、時差があるよ。緊急時以外でもいいの?」
照れ隠しで生意気を言ってみる。
「お前が早起きするか、夜更かしすればいいだけのことだ」
バージルも冗談めかして返す。
「そうだね」
はやっと、ちいさく笑顔を作ることができた。
バージルの指がそっとの頬に触れる。
「俺も、いつでも出られるようにしておく」
「じゃあ、結局ふたりとも早起きか夜更かしだね?」
「……そうだな」
初めて出逢ったときと同じように抱き寄せられる。
あのときと何も変わらない心地よさに、はそうっと目を閉じた……





いつの間にか、相手の賑やかな声が途絶えた。
漸く自分の話が切り出せそうな雰囲気に、バージルが受話器を握り直す。
今日は大事な話があるのだ。
「話は変わるが、今度そちらに……?」
向こうからは何の反応もない。
通話が切れたかと思えば、そうでもない。
?」
バージルが何度も呼び掛ける。
ヴォリュームを上げた電話越しに届いたのは、の規則正しい寝息。
──それはいつもと同じ光景。
穏やかなバージルの声に安心したは、いつも電話の最後では眠ってしまうのだ。
毎回代わり映えのしない、けれどとてもしあわせな時間。
バージルは口元を僅かに緩めた。

「来週日本に、お前を迎えに行く。……Good night. 」

もう聞こえていない恋人に告げると、彼はそっと受話器を下ろす。
窓のブラインドを上げると、いつの間にか外は新しい朝を迎えていた。







→ afterword

『nine one one』というタイトルを思いついたと同時に、閃いたネタです。
今までのものとは全く別の話ですが、いかがでしたでしょうか。
バージルの英語部分は、ぜひとも彼に言ってもらいたいセリフばかりです。
2008.9.9