milk for babes




ジリリリリ
ようやく騒ぎ出した目覚まし時計を指の腹で止め、バージルは再び新聞に目を戻した。
取り立てて興味を引く見出しはないが、朝の一連の行動として、読まなければ読まないで何となく落ち着かないのだ。
ページも折り返し地点に達したところで顔を上げ、常温に戻したミネラルウォーターをひとくち含む。
ここまでが、いつものバージルの日課。
最近はこれにもうひとつ行動が加わった。
(そろそろか)
立ち上がり、玄関から家を出る。
新聞は既に取ったし、郵便物が届くにはまだ早い。
バージルが待っているのは──
「遅い」
「ひっ!」
ガチャン
しずかな住宅街に、ガラスの悲鳴が派手に轟く。
「あぁ、またやっちゃった……」
がっくりと腰を折りしゃがんだのは、牛乳配達の女。
「もう、脅かさないで下さいよ」
きっと睨んでくるを、バージルは泰然と見下ろす。
「遅刻を注意しただけだ」
「遅刻って」
ミルクの到着が数分遅れたからって何だと言うのだとは大切な客の手前、は口には出せない。
「また3ドル天引き……」
零れた牛乳を見て重い溜め息の彼女に、バージルも後片付けを手伝い始めた。
が売り物をだめにしてしまったのは、今日が初めてではない。
二人が出会った日──バージルが依頼先から帰った朝も、彼女は自転車ごと盛大に転んで、牛乳を全部地面に飲ませてしまった。もっともその原因は、バージルの前方不注意トリックアップ。
さすがに罪悪感を覚えたバージルは、特に必要のない牛乳を買うことにしたのだった。
それからは毎朝、が届けてくれる牛乳を飲んでいる。もちろん無事に手元に届いた日は、だが。
「これは俺が受け取ったことにしておく」
割れたガラスから手を遠ざけさせると、彼女は頑固にぶんぶんと首を振った。
「そういう訳にはいきません」
傷だらけの自転車の荷台から、ぴかぴかの瓶を取り出す。
「はい、今朝の分です」
きゅっと結ばれた唇に、バージルの方は表情が緩んだ。
(ドジで強情とは)
「何ですか?」
無言のバージルに、は顔を傾けた。
「明日は遅刻せず商品を無駄にせず、しっかり配達してくれ」
途端、はかあっと頬を染める。
「バージルさんこそ、いきなり現れるのはやめて下さいっ!!」
朝から元気いっぱいの声、腹の底から叫ばれてしまった。
けれど──バージルは不思議に思う。
(朝は目覚まし時計の音ですら神経に障るが)
彼女の大声はあまり不快に感じない。
起きる、新聞を読む、水を飲む、……彼女に会う。さりげなく増えてしまった日課。
同じようなケースを挙げるなら新聞配達に会ったこともある、けれどその人物はバージルの生活を素通りしていった。
なぜ、彼女だけ。
「……milk for babes」
「え?」
「いや、何でもない」
不思議そうに見上げてくる彼女から牛乳を受け取る。そのままその場で蓋を開け、喉を上下させて飲む。
遅刻がちな彼女が運ぶ牛乳はいつも生ぬるい。そしてその分、甘さを感じる。
バージルが瓶を空にしたのを見て、はそっと自転車を指差した。
「……まだありますよ?」
言わんとすることを理解し、バージルは苦笑した。確かポストに小銭があったはず。
「天引き分、帳消しだな」
「お買い上げありがとうございます」
彼女がにっこり笑顔を見せる。
バージルはすました顔で一本目と同じようにぬるくなった牛乳を受け取り、また開ける。
「それじゃ、また明日」
お金をきっちり受け取った後、がぺこりとお辞儀をした。
「ああ」
バージルはついうっかりと弾みで右手を振り上げかけ、ぎくりと動きを止めた。最初から右手の目的はこれだとばかりに何気ない仕草を装って、まだ浅い太陽を遮る。
(何だ今のは)
──牛乳は健康にいいとは聞くものの、こうまで気分ばかりか動作までをかろやかにさせるものだろうか。
続いていく日課はときとして面倒になったり煩わしく感じたりするもの。けれど、彼女に会うことはどうやらそうはならないらしい。
毎日出逢う彼女をとても新鮮に感じるのだから。
「分かりやすいな……」
再び呟く。そして、
(早くあの太陽が一周するといい)
そんなことを思った。







→ afterword

同じタイトルでダンテを書いたのですが、バージルだったらどんな感じかなあと気になって書いてみました。
おまけのようなものなのですが、こっちの方が甘くなってしまったような気がします

それでは、お読み下さってどうもありがとうございました!!
2009.8.30