手をかざすと、こたえるようにきらりと光る石。
何度そうしてみても飽きることはなくて、はついつい時間を忘れて指輪を見つめる。
「またか」
呆れるように見咎めて、けれどバージルも満更ではなさそうに微笑む。
「本当にきれい」
ありがとう、とこれまた何度めか分からない感謝を彼に捧げる。
バージルは何も言わず、の手を取った。
小さな石にキスを落とす。
バージルの祝福を受け、指輪はまた一層輝きを増すように見えた。




Romeo & Cameo




その指輪はバージルが昨年のクリスマスに贈ってくれたもの。
ふたりで過ごす、いわゆる『恋人同士にとって特別な日』はそれが初めてなら、バージルが何かプレゼントしてくれたのも初めてだった。
の誕生石のペリドットが象嵌された、ちいさなリング。
まさかまさかこんな贈り物が用意されているとは思わなかったから、はまず驚いた。
ジュエリーケースを押し頂くように持つ。
「バージルが選んでくれたの?」
凍ってしまったままの彼女に、バージルは目を合わさずに頷いた。
「……何がいいか分からなかったから、繁華街で一番賑わっている店に入った」
見つめられたままケースから出してもらえない指輪を、バージルが取り出した。
──彼女はいつのお生まれですか?誕生石の指輪など、喜ばれると思いますよ。
宝石店の店員に促されるままの誕生日を告げると、勧められたのがペリドットだった。
その場では誇りかに輝いていた石も、今はバージルの心情を読み取ってか少々頼りない。
(……気に入らなかったか?)
まだこちんと動かないの手を取る。
「一度でいいから、嵌めてみてくれ」
上手い言葉が探せず、不器用にの指にリングを滑らせた。
指輪はぴたりと吸いつくように彼女に馴染んだ。
バージルはほっと息をつく。
「似合う。……と、俺は思うが……おまえが気に入らないなら」
まだ身動きしないを覗き込む。と同時に、も顔を上げた。
その頬にぽろぽろ伝っている透明な涙。
「気に入ったよ」
泣いている笑顔で言われて、バージルは対処に困った。
「何故泣く?」
「ご、ごめんね。これはうれし涙だから……」
ごしごしと頬を拭う。
の仕草にするどく胸のやわらかい部分を突かれて、バージルは思わずぐいとを抱き締めた。
容赦のない彼の腕の力に、は首を反らす。
「バージル、くるし……」
そのまま手でバージルの胸を押し戻そうとして、はふとその動きを止めた。
密着していて隠しようがない、互いの鼓動のはやさ。
いつもは泰然として物事に動じないバージルのその心拍数が、自分と同じようにはやい。
(バージル)
彼の鼓動をもっと確かめようとその胸に置いた手を右に滑らせたとき、もらったばかりの指輪が目に入った。
狭いふたりの間でちいさく光っているペリドット。
「バージル。ありがとう。大事にするね」
「ああ」
うれし涙でも何でもとにかく泣き止んでしあわせそうに笑うに安心し、バージルはもっときつく腕に閉じ込めた。





季節は流れるように一巡した。
またクリスマスが近づいて来る。
外にはうっすらとしろい雪が積もり、街へ出ればイルミネーションが華やかに飾りたてられている。
意識しなくても自然と気分は盛り上がる。
一年でいちばん心浮き立つ時期。
「でも、その前に」
はきりりとエプロンの紐を結ぶ。手にはモップ。
「大掃除しておかなくちゃね」
クリスマスホリデーが終わればすぐにニューイヤーだ。
綺麗な部屋でクリスマスと新年を迎えるためには、のんびりしている暇はない。
今日はバージルは朝から依頼に出掛けている。
てきぱきと要領よく掃除して、彼が帰って来たら驚くくらいに片付けてしまおう。
「ようし!」
気合いを入れて腕まくり。
テンポの速いBGMをかけ、は猛然と大掃除に取り掛かった。



ちらちらと舞い落ちるしろい雪を手で受け、バージルは薄灰色の空を見上げる。
(もう一年になるのか)
初めてに贈り物をしたのが、昨年の今頃……クリスマスだった。
本当に気に入ってくれたのか、それとも自分へのやさしさかは分からないが、あの日以来毎日、彼女は指輪をしてくれている。
ペリドットはこの上なくによく似合う。
目を閉じても思い描けるその細い指と小さな石──それからバージルはふと眉を寄せた。
(今年はどうする?)
今いちばん頭を悩ませている難題。
クリスマスに贈り物をするとは、一体どこの誰が考えたことなのだろう。
誕生日ならまだ分かる。彼女にとっても自分にとっても特別な一日なのだから。
それでもクリスマスが誕生日と同じくらい大事な日だというのは、みっちり説明されなくてものそわそわ具合を見ていればよく分かる。
(誕生日にはブレスレットだったな)
それもやはり悩みに悩み抜いて、結局クリスマスと同じ店で買い求めたものだった。
指輪、ブレスレットときたら、残るはピアスかネックレスか。
(装飾具ばかりでも……他に何かもっと気の利いた物はないのか?)
バージルは深々と溜め息をついた。
考えても全く思いつかない。
花束も食事も、どれもまだ何か足りない。
(何か……)
顎に手を当てたとき、背後でごぼっと不気味な音が湧き上がった。
今日の依頼、狩る相手だろう。
「邪魔をするな」
後ろを振り返りもせず、バージルは閻魔刀を一閃してそれを片付けた。



部屋はどこもかしこもぴかぴかになった。
バージルの読みかけの本だけは、彼に怒られないように丁寧に机に戻す。
「えっと、やり残したことはないかな?」
指差し確認してみる。
窓の棧もテレビの裏も忘れていない。
とりあえず、今引っ掛かる場所はないようだ。
「ようし!お掃除終わり!」
満足して、はぱんぱんと手を叩いた。
……と。
「ん」
かすかに違和感を覚えた。
合わせたてのひら。いや、正確には指。
「あれ……?」
事態を確認して──一気に爽やかな気分が吹っ飛んだ。
「指輪がない!!!」
何度見ても、触っても、指輪はない。
慌てて手を突っ込んだエプロンのポケットも、スカートのポケットも空っぽだ。
どくどくと血流が上がって、そして引いた。
ぽーん。時計が夕方5時を告げ、を焦らせる。
「いやだ、どこに……」
周りをぐるりと見渡しても、ちいさな光は見つからない。
きちんと整頓された机の上にも、棚の上にも、どこにも……
「こ、この部屋じゃないんだ」
今日は他にもあちこち片付けをしている。
「どこに置いちゃったんだろ」
普段からあの指輪を外す習慣はない。
なくなるわけがないのに。
ともあれ、嫌な考えは頭から追い出して、は勢いよく部屋を飛び出した。



バージルは手際よく敵を屠っていく。
それでも、彼の刀はいつもよりもずっと精彩を欠いている。
先程からずっと答えが出ていない『へのクリスマスプレゼント』問題が、バージルの集中力を削がせているのだった。
さらには、早く依頼を一掃して家に帰りたいという気持ちと、もう少し一人で考えていたいような気持ち。
悶々と悪循環に陥りながらも何気なく敵の攻撃を躱したとき、コートの左のポケットの中で何かが踊った。
(何だ?)
今日は特に何も入れていないはずだが。
閻魔刀を翻して身を庇うように捻り、ポケットを探る。
ちいさくつめたい硬いものが爪に触れた。
細い環のような金属で、バージルの指は通らない。
「!」
それが何か思い当たって、バージルは一瞬息が止まった。
の指輪)
どうしてこんなところに?
きしゃあっ。奇声を発して化け物が飛びかかって来た。
思考を遮る邪魔な最後の敵を一閃で砂に還し、バージルはもう一度指輪に触れてみる。
はあんなに気に入っていたのだから、今更突っ返されたわけではないだろう。
(だが、何故?)
注意深く取り出して目で見て確かめ……ぞっと血の気が引いた。
「石が……」
バージルがに贈った指輪、そのペリドットは不吉にひび割れていた。



ざらざらと嫌な予感に背を押されるまま、バージルは家に走った。
行きはこんなに時間がかかっただろうか。
道のりが遠い。
再び仕舞い込まれたポケットの中で、バージルの走る速度に合わせて指輪が跳ねる。
は肌身離さずこれを身につけていた)
だから彼女が自ら手放すことはまず考えられない。
(指輪が持ち主から離れるなど)
それに何より、かなりの硬度を持つ石……それが簡単に割れるとは尋常ではない。
正直、とても善い前兆とは思えない。

無意識に恋人の名が口をつく。
ふたりで積み上げてきた時間は、確かにそう長いとは言えない。
けれど、あまり器用ではないなりにお互いを想いあって築き上げてきた関係は堅固だ。少なくともバージルはそう信じている。
だが、もし、もしも。
石が呆気なく欠けてしまったように、ふたりの関係が崩れるときがあるとすれば、それは──

家の明かりが見えた。
の部屋は薄暗い。……が、あれはベッドサイドのランプだろう、仄かな光がカーテン越しに透けている。

目を凝らせばほっそりとした彼女の姿が見えるような気がする。
早く彼女の無事を確かめたい。
だが、気持ちばかりが急くバージルを、『それ』が引き留めた。



はベッドに突っ伏して泣いていた。
あれから何時間も探したが、指輪は見つからなかった。
(どうしよう)
あんなに大事にしていたものを、どうして失くしてしまったのだろう。
確かに朝は嵌めていたはずなのに、バージルがいつものように触れてくれたはずなのに、どうして。
堂々巡りの考えはべっとりと心を覆って離れてくれない。
(バージル)
……会うのが怖い。
指輪を失くしたと告げたとき、彼はどんな表情をするだろうか。
責めることはしないだろうが……それでもバージルを傷つけてしまうことに変わりはない。
空になった手を重ねて項垂れる。
ふと、顔を下げたその瞬間にカーテン越しに何かが見えた。
いくつもの黒い影。
同時に、耳障りな動物の声がする。
「なに……?」
そっと窓に近づいてカーテンを引こうとしたとき、

「開けるな!窓から離れていろ!」

バージルの怒号が響いた。



ペリドットがバージルに教えたのは、まさしくの身の危険だった。
バージルの半身に流れる血がもたらす力は、意図せずとも同族を呼んでしまう。
普段は家の周囲を慎重に魔除けの印で固め、引き寄せられて集まってくる下級悪魔が入れないように護っているのだが、それも月日が経ち、バージルも気付かないうちに綻びが出来てしまっていたらしい。
弱まった結界に感づいて、続々と蠢きバージルの力を狙う異形の群れ。
あと3分、いや1分でも到着が遅れていたら、は──
翼から血をだくだくと滴らせ、ブラッドゴイルが二階の窓へ飛ぶ。
「誰を狙っている」
悪魔さえも恐怖で凍らせる声音と共に、バージルは青白い光の剣を飛ばした。
視線と幻影剣でブラッドゴイルを壁に串刺しにしながらも、斜め後方のヘルプライドは閻魔刀の衝撃波で吹き飛ばす。
どれも雑魚だが、いい加減戦いを終わらせて、の無事をしっかり確かめたい。
(封印しなければ)
悪魔を切り刻みながら綻びの箇所を確認する。
以前用いた黒水晶が欠けていた。結界の負荷に耐え切れなかったようだ。
もう一度術を施すには何かしら強力な媒介が必要だが──
(今すぐ、何か……)
ころん。
ポケットの指輪が『自分を使え』と主張した。
バージルはふっと頬を緩める。
「……最適だな」
ほぼ一年に渡り、バージルとの想いを受けた石。
素早く指輪を取り出す。
「これからもを護ってくれ」
最後に祈るようにもう一度だけ石に唇をつけ、バージルは指輪を地に置いた。
時を置かず、結ばれた界に沿ってしろい光が辺りを浄化する。
内側に残った悪魔も砂と砕け散り──再びふたりの家には静寂が戻った。





「バージル!大丈夫なの!?」

部屋に入れば、物音に怯えてすっかり血の気を失った顔のが駆け寄ってきた。
泣き腫らした目は真っ赤だ。
この数分泣いていただけでは到底ここまではひどく腫れないだろう。
その理由など、ただひとつ。
バージルはの頬にてのひらを当てた。
「見た所、おまえの方が酷い顔をしている」
「バージル……ごめんなさい……」
が沈鬱に目を伏せた。
バージルの手を取って、がらあきになってしまった薬指に触れさせる。
「大事な指輪、なくしちゃったの……」
何とかそれだけ言うと、再びは嗚咽しだした。
呼吸も困難なほどに震わせて泣きじゃくる。

「ごめ……なさ……」
なおも謝ろうとするを、バージルはやさしく抱き締めた。
何度も何度も頭を撫でる。
「指輪はを護る為に離れて行ったんだ。だから悲しむことはない」
「で、も」
「短い間だったが、あれはおまえを護る為に存在したんだ」
(そして今も直接ではないが、ちゃんとおまえを護っている)
「だけど、せっかくバージルがくれたのに」
「指輪がなくなったからといって、俺の気持ちが変わることなどない。分かっているだろう」
の目尻から頬、口元、そして唇と、とめどなく伝う涙を追うようにキスを重ねる。
「んぅ」
彼女の顎を手で押さえ、無理やり酸素を奪うような深いキスを続け……そしてゆっくり唇を離す。
「……っはぁっ!」
は慌てて胸いっぱいに息を取り込んだ。
何度も何度も深呼吸を繰り返せば、わずかに心が落ち着いていく。
「も、苦しかったよ……」
激しく上下する彼女のからだを再び抱き寄せ、バージルはちいさく微笑んだ。
「実は俺としてはこの方が助かった」
「……どうして?」
指輪をなくされて、どうして?
訝しみ、は顔を上げる。
バージルはそっと彼女の額に口づけた。
「次に贈るものが決まったからな」
「それって……」
クリスマスの。
の頬がほわりと染まった。
バージルがそっとの左手を取り、薬指をじっと見つめる。
「そうだ」
「ん?」
どうかしたの、とも手元を見る。
別に何も変わりのない、ただのいつもの自分の手。
「石の色も決まった」
「そうなの?」
「ああ」
バージルはの耳に唇を寄せた。
耳朶にひとつキスして、そして囁く。

「……ペリドットよりも硬い石にしよう」

このクリスマスの贈り物──最初から悩む必要などなかったのだ。
もやもや悩んでいた心が、すうっと晴れていく。
腕の中で真っ赤になって固まってしまった
そんな恋人にバージルは、クリスマスプレゼントよりも一足先に、まずはやさしいキスをたくさん贈った。







→ afterword

55355をご報告いただいたナーナ様へ捧げます。
リクエストをいただいたのはクリスマスには早すぎる時期だったのに、いつの間にかこんな目前に!!
お待たせして申し訳ございませんでした…
ちらりとでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

ナーナ様にいただいたシチュエーションがとても素敵で!(*´∀`*)
頑張って書くぞ!…で、なぜか石がこんな脆いことになってしまいました…
でもちゃんと活躍してくれていますので…!(逃走)

それではリクエストくださったナーナ様、ここまでお読みいただいたお客様、本当にありがとうございました!!
2008.12.18