家の中も片付き、の部屋も部屋らしく調った頃。
はアダルトスクールへ通い始めた。
アダルトスクールとは、いわば地域に根ざしたカルチャースクール。
英語のクラスだけでなく、テニスやバスケットボールやヨガなどのスポーツや、料理や裁縫など、実に様々なクラスがある。
が語学学校ではなくアダルトスクールに通うことに決めたのは、ひとえにバージルの強い勧めがあったから。
通学にあたって、あちこちの語学学校に見学に行ってはみたのだが、どこのクラスも日本人留学生が多かったこと、そして若い人(というか男性)も多いことが、とにかくバージルは気に入らなかったらしい。
その点アダルトスクールなら、まだまだ地元住民以外には知られていないような「穴場」的学校も多く、も英語以外に学んでみたいクラスがたくさんあったため、ばっちりだったのだ。
そうしてほぼ毎日のように、は学校へ通っている。
バスで通える距離だが、保護者バージルはできるだけ自分の車で送り迎えしている。
行き帰りの道中が心配というよりは、クラスを詰め込みすぎて無理してはいないか、元気よく帰ってくるか真っ先に確かめたいという気持ちが強いのだ。
……まるで父親である。
いつもと同じ位置に車を停め、バージルはがいるコミュニティセンターの入り口を確かめた。
まだ下校時間には少し早い。
所在なく辺りを見渡していると、向かいのガレージが目に留まった。
そこへ老婦人が、ぎこちないバックで車庫入れしている。
バックミラーだけでは感覚が掴めないらしく、何度も後ろを振り返ってはゆっくりと車を動かす。
その様子を眺め──バージルはハッとした。
いつだったかが、自分の運転しているときに何故か不満そうな顔をしていたことを思い出す。
(……あれか?)
何となく目が離せずにいると、聞き慣れた声がドアの外から聞こえた。
「じゃあね、ばーい」
「彼氏が待ちくたびれてるわよ」
「あなたもね!」
友達なのだろう、同年代の女性と楽しそうに別れる
あれだけのスペイン語訛りなのによく聞き取れるものだと半ば呆れながら、バージルは助手席のドアを開ける。
「あ、バージル。ただいま」
「ああ。今のおまえの友達はスペイン人か?」
バージルの何気ない一言には目を丸くした。
「よく分かったね。そうだよ。スペインから結婚のために渡米してきたんだって」
「ならばなおさら仲良くなれそうだな」
「うん。……うん?」
「深読みすると、また逃げ出す羽目になるぞ?」
「……」
見透かすようなバージルのその視線に、は心が全部筒抜けになってるんじゃないだろうな……と脅えた。



アダルトスクールからの帰り、二人はファーストフード店のドライブスルーに寄った。
「Taco Bell〜!何にしようかな」
「俺はいつものを」
バージルは既にお気に入りメニューが決まっている。
このところドライブスルーが増えたが、に影響されてファーストフード好きになった……わけではない。
「ご注文は?」
車を寄せたスピーカーから店員が注文を聞く。
マイクに近いバージルは、しかしすぐにぷいっとそっぽを向いた。
……そう、これも『レッスン』なのだ。
仕方なく、は座席から身を乗り出す。
「タコス二つと、コブサラダのラージサイズください」
「はい。飲み物は?」
「コーヒー二つで」
の返答に、バージルが溜め息をついた。
それとほぼ同時に、店員がすまなそうに聞き返してくる。
「すみませんお客様、もう一度お願いします」
「COFFEE !」
通じたと思ったのに、とはむくれつつもマイクに叫んだ。
「気を抜いたな」
注文を済ませ、受け取りのカウンターに車を進める。
とどめのバージルの一言に、はいじいじと俯いた。
「今のは店員も意地悪だと思う……」
「最後の難関だぞ」
いじけるに、バージルは自分の黒革の財布を渡す。
「うぅ……」
そうこうしている内に、店員がカウンターの窓を開けた。
「お会計、17ドル87セントです」
ラッキーとばかりに紙幣で18ドルを渡そうとしたを、バージルは1ドル紙幣を抜いて阻止する。
「小銭できっちり払わないと、練習にならん」
「……。」
バージルを睨んでから、は小銭をちゃらちゃらと探す。
「ええっと、クォーターが3枚、ダイムが1、ニッケルが1、ペニーが2……」
催促のように広げられたバージルの手のひらに25、10、5、1セント硬貨を並べていく。
「ぴったり87セントです」
「よし」
念のため自分でも確認してから、バージルはじゃらりと硬貨をまとめて店員に渡す。
「もー、アメリカのコインは分かりにくいんだよ」
「俺に当たるな」
バージルは苦笑しながらも、ちゃんと硬貨を揃えたの頭をぽんと撫でた。
あたたかい手のひらに、ついついもぐすんと弱気になる。
「見分けにくいダイムとニッケルなんて、お財布の仕切りで分けておかないと、全然わかんないよ」
「最初はそれでいい。すぐに慣れる」
「うん……」
「ほら、タコスが来たぞ」
店員から渡された、ほかほかの紙包みをに手渡しても、はしゅんとしたまま。
バージルは彼女に気付かれないように薄く眉を寄せた。
──焦ってはいけないことは分かっている。
は充分、頑張っている。
それでも……それでも、早く馴染んで欲しいと……日本に居るときのようにいつも屈託なく笑顔を見せて欲しいと思うのは……
──我儘か。

「ん、なあに?」
「何か観たいものはないか?映画でも、ドラマでも。レンタルしていこう」
珍しいことを言い出したバージルを、はまじまじと見つめる。
(きっとこれも、勉強なんだけど)
好きなものを選ばせてくれるというのは、バージルなりの気遣い。
(……)
何がいいだろう。
面白くて、でもちゃんとためになって、……バージルと変な雰囲気にならないもの。
「どうした?何でも譲歩してやるぞ」
真剣に考え込んでいるに、ふふんとバージルが笑う。
その尊大な態度に、先程芽生えたほわんと殊勝な気持ちもすっかり吹っ飛んだ。
「じゃあ、『Super Natural』がいい!」
「タイトルからするとホラーか?まあ、何でもいいが」
そう軽く考えていたバージルではあるが……
レンタルショップにて、がパッケージを見るなり「きゃー、やっぱりジェンセンかっこいい!」と黄色い声で騒いだその瞬間から、テレビの中にいるに過ぎない俳優に嫉妬で胃がキリキリ痛み出したのだった。



無事にドライブスルー、そしてレンタルショップでの支払いミッションもクリアし、ふたりは家に到着した。

「はーい」
バージルの合図で、がガレージのリモコンを操作してシャッターを開ける。
ボタンを押すだけなのだが『ハイテクでセレブっぽいから好き!』ということで、これはの仕事になったのだった。
シャッターが開いたのを確かめれば、の仕事はそこまで。
降りる支度をしようと、後部座席に置いた荷物を振り返り──
「わっ!?」
思いがけず超至近距離に、バージルの顔があった。
「な!?」
いつもならバージルはバックミラーを見ながら駐車するので、こんなことにはならない、のだが……
今日のバージルはの座席に右手を預け、直接後ろを振り返って運転している。
「えっ?だ、だってバージル」
「こうして欲しかったんだろう?」
あまりのの動揺っぷりに、バージルが笑いに肩を揺らす。
スクール前のガレージで老婦人の運転を見てピンときたのだが、どうやらビンゴだったようだ。
「いや、その……」
顔を真っ赤にしている
「バックミラーを使う方がスマートだがな」
「じゃ、じゃあ、そうしてください……」
今はむしろそうお願いしたい気分である。
男の人がバックのときに振り返る運転姿はかっこいい!と思っていたのだが、バージルにそれをやられてみると、あまりに破壊力が強すぎた。
車という名の密室。
の心臓に多大な負荷が掛かっていることも気付いているくせに、バージルはますます身体を寄せて来る。
……」
「!」
ゴン!
車内に鈍い音が響いた。
バージルから逃げたが、窓ガラスに後頭部をぶつけた音である。
「……痛い……」
いつぞやの繰り返し。
涙目で頭をさする。
こんな状況が度々あったら、いつまでたってもたんこぶが治らない。
それどころか、頭蓋骨が変形してしまうかもしれない。
「……そんなに俺が怖いか?」
思い切り逃げられ、バージルは若干傷ついた表情でを見つめる。
ぴくり、とが顔を上げた。
細められたバージルの瞳の青。
いつも自信に満ちた彼らしくない表情。
(さすがにひどすぎたかも……)
そんな顔をされては、もちろんわざとではないにしろ、ひどく心が痛む。
「こ、怖くはないんだけど……」
何て言ったらいいのか、う〜うまく言えないんだけど、怖いわけじゃなくて、そのぅ……
取り繕おうと必死でぶつぶつ呟くに、

「油断したな」
ちゅっ、と軽い音を立ててバージルがの唇を奪った。

「!!!」
バン!
車内に鈍い音が響いた。
事態を予想したバージルが、手のひらでの頭を窓から守った音である。
「ふ、不意打ち禁止だってば!」
「いつも空振りではつまらんからな」
「つまるつまらないじゃなくって」
「なんならもっと面白くしてみせてもいいが。今、ここで。」
「〜〜〜!さ、早く家に戻りましょう!」
(自分にとって)気まずい雰囲気を打破すべく、はバージルと反対側を向いてドアに手をかけた。
しかしバージルは、の肩に手を置いて引き止める。

。話がある」

硬い声音に、思わずは振り返った。
「改まって……何?」
よくないことなのかと顔を曇らせる彼女に、バージルはふっと口元を緩めた。
大切な話には違いないが、別に変に緊張させたいわけではない。
「Simon says」
「何かと思えば……またそれぇ?」
スクールに通うようになって減って来ていたゲームに、は不満の声を出した。
けれど、とりあえずはバージルに向き直る。
「はい、指示をどうぞ?」
つんと唇を尖らせたに、バージルはできるだけはっきりと発音した。


「来月、日本へ旅行に行くぞ」







→ afterword

30000hits、誠にありがとうございます!!
バージルと日本人ヒロインのお話アメリカ編その2でした。
どうしてこうも父親と子供みたいになってしまうのか…
それにヒロインがどんどん幼児退行しているような…気のせいかな…(逃)
このふたりが自然に甘々〜にじゃれあえる日々は来るのでしょうか
ついにシリーズになりました、「Love Mileage」をどうぞよろしくお願いします。
2008.7.27