『ばーじるぅ!!』

通話開始の第一声がひどい涙声。
「お、おい。どうかしたのか?」
問い掛けてもすんすんと泣きじゃくるだけのに、バージルはひどく焦った。
こんなパターンは初めてで、どう対処したものか分からない。
……」
せめてどんな様子なのか知るために、耳をそばだて……バージルは二、三度瞬いた。
「外にいるのか?」
の声以外に、何か音がする。
繁華街の喧噪ではないが、建物の音の反響というわけでもない。
どこか拓けた場所……野外?
『っ……バージルこそ……』
が泣きじゃくりながら返事してきた。
バージルは、ああと頷く。
「今、ガブリエル公園にいる。ここを通って家へ帰ろうとしていた」
『え……?』

『せっかくだ、おまえが楽しみにしている噴水の音だけでも聞くか?』

バージルの穏やかな声。
こんなに、そばに。
「うん。音、聞きたい……聞きたいよ……」
もうすぐ、バージルに会える。
体中の疲れがどこかへ吹き飛んだ。
立ち上がって、辺りを見回す。
バージルはどこから来るのだろう。


「少し待ってくれ。噴水の周りの路も少し改装されたようだな。ややこしくなっている」
設置された案内板を見ても現在地が読めないことに内心舌打ちし、バージルは勘を頼りに歩く。
『うん。知ってるよ。迷ったもん』
「……なに?」
の言った意味が分からず、バージルは思わず携帯を見た。
そして眉を顰める。
通話表示には、いつもの『International』との文字がない。
──知ってるよ、だと?
──迷った、だと?
それに微かに耳に届いた雑音の中に、涼やかな水の音が混じっていたような気がして……
「おまえ、まさか」
導き出されたまさかの答えにバージルが口を開いた、その瞬間。
女の悲鳴が耳を打った。

「『ちょ、ちょっと!何なんですか!?やめて!!!』」

二重に聞こえた、の声。
素早くその方向を見極め、そして視線の先……バージルの血の気が引いた。
……!」


「やめてって!手を放して!」
は必死でその手を振り払おうとしていた。
しかし、自分を取り囲む手は全く怯まない。
「いいだろ、せっかくアメリカに来たんだ、楽しーことしよーぜ?」
「そうそう。おれたち優しーよー」
「い、いやっ!!」
激しく暴れながら、は自分は何てばかなんだろうと自嘲した。
バージルとの電話に気を取られすぎて、にやにや笑いで近づいて来る男達に全く注意を払っていなかった。
──夕方、運転手のジェシカにあれだけ無防備すぎると説教されていたのに。
夜の公園に、ひとりきり。
それも大きなスーツケースではっきり分かる、外国からの旅行者という出で立ち。
これではまるきり襲って下さいとアピールしているようなものではないか。
普段からこういうことに手慣れた様子の三人の男に囲まれて、もはやなすすべがない。
「いやーーー!!!」
「暴れると、余計に痛い思いしちゃうよ」
下卑た笑いとそれにそぐわないほどの力で腕を抑えられる。
乱暴にベンチに押し倒され、その堅く冷えた金属の感触に、いよいよぞくりと背筋が凍った。
(たすけて)
ブラウスのボタンに指を掛けられ、息を飲む。
もうだめかもしれない。
忌まわしい視界を塞ぐように目蓋を閉じれば、恐怖に染まった涙が滲む。
(たすけて)
「バージル!!!」

ガンッ!

鈍い音が体越しに伝わった。
と同時に、伸し掛かられていた一切の重みがふっと軽くなる。

「汚い手で彼女に触れるな」

つめたくするどく、その場を制したその声。
「バージル!」
「ってぇ……んだよ、てめーは!」
閻魔刀の鞘で後頭部を殴られた男が、よろりと立ち上がる。
それでもまだ数の上で有利と見ているのか、から離れようとしない。
バージルは静かに、けれどその分だけ押し殺した怒気を込め、三人を順に睨みつける。
そのとき確かにには、彼から殺気が立ち上っているのが見えた。
「バージル……」
あまりの重い雰囲気に、バージルが刀を使わないかとどきりとした。
──いくら自分を守るためでも、罪を犯して欲しくはない。
の脅えた眼差しに気付くと、バージルは少しだけ冷静さを取り戻す。
「鞘は払わずにいてやる」
「んだとぉ!?」
「かっこつけんじゃねーぞ!」
三人の中でも特に血の気の多い若者二人がバージルに殴り掛かった。
右から左から仕掛けて来るのを冷静に見、バージルは身を屈めてやり過ごす。
全力で殴りかかった相手に避けられてバランスを崩した二人の背中を、鞘で強打し薙ぎ倒していく。
「ぐぅっ」
「て、てめ……」
無様にすっ転んだ二人を、バージルは冷笑で見下ろす。
目が合っただけで身動きが取れなくなりそうな、その瞳。
増していく激痛と、それでもまだ手加減しているに過ぎない相手の前に、三人は完全に戦意を喪失ってがたがたと震えた。
「命があるだけ、天に感謝するがいい」
バージルが鞘から銀のきらめきを僅かに見せつける。

「去れ」

チャッ、と鍔が鳴ったと同時に、男達は犬のように這いつくばって逃げ出した。



騒がしい物音が消え、後にはバージルとが残った。
「ば、バージル……」
襲われたことが怖かったのか、それともバージルの殺気が怖かったのか……確と区別がつかない。
うるさい程の静寂の中、はまだ震えを止められずにいた。
「バージル」
「……。」
バージルがふわりと振り返る。
その表情からは何も読み取れない。
「バージル。ご、ごめ」
謝ろうと上げた頭に、バージルの掌が乗った。
思わずびくりと肩が竦む。

一呼吸置いて、はバージルの胸にぎゅっと押し付けられていた。

どくどくと脈打つ鼓動は、自分のものか、それとも。
「ごめんなさい……」
「何も言わなくていい」
更に強く抱き締められ、息苦しいほど胸が詰まる。
「助けてくれてありがとう……」
つかえる喉からやっと出た言葉を聞くと、バージルはそっとの体を離した。
ともするとまだカチカチと歯が鳴る彼女のちいさい顎を摘まみ上げる。
間近で見つめって……それでもまだ、実感が湧かない。

これは現実なのか。

「幻覚なら、今の内にそう言ってくれ」
これ以上喜んでしまわないように。
探るようなバージルの視線に、はふるふると首を振る。
「私が幻なら、私が見てるバージルも幻だよ……」
バージルはの顔をまじまじと見つめた。
幾筋も残った涙の痕、そしてまだ目の縁にたまった涙に気付くと、すっと目を細める。
「確かめてみるとしよう」
「え」
の頬に唇を滑らせ、つうっと舌で涙を舐め取り、大袈裟な仕草でそれを味わう。
「ん……」
くすぐったい感触にが身を捩ると、バージルはやっとちいさく微笑んだ。
「現実だな。ちゃんと味がする」
「もう!」
今度はから抱きついた。
背中にしっかり腕が回され、互いの体温が行き交う。
「……馬鹿者」
「こわかったぁ……」
「来ているなら、最初からそう俺に連絡していれば……!」
が三人の男に押し倒されているのを目撃したとき──本気で心臓が止まるかと思った。
彼女から男を退けるまでの一連の動きは、自分でももう思い出せない。
無我夢中だった。
そしてそのまま、が歯止めを掛けてくれなければ、自分は確実にあの男達を殺めていただろう。何の躊躇いもなく、一閃で。
(我を失っていた)
自分がこんな激情を持ちうることを、バージルは初めて知った。
『あんた、マジで冷てぇよな』
依頼を片っ端から断る姿に、彼をよく知る人物が苦笑まじりにそう言ったことを思い出す。
先程の様子を見せたら。特に、感情の箍が外れた理由を知ったら。
今度は何と言われたろう。
『あんた、本当にバージルか?』
それほどまでに自分の感情を突き動かすのは、身の毛のよだつような獰猛な悪魔などではなく、自分の影にすっぽり包んで隠せてしまいそうな、ただの人間の女。
かけがえのない、世界でたったひとりの。

「バージルあったかい……安心する」

舌っ足らずに呼ぶ声、抱き締めたやわらかな身体。
──もう、我慢の限界だ。
これ以上はどうしようもない。
ずっと考えていたこと。
必要だったのはきっかけだけ。
今がそのとき。

「心配させた罰だ。一つ、俺の言うことを聞け」
硬いバージルの声に、がぴくりと反応して顔を上げる。
それを感じても勿論、腕の力は緩めてやらない。
数瞬空いて、がぺたりとバージルの胸に再び頬をくっつけてきた。
「……うん。いいよ。なに?」


「俺と結婚しろ」


「うん。……うん!!?」
今、バージルは何て言った!?
「ば、バージル!?あの」
「OKと言ったな。もう取り消しは聞かん」
「や、ちょっと待って!!」
「無理だ」
そっとバージルがを覗き込んで来る。
の予想に反し、その顔はからかうような表情ではなく、真剣な熱情を秘めた眼差し。


「……いい加減、俺のものになれ」


そして唇が重ねられた。
奪うでもなく、押し付けるでもなく、触れ合って交わすキス。
吐息と一緒に、バージルの想いが流れ込む。


I love you


……どちらが先に言ったか分からないし、そんなことはどうでもいい。
同じ座標で溶け合った気持ち。
それが分かれば、他には何も要らない。
最高に満ち足りた誕生日。
「ねえ、バージル」
は、視線を外してあらぬ方向を見ている彼の袖を引く。
ぶっきらぼうにバージルがを見下ろした。
「何だ」
わざとむすっと眉を寄せたバージルの目の前に、左手をかざす。
「誕生日のプレゼント。決まったね」
ここに今、ひとつだけ足りないもの。
ちらりと薬指を一瞥し、バージルはそっぽを向く。
「そうか」
「えー。何かちょっと冷めてない?女の子にとっては大事なものなんですよ!」
「……そうなのか?」
「そうだよ!」
力説するに、バージルは口元を緩めた。
何でもいい。彼女さえ傍にいてくれるなら。
腕時計で時刻を確認する。
「おまえの誕生日も残り2時間か。……まだ間に合うな」
にやりと意味深な含み笑いをされ、はぎくりと動きを止めた。
「な、何が間に合うの?おめでとうの言葉ならもう充分聞いたよ?」
「ならばどうして俺に直接会いに来た?」
「う……」
それを言われると、何も返せない。
が固まったのをいいことに、バージルはさっさと展開を進めようとその手を引く。
「帰るぞ」
「ちょっと待ってってば!」
「婚約したから、ハラキリせずに済むだろうしな」
「いや、あのね!……あ、ほら、噴水!もっと噴水見てたい!」
「ここでか?俺は構わないが……案外大胆だな」
「だーかーら!!!」
もうすっかり暴走しかけているバージルの腕を、力の限り引っ張る。
「私からも、一つだけ!一つだけお願い聞いて!」
必死の抵抗に、バージルが面倒くさそうに振り返った。
「……何だ?」
はありったけの力で拳を握り締める。
こんなことを言うのもどうかと思うが、一生に一度しかない出来事であるからにして──女としては、譲れない。
「ロマンティックにプロポーズしてっ!!!」
「……はあ?」
らしくなく、バージルがあんぐりと口を開いた。
の顔は真っ赤っ赤である。
「だ、だって!さっきの何よ!あんな、強引な……!む、ムードのかけらもなかったよ!一生の記念なんだよ!?」
ぷりぷり怒るに対し、心の中で『いつもいつも肝心なところでムードを壊すのはおまえだろうが』と突っ込みを入れ、バージルは溜め息をついた。
それでも、今日は彼女の誕生日。
そして、自ら逢いに帰って来てくれたの気持ちが、バージルの機嫌を最高に良くしている。
「……それで?どういうのが好みなんだ?」
呆れ返りながら腰に手を当てて訊ねると、がぱちぱち瞬きした。
「え。いいの?」
「特別な日だからな。今日だけ付き合ってやろう」
「……とは言っても……」
実はあまり具体的には思いつかない。
どうしよう、指輪もまだないし……。
だいたい、そうだ、ロマンティックな雰囲気ってどうやって作るものだったっけ?


言い出しておきながら焦っているをしばらく眺め……突然バージルは何を思ったか、襟元を正してコートの裾を払った。
「何、どうしたの?」
仕上げに前髪をかきあげ、バージルはから目を逸らす。
「王道だ」
「え?」


きょとんと見守るの目前、バージルは地面にひざまずく
それから胸に手を当て
最後に真摯な瞳で想い人を見つめ

「Marry me?」

「!!!」
「指輪はまだないから、今日はこれで許してくれ」
左手の薬指に、そっとキスをする。
たっぷり想いを込めて唇を離し、細かく震える左手から腕に肩、そして顔に視線を上らせ、と目を合わせる。
は耳も首も真っ赤で硬直状態。
愛しさに流されるまま、バージルは微笑する。
「……返事を貰おうか」
「……。」
?」
優しく催促するバージルの視線に、は唇をきゅっと結んだ。
恥ずかしいし、照れもある。
けれど我儘に付き合って、再度プロポーズしてくれたバージルに言える言葉。
今思いつくのはたったひとつ。


「     」


バージルが目を見開いた。
それからハッとそっぽを向く。
「……ひどい発音だ」
そのまま口元を手で隠したまま立ち上がらないバージルに、はくすくすと笑いながら抱きついた。
「ロマンティックなプロポーズをどうもありがとう、大満足です」
「……二度と言わないからな」
何故か悔しそうなバージル。
「ええー」
茶化すように見上げれば。
「……おまえにたっぷり付き合ってやったからには、これからの時間は俺に付き合ってもらうぞ」
ほんのさっきまでの可愛いバージルはどこへやら。
既に妖しい魔性の笑み、である。
バージルに勝ったと思うのはいつも一瞬。
きっとこれからずっと、こんな感じなのだろう。
(それでいいや)
しあわせなんだから。
「……いいよ」
はこくんと頷いた。
「もう逃げない」
バージルがまたも驚きで目を見張る。
言葉通り、は目を逸らさない。
想いのつよさに、バージルの方が捕らえられた。

「……その言葉、忘れるなよ」
「……うん」

交わされた愛の挨拶のあと、精一杯強がっているのはいったいどちらか。
まともにの顔を見られないバージルなのか、繋いだ手が細かく震えているなのか……。
それは神のみぞ知る。







→ afterword

40000hitsお礼夢です!

バージルのプロポーズ!これは20000hitsアンケートのときに頂いたコメントで、何が何でも書きたいと思っていた展開です。
バージルの求婚、いかがでしたでしょうか………。
ヒロインの空白の「」には、お好きな言葉を入れていただきたくて、何も書きませんでした。
候補はいくつかありますが、ちょっと決めかねたというのもあr
自分だったらどう答えよう?ちょこっと悩んでいただけたら光栄です。

リクエストから始まったこのシリーズも皆様に支えられて、ひとまずここで一段落。
次回からは新婚編!「旦那様は悪魔」(語呂悪い…)となりますー
散々引っ張っておいて登場なしの彼はこれから大活躍!(予定)

それでは、いつもお散歩して頂きまして、本当に感謝しております。
ありがとうございました!
2008.9.4