バージルの「埋め合わせ」の内容は、には内緒だった。
それでも、その場所へ出掛けるのが夜ということには変わりないらしい。
夜までかなり時間があるので、ふたりは近所をぶらぶら散歩することにした。
家の前のガブリエル公園を軽く歩き、そのまま道沿いのカフェに入るのが、のお気に入りコース。
バージルに「またそれか」と呆れられても、アップルパイ・アラモードを頼むのはやめられない。
あつあつのアップルパイとバニラアイスの至高の組み合わせと、さっぱり喉を潤すアイスミントティー。
「幸せ……」
「おまえの幸せは17ドルで買えるのか」
皮肉混じりにバージルはウィンナーコーヒーに口を付ける。
むー、とは唇を尖らせた。
「正確には16ドル76セントね」
「さっき17ドル払って誤魔化したな」
「本当に細かいのなかったの!」
「分かった分かった」
バージルは今日は上機嫌だ。
ひとつ、胸のつかえが取れたからかもしれない。
(欲を言えばダンテさんのこと、もっと知りたいけどなあ)
何せ、このバージルの双子の弟なのだ。
今までヴェールに包まれていた、バージルの家族!
最初に迫られたときはかなり驚いたが、あれはきっと彼なりのジョークなのだろう。
結局少ししか話できなかったが、よく笑うし口数も多いし、親しみやすそうな人だ。
双子なのにどうしてこうも性格が違うのか、実に興味深いところではある。
(そんなこと言ったらまた地雷かも)
うずうずするものの……もう少し様子を見よう。
だけどせっかくバージルの家族に会えたんだから、いつか絶対仲良くなってやる。
こっそりテーブルの下で拳を固めて、はミントティーを飲み干した。



おだやかな暇つぶしの時間の仕上げは、読書。
ガブリエル公園の噴水前のソファで本を一冊、バージルの解説つきでふたりで読む。
本の活字が小さいからと、お互いぴったりくっついているのが心地よい。
バージルの声を聞きたくて、はあれこれ質問を重ねる。
自分のために分かりやすく説明してくれる、落ち着いた声音。
できたらバージルの声を子守唄にこのまま眠ってしまいたいところだが、後日突然「あの単語を覚えているか?」と質問されることもあるので、としては気が抜けない。
そうこうしているうち、辺りが薄暗くなってきた。
街灯がついたが、もう読書には不向きな明るさだ。
「そろそろ向かうとしよう」
バージルが本を閉じた。
「どこに行くの?歩いて行ける距離なの?」
質問だらけのに、バージルはにやりと笑って首を振った。
「車に乗って出掛けるが、行先はまだ言えないな」



バージルの運転は丁寧だ。
ハンドルを無駄に切ったり、強くブレーキを踏んだりしないので、実にスムーズで快適である。
そのくせ意外とスピードが出ていることもあるので時々は驚くのだが、並走している車を次々抜いていくあたり、今日もかなり飛ばしているのだろう。
「ねえ、結構な距離走ってるけど……」
窓の外を流れる景色は、見慣れない建物や木々。
ちらりと見た道路標識からすれば地名的にはそんなに離れていないが、そもそもの国土が広いので、島国出身の地図の感覚など当てにならない。
「まだ着かないの?」
遊園地に出掛ける子供のようなことを口にする。
バージルがぽんとの頭を撫でた。
「もう少しかかる。暇なら寝ていろ」
「そりゃ、出掛けるといつも行きか帰りかどっちかは必ず寝てるけど……今日は寝ない」
「帰りは絶対に寝ると思うが」
「いいえ寝ません」
「賭けるか?」
「何を?」
「……では、」
「やめよう!怖いからやめよう!」
「それは残念だ」
「……。」





バージルが車を停めたのは、何もない真っ暗でだだっ広い駐車場のような所だった。
詰所なのか、こぢんまりとした小さな建物の照明だけが眩しい。
「ここなの?」
詰所は明るいが、目の前は見渡す限り闇で何も見えない。
見上げれば、ばらまかれた星々と、ぽっかり浮かぶ月。
夜空の方が明るいようにすら思う。
「手配してくるから、ここで待っていろ」
「手配?」
何を、と訊ねる間もなくバージルは建物に入って行った。
「……何なんだろう」
バージルが何を企んでいるのか、全然分からない。
何度目を凝らしてみてもヒントすらない。
「わ、寒……」
肌をくすぐる夜の風は、もうつめたい。
上着を一枚持って来ればよかった。
ぶるりと震えると、後ろからバージルがそっとの肩を抱いた。
「あ。もう済んだの?」
「ああ。……見ていろ。絶対に驚く」
「?」
バージルが前方を指差した。
すると、まるでバージルが指先で魔法をかけたように──目の前に光の点が二本、まっすぐ長く伸びていく。
規則的な光の明滅。
思い当たるものはひとつしかなく、は息を飲んだ。
「滑走路!?」
「車の次は、あれに乗ってもらう」
の肩を引き寄せ、視線の方向を変える。
照らし出された滑走路にしゃんと待機していたのは、小型のジェット機。
「えええ!?」
「セスナで夜の散歩だ」
こちーんと固まっているに、楽しそうにバージルが告げた。
「だけど、あんなのどうやって……」
「待たせたね。さっそく出発しようか」
の疑問に答えるように、詰所からヘルメット姿の壮年の男性が現れた。
パイロットだろう。
彼にひとつ頷き、バージルは相変わらず凍ったままのの手を引く。
「乗るぞ」
「う、うん……」
間近に見るセスナはそれほど大きくはなく、本当にこれが空を飛べるのかとドキリと胸を冷やした。
おそるおそる、そうっと乗り込む。
やはり狭い。
中のシートも操縦席を除けば、四人分しかない。
「私たちだけ?」
「勿論」
右の席にを座らせて、シートベルトをしっかりと締める。
『じゃあ、ナイトクルーズに出発するよ』
パイロットが機内放送を入れる。
そしてすぐにセスナは走り出した。
小回りは利くらしく、機体はてきぱきと滑走路を曲がるのだが、その度に機内は揺れる。
がたがたと音を立てる窓、お尻に伝わる振動。
「け、結構揺れるね?」
がびくびくとバージルを見上げる。
「国際線や国内線に比べればな。……怖いか?」
「ダ、ダイジョウブ」
大丈夫ではない返事に、バージルは口元を緩めた。
──闇に紛れて、悪戯っぽい笑みを唇に刻む。
、外を見てみろ」
「な、なに?」
何が見えるのかと、はびくつきながら窓の方を向く。
ちゅ。
向けられた左耳に、バージルはわざと音を立ててキスをした。
「!?」
がばりと振り向いたのおでこに、頬に、次々とキスが降り注ぐ。
「ちょ、バ、まっ」
逃げようと動けば動くほど口づけが増やされ、思わずきゅっと瞼を閉じたとき、体がふわりと浮かぶのを感じた。
後方に体重を持っていかれるような感覚の後、足元の振動が一切消える。
「……あれ?」
きょろきょろするに、バージルが窓を示した。
「離陸した。外を見てみろ」
「……。」
「今度は何もしない。いいから早く、外を見ろ」
の疑いに細められた眼差しは、窓に向けられるとすぐに大きく見開かれた。
「ああ……!」
天と地が逆さに目に映っているかのように、眼下に広がる光の粒。
幾筋も伸びる車線のライトは、まるで天の川。
ところどころで大きく主張するビルの明かりは、流星群のよう。
「きれい……」
呆然とは呟く。
「怖くないか?」
髪を撫でてやりながら、バージルが訊いた。
はぱちぱちと瞬きして振り返る。
「そういえば、もう怖くない」
離陸さえしてしまえば、驚くほどおだやかな空の旅。
相変わらずエンジン音はうるさいが、それすら忘れさせるほどに心奪われる下界。
ふと、月のようにまばゆく大きな光が目を引いた。
「あ、あの大きな光って、スタジアムかな」
「だろうな」
「マリナーズも来る?試合行きたいな」
「……ジロー目当てか?」
「い、いえいえ!ほら、同じ日本人としてですね、応援を」
「ならばヤンキースでも問題ないな。マツオがいる」
「……。」
「それはともかく。まだまだ連れて行ってやりたい場所が多いな」
冗談を断ち切り、右手での手を包む。
もバージルの肩に頭を預けた。
「……私も。日本にも、バージルに見せたいところがいっぱいあるよ」
その言葉に、ふとバージルが身動きした。
「そうだ。来週から二週間、学校を休んで欲しい」
「二週間?」
が首を傾げる。
やけに長く具体的な日数。
何か学校より優先すべきものがあっただろうか。
「どうして?」
見つめるに、バージルが咳払いで喉を整えた。

「……の両親に、結婚の挨拶に。」

その言葉に、は思い切り目を見開く。
(お父さんとお母さんに……挨拶)

──バージルとの関係が、公然と認められる。

「うん。……うん。そうだね。行こう」
目の奥が、じんと熱くなる。
せっかくバージルがくれた空からの景色が、ゆらゆら滲んでしまった。
けれどそれすらも、たとえようもなくうつくしい。
「きれいだね」
「そうだな」
ふたりそれぞれ窓の外を眺めながら、ぎゅっと手を繋ぐ。
しあわせな恋人たちを乗せて、セスナは夜の空を飛んだ。



セスナから降りても、身も心もまだどこかふわふわしていた。
覚束ない彼女の足元に、バージルはを抱き寄せる。
「昨夜は散々だったが、埋め合わせはこれで足りたか?」
「うん!でも、一時間ってあっという間だったね。ジェット機にも慣れたし、また乗りたいよ」
「そういえば着陸は怖がらなかったな」
「……それは、ね」
またキス攻めにされたら恥ずかしいから黙っていました、とは言えずには苦笑した。
「あー、きれいだった」
空を見上げる。
バージルも同じように首を反らした。
先程まで見下ろしていた光を転写したようなきらめき。
ふたりで見れば、目に映るものすべてが特別だ。
それでも、バージルもも、お互いに見せてあげたいもの、一緒に見たいものを常に探している。
「今度こそ、日本を満喫できるといいね」
「そうだな」
「……あ。けど、二週間って、バージルこそ仕事は大丈夫なの?」
の問いに、バージルはにやりと嗤う。
「今度は絶対に大丈夫だ。何があろうとな」
ふうん、と何でもないふりを装って頷いただったが……
(何だろう、この寒気?)
バージルの笑みに、何故かぞくぞくと肌が粟立った。





ふえっくしょい!
「Bless you」
「……サンキュ」
盛大なくしゃみをかましたダンテに、便利屋の仲間が声を掛けた。
「おまえさん、大量に依頼抱え込んだねえ」
手元の資料に顎をしゃくる。
ダンテはむすっと片頬を膨らませた。
「オレのじゃねぇんだけどな」
「ぁあ?」
「いや、何でもない。オレのだ」
ダンテは、はあと溜め息をつく。
この依頼の山は、もちろんバージルに押し付けられたものだ。
今朝早く、電話が掛かって来た。
まだ眠くて無視していたものの、いくら待っても電話は一向に切れない。
しつこい奴だ!と渋々電話に出たら、バージルだったのである。
昨夜のことを蒸し返すのかと思いきやそうではなく、ただ一言、『二週の間、俺の依頼も片付けてくれ』。
『二週間?何でまた』
『もっと押し付けてやりたいぐらいだがな』
『……。……はーん、分かったぜ。日本に行くんだろ?』
『引き受けるのか引き受けないのか、どちらだ?』
『ったく。優しいお兄ちゃんのために、可愛い弟が一肌脱いでやるよ。それでいいだろ』
『ふん。今度は何があっても俺を呼び戻すなよ』
『OKお兄様。……そうだ』
『何だ?』
『どうせあんたのことだ、バチェラーパーティーの準備なんてしてねぇよな?オレが手配してやっ』
『必要ない』
『おい!……ち、もう切れてやがる』
切られた電話に悪態をついてみてもどうしようもなく、ダンテはバージルの分も依頼を引き受けた。
だからこうして資料の束の前に管を巻いているのだった。
面倒だし、普段なら絶対にお断りだ。
だが。

──薬指の指輪、なんて見せられちゃな。

「あの野郎……あんな可愛い子に一体どんな手管使いやがったんだか」
いや、逆か?
ちゃんは、あの野郎に一体どんな手管を使ったんだ?」
まさか自分より先にバージルが婚約するとは。
「……女運が悪いなんて、いい加減御免だぜ」
日本から帰って来たら、ちゃんから友達の一人でも紹介してもらうか。
そんなことを考えながら、ダンテは今の所はいちばん頼りになる存在(無機質な連中で寂しいが、深く考えてはいけない)、リベリオンとエボニー&アイボリーを背負って立ち上がった。







→ afterword

50000hitsお礼夢です。
いよいよダンテが参戦!ヒロインの前なので手加減ありですが、早速バージルにどつかれています。
いくらお邪魔虫ポジションとは言え、ダンテが嫌な奴になってないといいんですが…!(滝汗)

そしてこちらの連載のふたりも、夜空のお散歩。
セスナのシーンが書けて大満足です!
(マツ○選手、すみません。これはネタです。私は普通に応援してますよ!)
追記:イチ○ー選手もマツ○選手ももう引退されましたね…時の流れの速さがやばいですね。

このシリーズには50000hits前のアンケートにて、たくさんご意見をいただけて本当に嬉しいです。
続きはHoneymoon+α編です。
たくさんお散歩に来てくださいまして、そしてここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました!!
これからもよろしくお願いいたします。
2008.10.8