窓の外が徐々に明るくなってくる。
やわらかい夜明け。
不思議な気持ちで、バージルは自分の左手を見つめる。
と同じ指輪が嵌められている薬指。
彼女に婚約指輪を嵌めたときは、彼女を鎖で繋いだように感じた。
とすれば、が震えながらも結婚指輪を嵌めてくれたその瞬間、
(俺も繋がれた)
彼女の左の薬指と、自分の左の薬指。
繋がれるとは、もっと不自由になることだと思っていた。
だからにすまないような気持ちを感じることもないではなかったのだが……今の自分は、気が触れたのではないのかと怖くなるくらいに幸福だ。

疲れ果て、隣でまだこんこんと眠る恋人を見つめる。
寝顔を愛しく見守りながら新たにする決意は、いつかも想ったこと。
(俺がしっかりしなければ)
(おまえは俺が守る)
そっとに触れようとしたとき、

ピピピピピピピピ!!!

「わぁっ!」
けたたましい目覚まし時計の音に、が跳ね起きた。
べしっと叩いて時計を黙らせる。
その勇ましい寝起き姿。
バージルは天を仰いだ。
(……ムードもへったくれもない)
恋愛映画には感動するくせに、自分がその立場になるとまるで意識していないのだから。
はふああと欠伸をしかけ、隣のバージルが既に起き上がっていることにようやく気付く。
「あ、おはようバージル。起きてたの」
「ああ」
「早いね。ちょうどよかったけど」
何の未練もなくするりとベッドから抜け出す。
新婚初夜が明けたばかり、もうすこし雰囲気に浸るとかないのか?と呆れつつ、バージルはふと目に入った時刻に疑問を抱く。
まだ朝の5時。
いくらなんでも早起きすぎないだろうか。
「もう起きるのか?」
「うん。そうだよ、だって時間ないし」
あっさり答え、はあっ!と声を上げた。
「……ごめん。言うの忘れてた」
「何をだ?」
首を傾げたバージルに、はものすごく気まずそうに作り笑いを浮かべた。

「今日から新婚旅行。京都に行こう」





「……サプライズにも程がある」
「だから、ごめんなさいってば」
新幹線の中、はバージルに謝りっぱなしである。
只今、新婚旅行に向けて移動中。
がバージルと一緒に行きたかった場所が、秋の京都。
ヨーロッパもアジアも、海外はあちこち考えてはみたものの、どれも「これだ!」と決め手にかけた。
ふたりで行ってみたい所は数え切れない程ある。
でも、その中で特にどれかひとつ、となると……。
バージルには「ゆっくり考えろ」と言われていたのだが、今回日本に帰るということで、ふと京都が頭に浮かんだ。
京都は紅葉シーズンを迎え、春に負けるとも劣らない風情で出迎えてくれるだろう。
幸いにも親戚が鴨川沿いに町屋を保持しているので、宿泊先にも困らない。
今すぐ結婚式という交換条件を飲んでまで母にお願いしたのは、その予約である。
書き入れ時ということもあり既に他の旅館は満室だったが、そこの町屋は何とか借りることができたのだった。
ホテルに滞在ではなく家を借りるだけなので、食事から掃除まで普段の暮らしを丸ごと京都に移したような一週間。
アメリカの暮らしからも、日本の実家での暮らしからもかけ離れた旅行。
絶対に、特別な想い出になる。
それがの考えた新婚旅行の計画。
場所が日本ということもあるのでバージルには秘密にして、突然旅行先を告げて驚かそうと決めた。
の計画では前日、つまり結婚式の日に明かそうとしていたのだが……
準備に式本番に親戚友人の祝福に。
……平常心を保てるわけもなく、旅行のことはすっかり抜け落ちていたのである。
「まあいい」
しょぼくれたに溜め息をつき、バージルは苦笑した。
驚かされすぎた感は否めないが、彼女が自分に良かれと計画してくれたのは分かっている。
「キョウトまではどれくらいなんだ?」
シートに深くもたれた。
早朝からばたばたと慌ただしく準備して出掛けた疲れが、眠気となって襲ってきている。
欠伸を噛み殺したバージルを見て取って、がぽんぽんと自分の肩を差し出した。
「京都に着いたら起こすから、眠っていいよ」
途端にバージルが不信な眼差しを寄越す。
「そうしてふたりで乗り過ごして終着駅まで、か?」
「大丈夫です。……緊張して眠れそうにないから」
ぽつんと付け足したに、バージルは一瞬何かを言いかけ、やめた。
素直に肩に頭を預ける。
「乗り過ごしても構わないから、おまえも寝ろ」
「眠くなったらね」
は肌をくすぐる銀の髪に頬を寄せる。
バージルは目線の先で遊んでいる彼女の手をつかまえた。
疲れてはいるけれど、神経が昂ぶっていて、変に冴えている。
この一秒一秒が大切すぎて、眠りたくはない。
眠るためと嘯いての肩を借りたのに、意識は逆にはっきりと。
何も語らず、何もせず……ただそばにいる。
日常にはまず見つけられない時間の幸福な使い方。
一向に重くならない肩に、もやがて気がついた。





式の翌日朝早くから出発するという強行スケジュールだったが、それを補って余りあるほど、京都は魅力的だった。
紅葉に彩られた町並みは、右を向いても左を向いてもカメラを構えたくなる美事な景色。
目を染める、様々な赤。
「綺麗だね。京都に来たのなんて、修学旅行以来だからすごく新鮮だし」
「成る程、それで観光案内役としては力不足というわけか」
「すみませんねぇ。でもガイドブックあるから大丈夫」
「日本語だしな」
「どうせ」
哲学の道をのんびりと歩く。
……疎水のように、時間はゆっくりと流れる。
ひら。
雪のように舞った葉を手のひらに受け、バージルはゆっくりとを見つめた。
「……本当に日本を離れていいのか?」
ぴたりとの足が止まる。
このうつくしい四季を誇る国を離れられるのか、とバージルは問う。
はにっこり笑ってみせた。
「大げさだよ。グリーンカードもらってアメリカに引っ越したって、日本人だってことに変わりない」
名前や身分が変わるのは、紙の上だけ。
「私は私」
きっぱり言い切ると、はバージルと手を繋いだ。
「だから迷惑を掛けると思うけど、これからもよろしくお願いします」

バージルは胸を突かれて、深く嘆息した。
──俺は俺。
は夢も希望も、そして秘密も分かち合う準備が出来ていると式で宣誓した。
自分が長々と述べた言葉よりも、ずっと心を動かした。嬉しかった。完璧だと思った。
バージルはそっと手を握り返す。
「……何があっても……」
「……うん?」
押し出されたバージルの言葉の続きを、は待った。
けれどいくら待ってみても、沈黙が続くばかり。
ただ、繋いだ手にぎゅっと力が込められた。
外を歩いてすこしだけ冷えたお互いの手。
恋人が隣にいると、しっかりと教えてくれる感覚。
『何があっても』
この後にどんな言葉が続こうと、この手が繋がっていればそれでいいと思った。





借りた家は本当に古く、バージルも感心しきりだった。
黒い木枠の窓や、畳に坪庭。
こぢんまりとしたちいさな家だったが、それゆえお互いに目が行き届く。
銀の髪に青い瞳の外国人のはずのバージルも、何故かしっくりと馴染んでいた。
昼間は完璧な町家なのだが……問題は夜。
昔ながらの雰囲気を重視しているためかどの部屋も照明が心もとなく、夜も更けると押し入れや襖の奥から何か出て来そうな雰囲気。
廊下を歩けば床はぎぃっと軋んで脅かす。
そうして、いつもよりもはびったりとバージルにくっついていた。(結果としてバージルがおいしい思いをしたのは言うまでもない)
滞在するに当たって、いちばん不便だったのは食事。
自炊するにも食材を買い込むスーパーの場所もよく分からず、ふたりは結局外食三昧だった。
今夜も京懐石を楽しんだ帰り道。
「何でバージルは箸の使い方がそんなに上手なわけ?」
懐石料理でぎゃふん!計画が見事に崩れ去り、は少々不機嫌である。
バージルは眉を聳やかして鼻を鳴らした。
「おまえが下手なだけだと思うが。あのムコウヅケの魚の」
「それは忘れてったら!」
仲良くケンカしながら、腹ごなしも兼ねて鴨川を歩く。
三条大橋から、四条大橋……この辺りの『名物』に、ふたりは毎晩紛れ込んでいる。
「何故、等間隔なんだ?」
河川敷に腰を下ろし、バージルは左右を見回す。
等間隔で座る理由が分からない。
が、自分たちも遠目に見れば横の恋人たちの中間地点にいるに違いない。
「さあ。自然にそうなるのも不思議だね。面白いけど」
自分たちが周りと同じ『恋人たち』のうちの一組だと思うと、くすぐったい。
「今日もいい天気だったね」
目の前の揺れる水面には、月が浮かぶ。
もうすぐ満月。
「……セスナに乗ったこと、思いだした」
「ああ」
「帰ったらまた乗りたいね」
「そうしょっちゅうでは有難味がなくなるぞ」
「それもそっか」
そういえば、とはバージルを見る。
「もうすぐハロウィンだね。アメリカでは大騒ぎだよね。何をするの?」
問い掛けられて、バージルは答えに詰まった。
少なくとも自分は毎年、特に何もしていない。
「特には……」
「ええ?」
が抗議の声を上げた。
「つまらないよ。せっかくのお祭りなんだし、盛大に何かしようよ」
「盛大にと言っても」
「ダンテさんも呼んで、パーティーしようよ。ハロウィンパーティー」
「……ダンテを?」
一気にバージルは態度を硬化させた。
せっかくの幸福気分に水を差すその名前。
気にせずうんうんとは頷く。
「今回の旅行も、ダンテさんが仕事引き受けてくれたおかげで来られたんだし。ほんとは式にも出て欲しかったよね」
「いいや、それでよかったんだ」
奴がいなくて本当によかった、とバージルは心の中でホッとする。
神の前での宣誓など見られていたら、後でどれだけからかわれるか。
『悪魔が神様の前で愛を誓う?ワーォ!』
──想像するだに腹が立つ。
そんなバージルの心の内も露知らず、は更に爆弾を投下する。
「まあ、式の様子は記念写真を見てもらえばいいとして」
「いや、いい!!」
珍しくバージルが焦って声を張り上げた。
「ええ?冷たいよ、バージル」
が悲しそうに目を細めた。
バージルは思い切り肩で息をつく。
「この際はっきり言っておくが、俺とあいつは仲が悪いんだ」
「それは言われなくても分かるよ……」
「相当に悪い。だから」
「じゃあ理解しあうことが必要だね。ということで、パーティーにはダンテさんも呼ぶから」
!」
「だって、ダンテさんは私の義理の弟になるんだよ?」
「それは」
「私は義理の姉でしょ?」
「そうだが……」
「あー、わくわくしてきた!これからも楽しいことがいっぱいだね」
「……。」
アメリカに帰ったら、まずは買い出し!それから、それから……
楽しそうに計画を練る
もはやなす術もなく、バージルは溜め息をついた。
結局最後は押し切られてしまうのか。
けれど、しあわせそうな彼女を見ていて、これ以上不機嫌になれるわけがない。
(……もう好きにしてくれ)
一切の反論を込めて、バージルはを乱暴に抱き寄せた。







→ afterword

お疲れさまでございました!!まずは…申し訳ございませんと謝らせてください…
今回も突っ走ってしまいました…これでも冗長になりすぎないように切り詰めたんですが…。
いつものことながら、Upした後はもう読み返せません(逃亡)

バージルのタキシード!(*´Д`*)
白か黒かで死ぬ程悩んだ末、色は書かないことにしました。
どちらでもお好きな色をご想像ください!どっちも致死量は同じです!

新婚旅行も、鴨川に並んで座るシーンが書きたくて、旅行先を京都にしました。
清水寺とか上賀茂神社とか金閣寺とか…書いてないけど、ふたりであちこちバスに乗ってたくさん回ってると思います。人力車も乗ってるかもしれません(笑)

ものすごく行き過ぎた感じですが…少しでも時間潰しになっていたら嬉しいです。
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました!!
2008.10.26