グラスが空になればダンテかバージル、どちらかがカウンターに立ち、酒を作る。
双子はさすがに息がぴったり合っていて(それを話題に出したいのを彼女たちは何度も我慢した)、しかもパフォーマンスだけでなく肝心のカクテル作りの腕もなかなかだった。
珍しいカクテルを飲んでみたいとが言い出せば、バージルが書架からカクテルブックを持ち出して、ダンテが鼻歌まじりにシェイカーを振る。
あれも飲みたいこれも飲みたいと注文の止まらないにも、バージルは文句を言わずにちゃんと応えた——酒の量を限界ぎりぎりまで抑えて。
そんな風に杯と時間は延々と重ねられていき——買い込んだ氷が底をついたところで、ついにも酔い潰れて眠ってしまった。
の方が先にダウンしなかったのは、の飲酒量が彼女のかるく三倍はあったこと、そしてのアルコール摂取量をバージルが厳しく管理していたからだろう。
すやすやとカウンターに突っ伏してしまった恋人の寝顔を肴に酒を飲んでから、双子はようやく座を解いた。
「お開きだな」
「ああ」
「上の部屋、借りていいんだろ?」
「始めからそのつもりだった」
酔いというより疲れで重い身体を立たせ、二人はそれぞれ恋人を抱き上げ、部屋に向かった。



ダンテがをゲストルームのベッドに寝かせてキッチンへ戻ると、先に戻ってきたらしいバージルは、まだ何か作業を続けていた。
パーティーの後片付けではない。へのプレゼントだ。
(マメなヤツ)
ダンテの言葉が漏れ聞こえた訳ではないだろうが、バージルが顔を上げた。
は起きなかったか?」
「ああ、ぐっすりだった。は?」
「あの様子だとベッドに運ばれた事すら気付いていない」
「そうか」
苦笑しつつ、ダンテは冷蔵庫を開けて黒ビールを取り出した。
「まだ飲むのか?」
「不思議とカウンターのこっち側って酔わねえんだよな」
カクテルを作りながらも、ソーダやトニックであれこれかなり飲んだのに、残念なくらい酔っていない。
「まあ、気を張っていたからな」
バージルも同意した。
「あんたもビール飲むか?」
「いや、手元を狂わせたくない」
バージルは細かい配線作業をしている。
ダンテはビールをあおった。
「それのために、最初からを酔い潰すのが目的だったのか?」
「いや……」
バージルはすこし困ったように逡巡した。
「確かに先に寝てくれた方が楽だったが、それはどちらでも良かった」
「ふうん。ま、オレはの限界が分かって良かったぜ」
もう空っぽになったらしい瓶を、ダンテはくるりと宙へ放り投げる。
「外で飲んだときのストップの目安ができた」
バージルはぴくりと手を止めた。
この前バーでが泥酔したことを知らないダンテは、もちろん悪気があってそう言った訳ではなかったのだが、発言はバージルのプライドをぐさりと刺したのだ。
ダンテは正しいことを言っている。
——あの夜の自分も、新規店舗の雰囲気や若い男のバーテンダーに無駄な苛つきを覚えなければ、のペースも守ってやれただろうに。
自戒をこめて、バージルはダンテに忠告してやろうと口を開いた。
「ダンテ……」
「ん?」
「……26丁目の角に新しく出来たガラス張りのバーには、を連れて行かない方がいい」
「……?」
突然何を、とダンテは首を傾げた。
(いい店だから教えたくないってか?)
が、バージルがいかに素直でなくとも、今回の硬い声音のセリフはストレートに意味を取って良さそうだ。
「よく分かんねぇけど、覚えとくよ」
飲み終わったビールをもう一度くるりと回す。
(多分そこで何かあったんだろうが……聞いたらマズいんだろうな)
足元のケースに空き瓶を並べ入れた。ケースには他にも今夜の残骸がたくさん入っている。
「よく飲んだな」
「もう当分、お前達は呼ばん」
「はいはい。……ふわーぁ」
ダンテは大きく欠伸した。
「んじゃ、俺も寝る。明日はと早く出掛けるけど、は」
「分かっている」
多分彼女は起きられないだろうな、とバージルは二階を見上げた。





翌朝。……いや、翌昼。
額に燦々とあたる陽射しで、は飛び起きた。
開かない目でおそるおそる目覚まし時計を見る。おそろしい位置に短針があった。
「もうこんな時間!?」
当然のように、ベッドの隣は空っぽだ。
しかも携帯には、からの『おはよう。昨日はパーティーをありがとう!今日はダンテとクリスマスの街を満喫してくるから、もう出掛けるね。また遊びに行くよ!』というメールが入っていた。内容の通り、もうもダンテもゲストルームに居なかった。
、昨日あんなに飲んだのに……!」
覚えている限りでは、自分の方が先に潰れたと思う。しかもその時の時刻だって、とっぷりと真夜中だったはず。
(何てエネルギッシュな……)
自分の体力のなさに愕然とする。
(体力っていうかアルコール分解能力?)
あの場にいた日本人は自分一人だったかのようだ。
バージルというお目付け役のおかげか、幸い二日酔いの症状はないものの、やはり身体は重く借り物のよう。
のそのそと足取り重くキッチンへ向かう。
いつものようにコーヒーメーカーからコーヒーを飲もうとするも、それはすっかり冷めきっていた。しかも、カップの底を隠すくらいしか残っていない。
ほんのちょっとのコーヒーを手に、リビングに向かう。
「バージルー」
ソファには、普段と変わることなくバージルのしゃんとした背中があった。
「コーヒー、私の分も飲んじゃったの?」
「いつまでも起きて来なかったからな」
バージルは新聞をばさりと広げた。
あっさりと言われてしまい、はちょっと泣きそうになる。
バージルはどんなに遅くとも7時には起きていたはずだ。それからひとりでコーヒーを飲んで新聞を読んで——その間ずっと、はぐっすり眠っていた。ひとりで。
(別に自堕落な生活がしたいんじゃない……)
ダンテとの暮らしが自然とそうなったように、ふたりで過ごす時間を大きく取りたいだけだ。
だから、早起きバージルと出来るだけ長く一緒に過ごそうと思ったら——
「明日は一緒に起きるから」
ぽつりと呟く。
バージルが新聞をテーブルに置いた。自分が起きるまで、彼は何度それを読み返したのだろう。クリスマスの記事ばかりが踊る紙面に、彼が特別興味を持ったとは思えない。
ソファの背に手を掛け、を振り返る。
「普段きちっと過ごしているから、たまの寝坊が楽しいんだろう」
そういうものかもしれない。が、それはきっとの求める寝坊とちょっと違う。
はバージルの隣に腰掛けた。
「たまにはバージルも二度寝つきあって……」
「……ああ」
頷き、バージルが眼鏡を外した。と、そこでようやくは、
「あれ?」
今の今まで彼が眼鏡を掛けていたことに初めて気がついた。
「珍しいね。というか、初めて見たかも」
つつつ、とバージルに詰め寄る。
テーブルの上に置かれた眼鏡に手を伸ばそうとすると、バージルがそれを取り上げて阻止した。
「本の読み過ぎで目が悪くなっちゃった?」
「いや……」
バージルはすっと脇に視線を逸らした。
の尋問は続く。
「新聞読むときだけ?この前、本読んでたときは掛けてなかったよね?」
「そうだったか?覚えていない」
バージルはどうも歯切れが悪い。
「ね、ね、もう一回かけてみて」
「必要ない」
眼鏡をケースに仕舞ってしまう。
「ええー。まだちゃんと見てないのに」
「見て楽しいものではないだろう」
「私には楽しいの!」
バージルの膝に手を乗せ、ぐっと顔を寄せる。
「かけてみて」
「……。」
「……お願い?」
しばし無言の押し問答。
……いつものように、バージルが折れた。
「全く。何が面白い」
ケースから眼鏡を取り出す。細いフレーム、薄いレンズの眼鏡。指先で素早く装着する。
「満足か?」
「そっち向いてたら見えません!」
埒が開かないと、はバージル正面に回り込んだ。
やっとのことで、眼鏡を掛けたバージルと目が合う。
「……。」
「……。」
見つめあったまま、は言葉を失った。
正面から眼鏡姿を見て、思い出したことがひとつある。何故、いきなり彼が眼鏡をする気になったのか。
——バージルに申し訳ないことをさせてしまった。
「……似合ってるし、すごくかっこいいんだけど……何ていうか……」
の言葉を待ち、バージルはゆっくりと瞬きをした。
はどう説明しようかと視線を揺らす。
(バーテンダーさんにかっこいいとか、あんなに酔ってなかったら言ってない)
それを彼が何か勘違いしているのなら……
はバージルから眼鏡を取った。
「普段のバージルがいちばん、て分かった」
「そうか」
バージルはやれやれと前髪をかきあげた。
「でも……」
は手の中の眼鏡と、バージルを交互に見る。
こんな後ろめたい経緯さえなければ、自分は文句無しに彼の眼鏡姿を褒め讃えていただろう。
「……でも、やっぱりたまには掛けてみて欲しいかも……」
「……どっちだ」
呆れ顔のバージルに、誤摩化し笑いで抱きつく。
「おまえ、まさかまだ酔っているのか?」
「うん」
そう思ってもらった方が気恥ずかしくなくて済む。
「昨日のバーテンダーさんの腕が良かったから」
「本当に腕が良ければ客を酔い潰すなんてミスはしないぞ」
「じゃあ、昨日は悪いバーテンダーさんだったんだ」
「かもな」
「冗談なしで、泥酔するのはバージルと家にいるときだけにする」
「……。まあ、それでいい」
近くなった顔の距離に逆らうことなくキスをする。バージルの味に、はそっと目を開けた。
「……コーヒー飲みたい」
バージルが苦笑した。
「悪かった。今淹れる。おまえもついて来い」
半ば強制的にの手を引く。
バランスを崩し、も慌てて立ち上がる。
「コーヒーくらい一人で淹れられるでしょ?」
「どうせなら、食事の支度も済ませればいい」
「ああ、うん……」
そういえば、バージルももう昼食の時間なのだった。
キッチンへ入ると、昨夜の酒盛りの様子は微塵もなく片付けられていた。
「バージル、みんな片付けてくれたの?」
「おまえが起きて来るまでどれだけの時間があったと思う?」
要は暇していたんですね、とは微笑んだ。
——と。
は足を止めた。
「これ……」
見慣れたキッチンに、見慣れない物体がある。
スチームレンジ。
昨日まで壊れたレンジが居座っていたはずなのに、真新しいレンジが鎮座している。
「……いつの間に?」
パーティーの時は古いレンジがあった。間違いなく。
「おまえの夢を壊さないように、サンタクロースが置いて行ったと言っておこうか」
バージルが嘯く。
「うちのサンタさん、バーテンダーだけじゃなくってレンジの設置もできるんだ」
人目がなければ冷蔵庫も一人で運べるもんね、とは笑った。
「このレンジ、前のよりも大き……」
扉を開けて、またの動きが止まった。
「……バージル。このグラス……耐熱性には見えないけど……」
中にはゴールドのサテンリボンが巻かれたフルートグラスが二客。
「そうだな。ちなみに食洗機も使えない」
バージルはグラスをレンジから取り出した。
他のグラスは4客ずつあるが、これは完全にバージルと専用だ。
「ありがとう、バージル。……ね!すぐ使ってもいい?」
言いながらもは既にリボンを外している。
バージルも頷いた。
「酒を入れないなら」
「……。了解です」
ペリエを用意し、はふと、そういえばバージルも似たようなことしてたなぁと思い出す。
あのときは物が夫婦茶碗で、ご飯が炊き上がるのを待てなかったバージルはテーブルロールを入れていた。
(新しい物が好きなのは私だけじゃないよね)
隣でバージルがライムをカットしている。気のせいか、とんとんとナイフの音も軽い。
「ところで、今日はどうする?」
バージルが8分の1に切ったライムをグラスに落とした。
「うーん」
がペリエを注ぐ。
クリスマスはもう半分が過ぎてしまった。
「今日は家でまったりしたいな」
「そうだな」
バージルがフルートグラスを持ち上げ、光に透かした。炭酸の泡は、綺麗に上に弾けている。
「パルフェタムールの意味も、まだ教えていなかったしな」
「ああ、教えてくれるって言ってたよね。パルフェタムール……」
バックバーは大半が片付けられてしまったが、いくつかのリキュールはカウンターに残っている。そのうちの一本、パルフェタムールを見て、はぎくりとした。
ラベルには『Parfait Amour』と書かれている。
口でパルフェタムールだと言われても分からない。が、ラベルの文字の中——アムールなら意味を知っている。『愛』。
(ぱ、パルフェってどういう意味!?バージル、何て言いかけてたっけ!?)
バージルは確かに途中まで言いかけていた。が、どうしても、どうしてもその部分だけ思い出せない。
青い媚薬は既に確実に自分の体内を巡ってしまっている。
の動揺に気付いた様子で、バージルは愉しげに微笑した。
「今夜こそ、その意味を教えてやる」



その後、にはブランチ、バージルにはランチとなるレンジ料理の数々がテーブルに並んだ。
まだ火が完璧に通らず中心が硬いグラッセは、噛むとコリッと軽い音を立てる。
がレンジを使いこなすまでは我慢だな)
バージルはわずかに笑み、芯の残る人参を炭酸水で飲み込んだ。
(それから)
まだ片付けていないバックバーに目をやる。
(パルフェタムールの意味を教えたら、明日は)
のんびり昼までベッドの上で。
「グラスの効果って凄い。いつものペリエがとっても美味しく感じる!」
「そうだな」
感動しているの真新しいシャンパングラスに、バージルはお代わりを注いでやった。







→ afterword

ぎりぎりですが、クリスマス夢です。

最初から最後までアルコール濃度が高くてすみません…
日記で書けなかったカクテルをいっぱい詰め込めて、趣味に走った私はものすごく楽しかったです!
双子が専属バーテンダーさんをしてくれるという、タイトル通り『贅沢な』お話になっていたらひと安心です。

あ、作中でバージルがカクテル作りにコツは要らないと言ってますが、あれは真っ赤な…顔が真っ青になるくらいのでまかせです; 美味しい一杯のグラスには、バーテンダーさんが一生懸命に体得された技術がなみなみと注がれています!

ここまでお読みくださって、ありがとうございました!
素敵なクリスマスをお過ごしください!
2011.12.23