翌朝。
「ああっ!」
バージルはの大声に起こされた。
「……何だ?」
時間はまだ目覚まし時計が鳴る前。いつもならバージルの方が先に目覚めるのだが。
がどさっとベッドから飛び降りた。
「やだ、お腹空いてるよね!」
「?いや……」
「今すぐ支度するから、待ってて!」
「別に、そこまでは」
「ごめんねシーザー!」
たたたっと足音高く階下へ駆ける。
──俺より、犬か。
空っぽになった隣を睨み、バージルは寝起き早々、喉から唸った。





それから──男と犬の間には多少の牽制・冷戦状態があったものの、大事に発展することはなく、とりあえず表向きには平穏に一週間が過ぎ──シーザーを預かる最後の日の朝がやってきた。
「海?」
の突拍子もない提案に、シーザーの餌皿を片付けていたバージルが動きを止めた。
「そう、海!1ドルショップかどこかでフリスビー買って、それ持って」
が手首を翻してフリスビーを投げる素振りをすれば、シーザーもつられてぐるりと顔を巡らせる。
既にすっかり乗り気なコンビを前に、バージルは声を詰まらせた。
「それは……」
犬連れで車は面倒だ。素っ気なく言い掛け、バージルは、
——負けた。
「お願い、バージル」
自分をひたと真っ直ぐ見つめる黒目がちな目が、2セットだ。
「……早く用意して来い」
「やった!」
「うわん!」
ハイタッチの代わりにお手をしているとシーザーに、バージルは出掛ける前から疲労を覚えた。



せめて雨が降っていればバージルにも反対の理由が出来たのだが、天は女と犬の味方だった。
からりと晴れた空に、車のボディもぴかぴかと嬉しげに光る。
シーザーは車での移動も慣れていた。
しかしいくら賢いとはいえ彼を後ろに一匹にはしておけず、も普段は使わない後部座席に乗り込んだ。
動物に気を遣い空気を籠もらせないために開けた窓からは、勢いよく風が飛び込む。
「気持ちいいね!」
シーザーもも、同じように毛並みと髪をなびかせている。
バックミラーにその様子を映し、バージルは眉を顰めた。
「それ以上は開けるなよ。顔も出すな」
「子供じゃないんだから」
そんなことはしないとむくれるだったが、バージルはこっそりと窓のボタンをロックした。



旅行ガイドに載っている海水浴場は人も多く訪れる。そこから更に車を走らせ、犬も気軽に遊べるこぢんまりとしたビーチへ向かう。
分離帯にヤシが揺れる道路をひた走り、途中での希望通りに1ドルショップに立ち寄って、また車を飛ばし……潮の香りが濃くなり風が湿っぽくなった頃、バージルは車を停めた。
ドアを開いた瞬間、待ちくたびれたシーザーが思い切り飛び出す。
「待って!砂熱くない?大丈夫!?」
「本人が元気なのだから平気だろう」
砂を蹴って全力で駆け回る姿は、バージルにスプリンクラーの苦い思い出を蘇らせた。
プライベートビーチ程の小さな海水浴場はひっそりとしたもので、数組のグループやバージル達のように犬連れの家族、波に打ち寄せられる物を品定めして砂浜を練り歩くビーチコーマーしかいない。
それがかえってちょうど良かった。
気温は高いが、素足にかかる波飛沫はまだすこし冷たい。
「シーザー、遊ぼう!」
はさっき購入したばかりの黄色のフリスビーをシーザーに見せた。
「目立つ色だから探しやすいと思うけど、よーく見てるんだよ!」
「わう!」
シーザーが任せろと元気に答える。
「Go fetch!」
が意気込んで飛ばしたプラスティックの円盤は、
「……あれ?」
飛び過ぎて探しにくいどころか、10歩先にぽとりとめり込んだ。
走り出そうとしていたシーザーも、「どうしよう」と気まずく尻尾を横に振って歩いて行った。一応、咥えて戻って来る。
がフリスビーを受け取ってもう一度挑戦するも、やはり大して飛ばなかった。
「おかしいなぁ。安いから、不良品?」
「まさか。貸してみろ」
横からバージルがするりとフリスビーを取り上げた。
軽くスナップを利かせて離すと、フリスビーは黄色く柔らかな放物線を描いて、ぐーんと飛距離を伸ばして飛んで行く。
呆気に取られたと得意気なバージルの横を、シーザーが猛然と駆け抜けて行った。
「何であんなに飛ぶの?」
「若干コツが要る」
「どんな?」
シーザーが全力で戻って来た。二投目を待って、はっはっと息を弾ませている。
バージルはにフリスビーを構えさせた。
「飛ばそうと力むな。水平に、風を切るような感覚で」
「ええー?」
やはりが投げると上手く飛ばない。
ぽとぽと落ちる円盤と、てくてく取りに行く犬。
真剣に眉を結んで投げると、そんな彼女を見て楽しむバージル。
これでは誰が何の遊びに来たのか分からない。
何十回目か、やっとバージルの投げる半分くらいは距離を出せるようになった。
「見て!新記録!」
「まあ、おまえはそれが限界か」
よくやった、とバージルはの頭にキスした。
バージルの唇に気付いたが顔を上げる。ごく自然に触れ合えそうになって、
「わんっ!」
……シーザーが戻って来た。
次をねだられたフリスビーを、バージルが拾う。には渡さず、彼はフリスビーに全身の力を込め、ビーチの端まで投げた。
「また意地悪してる」
「邪魔されたのは俺だ」
「しょうがないなぁ」
遠くまで走らされたシーザーが戻って来るまでの間、ふたりは飽きることなく何度も唇を重ねた。



ビーチの端から端まで何往復もさせられ足取りの重いシーザーを伴い、バージルとが家に戻ると、隣の家の前には見慣れたピックアップが停まっていた。
「あれ?もう帰って来たのかな」
聞いた話だと、到着まであと二時間あったはずなのだが。
「わんっ!!」
シーザーがリードを振り解いて駆け出す。
気付いた隣家の子供達が、あっという間に犬を囲んだ。たくさん撫でてもらって、シーザーも嬉しそうだ。
「やっぱり家が一番なんだね」
「それはそうだろう」
ぽつんと呟いたを宥めるように、バージルは小さい肩を抱き寄せた。
「ああ、あなたたち!」
車から降りたマーガレット夫人が、バージル達に手を振った。その手が日焼けしている。向こうの家族も旅行をめいっぱい楽しんだようだ。
「こんばんは!旅行楽しかったですか?」
「ええ、とっても!どうもありがとうね。シーザーも遊んでもらったみたいで」
「あ、コレは」
がちょっと照れくさそうにフリスビーを渡した。
「すごい噛み跡!ほんとにいっぱいあの子と遊んでくれたのねぇ!」
今日一日でそれだけボロボロになりましたと言えない理由に、バージルはそっと目を逸らした。
「私たちからも、おみやげ。旅行の間、本当に助かったわ」
マーガレットは袋から細長いトランペットのような楽器を取り出した。一目見て、バージルは愕然と目を開いた。隣家では早速、子供達が元気よくブーブーと高らかな演奏を始めている。彼らが飽きて放り投げるまで、その音は響き続けるだろう。
「あ、ありがとうございます」
オレンジと黄色のブブゼラを受け取り、はそっと肩を竦めた。



他にもいくつかお土産を貰い、それじゃあおやすみなさいと隣人と別れた後は、ふたりはこの一週間でいちばん疲れていた。
「つ、疲れた……」
どさりとソファに倒れ込む。
「犬を預かると言ったのは」
「私です、分かってます」
そっと微笑み、バージルは潮の香りのするの髪をかき上げた。
「俺もそれなりに楽しんだがな」
「え。そうなの?」
「まあな」
次回は勘弁願いたいが、とバージルは付け足した。お土産袋に手を伸ばす。
「これはなかなかいい」
バージルの目に留まったのは、木のごつごつしたタンブラーひとそろい。
「じゃあ明日はそれでラッシー飲もう」
「ラッシーはインドの飲み物だぞ」
「……何でもいいよ」
「もうシーザーに横取りされないしな」
「横取りっていうか、あの『頂戴』光線がね……」
くるんとした瞳。
思い出し、バージルは苦笑した。
おねだりされると抗えない存在としてシーザー以上に強力な人物が、預かり期限なしですぐ傍に居るわけなのだが。
「明日、朝ごはん食べに行こう」
がにっこり笑う。とろけるような笑顔に、甘い誘い。
「久しぶりに、ふたりっきりで!」

──人間で良かった。

今このときの感情がに悟られずに済むことに、バージルは相当深く感謝した。







→ afterword

30万打のキリリクエストのバージル夢でした。
リクエスト下さったアヤ様に捧げます!
ご希望通り、ちゃんと甘くなっているでしょうか…なっているといいのですが…!;

バージルと犬は、果たして仲良くなれるんだろうかと悩みながら書いてました。
ダンテは仲良くなれそう(一緒に波打ち際をはしゃぎそう)なのですが。
……いや、結局おにいちゃんももふもふには抗えないはず!!
あと、犬に嫉妬する大人気ないバージルは、書いていてやっぱり楽しいなぁと思いましt

アヤ様、リクエストをどうもありがとうございました!
ここまでお付き合い下さったお客様にも心から感謝いたします!
この夢でちょっとでも笑って頂けたら幸せです。
2010.7.11