その爆弾発言は、隣家で投下された。
7月4日、独立記念日。
バージルとはお隣、ピーターとマーガレット夫妻のパーティーにお呼ばれしていた。
先日アンディに約束した通り、おにぎりと具沢山のオニギラズを大量に差し入れし、みんなで楽しい夜を満喫中。
……が。
バージルは一人浮かない顔をしていた。
(何かがおかしい)
宴もたけなわ。
はバージル監視のもと、適度なアルコール量でご機嫌なほろ酔い加減。だから彼女は問題ではない。
本来このように他人と騒ぐのが大の苦手なバージルも、「あと五十分。九時を回ったらを説得して家に帰る」と腕時計と睨めっこでカウントダウンしながら、どうにかこうにかこの場を耐えている。だから、彼もまあ問題ではない。
つまり問題は、お隣の夫妻の方なのだ。夫妻はいつものように朗らかに話し掛けてくるものの、どうも奥歯にものが挟まったような語り口。
バージル、、どちらに話を振って来てもそんな感じで煮え切らない。
(悪い予感がするのは何故だ?)
「バージルお兄ちゃん」
不意にアンディが袖を引いた。
「チェスしよ、チェス」
この前教えたばかりの遊戯テーブルを示す。
バージルは顔を振った。
「そろそろ眠る時間だろう?」
アンディの妹は既にベッドの中で夢を見ている。
「だけどぼくはまだ眠くないよ」
「遊んであげたら」
が酔いにほんのり染まった目元で微笑んだ。
アルコールの席であまり彼女を野放しにしたくないところではあるが、幸いにもチェステーブルはすぐ横にある。こんなに近くなら、まあ大丈夫だろう。実のところ、チェスをしていた方がパーティーの雰囲気からの気散じにもなる。
軽く頷き、バージルは椅子を引いて立ち上がった。
「1ゲームだけだぞ」
「やったぁ」
喜ぶアンディに向き合うと、自分の駒はキングとポーンのみにして、後はケースの中に片してしまう。
アンディは目をまるくして盤上の陣地を見比べた。
「そんなにハンデくれていいの?」
「そんなに?そんなにかどうかはこれから分かる」
バージルは表情を全く変えずにポーンを手に取った。
やり取りを横目にビールを飲んでいたマーガレット夫人が、むすりと唇を尖らせた息子の頭をぽんと撫でた。
「良かったわねぇ、アンディ。うちのピーターはどうもチェスが苦手みたいで」
「はは、参ったな」
奥方にちくりとされ体裁が悪くなったピーターは、むくりとその巨体を椅子から浮かせた。
「バージル君、さん、まだビール飲むだろう?」
は顔の前で手をぱたぱた振った。
「あ、私はもう結構です。バージルは?」
「俺は」
「いやいや、遠慮しないで……っぐぅ!!」
いきなり、ピーターが仰け反った。
「え!?ど、どうしました!?」
慌てふためくに、マーガレットは盛大に溜め息をついた。
「ギックリ腰なのよ」
立ち上がり、夫を支える。
だらだらと脂汗を浮かべながらも、ピーターは気丈に笑ってみせた。
「いやあ。サポーターはしてるんだけど、まだ治ってなくてねえ」
夫の腰をさすってやりつつ、マーガレットはとバージルを見比べた。
「それで、実は、あなたたち二人に」
「マーゴ。やっぱり申し訳ないよ」
勢いごんで身を乗り出した奥方を、ピーターが止める。
「だけど、もうバージルさんくらいしかいないって言ってたじゃない」
「ううーん」
「どうかしたんですか?」
口ごもってもごもご動かなくなってしまった夫婦に、は小首を傾げた。
その横でバージルはゆっくり目を閉じ、深く息を吸い込んだ。──やはり身を疾る悪寒は当たっていたのだ。
急に悟りを開いたかのように一切の表情を消して身構えるバージルには気付かず、ピーターはもったりと口を開いた。
「……明後日、警察署のチャリティーイベントがあるのは知ってるかい?」
が頷いて応じる。
「ポスター見ました。そういえばピーターさんは警察にお勤めでしたね」
「だけどこの通り、うちのはギックリ腰だから、イベントに参加できなくなって困ってるんだよ」
「そうですよね」
は頰に手を当てて考え込んだ。
その様子にバージルは盤上から目を離さないまま、
、安請け合いは」
隣を牽制したのだが。
「私で出来ることなら、何でもお手伝いしますよ!」
彼女は既に拳を固めて立ち上がっていた。
「それがさぁ」
ピーターは熊のような巨体をいかにも申し訳なさそうに、ぎゅーっと竦めた。
「ぼくの仕事絡みだから、バージル君にお願いするしかないんだよ」
「力仕事ですか?」
「というか、男手が必要でね。ちょっとした出し物の手伝いをして欲しいんだ」
「出し物?」
「難しい仕事じゃあないんだよ。バージル君だったらなおさら。ぼくより得意な分野なくらいさ」
「だって。バージル。どう?」
「断る」
バージルの答えはけんもほろろ。
返答ついでに、ぴしゃりとポーンを置く。きつい一手だったのか、アンディがぴたっと動きを止めた。目に見えて動揺している。
は呆れて腰に手を当てた。
「でも、アンディにこの前うちの芝刈ってもらったし」
「あれはしっかりバイト代をやっただろう」
「ピーターさんはギックリ腰なんでしょ?大変じゃない。頑丈で健康そのもののバージルにはその辛さが分からないだろうけど」
「それはそうだが」
おまえもギックリ腰は知らないだろうと返す間もなく、が言葉を継ぐ。
「私、バージルがいない時は結構ここに遊びに来てるし。お世話になってるんだよ」
「……。」
「ありがとうバージル君!!」
バージルの言葉が途切れた瞬間を逃さず、ピーターが喜色を浮かべて手を叩いた。
「警察官カレンダーは君に問い合わせ殺到しちゃうだろう?代打なのがバレたらマズいから、Bachelor Raffleの方でお願いするよ!」
「カレンダー!?ばちぇらー!?」
興味を引く単語がぽんぽん飛び交う。は目を右左とテニス観戦のように動かした。バージルが何を頼まれているのか、さっぱり掴めない。
「俺は独身ではないと知っているはずだが?」
バージルは苦み走った顔で左手薬指を誇示した。
ピーターは自分も左手をぐーぱーしてみせる。
「ぼくだってマーガレットがいるよ!大丈夫、参加者の半分は既婚者なんだ!」
「そういう問題では」
「いやあ本当にありがとう、バージル君!!」
わっはっは。すっかり開放感に満ちたピーターの晴れやかな表情と真逆に、バージルの眼差しは氷点下に凍っていた。



matinee / soiree




家に帰ってほろ酔い気分もそのままのに、不機嫌純度100パーセントのバージルは、自分が押し付けられた役目をむすりと説明した。
曰く。
「デートくじの相手ぇ!?」
男性とのデート権をくじ引きで決めるチャリティーイベント、その「景品」にされたのだと言う。
「だから安請け合いはするなと言っただろうが」
バージルの声は凍って、いつものシルクの滑らかさがない。
はしでかした事の大きさに青褪めた。
「そんな文化があるなんて知らなかったんだよ……」
いや。言われてみればドラマで見たことはある。あれは確かオークションだったが、くじとオークションの違いはあれど、景品の内容は似たようなものに違いない。
まさかこんな身近にそんなイベントが降って湧いて来るとは。
「わ、私が代打するよ!婦警さんやるよ!」
バージルは頭痛に眉間を指で揉んだ。
「これは警察官の男とデートしたい女のためのくじだ。おまえに代わりが務まるか」
「けど、バージルだってお巡りさんじゃないんだよ。ここは安請け合いしちゃった私が責任取るべきでしょ」
「婦警が許されたとして……そんなにおまえは俺以外の男と遊びたいのか?」
「え!?違うよ!だけど」
「おまえにやらせるくらいなら俺が行く。カレンダーで永遠に写真が残るよりは、くじの景品の方がまだマシだしな」
吐き捨てるように言う。
カレンダーの方が見てみたい!などと今の彼には冗談でも言えず、は目を泳がせた。
「どうするの……?」
「どうもこうも、引き受けたからには役目を果たす。どこかの誰かと数時間一緒に過ごすだけだ」
どこかの、誰かと。数時間も。
その日本人からすると少々常軌を逸した内容の重さは、頭からアルコールが抜けるにつれ、実感を伴ってに忍び寄ってきた。
バージルの時間を独占できる、とてもラッキーな女性。なぜかVSエンジェルのような完璧な美貌の女性が彼と親しげに腕を組む様子ところまで思い描けてしまって、はしょぼんと項垂れた。
「……。ごめんなさい」
の謝罪は、バージルの眉間の皺をそれでもすこしは浅くした。
彼女の頬に指でとん、と触れる。
「おまえもくじを買え。俺を哀れだと思うなら」
「買うよ。絶対買う」





しかしイベント当日、はくじを買うことすら出来なかった。
「売り切れですか!?」
「ごめんねー、6番の方、大人気でね。くじ500枚が瞬殺だったのよ。こんな事態は初めて。主催者ももっと用意するべきだったって歯軋りしてたわ」
「あ……そ、そうですか……」
「まだ他の男性のならあるわよ、どう?」
「ごめんなさい、結構です」
絶望にがくりと肩を落として、元来た道を振り返る。
そこにはずらりと並んだ、くじの景品──もとい男性の写真。バージルの写真はお隣夫妻にいつ撮られたものやら、ピントが甘い上に横顔だ。これでも女性が殺到したとは。
「どうしよう。くじの結果だけでも見て帰る?」
くじを買えなかったことは、素直に謝るしかない。正直、チャリティーイベントだからと客の出足を舐めすぎていた。
ホールに向けてとぼとぼ歩き出した時。
「おぉーい、さん!」
よく知る野太い声が掛かった。
「ピーターさん」
お隣の熊のような住人に、なんとか笑顔を作って振り返る。
「腰は大丈夫なんですか?」
ピーターは腰に両手を当ててぽんと叩いた。
「まだサポーターで固めているよ。だけど、カレンダーの撮影もこのパーティーでやっているから、どうしても来ないわけに行かなくてね。見学もできるから、なかなか人気のプログラムなんだ」
「カレンダー、人気商品なんですってね」
あれからもバージルから隠れてカレンダーについてこっそりと調べてみた。消防士カレンダーなども人気のようだ。どこの国でも制服男子は人気らしい。
「ありがたいけど、何だかねぇ。まあ、売り上げ的にはバージル君が出た方が良かっただろうけど」
わっはっは。……っ!
豪快な笑いがぎっくり腰に響いたか、ピーターは目を白黒させて体を硬直させた。なんとも忙しい人物だ。
「そうそう、忘れるとこだった。さん。これは君の分だよ。バージル君からね」
「これって……」
差し出されたものを受け取る。
「用意されたくじ、あっという間に売り切れだったって?去年の僕なんか売れ残ったのに、さすがだね!それはともかく、それはバージル君が主催者を脅し……いや、何とか確保した分みたいだよ。1枚だけだけどねぇ」
紙幣ほどの大きさの紙。名前欄には、"No.6 - Dante"とある。
イベントではストーカーなど面倒を避けるために偽名を使うものなのだとは聞いていたが、またもや彼の弟が巻き込まれた訳だ。
「ありがとう……ございます」
主催者をうんぬんと聞こえたような気がしたが、そこはあまり触れないようにした方が賢明だろう。
はありがたくくじを受け取った。大事にバッグにしまう。
「あと、夜のことは任せてくれ」
「夜?」
バッグから顔を上げる。
ピーターはにやりと唇を歪めた。
「君にはヒミツだったか。まあ、とにかく手配はしたからね。いやあ、なかなか骨が折れたよー」
「……?」
何のことだろう。
「じゃあ、また夜に会えたら」
「はい。腰、お大事に」
笑いながら遠ざかるピーターのまるい背中を見送りつつ、は首をひねった。



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