買った物を自宅へ置き、もはやドレスコードに気を遣う必要もなくなった服に着替えると、バージルは再びを外へ連れ出した。
外はもう月が出ている。
「打ち上げ?」
「イベント主催側だけ、内々のな」
「じゃあもう周りを気にしなくていいんだね」
「ああ」
会場はふたりもよく知るレストランで、今夜は全面が貸し切りにされていた。ここにはわざとらしい派手なバルーンなど何もなく、言われなければあの『FANTASY NIGHT』の打ち上げ会場などとは到底わからない。
中には既に警察署員とその家族と思われる人々が集まっていて、ピーター一家も子供連れでビュッフェを楽しんでいた。
「ああ、いたいた。ピーターさ」
「俺達は向こうだ」
お隣さんに声を掛けそうになったの肩を、バージルが引き寄せる。
「こっち?」
肩を抱かれたまま、喧騒に背を向けるように歩く。
辿りついたのはテラスへ続く扉。硬く閉ざされたそれを、ウェイターが恭しく開け放った。
「お待ちしておりました、バージル様、様」
(え?)
深々とお辞儀され、の頭が疑問でいっぱいになった。が、すぐにぴんと閃く。
(ああ!ピーターさん、夜がどうとか言ってたっけ?)
そうっと後ろを振り返れば、ピーターが親指を立てているのが見えた。横のマーガレットは苦笑している。笑顔でこちらへ駆け出そうとしたアンディは、父親に首根っこを掴まれてストップを掛けられた。
(アンディ!ごめんね)
両手を顔の前で合わせる。また後日、埋め合わせのアイスクリームでも奢ってあげよう。それはともかく。
(バージル、ピーターさんに特別席の予約をお願いしたってこと?)
これはとんだ見返りを要求したものだ。
当の本人は「当然だ」と、肩で風を切って歩いて行く。
背後で重い扉が閉ざされると、テラス席は一気に夜の静けさに包まれた。道路とレストランを隔てるフェンスに飾られたイルミネーションが、やわらかく辺りを照らす。
席は、キャンドルと花が飾られたテーブルが一席だけ。椅子を引いてもらって、はお行儀よく席に着いた。Reservedカードがウェイターに取り払われて、席がふたりのものになる。
「メニューは事前に伺ったものをご用意してよろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
夜風がすずやかに渡っていく。
「気持ちいい風だね。昼の暑さが嘘みたい」
「そうだな」
ふたりの真ん中のキャンドルが、の照れを表すようにちらちら揺れた。
セットされていたグラスに、水がかろやかな音を立てて注がれる。ウェイターが一礼して下がると、ようやくの緊張がすこしだけ解けた。
「……いろいろ聞きたいことが溜まってるんだけど」
バージルは無言で、ただ右手を「続けろ」と裏返した。
「じゃあ、まずは……どうやって私の番号を引き当てたの?」
「マジックのタネ明かしをねだるのはマナー違反だ」
グラスに口をつける。にはバージルの仕草は笑みを隠したようにしか見えなかった。
「やっぱり何かしたんだ」
「当然だろう。俺は時間を無駄にする気はない」
「今日はさっさと帰る予定だったんだね。……時間無駄にしちゃった?」
バージルは答えず、ただほんのすこしだけ微笑った。
「他に聞きたいことは?」
「えっと」
『後で言うことノート』を思い出す。たくさんメモしたはずなのに、いざ澄ました本人を前にチャンスが訪れると、なかなか問うべき言葉が出てこない。
「ないのか?」
「指輪!そう、指輪のメッセージ!あれはほんとに最初からあったの?」
今度こそバージルは楽しそうに肩を揺らした。
「ああ、あった」
「そんな……バージルはずっと隠してるつもりだったの?」
「そのつもりだった。だが、今日この状況で魔が差したな。指輪を外させて、それでもおまえが気付かなかったらそれでいいとも思った」
「気付けて良かったよ」
はもう一度、指輪を外して内側を見た。見つけてあげられてよかったと思う。隠された彼の気持ち。バージルがくれたものならば、何でもひとつ残らず知りたいと思う。
「私もどうせならバージルの指輪にメッセージ入れたかったな」
「何と刻む?」
面白そうに瞬くバージルに、は考えるふりをして上を見た。
「同じ文章を」
「俺が『heaven』から?冗談だろう」
「気に入らないなら『under world』でも何でもいいよ。どっちにしてもバージルは天使じゃないし?」
「おまえに対してはこれ以上ないほど譲歩していると思うぞ」
「でも、もうちょっと天使になって欲しい時があります」
「おまえ次第だろうな」
「……。ちょっと貸して?」
はバージルの薬指から指輪を抜いた。
まっさらな内側を見る。サイズが自分の物より大きい分、文章も多少は融通が利きそうだ。
「ね。これからでもメッセージ入れていい?」
「……好きにしろ」
「うん。好きにする」
何だか楽しくなってきた。
早いうちにジュエリーデザイナーのホリーに連絡を取らなければ。
とりあえずは、バージルの指に指輪を戻す。
「そういえば、何で指輪を外させたの?ほんとにケイシー対策?」
「それは」
「ん?」
「……おまえが……」
「私が?」
昼間のお返しだ。
バージルは軽く睨んだ。
「……指輪を気に入っているならそれでいい」
「……。」
舞台を下りた今、バージルはもう易々と本音を明かしてくれなさそうだ。
突っ込むべきか測りかねていると、
「バージル様、様。ケイシー様からシャンパンが届いております」
ウェイターがボトルを恭しく掲げ持って現れた。
バージルにとってはナイスタイミング。
「ケイシーさんから?」
彼女はつくづく邪魔をする気らしい。
「メッセージカードがございます」
渡されたカードを、は広げた。

"The Oscar goes to you.
Pretty good acting, actually. Almost hit for the cycle.
I couldn’t take a pop at you guys, but you can pop this champagne cork.
You two are perfect for each other. If you need my photos, just call me. I frame them.
Bye, KC"

『今日のオスカー俳優さんへ。
いい演技だったわ。すっかり騙されたもの。私が割り込む隙はなかったけど、このシャンパンなら出来るわね。
ふたり、お似合いだったわよ。写真が必要なら電話して。サービスするから。
じゃあね。ケイシー』

「……っえ!?」
Pop!ウェイターがシャンパンを開けた。琥珀色の液体が、きらきら揶揄うようにグラスを満たす。
「ば、バレてたってこと?」
バージルもカードを読んだ。ふんと鼻を鳴らす。
「所詮、演技は素人だからな」
「そんな……じゃあ、あのめんどくさい時間はいったい何のために……。でも、いつからバレたんだろうね?」
「確信したのは、席を離れたあの辺りだろうな」
バージルは何気なくグラスを持ち上げ、しゅわしゅわの金色を透かし見た。
「席を……」
回想し、は赤面した。
(そ、そっか、あれか)
バージルの告白。
いつから疑っていたかまでは読めないが、真相に気付いて、でもケイシーは結局は怒りもせず、黙っていてくれることにしたようだ。
「最初から話した方が良かったのかな」
「それは分からん。……あの記者、酒のセンスは悪くないようだぞ」
勧められ、ももらったシャンパンをひとくち含む。確かに甘くて飲みやすい。
もう一度カードに目を落とし、はある一文に心引かれた。
「バージル。あのね」
「写真が欲しいなら自分で電話しろ」
「あ。はい」
カードをそっとバッグにしまったに、バージルは眉を顰めた。
「理解できんな。自分達の写真など見て面白いか?」
「だって、デート中の写真なんて、わざわざ自撮りしなきゃ撮れないでしょ?それに記念になると思わない?パパラッチされてたみたいで」
「ほう。おまえにそういう趣味があるのならば──」
バージルの目が、卓上のスマートフォンに流される。そのまま意味ありげに見つめられ、指2本で腕をゆっくり撫で上げられ──はシャンパンに噎せた。
「そっ、そんな流出したらお嫁に行けなくなりそうなものは撮らないよ!そこまではハリウッドの真似したくない!」
「冗談に決まっているだろう?誰が見せるか」
自分で言い出したくせに、バージルはむすっと顔を背けた。
「大体、おまえは既に俺の」
ごほん。
ウェイターが咳払いで会話に割り込んだ。
「ご所望の音楽です」
ウェイターがゆっくり横へ退くと、奏者が4人現れた。ヴァイオリン2丁、ヴィオラとチェロ。
やがて夜をあまく彩りだしたのは、ボロディンの弦楽四重奏曲第2番、第3楽章「夜想曲」。
は目をまるくした。
こそりとバージルに顔を寄せて囁く。
「……バージル、ピーターさん困らせすぎじゃない?」
「俺も充分苦しんだからな」
嘯く。
は呆れて溜め息をついた。
「来年は絶対にお隣さんから頼み事されないね」
「それでいい」
「えー。私は今日一日、楽しかったよ。ちょっと時間が巻き戻ったみたいなファンタジーに浸れて」
「安い夢だ」
「どうせ!」
「他人はいつでも演じられるがな」
それから実にスマートに、彼は妻の椅子を引いた。契約の証を見せつけるように、左手を差し伸べる。

「Can I have this dance, my wifey?」







→ afterword

5バージルさんを見て、いきなり自分に息子がいるって知らされた直後に「Stay back child」だの「It's past your bed time」だのすらすら言えるんだったら、案外my wifeyくらいさらっと言ってくれそうだなと思いました。願望です。

音楽お届けのシーンは、今なら絶対ヴァイオリン、指定はやっぱりノクターン。ボロディンのカルテットは愛妻に捧げられたものだそうですよ!
ぴったり抱きしめられながら揺れて、囁き声でお喋りしてるには最高にロマンティックな曲ではないでしょうか。
ほんとにこういうシチュエーションが好きで、ついつい書いてしまいます。

それでは、お読みくださって本当にありがとうございました!
2019.8.4