その頃、は。
「……そうムスッとしてたって、バージルが帰って来るのは一週間後だぜ?」
ダンテが読みかけの雑誌をテーブルに投げ出した。
彼の前のソファ、三角座りで一点を見たまま動かない
「納得して送り出したんだろ?」
「……そうだけど」
「信じてるんだろ?」
「そうだけど!」
「全然そうは見えねぇな」
呆れるダンテに、思わずががばっと身を起こして反論しようとしたところへ。
りりりん
電話が鳴り響いた。
「依頼かな?」
涼やかな音に少しだけ心もクールダウンしたが、受話器を取る。
「もしもし?」
『あ、?私だけど』
「あー、レディ!久しぶりだね!」
電話の相手はと同じ数少ない女デビルハンターのレディだった。
と違い、彼女はまだバリバリに悪魔を狩る現役である。
ダンテと組んで依頼に出掛けることもままあり、とも顔見知り程度の関係から、仲のよい友達へと変化していった。
「どうしたの?ダンテならいるけど、代わろうか?」
『ああ〜、いいのいいの。実は、に用があるんだ』
「あたしに?」
は目をぱちくりした。
『今日、暇?もしよかったら、一緒にショッピング出掛けない?』
思ってもみない誘いだった。
「行く行く!実は、すっごく暇してたし、うちにいたくない気分だったの」
「ぁ?」
の背後で、ダンテが不服そうな声を出した。
『そうなの?バージルとケンカでもした?』
ふたりが恋人だと知るレディが、くすくすと笑みを噛み含めて聞いて来る。
「違うの。違うんだけど、うーん」
『居づらいなら、うちにお泊まりにおいでよ。女同士、一度ゆっくり話してみたかったんだ』
「あたしも!じゃあ、お言葉に甘えて、泊まりに行ってもいい?」
『どうぞ!今夜はパジャマパーティだね』
一気に上がったテンションはそのままに、はレディにじゃあまた後で、と挨拶して受話器を置いた。
すぐさまダンテが立ち上がる。
「何だよ、出掛けるのか?」
「そう。レディのおうちに泊まってくる」
「はあ?まさか一週間もとか言わねえよな?」
「……そうなるかも?」
るんるんと二階へ上がって行く
「なあ」
その背中を、ダンテが呼び止める。
にやりと刻まれる意地の悪い笑顔。
「一週間オレといたら、浮気が本気になりそうで怖いのか?」
がはあ、と息を吐いた。
「バージルがユリアさんと駆け落ちするくらい、それはない。」
きっぱりとシャットアウト。
「……きつい一言で。」
──そろそろ……いや、いい加減に潮時なのかもしれない。
がくり、とダンテはソファに埋もれた。





夕方になり、ようやくバージルは部屋の外で出た。
待ち構えていたかのように、使用人がわらわらと集まって来る。
「バージル様」
「お嬢様がお待ちでございます」
「ティールームへお越しくださいまし」
ぺこぺことまるで拝み倒してくるかのような彼らが少し不憫になり、バージルは小さく頷いた。
「……ああ。分かった。案内してくれ」
使用人たちにぞろぞろと導かれるまま通されたのは、温室だった。
四方がガラスに囲まれたその部屋は、南方でしか見られないような珍かな花々とその芳香で満たされていた。
維持もさぞ大変だろうななどと考えながら、バージルはぐるりと見渡す。
温室の最奥に、主ユリアがぽつんと座っていた。
「バージル様!」
バージルの姿を見つけて、ばっと立ち上がる。
「先程は、どちらへ?お部屋に伺いましたのに」
真摯に問われ、バージルは彼女から目を離さないまま、静かに口を開く。
「……森へ」
ぴくり、とユリアの肩が揺れた。
バージルはそれを見逃さなかった。
「化け物など始めからいないのだろう?」
「!」
ユリアが目を見開く。
が、すぐさまふるふると首を振った。
「いいえ、化け物は夜にならないと」
「森には巣穴らしきものも“食事”の痕跡もなかった。何より、魔の気配が微塵もしなかったからな」
森で調べて来た結果をはっきりと伝える。
「……。」
覆せそうもない口調に、ユリアはついに肩を落とした。
その様子にバージルは溜め息をつく。
「報酬は全額返し、帰らせてもらう。それでいいな?」
はきはきと紡がれる彼の言葉に、ユリアが切なそうに微笑んだ。
「……依頼の内容を、変えても……?」
バージルは不快そうに眉根を寄せた。
「やめてくれ」
「お願いです!」
ユリアが縋りついて来る。
「今夜、一晩だけでも……!」
「身分のいい女がすることではないな」
冷たく見下ろせば、ユリアの瞳から涙が零れた。
バージルは頭痛を覚えた。
女の涙は卑怯だと思う。
無視して帰ればいいだけのことなのだろうが、それでもしばらくは心に靄がかかったままになってしまう。
以前はこんなに容易く揺れる性格ではなかったはずだ。
皮肉にも、という女と出逢って、女という生き物全般に甘くなってしまったように思う。
「……分かってくれ。俺は恋人を傷つけたくない」
様のことですね」
ユリアが僅かにしゃくり上げた。
「ただ一度、私を抱き締めて口づけることすらも、様はお許し下さいませんか」
苛立ちも隠さず、バージルは踵を返す。
「理解してもらえないなら、時間の無駄だな」
「お待ちを!」
それでもなお彼の袖を引いて、ユリアは必死に見上げる。
「どうか。私を様だと思って……ただ一度だけでいいですから……」

──バージル……。

その痛切な声は、もうだいぶ昔のことに思える夜の記憶を呼び覚ます。
がまだダンテの事務所にいて、その部屋に忍び込んだときのこと。
あのとき、用を済ませて帰って行く自分を呼び止めたのまっすぐな瞳。
今のユリアは、同じ瞳をしていた。

「……これきりだ」

バージルは、ゆっくりとユリアへと向き直った。





「えー、じゃあバージルは嫌がってるのに、わざわざその女の所に行かせたの?」
「う、うん……まあ、そうなるかな……」
「それで、結局気を揉んでるんでしょ?そりゃあダンテも呆れるって」
はレディの部屋にいた。
ショッピング中から今の今まで、根掘り葉掘り包み隠さずガールズトーク。
寛ぎ姿のパジャマの影響もあってか、本音合戦である。
「だいたいバージルがいくらにメロメロで馬鹿真面目な人だって、正真正銘ダンテの双子の兄ってこと忘れてない?」
レディが横目でを見遣る。
「……つまり?」
「プレイボーイの素質が十二分に」
「いやー!」
手近なクッションにぼふっと頭突きしたに、レディがからからと笑った。
「ごめんごめん。ま、バージルだったら大丈夫だと私もそう思うけどね」
「そうでしょ!」
すぐさまクッションから復活したに、レディはまた意地悪ににやりと流し目。
「でも、そのユリアって人、ブロンド美人なんでしょ?」
「いやー!」
は今度は体ごとレディのベッドのダイブした。
銀髪美男子と金髪美女。
──似合いすぎる。
二人並んでいたらどこかの王族とも見紛うだろう。
「バージル……」
バージルなら、まさか浮気などしないだろう。
でも、ユリアは女の自分から見ても美人で、彼は彼女に好意を持たれている様子。
そして二人は一週間、屋根の下。
「うぅ〜……」
彼は、今は何をしているのだろう。





バージルはすっと目を細めて、ユリアに手を伸ばす。
彼女の頬に手を添える。
陶器のようなそのすべらかな感触。
ユリアがそっと顔を上げれば、指先に金の絹糸のような髪が彼の指先をくすぐる。
バージルはゆっくりとユリアに顔を寄せていく。
吐息が重なる距離。
そして、唇が……

「無理だ」

バージルはユリアから名残惜しさを微塵も見せずに手を離した。
彼女に背を向け、足早に温室の出口へ歩く。
ユリアがその場にぺしゃりと頽れた。
「私はそんなに魅力がありませんか……?」
彼女にしてみればそれこそ体当たり、最大限の誘いをかけたのだ。
小さい頃から蝶よ花よと育てられ褒めちぎられ、それなりに自分に自信を持っていたのに。
震えている彼女の声に、バージルがぴたりと足を止めた。
「……そうでもない」
振り返り、今まででいちばんやわらかい表情でユリアを見つめる。
「だが、おまえはではない。それだけだ」
「それだけ……」
それだけのことがどれほど大きい違いか、考えてみなくても分かる。
「バージル様は、様を本当に愛しておられるのですね」
「ああ」
きっぱりと返事をすると、バージルは今度こそ温室を出た。
依頼は果たした。
後は帰るだけ。
──に会いたい。
バージルを突き動かすのは、その理由ただひとつだけだった。



行き以上に車を飛ばし、バージルは館へ到着した。
もう日は変わっている。
はもう眠っているだろうか。
二階の彼女の部屋は明かりもついていなかった。
手荒く玄関ドアを開けて中へ入れば、チーズの香りが鼻をついた。
最近は嗅いでいなかった、その安っぽい匂い。
リビングへ入ればバージルの予想していた通り、ダンテが宅配ピザの箱を抱えて夜食を楽しんでいた。
ダンテがぎょっと顔を上げる。
「あ?何だよ、もう依頼終わったのか?」
は?」
彼女がいれば夜食に宅配ピザなど不健康なことはまず許さないので、それを訊ねる。
こっちの質問は無視かよとぼやきながらもダンテはぷらぷらと手を振った。
「お泊まりだってさ」
「何処へ?」
バージルの語気が鋭くなる。
しばらくからかってやろうかと惚けていたダンテだったが、バージルが無言で閻魔刀に手を伸ばしたのを見て、やれやれと肩を竦めた。
「レディのとこ。たまには女同士で話したいんだってよ」
「……そうか」
すぐにでも会いたかったのだが、そういう理由なら仕方ない。
明日朝一で迎えに行こう。
素早く予定をまとめたバージルに、ダンテが両掌を上にして差し出す。
「何だ、その手は」
「何って、報酬。今回かなりよかったんだろ?」
ダンテの言葉に、バージルはうっと詰まる。
結局今回の依頼は何も果たしていないので、1セントすら受け取らなかった。
泣いてしまって現れない主人に代わってリチャードはひたすらぺこぺこと渡そうとしてくれたが、バージルはきっちり断った。
おかげで『本当に難しいお方だ』と苦笑されてしまったが。
「まさか、あんた」
「そういうことだ。勝手に頼んだんだ、ピザのツケは自分で払うんだな」
「……当てにしてたのに……」
がっくりしたダンテを鼻で笑うと、バージルは二階へ上がって行った。

──疲れた。

いつもの悪魔退治の依頼の方がどんなに楽だったか。
もうこんな厄介で何もプラスにならない面倒事は二度と御免だ。
の部屋を通り過ぎ、自分の部屋へ向かう。
……が、ややあって立ち止まる。
「……。」
の部屋に入ったとしても、もちろん彼女はいない。
それでも……。
「依存か中毒だな」
──そう自覚しても悪い気がしないのだから、なおさら重症だ。
自嘲しつつ、バージルはの部屋の扉を開けた。





ころん、とは今宵何十度目かの寝返りを打った。
レディが用意してくれたソファベッドは、ふわふわの毛布が下に敷かれていて気持ちいい。
枕が変わったら眠れなくなるタイプでもない。
それなのに……眠れない。
遠く離れているのに、いや、離れているからこそなのかもしれないが、バージルの存在がいかに自分の中で大きいかを痛感した。
いつもならバージルのくれた指輪の青い石を見ているだけでも気持ちが落ち着くのだが、今日はそれも効果が薄い。
「……帰ろうか」
館に帰っても、あと6日はバージルがいない。
でも、バージルの部屋で読書でもしていれば、きっとあっという間。
夜に眠るときは、彼のベッド。
それを6回繰り返したら、バージルが帰って来る。
はそうっと起き上がった。
「レディ、ごめんね。やっぱり帰る。今度またお泊まりに来るよ」
話し疲れて眠っているレディは起こさずメモだけ残す。
はパジャマにカーディガンを羽織っただけで部屋を出た。





ひっそりと寝静まった館に、はまるで泥棒のように入り込んだ。
ピザの匂いが充満しているリビングを呆れながら通り抜け、二階へ上がる。
バージルの部屋に行く前に、ふと腕にぶら下げたバッグを見た。
このお泊まりの荷物は置いて来ようと、自分の部屋のドアを開ける。
どさりとボストンバッグを机に上げ、何気なくベッドを振り返れば。
「……え?」

自分の腕を枕にして背中を丸めて眠る、銀の髪の人物。

「だ……」
今この館にいる銀の髪の人物の名前を言おうとして、は口を噤む。
ダンテがここで寝ているわけがない。
だとしたら。
「バージル?」
自分のベッドに彼が眠っている、これもいつだかのDeja vu。
そっと顔側に回り込めば、気配に気付いたか、彼も目を覚ました。
バージルががばりと体を起こす。

「「Why are you here!?」」
互いに互いを指差す。

「あ、あたしはやっぱり帰って来たくなっちゃって……」
「俺も、依頼をさっさと済ませて帰って来た」
早口で報告しあう。
……そうしてふたりとも同じ気持ちだったことに、そっと微笑みを交わす。
はベッドに上がると、バージルの腿に頭を乗せた。
「自分でけしかけたのに、ものすごく心配だったよ」
「俺も引き受けるのではなかったと散々後悔した」
彼女のおでこを指で軽く叩いてから、髪を撫でる。
「でも……」
起き上がり、間近にバージルを見つめる。
「もうバージルはここにいるもんね。安心した」
「おまえもいるしな」
の頬にかかった髪を掬い、耳にかける。
いつもの彼の仕草に、は軽く上向いてキスを待つ。
バージルは愛しそうにの頬に手で触れた。
その桃のような、彼の指に吸いついてくるやわらかな感触に、バージルは酔いしれる。
ゆっくりと顔が近付いていく……

「やはりこの感触が一番だ」

むぎゅ。
今にも重ねられる寸前だったバージルの唇を、は指で押し退けた。
「『やはり』って何?『この』って何!?」
甘い雰囲気が一瞬で吹っ飛んだ。
幻影剣のようにぐさぐさと、バージル目掛けて突きつけられる質問。
さぁっとバージルの顔色が変わる。
「どういうこと!?まさかバージル、ユリアさんと何か」
「違う!」
「じゃあさっきのセリフは何!?誰かと比べたんでしょ!?」
「……っだから、それは」
「信じられない!レディの言う通り、やっぱりバージルもカサノバだったんだ!」
「待て……」
「もう知らないっ」
眉を吊り上げて、ベッドから飛び降りる
追い掛けて、バージルも降りる。
ずんずん逃げていくの腕を掴み、彼女は彼女でバージルの手を振り解こうとして必死に暴れる。
緩まない力に、はきっとバージルを睨んだ。
「離して!」

「──愛している」

降って来たのは、突然すぎる甘い囁き。
思いがけない言葉に怯んだの一瞬の隙をついて、バージルは思い切り彼女を羽交い締めにした。
言葉の意味が浸透するまでは固まったまま……ハッと我に返って、このままでは流されてしまう!と、再び慌ててもがく。
「ゆ、ユリアさんにも同じこと言ったんじゃないの?」
バージルは盛大に溜め息をついた。
「俺の性格で、誰にでも言えると思うのか?」

だけだ……」
ちゅ、との耳朶に口づける。

くたり。
今度こその全身の力が抜けた。
もはや抵抗する気力もない。
「……うれしい告白に免じて、何があったかはもう聞かない……」
バージルが腕の力を緩めた。
くるりとを自分の方へ向き直らせる。
「何もなかった。本当だ」
「バージルはずるいよね……」
「そうか」
ぽーっと立ったままの彼女を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
「狡くても何でも、信じてくれればそれでいい」
「うん……」
は、バージルの胸に顔を寄せた。
──バージルがプレイボーイだったら、もう誰の手にも負えないだろう。
そんなことを思いながら、瞳を伏せる。
誘われるように、バージルが再びの頬に手を添える。
出来なかったさっきの続きを……と、顔が寄せられ……
……が。

「すー。」

ガールズトーク後に疲れを押して夜を駆けて家に戻って来て、その上で様々な感情が入り乱れ──ひたすら消耗しきったは、隣のバージルの体温にすっかり安心して、眠ってしまっていた。
?」
「すぅ……くー……」
バージルは天を仰ぐ。
「ここまでいい雰囲気にしておきながら、今夜は手出しするなと……?」
──どちらが卑怯かは明白だ。
行き場を失った唇は、とりあえずのおでこへのキスで我慢しておく。

夜明けまであと数時間。
にとっては短く、バージルにとっては長い夜になりそうだった。







→ afterword

2万ヒットお礼、アンケート結果第一位の連載バージル夢でした。

Peach=可愛い人、Green=嫉妬の色、ということで終始やきもき話。
連載バージルがとどめの一言を使うのは、裏夢含めても実は久しぶりです。バージルにはそういうちょっとシャイな日本人的なところがあってもいいかと…
ユリアの件も、ダンテならもっとうまく切り抜けられたと思います(笑)

いつも当サイトをお散歩していただき、誠にありがとうございます!
これからも甘くてしあわせな夢をたくさんUpできるよう頑張ります!
2008.6.13